【05】 AM9:30
「とりあえずここはケリが付いたみたいだから他の所も見ておこうか」
と野澤に促され、三人は公園北エリアを出て、遊歩道を南に向かう。
その途中、南側の崖下に向かう、緩やかに掘り下げてある遊歩道の両脇や、堀り残こされた築山風の小高い場所などにも、ブルーシートのテントが散在している。しかし、ホームレスの人たち自体は既に移動済みのようでそこに人影はない。
野澤たちはテントの様子をチェックしながら緩やかな坂を南に降ってゆく。
「一時期はなくなったみたいなんだけど、やっぱり多いね」
「二度目の東京オリンピックの頃は、またここがホームレスの人たちで溢れかえることになるとは思いませんでした」
野澤の言葉に、その頃を憶えているらしいユカリが感慨を込めて返す。
「2020年代は、温暖化の進行とオリンピック後の景気後退のダブルパンチだったからな」
開催前から危ぶまれていた、2020年の第二次東京オリンピック後の景気後退は、予想を遙かに超え、さらに2021年には顕著になった海水面の上昇により、少なくない地域が海に飲み込まれ、家と職を失った人たちが水没から守られている東京や大阪に集まった。
税収は減る一方なのに、国土を維持するための支出は激増。
危機的な国家予算の中、支給額自体が切り下げられた生活保護は、受給のための審査基準もより厳しくなり、セーフティーネットから転げ落ちたホームレスが激増、東京都だけでも三万人を超えていると言われている。
「まあ、温暖化や景気後退が無くても、それ以前から生活保護をもらう人の絶対数はどんどん増えてたんだよな。それを見て見ぬフリをして問題を先送りしてきてたツケが一気に回ってきたっていう面もある」
ヒトケの無いテントの群れを見ながら野澤が付け加える。
「どうして絶対数が増えるんですか?」
「別にナマケモノが増え出したっていうわけじゃないよ、そういう問題にしたがるヤツらはいたけど。少子高齢化が進んで、国民年金も減額に次ぐ減額が続いているけど、その年金すら受けられない人の絶対数が自動的にと言うか、当然にと言うか、増えちゃう構造になってたからね。
2020年代から団塊の世代のひとたちが本格的に『老人』になっていったんだけど、国民年金に加入していない人の比率が一定だとすると、『老人』の母数が増えれば、自ずと年金受給資格の無い人の絶対数も増えるよね。団塊の世代って一年間に生まれた人が前後の世代に比べてザックリ1・5倍はいたから。
その世代の人が『老人』になって、働けなくなって、蓄えも年金が無ければ、生活保護をもらうしか生きる道が無い。よって、必然的に生活保護を受けたい人の絶対数は増える。そんなのは前もって分かっていたのに、誰も何んの手も打たなかった。
で、生活保護を受けられなきゃ、ホームレスになるかしかない。
まあ、その団塊の世代の人たちも、もう80歳を超えているから、今現在、現役でホームレスやっている人は少なくなってきただろうけど」
「生活保護を受けられるようになったんですか?」
「もしくは死んじゃったか」
野澤が真顔で答え、つまらなそうに付け加える。
「ここはさ、都会の真ん中にある『姨捨山』みたいなもんなんだよ。
ホームレスは自ら望んでではないにしても、ここに住むことを自分で選らんだ気になってるんだろう。でも実際は、誰も面倒を見ない、引き受け手のない人たちが、『見て見ないフリ』をされてここに棄てられている。
ただしここに棄てられてるのは『姨』じゃなくて、ほぼ『爺』だけどね」
野澤の、語っている内容の重みに釣り合わない冗談に、ユカリも菜穗子も突っ込めない。
が、気にせず野澤は話を戻す。
「佐々さんから送られてきたメールだと、上野公園全域で、少なくとも500人は超えてるみたいだ。さっき見た旧奏楽堂前に約150人、この辺(南エリア)に分散して200人弱、不忍池周辺に150人強。さらに住んでいないにしても、三千人近い人が炊き出しに出入りしているらしい」
そんなにたくさんの人が住んでいるのか(野澤に言わせれば『棄てられている』ことになるんだろうけど)。
「あの、野澤さん、さっきの『公園って勝手に人が住んで良い所なのか』っていう話なんですけど」
「菜穗子はどう思う?」
質問返しをされてしまった。
「正直、それでも『勝手に住んで良い所』とは思えません。公園って誰もが安全に、安心して使える公共の場所ですよね。災害時とか緊急時以外で個人が占有して良い所ではないと考えます」
「温暖化で家を失うのはまさに災害。それにここに住んでいる人たちは、職を失った人とか働きたくても働けない人が、どうしようも無く、一時的、緊急避難的に住んでいることになっている。もちろん住んでる人は被災者だけじゃない。まあ、稀には『住んで良い所だ』『住民票を移しても良い所だ』って無茶な主張をする人たちもいるけどね」
野澤の返事は、話しながらもその主張を支持していないようなトーンだ。
「でも立派なテントですよね。一時的というより完全に定住してますよね・・・台車とかたくさんあるし・・・あそこのテント脇には自転車まで置いてあります」
「しかしここに住んでいる大多数の人は他に住める場所がないのも事実。もちろん『住めない』っていうのは本人の性格も含めた話だけど」
本人の性格が理由で住めないって、どう言う意味?
