120
夢を見た。
楽しい夢だ。
孤独を越えた歓喜の世界。
誰もが笑い、誰もが生きる、そんな場所を。
しかし現実は残酷なもの。
何時から歯車は狂い始めたのか。
何故この手から大切なものを落とさねばならないのか。
何も失いたくない。
この思いは傲慢だろう。
ただ大罪だろうが貫き通せばそれが真実に。
紫の光に意識飲まれながら想起。
今、今だ、目の前で大切な人が危機に瀕している。
魔法を教わった。
夜な夜な語り合った。
杯を交わし絆を深めた。
そして、本当の思いと名を聞いた。
助ける、絶対にだ。
力は有限かもしれない、でも、高まる感情に限界はない。
この傲慢で、運命を越えろ。
重ねてきたこと、全部が俺の礎。
同調を、魔法を、銀を、魔風を、相棒を。
傲慢を、尊敬を、友情を、信念を、愛を。
決して折れない不屈の精神。
英雄に憧れなんてない。
ただ目の前で泣いている人を救えないようじゃ、アイツの相棒は名乗れない。
どんな障害も殴って進む。
脳筋で結構、俺が四道 夕だ。
「ん……」
深い、深い眠りについていた。
寝起きと同じ感覚、重い瞼をゆっくり開ける。
とてつもない倦怠感、意識がブラつく。
(ここは————)
段々と現実を思い出す。
目が覚め脳が覚めていく。
裁定者に挑み、惨敗、そして————
「なんでだよ……」
受け入れ難い現実を理解する。
この状況は転移魔法の完成を意味し、師匠が送り届けてくれたのだと。
オリヴィア、忘ることなんて絶対に出来ない名。
何にも残ってない右手、俺は救えなかったのだ。
眼が熱い、唇から流れる血の滴、ぶつけることの出来ない荒感情。
握りしめた拳に希望は無い。
「なんで俺は、こんなに弱いんだよ……」
エイラに負けて。
必死に魔法を習って、レネも力を貸してくれて。
だというに、何も掴むことは出来なかった。
悔しさを越えて絶望感に。
師匠を見殺しにした、弱い俺を庇った、それらは重石のように圧し掛かる。
心が潰れる、いや、いっそ潰してくれ。
(俺は、どうしたらいいんだ)
重い身体、仰向けから、ゆっくり起こす。
伏せる眼、そこは白地のベットの上だった。
敷布団の上に俺はいた。
ここは何処か、沈む感情に支配されながらも、詮索に入ろうとした、その時だ————
「うぅん……」
声が聞こえた。
呻くような、女の声音だった。
発信源はすぐ隣から、起きたばかり、ようやく少しずつ広がった視野。
聞き覚えがあるものだ、ここ最近何度も聞いていたのに似ている。
(まさか、まさかこの声は……)
伏せていた眼、恐る恐る首を横に動かす。
隣に寝る、そこには、1人の美女が居た。
美しいプロポーション、艶のある紫がかった黒い長髪、着込んだ服もあの戦いのときのまま。
この人は————
「し、師匠……」
見た目とは裏腹にとんでもない寝相。
間違いない、間違うことなんてない。
涙が可笑しいくらいボロボロ落ちてくる。
唾液に交じった鉄の味も忘れて、感傷に浸る。
俺の隣で寝息を立てていた人物、それは正真正銘、俺の師匠である魔女王オリヴィアだった。
「師匠……!」
理性だけでは受けきれぬ感情。
場所も身分も忘れて、その身に縋りつくように抱きしめる。
仰向けの師匠に上から、そしてしっかり感じる体温の熱を。
そして匂い、そして生命を感じる。
「ん、ここは……」
抱きしめたせいか、若干苦しそうにし意識を戻しだす。
紫の瞳が静かに覚める。
うずめた顔を上げ師匠と対面、数秒にして長い長い静寂停滞が。
刹那でありながら最大の時、切ない気持ちは喜びに変わっていく。
「ゆ、ユウ?」
「師匠……」
「ここは、あの世、かしら」
「生きてます! 生きてますよ!」
「……」
