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「美味い!」
「程々にしとけよ」
「じゃないとユウの財布が死ぬものな!」
「分かってるなら自重してくれ」
ニューヨークでの仕事報酬を考えればたいした出費ではない。
破産は無いと分かった上での軽い掛け合い。
俺たちはセント・テレーネ学園を飛び出し街中へ。
ルチアに言われた物はすぐ手に入るものばかり、時間つぶしにも改めてローマに浸かる。
(ただエイラが案内してくれるの食べ物関係ばっかりなんだよなあ……)
イタリアの学園に半年通っていてなんだが、俺は地理に詳しくない。
観光地についても然り。
折角なのでとエイラに尋ねてみたら、返ってきたのはグルメツアーの案内状だった。
「む! クリ発見!」
「……おお焼き栗か。イタリアにもあるんだな」
「この時期には屋台が出るのだ! さあ買っていこう!」
「はいはい」
日本は年中売っているイメージだが、イタリアは秋の時期だけ焼き栗を屋台で売るらしい。
周りを見れば道行く人もちょこちょこ買っている。
「いらっしゃ……、って脳筋姫じゃねえか」
「脳筋姫? 私はエイラ・X・フォードだが」
「はっはっは! 知ってるって! いっちょ前に彼氏連れかい」
なかなか粋なおじさんだ。
まあエイラにジョーク飛ばしても理解されないだろうけど。
ただ『脳筋姫』ってのは最近じゃよく言われる、そりゃ見た目は美少女、頭脳は筋肉だから。
はたやヴァチカンの聖剣使いという呼称はどこにいったのか。
「大盛り、いやマシマシで!」
「エイラ、ここはラーメン屋じゃないぞ」
「あいよ!」
「って通じるんかい……」
「脳筋姫は可愛いからオマケだ!」
イタリア人は女性に寛容、まあトニーみたいな奴もいるが。
値段変わらないが、おじさんの計らいでなかなか盛ってくれる。
「食べよう!」
「おう、ってもう殻割れてるんだ」
「日本のクリは割れてないのか?」
「いや、そんな食ったことないから曖昧だけど、食うのが大変だった記憶がある」
名前は天津甘栗だったろうか?
よく横浜とかで売られているやつ。
あれは殻に割れ目なんてなく、剥くのが大変なイメージ。
今買ったのは、ご丁寧にも桃太郎の桃みたいに真ん中パカリ、非常に食べやすい。
「殻ごと食うなよ」
「わ、私だってそんなバカではない!」
「冗談冗談」
「まったく見くびられたも……」
エイラの言葉の続きは小さな破砕音にせき止め。
まるで何か固い殻を歯で粉砕したかのような音だ。
途端にエイラは苦々しい顔をする。
「……」
「聞かなかったことにする」
「ま、まあ不注意は誰にでもある!」
「そんな経験無いっての、あと飲み込むなよ?」
「流石にしない、マズいのでな」
「美味かったら食うんかい……」
エイラの思考を一応了承しつつ、行先もなく右往左往。
知名度的にやはり視線は向くが一度きり、みな一瞥して視線を外す。
日本は粘り強い印象、そういうところ、なんだかんだイタリアは住みやすい。
馴れもあるだろうが、なんだかイタリアに永住しても良い気がする。
(ご飯は美味しいし、人も街もいい、それにエイラもいるし————)
「ユウ」
「なん……!」
呼ばれたと思ったら急接近。
エイラの顔がすぐ目の前まで、鼻の先と鼻の先のつく位置まで。
タッチとコンタクト、唐突な出来事に四肢は動きを停止、何故か思考も。
飛びあがりの心臓、時間の感覚を一気に遅くする。
「な、なんだよ」
「髪の毛にテープっぽいのついてるぞ。取るから動くな」
「じ、自分で……」
「鏡も無しに取れるはずないだろう。任せてくれ」
急接近から少し後退。