菜穗子は続けて訊こうとしたが、公園内の地図をタンマツで見ながら歩いていたユカリが、
「ここを右に曲がれば(西側に行けば)不忍池の脇に降りてゆけます。西郷さんの像の方まで降りてゆく(南下する)より近いですね」
とナビゲイトしたので質問は一旦、打ち止めになった。
ユカリがナビゲイトしたのは、建物だと三階分は軽くありそうで、かつ傾斜がかなり急な階段を降りるルートだった。高所恐怖症の菜穗子は一瞬、躊躇うが、中央にある手すりを掴みながらゆっくりと階段を降りる。野澤は気にせずとっとと先に降りてゆくが、ユカリはちょっと呆れながらも菜穗子の隣に回り、同じペースで降りてくれる。
階段を降りる前は樹木で遮られて分かりにくかったが、階段の途中から、不忍池と、池のその向こう側から急勾配で迫り上がってゆく本郷台地が一望できる。
正面には、それほど高層のビルではないが、ヘリポートらしきものが屋上に備わっている、ボリュームと威圧感のある建物がその台地の上に鎮座している。
「あれってウチの大学病院か」
菜穗子が思わず口に出した言葉にユカリが反応する。
「そういえば菜穗子って帝大出身だったわね」
「私は理学部出身ですから、あの建物に入ったことはないんですけどね」
「あら、帝大生って病気になってもあの病院に行かないの?」
「あそこは先端医療のための施設ですから。健康診断とか病気になった時とかは、学内に別にある保健センターに行くんです」
「そりゃそうね。でも入ったこともないの?」
「あの建物、最上階にあるレストランからの眺めがいいらしくて、ご飯食べに行った友達はいました。すごく値段が高い、っていうワケじゃないんですけど、それでも学食より高いですし、病院の中を突っ切って行きゃなきゃならないんで、心理的なハードルも高くて私は行かなかったですね。それに私がいた研究室って、理学部でも本郷キャンパスじゃなくて浅野キャンパスっていうところにあるんです。そんなに離れているわけじゃないんですけど、本郷キャンパスに行ったとしても学食止まりで」
「どの辺にあるの?」
「ここからは見えないですね。もう少し右手奥の方です。駅で言えば根津の方が近いです」
「じゃあこの辺の地理には詳しいの?」
「いいえ、全然。正直、上野公園に来たのって、子供の頃、動物園に来て以来です。私の通っていた研究室が入っていた建物の屋上からこっち側は眺めたことはありましたが。意外と近いのは知ってましたけど、歩けばそれなりに距離ありますし」
「あら、走りに来なかった? 走るのが趣味なのは学生の頃からだったんじゃないの?」
「私はもっぱら大学敷地の周回コースで。それでも一周3kmはありますよ」
ユカリと話をすることで気が紛れたのか、菜穗子は何とか階段を降りきり、不忍池の東側池畔手前に降り立つ。
現時点での立ち入り禁止はここまでだ。
警備している警官に軽く会釈をして、臨時の柵を越える。
「もう脱いじゃって大丈夫だろう。風が通らなくて意外に暑いよ、これ」
と先に降りていた野澤が二人にも勧めながら、養蜂家スタイルの帽子を脱ぎ、ついでに『厚生労働省』の腕章を外しながら付け加える。
「というかこの格好で歩いたら、こっち側も大丈夫かって不安を煽るだけだしな」
不忍池は南北500m、東西300mほどあるかなり広い池だ。
上野公園の南西、舌状台地が尽きた所、東側にある本郷台地との間の広い凹面に位置している。
祀られている神様の名前をとって『弁天島』と呼ばれている小さい島が池の中央にあり、その島へ向かう三つの陸橋で池は三つの部分に区分けされ、それぞれ、北東側が『鵜の池』(台上から続く上野動物園の中に取り込まれていて、カワウが繁殖しているらしい)、南東側が『蓮池』、西側が『ボート池』と呼ばれている。
