姫子転校編(5)
どうする……。
その夜、朗太は一人ベッドの上で考えを巡らせていた。
カーテンの閉められていない窓から暗い室内に月明かりが差し込んでいた。
このままでは姫子が『転校』する。
ようやくその実感が湧いてきて、朗太はじりじりと身が焼かれるような焦りを感じていた。
一体、どうすれば良いんだ。
朗太は姫子の転校を阻止する方法を考え込んでいた。
例えば、妃恵の勤めている会社に垂れ込んでみてはどうか。
これまでの会話で、朗太も妃恵が働いている会社を把握できている。
そしてその役職も、姫子から聞き出している。
妃恵の上司に当たる人物や、周辺の人物に相談してみるのはどうか。
しかし……
「……だめだな」
妃恵の役職はやはり朗太の想像通り、相当上の方だった。
そのさらに上司になると、朗太は出会う方法など思いつかなかった。
そうでなくともやっていることがお門違いにも程がある。
相手からしたら迷惑極まりないだろう。
ならば……
「……関連会社に言うとか、よく言うよな……」
大人の社会の力関係に疎い朗太も、それは日常の中で、創作中ふとネットを見た際などに、小耳に挟んだことがある。
会社の対応に不満を覚えた利用客がその会社の関連会社にクレームを入れて、会社間の圧力で該当の人物に・事象に圧力をかけるのだ。
しかし……
「当然、それもダメだな……」
朗太はため息をついた。
そもそも関連会社がどこかも分からないし、その上業務に関することならともかく、妃恵の家庭事情に関することなど、確かにそれは大切なことだが、意味不明だ。
姫子の進路は朗太にしても一大事だが、ことを大きくしすぎだろう。
いたずらに話を大きくするのは妃恵の態度を硬化させることになりかねない。
今でこそ会ってくれているが、そんなことをすればもう朗太と会ってくれさえしないだろう。
そう。妃恵は朗太たちの話を頭ごなしに否定してくるとは言え、会ってはくれているのだ。
妃恵の職場は朗太ですら聞いたことのある大企業だ。
その、トップ層の役職といったら忙しいに違いない。
だというのに、姫子のために早々に帰ってきているのだ。
そのような彼女に職場経由で圧力をかけて朗太たちの想いを通そうというのは、そもそも出来るかどうかすら分からないが、というか到底できないことのように思われたが、もし出来たとしてもどこかズレているように感じられた。
姫子と妃恵は二人暮らしだ。
もし妃恵の意見を通すのなら姫子が納得しないといけないように、もし姫子の意見を通す場合は、妃恵が納得しないといけないだろう。
つまり職場関連の解決策は、元から出来ない気しかしなかったが、そもそも無し。
(だとしたら姫子たちの住むマンションに皆で押し寄せてみるとかか……)
しかしこれもダメだと朗太は首を振った。
姫子の家の周囲に皆で押し寄せれば、妃恵も無視できないに違いないという考えの下の発想だが、そもそも発想が幼すぎる。
事の成り行きが気に入らないからと言ってめちゃくちゃをするのは子供が駄々をこねているのと何も変わらない。
それに、姫子の転校問題で、彼女たちを今の住処に住めなくしてしまったら、それこそ大問題ではないか。
そうではないのだ。
朗太の取りたい解決法は、そのような方法ではないのだ。
「くっそ!」
朗太は頭を乱暴に掻きむしった。
暗い朗太の寝室に秒針が時を刻む音だけが響いていた。
◆◆◆
そしてその次の日の朝のことだ。
「姫子、姫子の祖父母や親せきに相談するってのはどうだ??」
教室に姫子がやって来るや否や姫子を呼び出し、屋外テラスで朗太は姫子に昨夜考えに考え込んでひらめいた策を打診していた。
昨夜懊悩した末、ふと思いついた、むしろなぜそれまで気が付かなかったのだろうという朗太なりの答えである。
朝早くからテラスで話し合う二人を通りすがりの多くの生徒がチラ見していた。
「難しいわね」
だが相談された姫子は、唇に握った手を当て考え込んだ後、顔を曇らせた。
「なぜ?」
「なぜなら私のおじいちゃんもママと同じ考えの人だからよ」
姫子は申し訳なさそうに打ち明けた。
「おじいちゃんは私たちが相談してもきっとママの味方をするはずよ。おばあちゃんも……きっとおじいちゃんの方に着くはず。むしろ私一人で相談しに行った方が良いくらい」