正確な付着場所を確認したか、はたまた俺がビビッて退いたからか。
どちらにせよ焦ったこと間違いなし。
白い手が触れるこの髪、さっきまで無かった鼻孔につく甘い香り。
視線下にエイラの上目線を、こいつは取ることに集中しているが、俺の眼はエイラだけを捉える。
綺麗だ、この状況この場面この時をもってして改め再確認してしまう。
「ほら取れたぞ」
「……ラミネート作りのやつだったか。それとあれだな、ありがと」
「ふっふっふ! 気にするな!」
なんでもないように瞬間で終わる出来事。
縮まった距離は逆戻り、視点間隔はホールドから隣に並ぶぐらいに。
ゴーストに攫われたような心臓、正常な脈を取り戻す。
「じゃ、行くか」
「……あ、ああ」
ぎこちなくも俺はエイラの手を取る。
エイラも手を受け取り握り返す。
能力で気温を操作するのとは全然違う。
身体には脳信号を伝えるため電気が走っている。
それが手から手つなぎネットワーク、もっと突き詰めて磁石のようにくっつく。
俺の感情は確かにエイラという温もりを捉えている。
「————だいぶ日が暮れてきたなあ」
腹にイタリア秋の味覚を堪能しながらウロウロと。
ただ時間はモーメント、普段の倍以上の速さで経過してしまう。
穏やかなオレンジ色、エイラと俺のレンジはゼロ、ただそろそろタイムリミット。
「トニーから連絡来てるし、今日はもう解散だと」
「……結局私は何も手伝えなかったな」
「い、いや、エイラは何もしなくていい。その、まあマスコットみたいなもんだし」
「マスコットとな?」
「居るだけでパワーが漲るというか、パワースポットというか、モアイ像的な……?」
「よく分からんが、つまりは何をするでもなく、ただ立っていればいいと」
「そうそう。それだけで元気になれる」
繋いだ手を大きく振る。
それに伴ったような支離滅裂な会話、援護しているかも不明なたとえ話。
なんだよパワースポットとかモアイ像とか、自分で言っといて意味不明だ。
それでも納得しているエイラは、もっとわけわからないけど。
「なら私たちも家に帰るか」
「だな。そういえばエイラの家は近いのか?」
なんだかんだとエイラの家は行ったことがない。
一緒にいる時間長いだけあって家族の話は結構聞いてる。
曰く普通の父、普通の母、普通の妹、そして自分という4人構成とのこと。
この普通という冠はエイラが言っていたんだが————
(エイラの家族が普通のわけないんだよなあ……)
彼女なんと言おうとも、エイラ・X・フォードと共に暮らす人間。
これが常人だとは到底信じられない。
「今度来てくれ。ユウを紹介したい」
「まあ顔ぐらいは合わせておきたいな」
「きっと皆喜ぶ、母様は特に会いたいと前々から言っていたし」
「え、エイラの母親か……」
「普通の人だから安心してくれ」
(普通とか普通じゃないとかじゃなくて、会うこと自体に緊張するんだよ……)
凄い怖いお父さん出てきたらどうしよう。
まあ最悪エイラに庇ってもらうしか、物理的にも精神的にも。
「そういやエキシビションマッチ聞いたぞ」
「ああ、あれか」
「良く引き受けたじゃんか」
「最初は面倒だと思ったんだがな、文化祭の出店で使える商品券をくれると言うのでな」
「結局食い物かい……」
「む! バカにするなよ! 毎年レベル高い品が多いんだぞ!」
生徒会の餌はまさしその名の通り。
見事に食でエイラをステージに上がらせたわけだ。
「初めはユウも誘うつもりだったんだがな……」
「それじゃあ勝負にならないと」
「うむ。そう言われた」
俺とエイラが組めば敵なし、形無しの小隊制、エイラだけならミクロの単位で一応勝率は増加する。
参加者に『もしかしたら』という希望を持たせられる。
