先が見えているからこそ安心できる
「同じような話ばかりで飽きないのか?」という問いには「飽きないのだろう」という答えが浮かびます。ほんの少し枝葉を変えるだけで満足してしまうようです。むしろ、「同じような話だからこそ安心して見れる」というのがあるでしょう。
人というのは新しいものを求めると同じくらい定番を好みます。
アンパンマンや水戸黄門(若い人は水戸黄門を知らないかもしれんが)は毎回毎回お話のオチが全く同じなのに楽しめるというのもそれを証明する事であり、どのラーメン屋に行っても大抵醤油ラーメンが置いてあるのも定番が好まれるからでしょう。例えそこが味噌やとんこつが主力だったとしても、です。
変に奇をてらうと「裏切られた」とか「期待していたものとは違う」と思われて離れてしまいます。実際「魔法少女まどか☆マギカ」の3話でマミを殺したという裏切り行為を見せつけられて以降「推しキャラが死ぬんじゃないのか?」という恐怖でビクビクしている人も多いと思います。
ですので受ける物語のテンプレート化がされて、いわゆるテンプレラノベと呼べる物が産まれているのではと思います。実際「小説家になろう」では「最強主人公」というテンプレから外れる「主人公の挫折」というのは大きなマイナス要素となっているそうです。
なろう系小説に限って言えば「主人公が挫折らしい挫折をせずに圧倒的力(レベルカンスト、チート等)で全てを圧倒する」「金、地位、名誉全てを手に入れる」「美女にモテてモテて仕方ない、ハーレムだって作っちゃう」といった要素を満たせれば切り口をほんの少し変えるだけで良いようです。
「設定の共有化をしてしまうと話の先が読めてしまって全く面白くも無いしつまらないのではないか?」と思われがちなんですが案外「話の先が見えてこれから起こることが常にわかっている。そしてその分かっている通りに出来事が起こるのもそれはそれで快感」なのかもしれません。
先の分からない展開というのは不幸な結末に終わる可能性があるから嫌で、日常系4コマのようなお話のオチが常にわかる、もしくはそもそもオチが無いようなお話が特にアニメで好まれているのもその裏付けとなるのでしょう。アニメなんかでお気に入りのキャラが死ぬとかストレス以外の何物でもありませんからね。
特に仕事で疲れた脳を癒すには「同じだけどちょっとだけ違う話」ぐらいがちょうどいいのかもしれません。