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お嬢様は恋煩い  作者: 霧原善光
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第2-2話 篠崎さゆり

 

 

 朝、お嬢様とさゆりを学校へ送り届けた後、私は御影邸に戻って掃除を始めます。

 この家はとても広い上に、高価な家具も多いので掃除は大変ですけれど、その分腕が鳴るというものです。さすがに毎日屋敷のすべての部屋を掃除することはできないので、私が手をつけるのはリビングやお嬢様の部屋といった普段から主に使用する部屋に限りますが。他の場所については週に三回、掃除業者の方に来ていただいて隅々まで綺麗にしていただいております。

 お嬢様が学校に行かれている間は、私もそれほどすることはありません。

 主なところで掃除以外には洗濯と夕食の準備くらいでしょうか。

 買い物に行ったりもしますが、基本的に食材や日用品などはすべて配達していただいております。

 あとはお嬢様が楽しめそうな本や映画を探したり……お嬢様の教育計画の見直しを行ったりというところですね。特にお嬢様の教育計画は数年単位の中長期的なものから月、週単位の短期的なものまで幾種類もございまして、お嬢様の実情に合わせてそれらをすべて修正していくとなるとそれなりに大変ではございます。特に慶太様の出現以来、これらの計画は大幅な変更を迫られましたからね。もっとも、全体的に上方修正できそうなので嬉しい悩みではございますが。

 それはそうと、今朝、お嬢様とさゆりを学校までお送りする車の中で、今週末さゆりが御影家の屋敷に泊まりに来るという話を耳にしました。

 ゴールデンウィークはずっと二人と一緒にいられたので、私の心は大いに潤っていたのですが、それでも今週末、また二人と同じ時間を過ごせるということで私はとても楽しみでした。

 すでに何度かご説明申し上げておりますが、さゆりは私の妹で、お嬢様と同い年で、お嬢様と同じ学校に通っています。

 そしてお嬢様に負けないくらい、とても優しく愛らしい女の子です。

 しかし少々抜けたところもあるので、私はあの子の将来を少し心配していました。

 特に、あの子が悪い男に騙されたりしないかどうか……。

 もっとも、普段見ているさゆりの感じからすると、騙されるよりかは自分でも知らないうちに男を騙していそうな気もしますけれど。

 幸運の女神のさゆりに対する溺愛ぶりは、姉の私からしても凄まじいものがあります。

 まず、クジ引きの類いで外れを引いたことがありません。以前、デパートに買い物に行った時にクジを三回引いて、一等から三等まで賞を総なめにしたときはさすがにお店の人に申し訳なかったくらいです(ちなみに、当てた賞は全部お店にお返しして、代わりに大きなクマのぬいぐるみをさゆりは貰いました)。

 あの子が学校の行事やお出かけに行く際は、必ず天気は快晴です。この前旅行に行った時も見事な行楽日和が続きました。

 こと運という点について、あの子に敵う者はこの世に存在しないでしょう。

 そんなさゆりが、今週末も御影邸にやって来るのですが、懸念事項が一つ。

 それは、同じ日に慶太様も御影邸にいらっしゃるということです。

 さゆりも慶太様のことはお嬢様から散々聞かされていたようで、会うのを非常に楽しみにしているようですが、万が一にも慶太様がさゆりの魅力に中てられるようなことがあれば大変なことになりかねません。

 三人の間で繰り広げられる複雑な恋愛劇なんて、私は見たくはありません。

 お嬢様を前にしても理性を保つことができる慶太様ですから大丈夫だとは思うのですが、警戒だけは怠らぬよう、私は気を引き締めるのでした。

 

 

 ●

 

 

 西日に目を細めながら、俺は愛用の自転車に乗って麻夕ちゃんの家に向かう。

 この自転車はこの町に引っ越してきてから真っ先に購入したもので、使い続けてもう三年が経つ。ちょっと値段は張ったものの、力士が乗っても大丈夫という触れ込みの頑丈さに惹かれて買ったのだ。今となっては少々いがんだところはあるが、まだまだ現役バリバリだ。