ある種自然ともいえる問いかけに返す言葉。
意味合い違って流れる熱い水滴、きっと俺の顔は酷いことになっているだろう。
だがそれでもいい、この現実は確かに存在しているのだから。
「……本当、に」
「ホントです! ホントに俺たちは————」
それ以上、師匠は疑問をぶつけてこなかった。
ただ感情的に、ただ赴くままに、足りないナニカを補うように。
話すために浮かしていた身体。
覆いかぶさり気味の俺を逆に引き寄せる、それこそ力いっぱいにだ。
師匠の細い両腕が背中に回る、髪が耳に触れる。
これは重なり、強く抱き合う。
「もう、ダメだと思った……」
「はい」
「でも、私は生きている」
「はい」
抱き合う故に顔は分からない。
ただ師匠は笑っていると思う
最期だと悟ったあの時とは似て非なるもの。
それから師匠は静かに泣き始めた。
どんなに強くても、どんなに立派でも、1人の女性であることは変わらない。
浮かぶ尊敬の念、俺はその吐きだされる感情を受け入れた。
再びの静寂を、無言の中にひたすらの思いを感じた。
「……もう大丈夫よ」
「そうですか」
「みっともない姿を、見せたわね」
「そんなこと。むしろ師匠、いや、オリヴィアさんの素顔が見れました」
「お、オリヴィアさん……」
あれから少しの時間が経ち。
思考は冷静な方面へシフト。
この世界に戻ってくる。
とりあえず名前で呼んでみたが、反応は羞恥。
今までとは違う、若干の赤面状態だ。
「自分から教えてくれたじゃないですか」
「そ、そうだけど。呼び方は今まで通りに……」
「なんでです? 別にいいじゃ————」
「は、恥ずかしいのよ!」
「わ、わかりました」
「まあ……、もう少し時間が経ったら名前でも良いけど……」
どうやら気恥ずかしい模様。
ただ本人がそう言うのなら、当分はこのままだろう。
最後なんてゴニョゴニョ言ってて、あんまり聞こえなかったし。
「それで、ここは?」
「ああ。それですね」
「私が転移魔法で指定した場所とは違う。一体何処なのかしら」
「ええと……」
俺たちがいるのは質素な部屋だ。
ベットが1つ、タンスが1つ、本棚が1つ、机が1つ。
これといった特徴は無い、ただ俺はこの空間をよく知っている。
むしろ誰よりも認知していると言える。
「ここは、俺の部屋です」
「どういうこと?」
「飛ばされた理由は分からないです。ただ、中学まで過ごしてきた部屋、間違えることは無いです」
「つまり、私たちは日本にいると」
「そういうことになります」
感傷的になるのもそこまでだ。
師匠が生きている、そこで万々歳。
ここからは現実を把握していく。
イタリアに行くまで何十年と過ごした場所、初めは疑ったが、ここまでそっくりな造りもない。
検証のため同調をかけるが、面積や痛み具合からして本物だろう。
『はあ、やっと終わったか』
「あ、レネ」
『現界するぞ』
「分かった」
脳内からレネの声が反復。
神力が回りレネが輝きと共に顕れる。
「ユウ、浮気はバレんようにな」
「し、してねえよ!」
「冗談じゃ。まずはこの状況についてじゃな」
「何か知っているの?」
「いや、我もよく分かっておらん。ただ此処に来る前の事なのだがな————」
この部屋に飛ばされる前のことについて。
つまりは裁定者からの逃亡、転移魔法が完成する寸前に起きたこと。
異変についてだ。
「まずユウ、ぬしは転移の法は使えんのだろう?」
「そうだな。相当難しいからって教わってない」
「じゃろう、ただユウは転移に似たなにかを使った」
「転移に似た何か、銀神でも正体は分からないの?」
「うむ。しかしこれだけは言える。最後の最後でぬしは奇跡を起こしたのじゃ」
正体不明。
