旅行2日目(1)
昨夜はひどい目に遭った。
だが実際のところ、昨晩のことなどこれまでの朗太達の関係の中では些末事で、この日この旅において最大の敵が朗太たちに立ちはだかり、悠長に後悔もしていられなくなった。
二日目に現れた最大の敵、それは筋肉痛である。
体が死ぬほど痛い。
それが二日目の最初にして最大の感想だった。
早朝、静岡市のビジネスホテルで朗太たちは朝食をとった。
「おはよう纏」
「おはようございます先輩。浮かない顔ですね。大丈夫ですか?」
待ち合わせていた一階のバイキングの前で落ち合うと朗太の浮かない顔を纏が心配そうに覗き込んだ。
「大丈夫だ。昨日はよく眠れたんだが、ただ朝から何か体がなまくてな、あんま食欲がない」
「あー……、それ私もです……」
人間界の住人の纏はげんなりと同意した。
人間界の住人である朗太と纏は既に疲れを感じているのである。
だが超人界の住人である風華や姫子は元気なもので
「姫子さん、よく朝からそんなに食べれますね?」
「え、そう?」
「言うな纏、この二人が特別なんだ」
平気な顔をしてスクランブルエッグやらベーコンやらを皿によそい往復し、風華に至っては
「ホラ! 食べないとへばっちゃうぞ?? 凛銅君、纏ちゃん、ホラホラ。牛乳飲んだ? 凛銅君?」
「の、飲んでません……」
「じゃぁ飲もう! これでエネルギー充填だ!」
今日の行程を考慮して朗太たちの食事量を見つつずいずい食事を勧める一方
「風華さん、大丈夫ですか?! もう4週目ですよ?!」
「大丈夫大丈夫! まだまだいける! まだ食べたりない!」
「すげー喰うな白染……」
「これくらい楽勝よ凛銅君! 私ともし暮らすならそれくらい覚悟してくれないといけないよ!」
「暮らす?! いやいやそんなわけが」
朗太が赤面する一方で、何往復もしてトレイから食事を攫って来ていた。
「やたら食うな白染の奴……」
「あいつバイキングやビュッフェとか行ったらいつもあんな感じよ。貧乏性なのよ」
「あーなるほど」
「なんか分かる気がします」
鼻歌を歌いながら食事をトレイに運ぶ風華を遠目に見て朗太たちは呆れていた。
「ん? なんか言った凛銅君?!」
「い、いや何でもないよ……」
それから朗太たちが部屋へ引き上げ荷造りをしていざビジネスホテルを出ようとした時だ。
「イタ?!」
その激痛は襲ってきた。
纏に言っていた通りすでに朝起きた時から予感はあった。
なんか体が怠いな~みたいな全身に纏わりつく疲労感はあった。
それが一気に疲労感の原因たる乗車姿勢になった瞬間表面化したのだ。
肩から腕にかけて、ケツから腿にかけて電撃のような痛みが走る。
そして特に酷いのが
「ちょっとお尻痛すぎるんですけど?!」
見ると纏が背後で涙を著ちょぎらせていた。
そうケツである。昨日上半身全ての体重を支え、かつサドルとの間で全身のバランスをとっていたケツが悲鳴を上げていた。
擦り擦られすぎてケツはもはや褥瘡寸前のような感じなのだ。
「だよなぁ纏! ケツヤバいよなぁ!?」
「ケツ言わないでください! お尻です!」
「一緒だぁ!」
「一緒じゃないです!」
「二人とも下らないこと言ってないで行くわよ!」
「風華さんたち無事なんですか?!」
「ちょっと痛いけど平気よね?」
「うん、私も」
「この人たちのお尻、鉄は何かで出来てるんですか? サイボーグなんですか?」
「纏、言うな……。この二人のケツ筋が凄いんだ……」
こうして二日目の旅路は始まった。
二日目の行程は静岡県静岡市から横の愛知県の名古屋市まで入る計画だ。
一日目に東京⇒神奈川⇒静岡入りしたので一見距離が短くなっているように感じるが驚くなかれ、静岡県が横に長すぎるからこそ生じる現象だ。
例えば富士市⇒東京間の距離と、富士市⇒浜松間は同じ距離らしい。
それくらい静岡は横に長いのだ。
朗太たちは大型車両がビュンビュン走る国道一号をえっちらおっちら走り始めた。
えっちらおっちら、というのも控えめな表現ではない。
体の痛みで思いの外進まないのだ。
前日の今頃とでは大違いだ。
前日の今くらいなら厚木あたりを快調に飛ばしていたというのに、一日経つだけでこれである。地獄は気づかぬうちに目前に迫っていたのだ。
体中の細胞が悲鳴を上げ、痛覚信号を脳に送ってくる。