 今日もつい先ほどまでバイトがあったのだが、多分、この二年半のバイト生活の中で、今日ほど浮ついた気分で働いたことはなかっただろう。

 バイトが終われば、麻夕ちゃんの家に行って琴葉さんの料理を食べる。

 約束された輝かしいひと時を前に、俺は勤務中一度も笑顔を絶やすことがなかった。

 しかも、今日はなんと琴葉さんの妹のさゆりちゃんも来るらしい。そのことがまた一層期待を膨らませる。

 基本的に他人との関わりを拒みがちな俺が、会ったこともない人に会うのが楽しみだと感じるなんて、こんなに珍しいことはなかった。

 思い返せば琴葉さんのことだって、初めてお会いした時にはどうにかして会わずに済む方法を模索したくらいなのに。

 まあ、俺も琴葉さんとは何度かお会いしている内に多少は打ち解けられたつもりだし、今ではとても綺麗で心優しい方だということは十分に承知している。その琴葉さんの妹で麻夕ちゃんの友達だというのであれば、それはもう良い子に決まっている。

 上手く仲良くなれることを願うばかりだ。

 四十分ほどかけて、俺はようやく麻夕ちゃんの家に着く。この屋敷にはもう何度か足を運んでいるのだが、何度来てもこの屋敷の威容には圧倒されずにはいられない。毎度のごとく、果たして俺なんかが入っていいものかとつい周囲を伺ってしまう。

 インターフォンを押すと、ピンポンというありきたりかつ耳障りな音ではなくて、ごーんと重い鐘を打ったような音が周囲に鳴り響いた。

『ようこそいらっしゃいました、慶太様』

 インターフォンから、琴葉さんの声が聞こえてくる。カメラが内蔵してあるのか、一言も話さずとも来客が俺であることは分かっているようだ。

『さあ、どうぞお入りになってください』

 厳つい門が重い音を立てながら、ゆっくり内側に開いていく。

 俺は自転車を押して門をくぐり、玄関の脇に停めると屋敷の中へ入っていった。

「お邪魔します」

 広いエントランスには誰もいなかった。しかし、どたどたと慌ただしく廊下を駆ける足音がこちらに近づいている。

 とりあえず靴を脱いでスリッパに履き替えながらその場で待っていると、エントランス正面の階段の上から麻夕ちゃんがひょっこりと顔を覗かせた。そして、急ぎ足で階段を下りると俺の前で立ち止まり、ほころぶようににこりと笑った。

「こんにちは、慶太」

「こんにちは」

 今日の麻夕ちゃんは、髪をサイドアップにまとめている。やはり美少女にはどんな髪型も似合うものだ。新鮮な雰囲気を醸し出しながらも、違和感なんて欠片もない。

「これ、旅行のお土産」

 麻夕ちゃんはいそいそと手に持った紙袋を俺に差し出す。

 受け取ってみるとそれなりの重量だった。中を覗いてみると、お菓子の箱が三つと温泉の素が一箱、そして押し花の栞が入っている。

 相変わらず俺には過ぎた贈り物だ。こうして物をもらう度に負債が溜まっていくようで少し引け目を感じるのだけど、受け取らないのも失礼だから結局ありがたく頂戴してしまう。もしかしたら一度きっぱりと断った方がいいのかもしれないけれど、しゅんとした麻夕ちゃんを想像してしまうとそれもできない相談だった。

「こんなにたくさん、ありがとね」

「どういたしまして」

 俺が礼を言うと、麻夕ちゃんは照れたように顔を俯かせる。

 そんな麻夕ちゃんを微笑ましく思いながら、俺は麻夕ちゃんの後ろに控えている女の子の方に視線を移した。見間違えようもない、この子が噂のあの子だろう。

「あ、紹介するね」

 麻夕ちゃんが振り返ると、促されて女の子は一歩前に出る。そして、一面に日が照らすような笑みを浮かべた。

「この子がさゆり。琴葉の妹で、私の友達」

 麻夕ちゃんから簡単に紹介されて、さゆりちゃんはぺこりとお辞儀する。

「篠崎さゆりです、よろしくお願いします」

 可愛い……。

 ふわりとした髪とくりくりとした大きな瞳は人懐っこい仔犬を思わせる。ちょっと緊張しているのか、少し肩を上げて両手を胸の前で小さく握っている。その様は、俺の保護欲をかつてないほどかき立てた。