三人が舌状台地から西に降りてきたルートはちょうど『鵜の池』と『蓮池』の間の陸橋に繋がっている。
左側(南側)の『蓮池』はもちろん、右側(北側)の『鵜の池』にも、人の背丈ほどある大きな蓮が、ビッシリ隙間なく生えている。
そして蓮の花が満開になっていた。
桃色の大きな花が、緑色で覆われた池の上に無数に顔を覗かせて、照りつける太陽の下で輝いている。
「今年は開花が遅れたらしく、今がちょうど見頃ですね」
ユカリがちょっと嬉しそうに野澤に話しかけ、
「まあ、仕事じゃなきゃ来なかっただろうけど、中々良いね」
野澤が応える。
それは『仕事じゃない時にまた二人で来たいな』とでも言っているようで、隣で聴いていた菜穗子はナゼかちょっと恥ずかしくなる。二人が醸し出す良い雰囲気に。
弁天島に続く陸橋は、弁天堂への参道にもなっていて、道の両側には縁日っぽい屋台が何軒も並んでいる。まだ10時過ぎなので営業はしていないが。
「普段の土曜ならもっと人が出ているんだろうな」
野澤はそう言うが、立ち入り禁止になっている台地エリアの、緊張と不安が織り混ざった雰囲気に比べれば随分と穏やかな感じだ。
しかし、弁天島を経由して(弁天堂はなぜかちょっと中華っぽい風情)、『鵜の池』と『ボート池』(ボート遊びができるよう、ここは蓮が生えていない)の間の陸橋を通り池の西側に行くと、穏やかな雰囲気は一転してしまった。
びっしりと立ち並ぶブルーシートのテント群。
不忍池に面した公園内の通路、本来なら池を見ながら散策するための通路の片側(さすがに池側でなくその反対側)に、延々とテントが並んでいる。
三~四百メートルは続いているかもしれない。
ちなみにその後ろ側には公園の植樹帯があり、そして公園の外側に『不忍通り』が通っている。車の通りが絶えない四車線の幹線道路だ。
「台地エリアにあるテントより一軒一軒(一軒、って言うのか?)が二回りくらい小さいな。寝るのとちょっと荷物を置いておくだけのスペースしかない」
「通路自体がそんなに広くないからテントも小さいんですかね」
「ホームレスを締め出そうとして、後ろの植樹帯を広げたのかな。それが裏目に出て小さいテントが立ち並ぶようになって、より過酷な、より本当の『路上』生活に近い人の数が増えているのかもしれない。裏の『不忍通り』の交通量も多くてウルサいし、台地エリアに比べると住環境(?)はヒドイな」
「佐々さん情報の『不忍池周辺に150人強』っていうよりもっと多そうですね」
野澤も立ち並ぶテントを目で数えて、
「う~ん、少なく見積もっても、その倍は住んでそうだ。水辺だから蚊が発生するリスクがあるかもしれないし、思った以上に状況は悪い」
「これだけ多いと、こちら側にも既に飛び火している可能性もあります。蚊は1kmも飛ばないですけど、人の方は当然、移動しますから」
ユカリが苦い顔で野澤に答える。
「ネット情報では不忍池エリアの西側、っていうことだったけど、もう少し詳しい場所は分からない?」
「そこまでは。正直、こんなに多いとは予想していませんでしたし」
「そこはアーニャの分析待ちだな。どうせ夕方に出直して来るわけだし」
「えぇっ?夕方にまた来るんですか?」
立ち並ぶブルーシートのテント群の、余りの光景に圧倒され言葉を失っていた菜穗子だったが、野澤の意外な発言に疑問の声が出てしまう。しまった、これで今日二回目の失礼発言。これでもこの人、私の上司だった!