レネも外側見ていただけで、説明は出来ないらしい。
そりゃ自分でも、やったってことすら気付いていなかったし。
「我らは謎の力に包まれ、ここまで来た」
「実感ないけど、土壇場で転移魔法を完成させたとかは?」
「それは無いわ。一度発動すれば魔法は身体に刻まれる。だけどユウにその痕は感じられない」
「うーむ、魔女が無いと言えば無いのじゃろうな。それに時間の法もあろうに」
「……俺は一体何をしたんだ?」
がむしゃらに足掻いた記憶はある。
ただ記憶は曖昧、何をしたなんて覚えていない。
とりあえず転移魔法ではない、そもそも時間差がある時点で話にはならない。
師匠が俺に転移発動したのはおそらく16時頃、しかし今は18時点間近。
再会に浸った時間を考慮しても1時間のラグが存在している。
(普通だったら時間と時間は繋がる。この間の時間、俺たちは何処に————)
ただ考えたところで謎は深まるばかり。
同調か、魔法か、銀か、魔風か。
だが正直なところ、これらであの状況をやり過ごせたとは思えない。
原動力として『思い』が炸裂したことは間違いない。
ただ莫大なエネルギーで俺は何を放ったのか、まるでブラックボックス、答えは分からない。
「もしかしたら、新たな異能かもしれんな」
「確かに、生命の危機で力が発現した可能性はあるわね」
「新たな能力……」
「あくまで仮の話じゃ。事実がどうなのかは全く分からん」
原因は不明、ただ全員生き延びることは出来た。
その事実だけで今は満足。
(でもこれ以上能力が増えたら大変なことになるな)
今ですら全てを掌握できてない。
武器が増えても扱えなければ持ち腐れというもの。
しかも裁定者から逃げられるほどの力、もしそうなら相当な宝である可能性は否めない。
「にしても裁定者……」
「あれは強すぎたな」
「……私の想像以上だったわ。まさか魔砲で話にならないなんて」
「しかも未覚醒、チートすぎる」
「正直、本気の主神級でも勝てんな。次元が違うわ」
出てくるのは裁定者の恐ろしさだけ。
分析したところで、手の内を見せてくれたわけでもない。
ひたすらに理不尽を押し付けられるイメージ。
「しかもユウなんぞ仲間になれと誘われるしな」
「ああ、それな」
「嫌な話だけど、裁定者は複数いる可能性があるってことね」
「そういうことになる」
「主がどうこうも言ってたし、もう理解が追いつかない……」
正体不明なのは己だけじゃない。
最もは相手、果たして何が潜むのか。
ここで話たところで埒が明かない。
「まあ話は一旦置いとこう。まずは————」
まずは今を、着がえなり食事なり済ませようと。
ただ此処は俺の部屋、つまりは実家。
時間帯はついさっき確認して夕方だと判明、既に誰か家にいる可能性は————
「———-お母さん、お兄ちゃんの部屋で何騒いでるの」
扉は開く。
何か月ぶりに聞くかその声を。
ガチャリと音をたて開帳。
ただ此処に居る誰もが隠れる気力すらない、ベット上の会議そのままに来訪者を待つ。
(いや、向こうにとっちゃ俺らがお尋ね者か……)
「なにして、って……」
「よう若葉」
「こんばんは」
「久しゅう」
唖然とする妹の若葉さん。
そりゃそうだ、イタリアに居るはずの俺が俺の部屋にいる。
しかも師匠とレネもいる状況。
何食わぬ顔で接されたら逆に心配してしまう。
「お、お兄ちゃんそっくりの空き巣だあああああ————!」
そう叫ぶと逃げるように部屋を飛び出し階段を降りていく。
ただ途中で強い衝撃音、きっと転んだだろう、可哀そうに。
しかし空き巣とは、酷い言われようである。
まあ誤解を生んでしまうのは仕方ない、そういう面子と状況だ。
「どう説明しようかな————」