4つの告白(8)
本日3話連続投稿します。
これは1話目です。
――とても悲しかったけど、このままではいけない、そう思った。
「先輩、行きましょうか!」
放課後、待ち合わせの場所に行くと妙に明るい纏がそこにいた。
「ど、どこにいくんだ?」
「それは内緒です!」
焦りながら朗太が問うとそれだけ言って、纏は勢いよく手を振りながら歩き出した。
そうして朗太たちが訪れたのは
「水族館、なん、だな」
朗太の前には巨大な水槽が鎮座していた。
薄暗い部屋に置かれた水槽では体に縞模様のあるネコザメや平べったい顔持つシュモクザメ、その他数種のサメと小魚が優雅に泳いでいた。
最初は某有名テーマパークに連れてかれるのかと思っていた。だがそれだと6時以降入園にしても金が心許ない、なんなら足りないと朗太は危惧していたのだが、纏はそれよりも前の駅で下車しここに誘ったわけだ。
その上どこに行く予定か聞いてもはぐらかすばかりだったので、実際に入るまで確信が持てなかった。
「風華さんとは動物園に行ったと聞いたので」
纏はゆらゆらと魚たちが泳ぐのを見ながら纏は返した。
「魚、泳いでますね」
「う、うん。泳いでるな」
「気持ち良さそうで、羨ましいです」
「だな」
「奥に行きましょうか?」
纏の導きで朗太はさらに奥の水槽へと歩き出した。
それから朗太達は多くの海洋生物を見て回った。
各水槽、インド洋の魚、カリブ海の魚など海ごとに種類分けされている。
それら水槽の中には多種多様の魚が泳いでいた。
体表のほとんどが真っ青で尾びれだけに黄色い斑点模様が浮かぶ魚。
肉厚の唇が上を向き明らかに仏頂面な、頭部にこぶのような突起物のある魚。
体中に縞模様のある魚。
それら水槽には魚だけではなく多くのサンゴやイソギンチャクなどの生き物も展示されていた。
枝が無数に折り重なったように見えるサンゴの奥からウツボが出てきたり、淡い色をしたゆらゆら揺れるイソギンチャクをカクレクマノミが出入りしたりしていた。
それらを見ながら、言葉を紡ぐ。
「魚って笑って見えることが多くないですか?」
「そうか?」
「はい、皆ぼんやり笑って見えます」
「そうか」そんなもんかと朗太は頷く。
「見ているとお刺身が食べたくなってきます」
「え!?」
突然の纏のブラックジョークに朗太は瞠目していた。
またある時は砂場からそのひょろ長い体をのぞかせるチンアナゴという海洋生物を目の当たりにすると纏は言う。
「先輩のが外に出ちゃってますよ」 と。
「いや俺のはもっとデカい」
「フッ」
「……。何その笑い?」
「さ、下らないこと言ってないで次行きますよー」
自信ありげに戯言を否定する朗太を一笑に付すと纏は次の水槽へと歩き出した。
そうして順繰りに二人は館内を巡っていき、朗太たちは一階と二階をぶち抜き存在する巨大な水槽を見上げ呆れかえっていた。
円形の観覧席の囲うように存在しているドーナツ状の水槽では無数のマグロが遊泳していた。
「見てください! マグロが沢山泳いでいますよ!」
魚群を見て纏が声をうわづらせる。
確かにそれは思わず声をあげたくなるほどの迫力があった。
自分の遥か頭上を魚の群れが泳ぐのは何とも圧巻である。平日の夕方だと言うのに訪れていたカップルたちも巨大水槽を見上げ何やら話し込んでいた。
朗太もまた自分を上から押しつぶす様なスケール感に圧倒されていた。
そして感動していた。
大量のマグロにだけではない。
この大量の水の圧力に耐えきる『耐圧ガラス』にも感動していた。
だから「凄いですね先輩!」と目を輝かせる纏に「あぁ確かにマグロ沢山泳いでいて凄いな」と言った後
「あとこの耐圧ガラスも凄いな!」
などと戯言を吐き、「はい……?」と纏に何言ってんだコイツみたいな顔をされたのだった。
いや、待って欲しい。
朗太は眉を顰める纏に心の中で否定した。
確かに魚群は凄い。
だけどさ、
「だってこのガラス、相当の圧力かかってるんだぞ? これ割れたら俺たち死ぬんだぞ? そんな頑強なガラス作れるって人類科学の結晶じゃない?」
と完全に発想の下が映画『劇場版コナ〇 14番目の標的』。
熱弁をふるったのだが
「縁起でもないこと言わないでください……。次行きますよ次」 と、あっさり流されてしまったのだった。
纏は「雰囲気台無しです……」とため息交じりに席を立ち、その後を朗太が申し訳なさそうに肩をすくめながらついていくのだが、朗太は信じている。
あの映画を見た者ならば、水族館で巨大水槽を前にすると、このガラス割れたらヤバくね? という感想を皆抱くと。
それから朗太たちは
「可愛いですね」
「上手に泳ぐよな~」
ペンギンを見て、
「あ、いや私は遠慮しておきます」
「マジか……」
触れるナマコなんかを触り
「しばらく絶対に私に触れないで下さいね」
「普段から触れていないが……」
そのナマコを触った手での接触を拒絶され、
「ふぅ」
「今日は楽しかったですね」
と水族館を後にした。
そして今現在、なぜか『観覧車の中に』いる。
観覧車の中に、いるのだ。
朗太は一気に緊張しだしていた。
水族館からの帰り際、潮風が寒いなとか話しながら駅に向かっていると、通りに面したこの巨大観覧車を指さし乗車を提案したのだ。
まるで『もともとその予定だった』かのように。
観覧車、というドラマやそのほか創作物で、往々にして告白やキスの場として使用される場所に落ち着き払って誘ってきたのだ。