「じゃぁしてみろよ。てかもうしてるのか?」
「いえ、まだしていない。でも……」
「でも?」
「結局、勝つのはママだわ。何かの間違いでおじいちゃんたちを味方につけても、結局ママには敵わない。親戚でも、あまり効果ないかも……」
「そうか……」
ならば、確かに意味がない。
◆◆◆
唯一の策だと思われた策を姫子に却下され、朗太は絶望の淵にいた。
これまで散々姫子の転校阻止には動いてきた。
再三にわたる妃恵への面会は空振り。
昨夜これまでになく頭をひねるも浮かび上がるのは、子供が駄々をこねるような策ばかり。
唯一思いついた上手くいきそうな案も、姫子に消されてしまった。
となるともはや朗太に打てる手はない。
そしてもしそうなれば、
(姫子が転校する……)
当初現実味の無かった話が、確固たるリアリティをもって朗太に襲い掛かる。
それは姿勢を維持するのも困難な絶望感で、朗太は机につっぷし授業を聞くことを放棄した。
そして懸案な事項があると、時はぼたぼたと粘性のある液体が床に落ちるように、本人に不快感を感じさせながら、まとまって過ぎていく。
気が付けば昼休みだった。
朗太は断片的な授業のシーンしか覚えていなかった。
チャイムが鳴るや否や、多くの生徒が廊下へ出ていく。
朗太の下にも心配そうな顔をした誠仁がすぐさまやってきたが
「今日はちょっと席外すわ」
朗太が力なく言うと彼も色々と察したようだ。
「大丈夫なのか?」
「うん、大丈夫」
言うだけ言うと朗太は財布とスマホだけ持ち購買へ立ち去った。
去り際遅れてやってきた大地と目が合ったが、大地も朗太の変調に察することがあるらしく何も言ってこなかった。
「ふぅ……」
そして今、朗太は屋外階段の最上段付近にいる。
屋上につながる扉は施錠されているが、その付近にまでなら来られるのだ。
空を見上げればベールのような薄い雲が疎らにあるだけのすっきりした秋空が広がっていた。吹く風は乾燥していて心地よい。眼下のテニスコートではテニス部員やその友人たちがテニスをしていた。球を打つ快音や女生徒の喚声が聞こえてくる。
朗太はコンクリート製の階段に腰を下ろした。
どうしたら良いんだろう。
何も変わらない空を見ながら朗太はもう何度目かもわからない問答を自分自身に投げかけた。
姫子も無理。
会社やその他大人社会に訴えかける方策も無理。
姫子の祖父母・親戚も無理。
朗太は凸凹の階段の段差に構わず寝転んだ。
段差のところに丁度頭が乗り、枕のようで心地よい。
日差しを遮るように腕で目を覆う。
朗太は大きくため息をついた。
そうしていると、ふとこれまで姫子と過ごしてきた日々が蘇った。
『貴様かああああああああああああああああああああ!!!!』
『ギャアアアアアアアアアアアア!! え、なになに!?』
めちゃくちゃな出会い方をした二人。だが
『それと凛銅、私のことは『姫子』で良いわよ? 私もアンタを『朗太』って呼ぶから』
『わ、分かったよ…。じゃ、じゃぁな、『姫子』……』
なんだかんだで軌道に乗り出した。
『まずは一点』
『最初だけ調子良いマンでしょどうせ! 見てなさい、こっから巻いてあげるから!』
そして仲は深まり、お互いに良好な関係が築けていたと思う。
だがその日々が消える。
そう思うと眩暈がしてきた。
(これが姫子が感じていたものか……)
空を見上げなら朗太はここ数日の姫子のことを想った。
姫子は数日間、学校を休み、姫子の始めた活動に参加していなかった。
確かにこのような状態では、登校もままならないし、まして引き離される対象たる『活動』への参加も取りやめたいだろう。
辛いに違いない。
だが……
「そうか……」
姫子との過去を回想していて、一つ、閃くものがあった。
『じゃぁ丁度良いわね凛銅。私の悩みを解決してよ』
『断る』
ひょんなことから行動を共にし始めた二人。
『この子が今日の依頼人よ』
『よ、よろしくお願いします!』
『よ、よろしく……』
行ったのは生徒たちの『悩みを解決する』仕事だった。
それにより日々、朗太たちは自分の身には余る悩みを抱えた生徒たちの悩みを解決してきた。
そしてそんな活動をしていた姫子でさえ
『私を助けて、朗太……!』
自身では解決できない問題の解決に自分を頼った。
