纏デート(1)
珍しいこともあるものである。
薄暗い部屋に朝の陽ざしが差し込む。
その日、朗太は感慨に耽りながら身支度をしていた。
寝間着を脱ぎ捨てシャツを頭からかぶる。
纏とこれまでサシで出かけることは、ままあった。
しかしそれも何かしらの用事があってのことで、今回のように正真正銘、『遊び』に誘われることはそうそうない。
一体どういう風の吹き回しなのだろう。
この話をしたら妹の弥生は「え?!」と顔を強張らせていた。
朗太は纏の急な誘いをいぶかしみつつ着替えをすますと朝ごはんを食べて家を出た。
◆◆◆
「あ、先輩! おはようございます!」
待ち合わせをしていた駅前に着くとニット素材のふわふわした服にマーメイドスカートを合わせた纏がいた。多くの通行人がその決まった姿に目を奪われチラチラと視線を送っていた。
かくいう朗太も平常時からとても可愛い纏が今日はさらに可愛く仕上がっておりびっくりしていた。
こんなにコイツ可愛かったっけ? と息を飲む。
すると纏が下から覗き込んだ。
「どうしたんですか先輩?」
「あ、いや、なんでもない……」
「フフフ、どうやら私に見惚れてしまったようですね?」
朗太の歯切れの悪い返事に大体の事情を理解した纏はフフっと薄く笑った。
「でもまぁ私も気合を入れているので見惚れて貰わないと困るというのもありますが。じゃぁ行きましょうか先輩」
そうして纏は鼻歌でも歌いそうなくらい軽やかな調子で朗太に背を向け構内へ歩き出したのだった。
「ところで今日のシャツにパンツは弥生さんのコーディネートで」
「ま、まぁ……」
「悪くないです」
振り返っていた纏の唇が満足げに緩い弧を描いた。
◆◆◆
「実は見たい映画があるんですよ!」
とりあえず都心に出ると纏は出し抜けにそう言った。
「映画? 何かやってるっけ?」
繁華街の雑踏の流れに乗りつつ朗太が声を張る。すぐ横には逆方向への人の流れがある。
「M・I系の映画がやっています! 国家の存亡をかけたスパイ同士のバトルです!」
「へぇ、スパイ系のバトルか……」
自然と朗太の口角が上がった。
「まさに今度、スパイキャラを出そうと思っていた俺に最適じゃないか」
「本気ですか先輩……」
纏がうへぇ……と顔をしかめる。
「先輩にはハードボイルド系、合わないのでやめておいた方が良いと思いますよ?」
「そうか?」
「はい、先輩は性格の悪い小者を書く方が向いている気がします。あのサイトってポイントとかも出るんですよね? 実際どうですか?」
「た、確かに性根捻じ曲がった奴出す方がポイント伸びてるかも……」
「ほ、本当にそうなんですか……」
纏はジョークで言ったつもりだったようで、自分の戯言が正鵠を射ていたことが驚いていた。
「「………………」」
そしてドン引きする纏と目が合い
「ホ、ホラ……! 映画館に行くぞ映画館に!」
朗太は纏を映画館へ誘ったのだった。
二人で映画館に行くと、休日とあってやはり人で賑わっていた。チケット売場や売店のあるエリアは人でごった返している。
長蛇の列に並びどうにかこうにかお目当てのチケットを抑えるも二時間後の入場である。
「分かっちゃいたが時間かかるな」
「そうですね~。ま、休日ならこんなもんですよ。先輩、これからどうします?」
「何も予定ないな。纏は?」
「私も無いですね。じゃぁそうですね。どちらも行きたい場所が無いのならすぐ近くにありますし、始まるまで本屋にでも行きましょうか」
「え、マジか?」
珍しい提案に朗太は聞き返していた。
頻繁に姫子たちと出かけることのある朗太だが決して彼女たちが一緒に行きたがらない場所なのが本屋であった。
朗太が無限に時間をつぶし始めるので誰も行きたがらなかったのである。
「永遠に出られないから嫌だっていつも言っているじゃないか」
「でも今日は先輩とのデートじゃないですか? 今日は特別です!」
纏ははにかみながら答えていた。