まあ学園祭の催し、見世物の試合だし、そんなガチガチではないわけだ。
「こう言ってはなんだが、負ける気はしないな」
「そりゃお前SSS級だぞ? 同世代で勝てたら世界ニュースになる」
「少しでも張り合える奴が出てくれば嬉しいんだが……」
エイラはおそらく1年生たちのことを知らない。
俺も詳しく知るわけではないが、主席と次席の力量は初見で大体把握した。
まあエイラに勝てる実力とは到底言えない。
エイラだけじゃなく、国際戦でも通用しないレベル。
分かりきっていたことだが、参加者の中にエイラの期待に応える能力者は1人としていないだろう。
(ただここでネタ晴らししちゃ1年に悪いし、大人しく黙っとくか)
1年に敗北の色濃いのは明確。
明快で単純、疑問を抱かない実力差。
エイラに伝えたところで結果は変わらないが、少しでものマナープレーと優しさだ。
(エイラのためにも、少し前向きな質問しとくか)
「じゃあ仮にだ、仮にエイラが負けたらどうする?」
「私は負けん!」
「いやだから仮にだよ仮に」
「もしの話はあんまりだが、そうだな……」
もともと負けることは想定外、考えてすらいない。
そりゃ俺もエイラが勝つビジョンしか見えないとも。
ただそういう仮にの思考が少しでもエイラを楽しめさせたら。
戦いは孤独、見世物とは言え今回なんか特に。
相手は小隊5人で挑んで来る、少しでも刺激を与え、ホントに少しだとしてもやる気を維持してやりたい。
「もし私に勝ったら、なんでも願いを聞いてやろう!」
「つまりは言うこと聞くと」
「うむ! ただ私が嫌だと思ったことはやらん!」
「ってなんだそりゃ……」
なんて自分勝手な考え方、ただ出来る範囲ならやってくれるそう。
魔物退治なり、ボランティアなり、クッキングなり。
その願いの質がどうあれ、やれるなら必ずやるらしい。
「じゃあもし俺が参加して、仮に勝ったとする」
未来を創造、仮想のシチュエーションを思い浮かべる。
構図は俺が勝利したとき。
ただ俺が抱いたのは願いじゃない、『疑問』だ。
「俺がエイラに勝った時、その時お前は笑ってくれるか?」
別にお願いでもなんでもない。
むしろ笑ってくれとお願いしても意味は無い。
そこに真の感情は存在しなく、偽りの笑みのみ。
心孤独の戦いに俺という孤独が打ち勝ったのなら、お前は心の底から笑うことができるのか?
初めて出会った時以上の、その何倍も何倍も腹を抱えることができるか?
「ユウは可笑しなことを言うなあ」
「そうか?」
「ただ私に勝てたら、それはもう笑うしかあるまい、もう嬉しくてな」
「なるほど。それは良い」
理想点は夢に浮かぶ。
想起できるくらいに鮮明に。
「ふっふっふっふ……」
「なに笑ってんだよ」
「ユウこそニヤついてるぞ」
「もともとこういう顔だ」
「そうか、ならそういうことにしよう」
「そうだ、そういうことだよ」
全ての道はローマに通ず。
全ての思いはここに来て集約。
繋いだ手、分かれ道、お互い一時の帰路別れ。
「私はこっちなのでな」
「なら今日はここまでか」
「ああ。また明日だ」
「おう。また明日な」
しっかり、根を這う大樹のように絡んだ思いを瞬間だけ離す。
再会の言葉と共に進路を転換。
寮へと、懐かしきあの心情領域へと。
振り返らず目線外れ、進むのみとなった時、エイラから付け加える最後の一言。
「学園祭、楽しみにしている」
風に言霊揺れた時、歩みは実行。
そして案外見世物も悪くないと今更ながら。
一周回ってチャレンジにチャレンジ。
「なら忘れられないくらい楽しませてやるよ————」
俺の言霊届いたかは知らず。
ただ流れは止まらず。
言葉は風に乗り、エイラ進んだ分かれた道へと流れていった。