その事実に朗太が緊張しきっていた。
観覧車に乗る二人に会話はない。
観覧車に乗ってから、緊張した朗太の口数が減ったのもあいまり、纏は人が変わったように何も話さなくなってしまった。正確に言うと観覧車に乗る少し前から口数が少なくなりはじめ、乗車し扉が閉まると完全に途絶えた。
これまでの水族館デートが嘘のように、纏は目を伏せ、ずっと何か考えている。
そして観覧車が4分の1くらいの行程に差し掛かった頃だ
「あ、あの一つ聞いていいですか?」
纏は切り出したのだった。
重要なことを聞かれるに違いない。
「い、良いぞ……」
「先輩、私がデートに誘った時に風華さんの顔を確認しましたね」
纏はごくりと生唾を飲み込み尋ねた。
「……私は風華さんの次ですか?」
◆◆◆
――きっとこれまでの間は、自分の大切なものを俎上に載せるための決意の間だったのだ。
「……私は風華さんの次ですか?」
勇気をもって自分の最も大事な話題を俎上に載せた纏。
一方で朗太には衝撃が走っていた。
まさか、そんな質問が飛んでくるとは思ってもいなかった。
確かに朗太はあの時、風華に確認を取った。
纏は終始それをつまらなそうに見ていた。
纏は、あの時、そんなことを考えていたのだ。
「いや、そんなわけは」
朗太は、倫理観を無視し、道徳観を無視し、とっさに否定する。
だが纏はもう朗太の返事など信用していなかった。
当然である。形だけ見たのなら、まさにその通りなのだから。
「辞めてください……!」纏に震える声で制止すると「嘘が一番傷つきます……!」ポロポロと涙をこぼしながらそう言った。
それから纏は涙をこぼし続けた。
朗太はというと、纏の横に行き、その背中を擦ってやることしか出来なかった。
◆◆◆
しばらくすると纏は泣き止んだ。
「もうダメですね……? 先輩のことだと自分の嫌なところばかりが見えてきます……。本当は、楽しくありたいのに……。良い自分を、見せていたいのに……」
そしてぽつりぽつりと語り始めたのだった。
「先輩、以前に私に聞いたこと覚えています? 風華さんから避けられて落ち込んでるって話。あの理由、今なら分かりますか……?」
それは以前に纏に聞いた話だった。
朗太は風華が自分と距離を置いていたとき、その理由を纏に尋ねたのだった。
「ま、まぁ、風華から直接聞いたから一応……」
おずおずと朗太が返す。
「なら良かったです」
纏は目尻の涙を拭いた。
「風華さんは弱っている先輩を見て、自分の意思を殺せないと思って去ったんですよね?」
「ら、らしいな」
「じゃぁ、先輩。その時、私が何をしたか覚えていますか?」
その答えは分からなかった。
「先輩をデートに誘ったじゃないですか」
朗太が不思議がっていると纏は断定口調で思い出させた。
「アレが何のためだか、先輩分かります?」
分からない。
強いて言うのなら落ち込んでいる自分を励ますためくらいしか思いつかない。
「違います」
それを口にすると纏は首を振った。
「アレは――」
纏は自分の秘を口にした。
「――弱っている先輩に『付け込もうとした』からなんです」
「あ――」
そう言われて思い出す。
あの時のデートは――
『ホントだよ。いや~、この映画を提案した纏には感謝だな』
『どちらも行きたい場所が無いのならすぐ近くにありますし、始まるまで本屋にでも行きましょうか』
『こんな店も知ってるんだな』
全てが『自分好みに』設定されていた事実を。
と、いうことは、だ。
見た映画が朗太の中でヒットしたのも、
帰りがけ寄ったカフェが朗太好みだったのも、
本屋に寄らせてもらえたのも、
全てが纏が朗太のことを考えコーディネートしたものだとしたら、纏は――――
この少女は自分のことをそんなにも――――
その裏に潜んでいた事実に朗太が衝撃を受ける中、纏は語り続けた。
「姫子さんが家庭の事情でダメになっている中、風華さんが先輩と姫子さんを慮って自分の想いに蓋をして距離を置く中、私は、私だけが先輩が落ち込んでいることを良いことに、先輩との距離を詰めようとしたんです……!」
それは纏の罪の自白であった。
「だから私は風華さんのことが嫌いなんです……! 嫌いになったんです……!」
纏は話し続ける。
「あの時に動いていれば、いや、もっと前に動いていれば、あの人は全てを手に入れられるはずだったのに……ッ 私が欲しいものの全てを……ッ だけどあの人は高貴な理由でそれら全部を台無しにして、それでもなお前を向いている。そんなあの人が、私は憎いし、羨ましい……ッ 私は――」
纏の目尻に涙が溜まった。
「こんなにも必死なのに……ッ!」
ツゥ……と纏の頬に一本の涙が伝った。
「本当に、あの人はずるいです」
そしてそれからしばらくすると涙を拭き纏は言うのだった。
「いつだって歯車を回すのはあの人のような人間です」
決心したように。もう観念したように。
「私たちのような人間は、回されるしかない」
纏が朗太の目をまっすぐ見た。
「先輩、……好きです。中学の時からずっと好きでした……。だから…………こんな性格の悪い私を好きになっては貰えないでしょうか………………ッ」
その声は、蚊の鳴くような声で、そして掠れていた。
対する朗太はというと、何も言うことが出来なかった。
そう、過去に朗太が好意を寄せていた風華が動き出した以上、纏は動かざるを得なかったのだ。




