邂逅
収納袋が思いのほか便利だと気付いたエイクは、道具屋にて標準サイズの収納袋を購入し使用者登録もすまし自分専用の収納袋を手に入れた。 薬草採取の依頼ついでに魔物狩りをする生活を何日か続けていたら結構儲かったので、宿の宿泊日数を更新し、部屋へと戻った。
「この世界に風呂がないのが少し残念だな。『クリーン』の魔法が使えるから、体の不快感に悩まされずに済んだな。」
風呂は貴族層にしか普及しておらず、気軽に風呂に入れないのが少し不快ではあったがそこは便利な【魔術】のおかげで事なきを得た。さて、これからどうしようかと思考に耽っていると何者かが部屋に近づいてくるのを察知した。扉の方に注視して警戒していると、何者かの気配は扉の前で止まりそのままこの部屋の鍵を開け扉を開けた。扉が開いた先にいたのは黒髪を肩の長さまで伸ばした赤目の女性だった。
「あなたが、私の相部屋の方ですか。私はカレンと申します。今日からしばらくよろしくお願いします。」
カレンと名乗る赤目の少女は丁寧に自己紹介をし空いているベッドへと腰掛けた。
「私はこっちのベッドを使いますね。」
カレンは慣れた手つきで荷物を整理し自分のスペースへと変えていく。エイクはそれを表情の読めない目で視界に入れながらベッドに横になった。
「...エイクだ。」
ぼそっと、その部屋にいるものがぎりぎり聞こえる声量でエイクは名乗った。
「...え? あぁ、はいエイクさんですね。改めてよろしくお願いします。」
エイクはそれっきり何も話さなくなり、しばらくすると穏やかな寝息が聞こえてきた。それをカレンは穏やかな顔で見届けた。
翌朝、エイクは体を揺すられる感覚に襲われ目が覚めた。重たい瞼を開け、窓の外を見るとすでに太陽が真上に昇っていた。思ったよりも体が疲れていたようだ。寝ぼけていた頭が次第に覚醒していくと自分が今どのような状況なのかが理解できた。それは予想の斜め上どころか、全くの予想外の出来事だった。
「あの、もうお昼ですよ~。いつまで寝てるんですか~。」
カレンがエイクを起こしに来ていたのである。それに気づいたエイクはとりあえず、現実逃避することにした。
「あの~、さすがに寝過ぎだと思いますよ~。起きてくださ~い。」
エイクが現実逃避、もとい布団にくるまって頑なに起きようとしない態度を取っていようが、カレンはそれに構うことなくエイクを揺すって起こそうとする。流石に観念したエイクが、むくりと起き上がる。
「眠い。ものすごく眠い。おいカレン、俺お前に起こしてくれって頼んだっけ?」
「いや、頼まれていません。でも、なんだか放っておけなくて。同居人のよしみってやつですよ。」
「頼んでないんだから、そんなことされても困る。」
機嫌の悪そうな態度で返事を返す。そんなエイクを見てもカレンは優しげな笑顔で対応していた。エイクはそんなカレンを不気味に思い、ますます距離を取る。
「...わかった。起きたから、お前は自分のことでもしてろ。」
無愛想にそう言ってエイクは部屋を出ていった。あとに残されたカレンはその後姿をどこか寂しそうに見つめていた。
「...やっぱり、違うよね...」
小さな呟きがその部屋には、はっきり響いているかのように聞こえた。
▽▲▽
そこは理性ある荒くれ者たちが集う場所、その建物のあらゆる場所からは喧騒が絶えない。そんな場所の一角に不自然に静かな空間があった。その空間の中心にいるのはボロボロの黒ローブを纏った白髪の男だ。その男は依頼表をボーっと眺め時折魔物の素材の売値表を見つめていた。そんな彼の周りは誰も近寄らない。それがここ数日の日常だった。だが今日は彼に近寄る人物がいた。彼女は小柄な体系を生かし、荒くれ者たちの間をすり抜けそこにたどり着く。そして彼の顔を確認すると嬉しそうな表情で話しかけた。
「あ、エイクさんじゃないですか! これから仕事ですか?」
近くにいた荒くれ者、もとい冒険者たちはそんな彼女をひやひやしながら見守っていた。エイクと呼ばれるその男は、小柄な女性に話しかけられても無視を決め込み、依頼表を眺めていた。
「むぅ~... 無視は酷いですよ~、反応してくださ~い。」
彼女は男の態度に焦れたのか、ボロボロの黒ローブの裾を引っ張りながら呼びかけ続ける。すると男はようやく彼女、カレンの方へ顔を向けた。
「うるさい黙れ。俺は忙しいだよ。」
「さっきからずっと依頼表眺めてるだけじゃないですか。めぼしい依頼がないなら私の相手をしてくださいよ~。」
カレンはよほどエイクにかまってほしいのか、なかなか引き下がらない。そんな態度にうんざりしたエイクは、仕方なく、本当に面倒くさそうに、相手をすることにした。エイクはカレンを冒険者ギルドの一角にある酒場へと連れてきた。
「で、俺になんのようだ。」
「まずは改めてきちんと自己紹介をしますね。私はDランク冒険者、カレンです。少し前までパーティーを組んで活動していたのですが、パーティーメンバーが恋人と結婚して冒険者を引退しちゃったんです。」