◆◆◆
というわけで朗太たちは映画館からほど近い大型書店にきていた。
何階にもわたり本がずらりとならぶ、毎日何百何千という客が本を求め出入りしている大型書店だ。
朗太がまず向かったのは二階の一般書籍コーナーだった。
朗太は本の表紙を目でざっと見ながら、時に目についた表紙の小説を手に取り中身を改める。そしてあらすじを読み最初の数ページを読み、時に棚に戻し、時にカゴに入れる。
しばらくすると数冊の本が選定され、時間をつぶし終えたのか纏がとことこやってきて「順調ですか?」と数冊の本の入った籠を見ながら興味深そうに聞いてきた。
「順調だな。すでに三冊良いのを見つけた」
「どういう基準で決めているんですか?」
「俺はタイトルと表紙とあらすじ。それに開始数ページだな。それで琴線に触れたら買う」
「オーソドックスですね」
「まぁそうだな」
「なら私暇なんで先輩が好きそうな本を探してきますよ」
「出来るのか。そんなん」
「先輩とどれだけ長い付き合いだと思っているんですか? 私なら見つけられます!」
懐疑的な朗太に対し纏は自信満々で、
「フッ、これは私と先輩の勝負ですねッ!」
と胸を張って言うと林立する書棚の中に消えていった。
そして結果から言えば纏の圧勝だった。
しばらくして「これどうですか?」と差し出した園児がクレヨンで書いたような土星が書かれた表紙の本はまさに朗太好みであり
「凄いな」
「でしょう! 本気出せばこんなもんですよ!」
素直にその手腕に感動していると纏は顔を綻ばせた。
「纏が司書になる日も近いな」
「司書は狭き門なので滅多なことは言うもんじゃないですよ先輩」
そのあと朗太は最上階近くにある写真集コーナーで廃墟の写真集を眺めていたりもした。
立ち読みはあまり褒められた所業ではないが、このような風景写真のコーナーが朗太はとても好きだ。
ページをめくれば朗太を別世界に連れて行ってくれるのである。
椅子などがあれば朗太ならば軽く一日二日などはいられそうである。
「うへぇ……何見てるんですか先輩……」
背後からやってきた纏はというと、朗太の見ている本をのぞきこみ口をへの字に歪めていた。
「なぜよりにもよって廃墟……」
「え、特に意味はないけど。でも廃墟って良くないか?」
「私はもっと賑やかな方が好きです。そうでなくとも、ホラ、こういう世界の絶景とか」
「俺も好きだぞこういうの」
そうして朗太たちは世界の絶景写真集などを見て回り、青木マリコ現象について纏と話しているとまもなく上映の時間になっていた。
纏と朗太は映画館へ行くとチュロスやらポップコーンを買いシアターに入る。
予告は既に始まっていてシアターの座席に身を収めると映画はすぐに始まった。
大画面では渋い壮年の俳優が時に追ってから逃れるために泥だらけになりながら銃撃戦を演じ、時に困難な状況に頭を悩ませ、時に敵を狡猾な罠に誘い込み倒す。
映像はとても迫力があり、ストーリーも手堅く抑えられており、結論から言うと、大変満足感の得られる代物であった。
最期のシーンの主人公がアンニュイな表情で旧友の写真を燃やすシーンは朗太にも込みあげるものがあった。
「いや~、導入からすでに格が違ったな! 凄いよホントに」
そんなわけで映画が終われば朗太はテンションマックスである。
劇場から出てエスカレーターに乗りながら朗太は熱く語っていた。
「はい、最初からとても面白かったです!」
「だよな! アクションも気合入ってたし、人物の裏の顔が次々明るみになるシーンは鳥肌ものだったよな!」
「ですね! ラストシーンもすごく良かったです!」
「ホントだよ。いや~、この映画を提案した纏には感謝だな」
「フフフ、ご満足いただけたのなら私としてもとても嬉しいです」
興奮気味に語る朗太に纏には柔和な笑みを浮かべていた。
「というかお昼はどこで食べますか先輩??」