しかしまたもや野澤は全然気にせず答える。
「これだけテントが並んでいるのに、ヒトケがほとんど無いでしょ。ホームレスって昼間はテントにあまり居ないみたいなんだ。朝は炊き出しに並んだり、空き缶拾いに出かける。昼の間は小綺麗にしていれば図書館とか公共の場所で涼んだりできる。夕方から夜にならないと帰ってこないようだね。まあこの暑い時間帯にここにいなきゃならないワケないし」
「じゃあ、さっき台地エリアにホームレスの人がいたのってどうしてですか?」
「あれは昨夜から台地エリアは事実上封鎖されてたから出られなかっただけみたい」
今度はユカリがタンマツを見ながら答える。
「夜は特に問題にならなかったみたいだけど、今朝、早い時間にホームレスの人と、封鎖している警察、具体的には機動隊の人が揉めだして、それで支援団体の人たちに連絡が入って、で、さっきの騒ぎに至った、という経緯のようね」
「何か支援団体から今回の件に関して声明が出てたりする?」
「早くも出てますね。『根拠もなく隔離された』『行動の自由を奪われている』『ホームレスの人たちに対する不当な差別』・・・」
ちょっとユカリがため息をつく。
「感染症法の改正に、ホームレス支援団体の一部が反発している、っていうウワサがありましたけど、ああやって実際に揉めているのを見るとあながちウソじゃなかったみたいですね」
「なんで反発してるんですか?」
ユカリに質問したつもりだったが、なぜか野澤が答える。
「ホームレスが今以上に白い目で見られるようになるからじゃない? というか、本当に感染の拡大要因になってたことが証明されたら、もう公園でブルーシートのテント張ったり、路上生活したりする、『かろうじて』の『権利らしきもの』を主張するのが難しくなっちゃうからね。もちろん『かろうじて』とか『権利らしきもの』とかとは彼らは言わないけどさ。公園に住むのは『正当な権利』っていう立場だから」
支援団体を揶揄しているような言い方だ。
野澤さんは『支援者の人たちには頭が下がる』なんて口では言っていたけど、あれはやっぱり皮肉で、支援団体の活動は間違ってると思ってるんじゃないの?
そこまで考えると、ずっと疑問に思っていたことの解答が閃めいた。
「じゃあ、お二人が懸念していた、デング病に感染した疑いのあるホームレスの人が拉致された可能性があるって、ホームレス支援団体の人が拉致したというか、デング熱の拡大要因なのを隠したかもしれない、っていうことなんですか?」
菜穗子の発言に、野澤とユカリは顔を見合わせて、そして吹き出すしぐさをする。
「考えすぎよ、菜穗子。ああやってホームレスの人にきちんと寄り添ってる、まともなホームレス支援団体は絶対にそんなことはしない。そもそもボランティアの医師が常駐している団体もあるし」
「じゃあ拉致した話を気にしたのはなぜなんですか?」
再び野澤とユカリは顔を見合わせ、今度は同時にため息をつく。ちょっとワザトラシクない? 二人とも演技入ってるよね。
「ホームレスを拉致ったとオレたちが危惧しているのはいわゆる『囲い屋』。簡単に言っちゃうとホームレスを囲い込んで、支給される生活保護費をピンハネする商売の人たち」
囲い屋? 悔しいが菜穗子は聞いたことがなかった。
「ホームレスの人たちは、『囲い屋』にとっていわばメシの種なのよ。いつでも補充がきく存在として公園に大勢たむろしている現状を変えたくない。もちろんデング熱にかかったとしても医者に診せやしないわ」
「正直言ってそのために拉致までするのか、飛躍し過ぎじゃないか、とも思う」
野澤が一旦、話を落ち着かせる。