「それで、いまはソロでやってるってことか。」
エイクはこの時点で次に何を言われるか予想出来ていたが、それを確信に変えるため、先を促した。
「はい。ですが、私1人では色々と限界がきまして、誰かとパーティーを組みたいと思いました。」
「なら野良で募集するんだな。」
野良のパーティーとは、その時だけの即席パーティーのようなものである。だがそれを少女にさせるのは些か酷だ。
「女1人で野良に参加するのはちょっと危険がありそうなので、あんまりやりたくないですね?。」
「とにかく、俺はだれかと組むことはないぞ。」
明確な拒絶の意志を示し、エイクはその場を後にした。一人取り残されたカレンは、何か確信めいた表情をして彼の後ろ姿をじっと眺めていた。
▽▲▽
エイクは何時も通りに街を出て、薬草採取をしながら森林の中へ入っていく。魔物を見かけたら、自然な動作で討伐し収納袋に入れる。そうやって森を進んでいく。
「なんか、不穏な気配がするな。」
森の奥に行くにつれ、だんだん薄暗くなり、虫の鳴き声も聞こえないくらいの静けさが辺りを支配していく。何かが体に纏わりついてくるような重い空気。魔物の姿も消えていた。
「なんなんだ、一体...」
不穏な気配を感じをたエイクは、すっと、自然な動作で構える。奇妙な静寂、それが数分続いた。
「っ!」
濃厚な殺気が、まるで既にそこにあったかのように出現した。それはとても自然な動きでこちらに近づいてくる。1歩、また1歩とゆっくり時間をかけて、エイクが逃げないのを分かっているかのような動きだ。あるいは、逃げてもお前程度すぐに追い付いてしまうという余裕の表れなのだろうか。その濃厚な殺気は刻一刻とエイクのもとへやってくる。
「...くそがっ!」
覚悟を決めて迎え撃とうとするエイク。だがその覚悟に反して体は嫌な汗をかき続ける。本能ではこの殺気を放っているものに勝てるとは思っていない証拠だ。いくら元最強の人間だったとしても、力を制限された状態で勝てるものでは無かった。
その殺気の主が姿を現す。それは黒光りする鱗に全身を包まれ、堅牢な甲殻に体を守られていた。その視線は溢れんばかりの憎悪が込められ、今にも襲い掛かってきそうだ、引き締まった筋肉が甲殻の隙間から姿を見せ、こちらを威嚇しているようだ。その殺気の正体は、人の数倍の巨躯のドラゴンだった。蛇に睨まれたカエルのように、エイクは固まってしまった。この時エイクは死を覚悟した。
「お前なら、俺を殺せそうだな。」
こんな状況なのに、何故かエイクは笑っていた。欲しかったゲームを与えられた子供のような笑顔を浮かべていた。でも、それはどこか寂しそうであった。
▽▲▽
酒場に取り残されたカレンはエイクの後ろ姿を見送る。カレンは彼の後ろ姿に何か危ないものを感じていた。そう感じた直後、気取られないようにエイクの尾行を開始した。稚拙な尾行ではあったが、何故かエイクは気付いた様子は無かった。カレンはエイクの雰囲気などから、彼がかなり強者であることを感じ取っていたが、自分のお世辞にも上手いとは言えない尾行を気付かれない事に不安を覚えていた。エイクがかなり注意散漫になってる事に気付いたからだ。
森をずんずん進んでいくエイクを尾行する。
「すごい...」
途中に現れた魔物はエイクが瞬殺して収納袋に入れていった。エイクの戦い方は八つ当たりの様であった。しかし突然、魔物の気配は無くなった。森から生き物の気配が消えた。それはエイクの後ろ姿を見ていないと不安になりそうな程、不気味だった。
それでも彼は歩みを止めなかった。カレンは引き返したくなる気持ちを押し殺し、彼に付いていく。すると急に、足が動かなくなり全身が小刻みに震え、冷たい汗が流れ出した。カレンの実力はまだ下の上といった所だ。殺気を感じ取ることが出来るレベルにはまだ到達していない。しかし、あまりに強い死の気配に本能的に体が動きを止めた。
「な、なんなの、これは...」
ここで引き返す。そうしろと、体が訴えかけてくる。しかし、ふと、宿で見たエイクの横顔が頭に浮かんできた。宿で彼の横顔を見た時、カレンに強烈な衝撃が走った事を思い出す。それはとても、兄に似ていたからだ。もう、会えない兄に。このまま引き返したら、エイクは死んでしまう、そんな確信があった。
「い、行かなきゃ...」
震える足を引きずり前に進む。木々を押しのけエイクが進んだ方へゆっくりと歩を進める。一歩進むごとに死の気配が濃くなっていく。心臓が破裂しそうなほど鼓動が早くなる。気付くともうすぐ目の前の木々の枝や葉を押しのければ彼の姿が見える位置まで来ていた。カレンはそれに気づかず、そっと枝葉を押しのける。そこは辺りの木々が吹き、森の一部が吹き曝しになっていた。その中央にはそこにいるだけで死をまき散らす災害のような黒いドラゴンとボロボロになりながら戦うエイクの姿があった。