日常が壊れる時
1
「ここが今生の別れです」
真っ直ぐとした眼。私は傾き、手を離した。
果たして、私と×××はどんな関係だったのだろう。
炎に包まれた今、何もかも塵芥に変え理解することもままならない。
***
「貴方の顔なんて二度と見たくもないわ!」
「うっ!」
赤くなった頰を押さえ、僕は涙目になる。
なんだよなんだよ。付き合って下さいって言うもんだから付き合ったら「想像と違った」なんて。ひどい話じゃないか。
隣のクラスの彼女、いや元彼女が大股で歩いて行くのを見送り地面にへたり込む。
男が毎日お高いレストランなんて行けるわけないだろ!ましてや中学生だし!毎晩夜遅くまでメールなんて面倒だ!ゲームやりたい!
沢山のすれ違いというか、ありがちなやつで、僕は彼女を失った。
「大和!」
不意に上から声が、よく聴く声がした。
「お菊……」
見上げれば、幼稚園からの友達、宿木菊理。二階の窓から見下ろしている。
「かーえろ」
長い黒髪を垂らし、屈託のない笑顔を見せた。うんと頷きそこを離れる。
幼稚園、いやそれ以下の頃からこうだ。
帰る時はいつでも一緒。僕に補習があろうとなんだろうと待っている。帰る場所も一緒だし、まあいいかなんて思っていたけど、この歳になると冷やかしも多い。
友達、家族、兄弟。それぐらいの認識だって言ってるのに解ってくれるやつなんていない。両親いねえし、引き取られたの。と言えば大抵黙ってくれるのが助かる。
僕には両親、いや親族すらいない。みんな死んでるそうだけど、宿木家の人は不慮の事故だと言い、それ以上は言わない。聞いちゃいけないような事な気がして、僕も聞いてない。
「たっだいまー」
僕"達"が住んでいるのは、小さな町外れの神社。木々生い茂る参道を抜け、鳥居をくぐり、そこから裏手に回れば家がある。
その前に境内から八凪さんが顔を出した。お菊の姉だ。
「おかえりなさい。大和さん。お菊」
八凪さんは神社の巫女である。神主の親父さんを手伝っていた。
「巴は帰っていますからね」
青が抜けたような白い髪を揺らされたが、巴、という名前に僕はがっかりした。彼女はお菊の妹。つまり宿木家は三姉妹なのだ。なぜがっかりしたかと言うと…すぐ解る。
溜息を漏らしつつ、とりあえず自分の部屋に荷物を置かなければ。
****
「おそい!」
薙刀を振るわれ、反射的に後ずさる。
そのちみっこい体からどんな力が。今日は薙刀か。
「遊んでたんじゃないの?!」
「まさか」
「真っ直ぐ帰ってきたよ」
当たり前になった道着姿。軽々しく俺が使う薙刀を投げられた。
この巴とは、学校が終わったら毎日稽古することになっている。稽古といっても、一つと決まってるわけじゃない。刀から拳銃まで。男性、女性が使うもの分け隔てなく。
「やあ!」
「はや!」
僕の薙刀は?!と言う前に巴が腕を振るう。転がるように避け、壁に掛けてあったそれを取った。
刃先を受け流し、一歩踏み出しては下がり、一進一退。小さな体からは想像出来ない軽やかな動きが僕を攻める。
これが日常。よくわからん稽古が、自我が目覚めた時からある。それは何に必要なのか?僕は未だ聞かないでいた。
2
宿木家はどんな家かと言うと、皆口を揃えて「名門の」と言う。近所の家どころか商店街の八百屋や肉屋、それを飛び越え離れたショピングモールの店員まで言うもんだから、そこそこ古いのだろう。
壇ノ浦の戦いで入水した平時子がなんと生き延びており、子を成した、その子孫が宿木家の始まりだとかなんとか。突っ込み所満載である。平時子がその時何歳だと思っているのだ。
こういうのは昔から後付けで作られるものだし、深く考えている人はいるまい。戦国時代になると宿木藩、という一国の主になったのは確かなようである。
問題なのはそんなとこに預けられている僕だ。
親は交通事故で死んで、実父と親友だった三姉妹の父が預かる事を名乗り出たらしいけど……。
亡くなっている今、聞ける人はどこにもいなかった。