「石神慶太です。こちらこそよろしくお願いします」

 俺もさゆりちゃんと同じように、ぺこりとお辞儀をして挨拶する。

 そんな俺を見て、さゆりちゃんはさらに朗らかな笑顔を見せてくれる。その笑顔には、さすがの俺も少しくらっとくるものがあった。

 こんなふうに笑いかけられると、危うく惚れてしまいそうだ。それだけならまだしも、なんとなく、この子俺のこと好きなんじゃないだろうかと勘違いさせてしまう何かを持っている。中学生時代の俺なら間違いなく即刻告白していた自信がある。

 この魅力を自覚して振りまいているのであれば、この子はきっと空前の魔性の女として世に名を轟かせることになるだろう。また無自覚であるならば、それはそれで性質が悪い。

「ようこそいらっしゃいました、慶太様」

 ふと、廊下の奥から成長したさゆりちゃんが現れた。

 こうして見てみると、二人は本当によく似ている。琴葉さんの中学生時代の写真と見比べてみたら、きっとどっちがどっちだか判別つかないんじゃないかと思えるほどに。

 けど、琴葉さんとさゆりちゃんの顔立ちはとても似ているが、かと言ってまったく同じというわけでもない。表情――特にその笑った顔には、それぞれの特徴がある。

 さゆりちゃんの笑顔は、咲き誇った花のように天真爛漫な笑顔だ。

 一方で琴葉さんは、遠くから見守るような慈しみのこもった笑みを浮かべる。

 歳の差のためなのか、姉と妹という関係性のためなのか。

 ともかく、その対照的な笑顔を見るだけで二人がとてもいい姉妹だということは十分に理解できた。

「どうも、お邪魔しています」

 俺も挨拶を返すと、隣でさゆりちゃんがきょとんとした表情を浮かべている。

 なんだろうかと思ってさゆりちゃんの方を見てみると、さゆりちゃんは首をちょこんと傾げながら、

「えっと……私も、慶太様って呼べばいいですか?」

 そんなことを言った。

 またしても俺は少々眩暈がするのを抑えることができない。

 琴葉さんから様付けで呼ばれることにはいつの間にか慣れてしまっていたけれど、さゆりちゃんにそう呼ばれた瞬間、俺は恍惚を通り越してなんだか自分がすごくあくどいことをしているような気になってしまった。

「いや、慶太って呼び捨てにしてくれて構わないよ。琴葉さんも、今さらですけど様なんてつけなくていいですよ」

「じゃあ……慶太?」

 さゆりちゃんはまた少し首を傾げながら俺の名前を呼ぶ。

 ……うむ、呼び捨てにされるのもくすぐったいけど、こっちの方がまだしっくりくるな。麻夕ちゃんも俺のこと呼び捨てにしてるし、よりフレンドリーな感じがするし。

「私は慶太様という呼び方に慣れてしまったので。それでは、夕食の準備が整うまでお嬢様とさゆりとごゆっくりお過ごしください」

 琴葉さんは優雅に一礼すると、また廊下の奥に戻っていった。

「じゃあ、また私の部屋で遊んでよっか」

 麻夕ちゃんはそう言って、いつもと同じように部屋に案内してくれる。その後をさゆりちゃんがてくてくとついていく。

 その微笑ましい光景は、なんとなく実家で飼っている二匹の愛犬を思い起こさせた。仲良きことは美しきかな。美しいものが仲良くしていればその様はなお一層美しい。

「慶太、早く!」

 麻夕ちゃんに急かされて、俺もゆっくり二人の後を追う。

 今日の御影邸は、いつもよりも少し賑やかだった。

 

 

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