「え、あ? お昼?! お昼かー。特に考えていないな。でも纏も特に希望がないなら二人で決めるか。纏はなんか食べたいものある?」
「あ、いや、なら実は私、行きたいお店あるんでそこに行っても良いですか?」
「え、あぁ良いけど」
「ならそこに行きましょう! 道案内はもちろん任せてください!」
そうして映画館から出て連れてこられたのは映画館から十数分ほどのおしゃれな喫茶店だった。カランコロンとベルの音を鳴らしながら入店すると店内には多くのカップルがくつろいでいた。
「お二方ですね。窓側の席をどうぞ」
店員に案内されたテーブルに腰を落ち着けると周囲を見回した。
店内はシックな色調で統一されていて、窓際には観賞植物が置かれていた。
「こんな店も知ってるんだな」
姫子や風華よりもこの種の知識に富む纏であるが、このような店も知っているとは驚きであった。静かで、何とも朗太好みの喫茶店だったからだ。
「ま、喫茶店巡りは私の趣味みたいなところもありますからね。あとここのオムライスは絶品なんでお勧めですよ。あ、私はコーヒーで」
「じゃぁ俺もコーヒーで。あとオムライスかな。纏も?」
「はい、私もそれで良いです」
横合いにきていた店員に食事を注文する。遅めの昼食である。そして出てきたオムライスもとてもまろやかで纏の前評判にたがわぬ絶品だった。
おかげで朗太は食べている最中も、終わった後も顔を綻ばせていた。
「先輩、楽しかったですか?」
しばらくしておなかが膨れて朗太がぐてっとしていると纏が尋ねた。
「おう、今日は纏さまさまだな」
満足していないわけがない。朗太はおなかを摩りながら鷹揚に答えた。
「纏が選んでくれた本も読むよ。ありがとな」
「なら良かったです。読んだら感想を教えてくださいね」
「……にしても今日はどういう風の吹き回しだったんだ。急に一緒にあそぼうだなんて」
朗太が気になっていたことを尋ねると纏は困ったように頬をかいた。
「いやちょっと先輩、疲れてるかなと思いまして」
「? いや大丈夫だぞ」
「そうですか。なら良いんですが……」
少し間を置くと纏は朗太をまっすぐ見据えた。
「先輩、もし相談事があったらいつでも相談してくださいね」
その言葉はつい先日誠仁にも言われた言葉であった。
◆◆◆
喫茶店からの会話からしばらく、朗太たちはとぼとぼと地元の路地を歩いていた。
同じ中学出身の朗太と纏は地元を同じくしている。
電車を降りてからもしばらく同じ道が続くのだ。
朗太と纏は取り留めもない会話を続けていた。
そして朗太はというと相談事があるのならば聞いてと言うなら聞いてみようと
「てかさ」
ふと、気になっていたことを尋ねるのだった。
「俺、最近白染に避けられている気がするんだがなんか理由分かるか?」
「あー……」
朗太の問いに纏の顔に影が差した。
何とも言えない間が生まれる。
空は夕日で赤く塗り潰されている。
「私から何か言うようなことではないですね」
しばらくして夕日に赤く照らされた纏が放ったのはそんな言葉だった。
「ただ……」
そして何も言うことは無いと言いつつまだ言っておきたいこともあるようで、ためらないながらも言葉を続けた。
「もし先輩がそのように感じるのなら、風華さんはきっと誰よりも高潔なんでしょうね」
「高潔?」
想像もしていなかった指摘に朗太は言葉を繰り返していた。
「えぇ高潔です。普段のお茶らけた姿からは想像もつかないほど、あの人は高貴で、高潔なんですよ。時に、自分のことよりも『親友の方を』大切にしてしまうほど。だからこそ私は――」
その瞬間、纏の眉間に深いしわが寄った。
「そんな風華さんのことが嫌いです」
地の一点を見据えて言う纏に朗太は何も言うことが出来なかった。
◆◆◆
そのような纏と過ごした休日から数日後のことだった。
「朗太、依頼よ」
わずかに疲れたような姫子は朗太の下へ来ると言った。
「生徒会室に来て」
文化祭に続く第7の事件が姫子の下に舞い込んだのだ。