「はいお早う。昨日言ってた通り転校生来るから。紹介ね」
先生の声にはっとする。話を全然聞いていなかった。
ガラガラと戸が擦れた後、黒板にチョークが叩かれる
音がした。
「藤原那由多さんだ。仲良くしてね」
ぱっとその子に注目する。はーい、という同級生達の声。藤原さん?はなんの変哲もない、うちの制服を着た女子だった。黒髪で肩までの髪。前髪に花…何かの花のピンが付いている。気になったのは、よろしくも言わず頭を下げ黙って席に着いたこと。無口なんだな。
転校生、そんなことも言ってたっけ。まるで覚えてなかった。
僕の席は窓側の後ろから二番目。彼女はその右斜め後ろに座る。視線を感じたが、その頃の僕は意識をしていなかった。
藤原さんの活躍はめざましく、他クラスから見学が来る程だった。勉強ではトップを簡単に追い抜き、運動ではしなやかな足で地面を掛け男子を魅了する。
無口であったけれど、またそこがよかったのか普通の女子と線引きをされミステリアスだと皆高まった。
しかし友達は決して作ろうとしない。
そこが気に入らないという輩は男女共にいたが、嫌がらせをする程アホなやつはいなかったので、関わらずにいる者として群がる人間とは距離を置いた。
僕はどちらでもなく、いちクラスメイトとして、とりあえず何も言わないでいる。
お菊も「かわいい、すてき!」なんて言っていたけど。まあ確かには可愛いとは思うさ。
思えば、このように転校して早々良くも悪くも視線を集めてしまう人間なんて不思議だと言えばよかったのかもしれない。
この女子が来たことで、僕の人生、いや運命が変わってしまったのだから。
3
「……ええ、わかっておりますわ」
(八凪は化粧用のコンパクトを閉じ、闇に浮かぶ月に呟いた)
「あなたの事がすき」
「は?」
「すき」
「え?」
僕の電卓、いやそろばん以下の脳みそが混乱している。
何故なら、目の前にいるのが藤原さんだからだ。そこはいつもの校舎裏。前に振られたとこだ。
そんなとこに呼び出され、突然告白されている。今。なう。
でも僕の頭は妙に冷静で、叩かれたわけでもないのに汗を流して必死に彼女に問いかけた。
「いやあの、あなたが転校してきて三週間?ぐらい経つと思うけど……ひとっことも喋ったこともないし……その、あーーー……何で僕が?」
「ひとめぼれ」
怖い所は、いつもの無表情という、感情を一ミリもかんじないその顔だ。誰かに命令でもされてるのか?
「それはありがたいけれども、僕はあなたのことを知らない、良い意味で……、だからまず友達から……」
「いやよ」
焦る。譲歩をする気が微塵も感じない!話が通じない!
「じゃあ、断ります」
「いや」
通じねーーー!
底知れぬ恐怖を感じ後ずさる。
それを見てか、彼女はいつもつけている花のピンに手を伸ばした。
「だめ」
ぱちん、とピンが外れる音。
「にげては、だめ」
ピンが黒々と燃える。幻覚?錯覚?汗が流れ、驚いて足が動かない。
炎は大きくなっていき、藤原さんより背を追い抜く。更に右に曲がり……死神の鎌のような……。いや、ほんとに、鎌だ。炎は消え、それがはっきりと形作られた。
彼女はそれを器用にくるんと回し、僕に刃を向ける。尻餅を着いた。
「死んで欲しいの」
非現実的だ!彼女は魔法使いなのか?!ガチの死神か!死神ならば運命を受け入れても…いやだめだ人生短すぎる。
大振りなそれが、空気を切って腰抜けの僕に飛んでくる。慌てて仰向けになり避けた。
鎌が校舎の壁刺さって嫌な音がする。その隙に……とはいかない。
「しんで」
簡単に抜けた刃がまた追いかけてくる。情けなくも四つん這いで背を向け、あまりに遅すぎる逃走を始めようとした時だ。
「大和!!!」
空から、上から、何かが、いやお菊だ。
空間に足場でもあるかのように踏ん張り、綺麗な回し蹴りを藤原さんの顔面に打ち込んだ。
「!!」
「逃げます!!!」