加えて厳しいのがこの暑さだ。冷夏とはいえ暑く、汗により一気に不快指数が上がる。そこにのしかかるバックパックに、筋肉痛だ。
「うぬぅ……」
どう考えても地獄である。
実は纏の荷物を皆で多少分散している。とはいえ纏も
「ひぃぃ~こんなんじゃ来るんじゃなかった~」
と既に泣き言を言いつつ体を前傾させバイクを前に進めていた。
またしばらくすると姫子もきつくなってきたらしく、それまで風華とリードしていたのに朗太側へ下ってきた。
「大丈夫か姫子?!」
「だ、大丈夫よ……! でも筋肉痛がヤバイ……っ!」
珍しく姫子も必死の形相である。
かくして朗太達は風華を除いてほぼ全員が悲鳴を上げながらペダルを漕ぐデスマーチとなった。
姫子までペースダウンとなるとさすがに風華も焦るようで朗太たちが先に行くように言っても聞かず、どこよりも体力のいる先頭を自ら買って出て皆とペースを合わせ走っていた。
そして朗太たちの前に立ちはだかるのは筋肉痛だけではない。
当然昨日と同じように自転車旅ならではのトラブルが朗太たちに襲い掛かったのだ。
まず第一に発生した事件はどうやら実は風華も疲れてるっぽい事件である。
それはバイパスを避けながら国道一号を走っている時に起きた。
信号待ちで自転車を止め一息ついていると皆を励ますためにぐっとこぶしを握りながら風華は言ったのだ。
「皆疲れてるね。でも大丈夫ッ、二日目の行程には山はないから!」
と。
前方に小高い山々を置き。
「「「……………………」」」
思わず残す三人は閉口した。
明らかに今走っている道が山々に吸い込まれている。
誰も何もすぐには言うことが出来なかった。
しばらくして朗太を先頭に口を開いた。
「目の前におもっくそ山があるんだけど大丈夫??」
「風華さん大丈夫ですか??」
「アンタ、調子悪いなら無理しなくていいわよ……」
いやいやこれ絶対登るだろと聞く耳を持たぬ三人。
そんな三人に風華は
「いやいや! 絶対に登らないから! 確か登らないはずだから!!」
と豪語していたのだが……
「風華アンタ何とか言いなさーい!!!」
「知らなかったのよもー!!!」
案の定登ることになって主に姫子から罵声が飛んでいた。
残りの朗太と纏は声を出す余裕すらなかった。
風華も二日目の行程に軽い山道があることは把握していなかったらしい。
そして箱根峠よりも遥かに難度の低い、だが二日目の身にはなかなか応える山を越した後に起きたのが第二の事件である。
「あれ、姫子遅くね?」
それは姫子トイレから帰ってこない事件である。
それは峠を越え朗太たちがコンビニで軽食を買い小休憩をはさんでいる時だった。
皆が買い物を終え外のベンチに向かう際、「私、ちょっと化粧室寄ってく」と姫子は事も無げに去っていったのだが
「姫子の奴どうしたんだ?」
「確かに。姫子大丈夫かな」
「あ、食事に夢中でした。言われてみれば遅いですね」
買った菓子パンやらおにぎりやらを平らげても姫子がなかなか帰ってこない。
時計を見ると既に20分近く経過している。
そこからさらに5分ほど経っても帰ってこず「私、見てくるわね」と風華が立ち上がった時だ
「おまたせ~~」
とか言いながら姫子はようやく帰ってきて
「死んだかと思ったわ」
「死んでないわよ! それと普通に前の人がおっそすぎたのよ!!」
と顔を赤面させていた。
「えぇ……??」
明らかに疑惑の理由である。
いや絶対お前が遅かっただけだろという視線を朗太は向けるが、どうやら本当に前の人が遅かったらしい。
「ごめんなさいね~」とか言いながら妙齢の女性が姫子に声をかけ車に乗り込んでいった。
「疑惑は晴れたわね」
姫子は憤然とした様子で腕を組んでいた。
そのような事件に見舞われつつ朗太たちは昼前には浜松市に到達していた。
経路としては静岡市から宇津ノ谷峠を通り焼津へ入り、国道一号の自動車専用区間を避けながら来た感じだ。
その迂回路の道中、金谷あたりで比較的低めといえど山登りをさせられたのである。
そして浜松までくればバイパスはだいぶ少なくなりあとは延々と国道一号を進み静岡を出て愛知へ。そして名古屋を目指せば良いだけなのだが……
浜松でバイパスの関係で国道42から県道173を乗り継ぎ国道一号へ入り一気に名古屋を目指し漕ぎだしてしばらく
(死ぬ……!)
