【07】 PM3:00
14時半頃にミーティングは終了し、一旦、それぞれの仕事に戻る。
菜穗子も自分の席に戻って本来の仕事、台風の高潮による災害の予測と対策に関して、押さえるべき事項のチェックリストを作り始めようかと思ったが、どうにも集中できない。自分のデスクのPCで、デング熱関連のニュースサイトなどをついつい見ていると、タンマツにメールが入る。
ユカリからだ。
デスク島の端と端に座ってはいるが、それほど離れているわけじゃない。普通に話しても聴こえるのにわざわざメールで送って来るのは他の班に聞かれたくないからだろう。連続して二通、今回の担当チーム全員に一斉送信されている。
15:02 厚労省から―――
一般の感染者が他に見つかる。台東区と荒川区で一人ずつ、ニュースを見て自ら病院に行き、デング熱と診断。一人は8月4日、もう一人は8月5日に上野公園北地区、大噴水周辺を訪れた際に感染したと思われる。
なお幸いなことに二名とも重症ではないとのこと。
15:05 台東区保健所から―――
旧奏楽堂前ホームレスの検診結果。
ウイルス抗体を5名から検出。
うち一名は8月2日から4日にかけて発熱があったが、既に熱はなく、回復済みとのこと。この一名が感染増幅源となった可能性がある。
なお、残りの4名は抗体は出たが症状はない。これから発症する可能性もあるが、発症に至らない可能性が高い。
またこの検査は、感染後すぐには反応しない場合があるので、東京都保健所、並びに台東区保健所は、旧奏楽堂前ホームレスを最低でもあと4日、上野・忍岡中学に留めたいとのこと。
読み終わると、すぐにまたメールが来た。野澤がユカリと菜穗子を会議室へ招集するメールだ。
「中途半端な結果だったな」
会議室での野澤の一言目がこれだった。
「ホームレスの感染者が少なすぎますね。特に発症したのが一人っきりっていうのは、『動かぬ証拠』からほど遠いと言わざるを得ません。病気にかからなかったのは良かったことですが、屋外生活は公衆衛生的にも重大な問題があるので、ホームレスの人たちをきっちり保護して、屋外生活をやめさせなきゃいけない、っていう方向に話を持って行く契機にするにはインパクトがなさすぎます」
ユカリも残念そうだ。
「囲い屋の件も含めて、大きく動かさすチャンスだったんだが」
「現実的には、その一人のホームレスの人が増幅源になって、上野公園台地エリア北東地区にウイルス感染蚊を増やした可能性が高いですが、一人だけじゃ説得力ないですから」
野澤とユカリが、二人してため息をつくような間を空ける。
ワザとらしいところまで息がぴったりだ。
ちょっとやってられない、と感じた菜穗子は、
「しかし今のところ感染した場所は、旧奏楽堂前とか大噴水周辺とか、上野公園の北西地区だけに限られてますよね。不忍池エリアで連れ去られたホームレスの人って本当にデング熱に感染していたんでしょうか」
と話を切り替える。
ユカリがよく言ったと言わんばかりに菜穗子の肩を叩き、
「そうね、連れ去られたホームレスの人が見つかったワケじゃない。そこは解決しないと」
と言うが、野澤は冷静に、
「炊き出しやってるのって旧奏楽堂前だけみたいだよ。不忍池エリアではやってないから、そっちまで出かけて行った時に感染したんじゃないの」
と返されてしまった。
少し遅れて会議室にアーニャが入って来た。
「公園側の防犯カメラのデータ分析終わりました」
本当に30分もかからなかった。
アーニャさんが有能かつ仕事が早いのは千住緑町堤防爆破事件で分かってたけど、いくらなんでも早すぎない?