「――そうか」
それを思い出し、ふとした発想が確信に変わる。
瞳に光が宿りだす。
そう、自分では無理なのなら――
「誰かに頼めばいいんだ……!」
これまで他人の悩みばかり解決してきたからこそ閃かなかったが、自分の悩みが解決できないのなら他人に頼めばいいのだ。
「なら――」
一気に活力が湧いてきた。
――誰に頼めばいいかなど決まっていた。
『二姫』のうち、片方の姫子がダウンした。
ならば、もう片方に頼むしかない。
姫子を除いて、姫子並みのパワーを持つ人物を、彼女の他に朗太は知らない。
だからこそ朗太は――
「ど、どうしたの、凛銅君……」
放課後、朗太に呼び出されわずかに顔を赤く染める風華を呼び出したのだった。
呼び出された風華はというと明らかに当惑していた。
風華は、夕日を反射する艶やかな黒髪を落ち着きなく整えていた。
そしてそんな状況のつかめていない風華に
「お願いだ白染!!」
朗太はバチンと勢いよく手を合わせ頭を下げて頼み込んだのだった。
「……し、白染が今俺のことを避けていることも分かってる! だけど姫子が転校させられそうになっているんだ! だからお願いだ! 助けてくれ!!」
と。
対する風華はというと、朗太に頭を下げられ風華は目を見開いていた。
そのもともと大きい瞳をさらに見開き、朗太が頭を下げる状況やその他もろもろから今の状況を正確に把握しようとしていた。
だが彼女にしても今の朗太の言葉だけで全容を把握することは困難で
「ど、どういう……」
と戸惑いながら呟くと
「じ、実は」
と、風華にここにいたる事情を話し始めたのだった。
そしてそれら実情を全て聞いた風華はというと……
◆◆◆
「はぁ~~~~」
なぜか頬を赤くしこめかみに指をあてながら呆れていた。
な、なぜ……
その思っていたのと違う反応に朗太が身を強張らせていると
「まず一つ、私は凛銅君のことを嫌っていない」
人差し指を上げながらそう断言した。
「あ、え??」
戸惑う朗太。
「いやでも避けられてたし……」と呟くとますます風華は顔をしかめた。
「それは凛銅君が何か落ち込んでいたからそっとしておいただけ、いや、まぁいいや。それは全部『私』の事情だし」
「私……?」
「こっちの事情よ。でも失言だったかも。忘れて」
「お、おう……」
なかなかめちゃくちゃなこと言ってくる風華である。
朗太が気後れしながら頷いていると、「それに……!」とパチンと柏手を打ち、そのあとぐっと両こぶしを握りこんだ。
「他ならない姫子のことなら私が助けないわけないじゃない!」
「そ、そうか……」
「そうだよ!! だから、さっさと姫子のところに行くわよ凛銅君!」
言うだけ言うと朗太がまだ案内もしていないのに下駄箱へ向かって勢いよく歩き出す。
(良かった……)
その夕日を照り返す廊下をずんずん進む血気盛んな風華はまるでヒーローのようで、その様子に朗太は事態の好転を予感した。
これなら上手くいきそうだ。
朗太はようやく上手く行きだした様子の展開に胸をなでおろした。
また朗太が遅ればせながらついていく一方で、風華は
「(ま、これなら凛銅君も上向くかもしれないしね……)」
などと小さく呟いており
「凛銅君!!」
廊下へ出てつかつかと下駄箱へ向って行く最中で風華はぴたりと立ち止まり振り返り言うのだった。
「この事件が終わったら私凛銅君に言いたいことあるかも。良い?」
「ま、まぁ勿論」
「やったね」
振り返った風華はこれまでのつきものが取れたように清々しい笑みを見せていた。
「姫子を救いに行こう、凛銅君!」
その時見せた風華の笑顔は、これまで見た誰の笑顔よりも最高なものだった。
大企業の上役がそんなことのために連日早めに帰れるわけないだろという問題はありますが、それはまぁ、そういうことで。
なおこの主人公はやらかしちゃっていますが、本人に『怒ってる?』とか、ネガティブなことを直接聞くと、相手が常識人な限り一応は否定しないといけないので、相手からは死ぬほど嫌われる模様。
ですが朗太の性格をシミュレートした結果、絶対コイツこういうこと言うだろw と思い挿入しました。
朗太は運が良かったですね。風華が優しくて。
次話は10/24(水)予定です。 宜しくお願いします。