朗太は道の両サイドに田畑の広がる豊かな田園風景の中を必死の形相で自転車を漕ぎ、死にそうになっていた。
そう、ここにきて朗太は『二日目』の魔物と対峙し始めたのである。
一日目は、まだいい。なぜなら出発したばかりで体力があるからだ。
三日目は、まだいい。なぜなら朗太たちの予定ではその日中に京都につくからだ。
だが二日目、お前はなんだ。
体力もなければ、目標とすべきゴールもなし。何を目的に走ればいいんだ。何が前に垂れるニンジンになるんだ。
朗太は自問し続ける。
そうでなくともこの道も悪い。
朗太は周囲を見回した。
見渡すばかりの田園風景だ。
それはいい。それは。
だがアレはなんだ。
朗太は視界の先に悠然と立つその巨大建造物を睨んだ。
風力発電。風車、である。
朗太たちが今走っているエリアは風車がにょきにょき生えているのだ。
それはつまり風が吹くということであり
「向かい風……は、……えぐい……!」
向かい風で自転車など進みやしない。まして若干の傾斜のある坂道なんてなれば役満だ。
その精神的辛さは山道に匹敵すると言っていい。
死ぬ……死んでくれ……! と完全に凛銅朗太怒りのデスロード状態で行軍し続ける。
実はこれまでもそうだったのだ。
偏西風の関係かは知らないが京都へ向かい東から西へ向かい漕いでいると、やたらと向かい風を受けるのである。
しかも風車があるということは輪にかけてよく風が吹くということであり控えめに言って地獄であった。
また一方で辛いのは他の少女たちも同じだったらしい。
彼女たちも顔をゆがめつつ自転車を転がし続けており、
ある時最後尾を走っていた朗太が前を走っていた三人に追いつき、三人が休憩していた歩道の隅に腰を下ろすと、唯一朗太だけが購入していたサドルカバー、朗太曰ケツカバーと呼んでいるそれを姫子は何気ない調子で「ちょい見せて」と言ってサドルから剥がすと4人がいる中央にそれを投げ出すと言った。
「これよりケツカバー争奪戦を開始します」
「おい!!!!」
朗太は叫んだ。
「オレのだぞ!!」
「うるさい!! あんたのケツと私のケツ!どっちのが市場価値があるのか考えなさい!!」
「ざけんな! ケツに貴賤はねーだろ!!」
「でもすいません先輩! 私のお尻も限界です……!」
「えええええ?!」
「ごめん凜銅くん! 私のお尻も爆発しそう!」
「白染まで!? ケツに爆弾抱えてるやつ多すぎだろ!?」
実際問題ケツカバーの有無で痛みなど大して軽減できていないように思われる。
だが彼女たちとしては試してはみたいらしい。
そしてやいのやいの言い合っているうちに結局纏が使うことになった。
纏がその小柄な体躯で必死に自転車を漕ぐ姿は見ているだけで手を差し伸べたくなるような光景なのでこれには朗太も異議は無かった。
満場一致でそれは決定した。
「だいぶ楽な気がします……」
「なら良かった」
纏のケツを守れるのならそのケツカバー、もといサドルカバーも生産された介があるというものであろう。朗太は笑みを零した。
そしてこのような下らない会話をしつつも彼らは着実に前に進み続けていたようで
「……ついたッ」
「や、やった……」
「よ、ようやくですね……」
「今日は堪えたわ……」
午後七時過ぎ。
あたりが暗くなったころ、当初の目的地『名古屋』にまで到着していた、のだが……
本日最終のトラブルが発生。
「宿がないわ!」
流石、名古屋。完全になめてかかっていた。
名古屋のような人口密集地で当日の宿などすぐに見つけられるわけがないのだ。
だがそんな彼らは最高の宿泊施設を偶然に発見したのだった。
「ここ! ここの宿! ツーリングしている人向けに宿貸しているんだって!」
「え、大丈夫ですかそれ??」
「チャリダーのブログにも結構載っているから大丈夫でしょ! 女性でも泊まっているそうよ。どうする??」
「じゃ、そこにしましょうか」
「ま、そのブログ見るに安全そうだし大丈夫じゃない」
「そうだな、そこにしよう」
朗太たちはチャリダー向けの宿に向かったのだった。
宿は名古屋市から少し離れた田園地帯の田んぼの中にポツンと立っていた。
そして朗太たちがチャイムを押すと
「待っていたよ」
顎に軽くひげを生やした痩身の店主が朗太たちを出迎えた。
男だけ旅行を焼き直しているのでこんな感じです。ご容赦下さい。
if世界では彼らはいかなる犯罪にも巻き込まれないです。