「目撃情報から時間も場所もだいたい分かっていたので、データを入手すれば後は簡単でした。場所はブログに書いてあった通り、不忍池エリアの不忍通りに面した池之端交番の裏手です。正確な位置はチームの皆さんのタンマツに送ります。8月8日19時8分に発生、連れ去る側の二人組が写ってから、ホームレスを連れ去って公園を出るまで、ほぼ5分しかかかっていません」
説明しながら会議室のモニタに映像データを映し出す。
しかし暗くてよく分からない。
「この日の東京地方の日の入りは18時40分頃。なおかつ街灯からちょっと外れた場所で起きているので、分かりにくいと思います。まずはこんな日暮れの出来事だったという雰囲気だけ味わってください」
次ぎに加工済みの映像を再生しだす。
少しは見やすくなったがイマイチな感じだ。
「防犯カメラからちょっと離れた位置で起こったので、拡大したり、フィルターかけたり、輪郭を強調したり、まあ色々加工しましたがこれが限界ですね」
午前中に不忍池エリアで実際に見た通り、小さめのテントが並んでいるのが写っているが、そのテントの前や周辺に、何人ものホームレスの人がいるのが映像では見受けられた。情報通り、夕方から夜にかけて戻ってきたのだろう。
と、突然、不忍通り側から二人組が現れ、テントの列の前を早足で歩いてゆく。
最初から後ろ姿しか写っていないが、二人とも半袖の、派手な柄のシャツを着て、無意味に太いズボンをはき、傍若無人な感じでノシ歩いている。遠目からの映像なのにそれだけはハッキリ分かった。
「テントの数を数えながら歩いているみたいね」
とユカリ。
「ターゲットについて、予め情報があったようだな」
とは言っても最初から目的のテントにたどり着いたわけではなく、出入り口の帳をめくり中を覗き込むこと三軒(?)目のテントが正解だったらしい。中にいるらしい人物と何やら話を始めたようだ。
「下見はしていないが、だいたいの位置は分かっていたようだ」
音声も無く、表情など細かい部分も分からず、友好的に話しているのか、恫喝気味に話しているのも分からないが、二人組は二人そろってポケットに手を突っ込んだまま、落ち着き無く体を揺らしながら話していて、チンピラ感が半端じゃない。
と、二人組は小さなテントに押し入るように、というか無理矢理に体をツッコんで、中にいた人間を引きずり出す。
引きずり出されたホームレスは、テントから出た段階で観念したのか、熱が出ていて動けないのか、されるがままで、二人組に両脇を抱えられ、連れ去られてゆく。
戻り際は三人ともカメラ側を向いている。
二人組は特に顔を隠していない。後ろ姿からだけでは分からなかったが、二人組は二人そろって派手な柄のシャツの胸元を、イキがった感じに広げている。
「ダサッ」ユカリが思わず呟き、アーニャも、
「最低のセンス」
と乗っかる。
「確かにそうだけど」
女性二人の冷たい意見に、どっちかと言えばチンピラ寄りのファッションセンスのように思える野澤(あくまでも菜穗子の私見だが)は乗っからずに、
「それより、一応顔が写っているけど、顔認識の方は?」
「残念ながら、二人組も連れ去られた人も、顔認識システムにかけられるほどハッキリ写ってません」
そしてすぐに二人組と連れ去られたホームレスの三人とも、防犯カメラからフレームアウトしてしまった。
「ということで新たに判明したことはありません」
アーニャがまとめるが、野澤は、
「そうでもない。まずこのチンピラ風の二人組は、『病気にかかった』ホームレスを探していたわけじゃなく、ある特定のホームレスを探していて、そのホームレスがどこにテントを張っているのかだいたい知っていた。そしてその人を連れ去った」
「そのホームレスの人が病気にかかっていたらしいことが連れ去る理由じゃなく、そのホームレス自身に連れ去る理由があったということですね」
ユカリの言葉に、アーニャも納得して、
「なるほど。つまりネットの陰謀論にあったように、意図的に『デング熱のホームレスを拉致した』んじゃないって事ですか」
「そういうこと。さらに言えば、この二人組はそのホームレスの顔は知っていたが、それはこの不忍池エリアで見て知っていた、という事でもない。ここでの何らかの知り合いだったら、テントの位置をもっと正確に知っていて、二軒も空振りしないで最初からそのホームレスのテントに押し入っていたただろうから」
「その一方で、だいたいどのへんのテントにいるのかは知っていたわけですよね。別のホームレスの人から情報が入ったんでしょうか」
アーニャの問いに、
「そこは現時点では分からない。現時点では、この二人組は囲い屋の一員である可能性が高そうだから、囲っていた所から脱走したホームレスを連れ戻しに来たっていう推測ができる。そのホームレスの居場所が何らかの手段で分かったんで、この『凶行』に及んだ、っていう感じかな」
と野澤が答える。
「それだけの理由でこんな拉致騒ぎを起こすんでしょうか」
菜穗子が恐る恐る質問するが、
「さあ、それは本人とか囲い屋を見つけて訊いてみないと何とも言えない。いろんな可能性があるからね」
と野澤はうっちゃり気味に返して、
「もう一つ、この防犯カメラ映像で分かったことがある。拉致されたホームレスのテントの正確な場所だ。これで回りのホームレスに訊き込みができる」
と前向きにまとめ直した。
「ちなみに、このテントまだ残ってるんだろ? そこから個人が特定できるかもしれない」
「確か本人がいなくなっても、しばらく処分されないはずです」
ユカリが答える。
「で、今の状態は見れる?」
野澤の問いに、アーニャが防犯カメラの映像を今現在のものに切り替える。
しかしテントは跡形もなく無く消えていた。