流石に答えたか、体を崩す彼女。え?え?という前に襟首を掴まれ、……宙に浮いた。
「おおっ?!!?」
なんとお菊は、壁を走っている。それも軽やかに。そのまま屋上へと。
僕はただ掴まれているだけなので、遠くなる地面に吐き気を覚えた。
「よっと」
「いて!」
お菊はフェンスも物ともせず、よくサボりに来ていた屋上に僕を投げる。手をパンパンと鳴らし、ふうと息を吐いた。
「ど、どどどど」
どうしたら、どうすれば、どうなっているんだ、だめだうまく言葉が出てこない。
戸惑う僕を裏腹に、お菊がしゃがんできて目線を合わせてくれる。
「この時が来てしまったの」
「??」
「ごめんなさい」
意味がわからない、という顔をしていると、お菊は制服のジャケットから何かを……いやこれは短刀だ。慣れた手つきで取り出して僕に差し出した。
「これを使って」
「??」
「大丈夫。巴のおかげで、大和が戦いやすい武器に変わるから」
「そもそも戦うってのは……」
「詳しくは帰ってから話そ!」
お菊が上がって来たフェンスの方に向き直る。
ガン!ガン!と何かを引っ掛けるような音が大きくなって、近付いて来たその時、彼女が現れる。
フェンスの上に立ち、お菊を厳しい目で見た。
「やはり邪魔しに来たか、三柱よ」
「ええ」
「所詮あの方のレプリカでしかないお前たちが、どう、私達と戦うというのか」
「すぐわかるわ。……大和」
「はいっ?!?」
「訳がわからないかもしれないけど、私と、ううん私達と一緒にいて欲しいの。色んな事と立ち向かって欲しいの」
「ほんとによくわからない」
「大和に後悔させる事もあるかもしれない。でも、絶対、ひどいことにはさせないから」
振り返ってにっこり笑うお菊。
このままではお菊があの藤原さんらしき死神に殺されてしまうのではないか。
……立ち上がって、先程渡された刀を握る。
「その言葉信じる」
「ありがとう」
すると小刀が光り出し、ぐねぐねと形を変え出した。思わず話したくなるも、光は大きくなり、そして……。
「えっ?」
その刀は、なんと拳銃へと形を変えていた。
「その刀は、草薙剣と言います。巴の力を借りて、大和が望む、戦う武器になってくれる」
「巴?」
「そう。私達は大和を手助けするの。私の力は……」
「させるか」
抑揚のない声と共に、藤原さんが向かってくる。鎌が振りかざされ、思わず目を閉じてしまった、が。
「!」
「あれ……」
拳銃がない。
代わりに円盤の盾になり、鎌を防いでいた。
「面倒な」
向きを変え、今度は下から刃先が襲ってくる、足元が!という前に、今度は体が浮いた。
「大和!」
どうやらお菊がやってくれたようだ。まるで空間に足場があるかのように、僕は何も無いところに立っていた。
「私は空間を司るの。例えば…どんなところにも、何もないところにも立てたり走れたりする」
「お、おおおお?!」
見えない足場に戸惑っているうちに、再び藤原さんが、言うなれば持っている鎌が向かってくる。
「!!!」
盾に、と思ったが、それはまた形を変えていた。
刀だ。
それで鎌を防いでいる。
「巴が、色々と大和を鍛えていたのはこの為なの。今の大和なら、なんだって使える」
「い、いやあのさ」
「後は、立ち向かうだけ」
「……うるさい」
鎌の力が強い。本当に人間か?って感じるくらいだ。空中だというのにどんどん押されていく。
「大丈夫だから!」
「う、うううう……」
ええい、詳しい話は後で聞かなければ。今聞いてたら殺されてしまう!冗談抜きでだ!
刀を強く握り、鎌をわずかだが押し返す。
「藤原さん、君はなんなんだ……」
「神の、………」
「大和!!!」
何かを言いかけた藤原さんが、急に引いた。一瞬にして鎌は消え距離を置き空を仰ぐ。
そして再度、僕を見た。
「……準備をしておくがいい。時はもう無い」
「時……?」
その時、後ろのお菊が、眉をひそめ辛そうな顔をしていた事を、僕は永遠に知ることは無かった。
「さようなら」
続