「今回のデング熱の発生に関して言えば、単に感染者が出ただけなら、保健所なり、国立感染症研究所、そして東京都や台東区の対応で済む話だ。オレたちは、ホームレスが感染源、というかウイルスの増幅源になっているかどうかの調査がキチンと行われているかをチェックして、ホームレスが公園で屋外生活することに対して公衆衛生上の問題があることが明確になったら、それに対する施策の実現を陰ながら支援するだけでいい。
しかしホームレス拉致の話が本当で、それに『囲い屋』が絡んでいるなら、保健所や厚労省だけでは対応は難しい。オレたちが『調整』をかける必要がある。
『囲い屋』のやってることは国なり地方自治体の制度が不備な所につけ込む『サギ』のような面が強い。基本グレーゾーンで活動してるが、ブラックゾーンに踏み込む、法律や条例に違反する、なんてことも気にかけない危ないヤツらがやっている場合もある。
その一方で、ちゃんとしたホームレス支援団体まで『囲い屋』呼ばわりする差別主義者もいるから、レッテルじゃなくてちゃんと実体を見て判断するがある」
「それでヒカルさんや小仲さんに経済犯罪か組織犯罪の情報が必要、って言っていたんですね」
納得する菜穗子に、何を今更と、呆れた表情を見せつけ野澤が話を続ける。
「そんなサギまがいのことをしてるヤツらがデング病に感染した疑いのあるホームレスを故意に隠したなら何とかしなきゃならない。そしてそれはオレたちみたいに所属が曖昧でヌエのような組織にしか出来ないことだ」
野澤さん、ついに自分で言っちゃったよ。ヌエのような組織だって・・・自分もその組織の一員になっていることに菜穗子は自虐めいた感覚を味わっていたが、そんなことはお構いなしに野澤は話を続ける。
「具体的にはホームレスが本当に拉致されたかどうかを確認、本当に拉致されたなら見つけ出して保護、デング熱の検診を受けさせる、というのがオレたちが直接手を下すべきことになる」
すごく難しそうな任務だ。
この件に関して私たちに強制的な捜査権があるわけじゃないし、『温暖化対策委員会・緊急対応室』の任務の範囲だ、と胸を張って主張できる根拠はどこにもない。それどころか野澤さん、『根拠はない』って繰り返し明言してたじゃない。
しかしユカリは全く気にしていないようで(というかユカリさんがこの話を持ち込んだんだから、彼女の方が主犯?)、
「前半に関しては私たちが出しゃばる必要はないようですね。旧奏楽堂前にいたホームレスの検診結果次第ですから。デング熱の抗体を持った人が多数見つかったら、ホームレスの人たちが公園でテント立てて住む事への公衆衛生上の問題がクローズアップされて、きちんと行政・政治の問題になるでしょうし、そこから先は、梶原君(厚生労働省の彼)もヤル気あったし」
「まあ、問題は後半だ。危ないヤツらを相手にしなきゃならないからな」
野澤は、そう言って菜穗子の顔をワザとらしく覗き見る。
どうせカラカってるんでしょ、と気にしないことにしたが、それは早計だったかもしれない。
その後、三人は立ち並ぶテントと不忍通りの歩道を一周し、小数ながらテントに残っているホームレスの人に(主に野澤が)話を聞いたりしたが、有用な情報は得られなかった。
「ちょっと早いけど(午前11:00を少し回っていた)、本部に戻る前にメシでも喰うか。今日は休日出勤させたから奢るよ」
「はい、はーい。私、フレンチが食べたいです。上野と言えば晴洋軒。晴洋軒でランチが食べたいです」
さんざカラカわれた仕返しとばかり菜穗子は主張したが、
「こんな格好でフレンチに入れるか」
野澤に返される。確かに三人とも下はジーンズだし、長袖のシャツはまだ良いとしても、手に養蜂家スタイルの麦わら帽子を抱えている。
「それに晴洋軒って台地エリアにあるでしょ。今日は臨時休業よ」
ユカリにトドメを刺された。
そして「フレンチとまでは言わないが、寿司を奢るよ」と野澤に連れて行かれたのは上野アメ横近くの回転寿司だった。
「確かに安くて美味しいですけど、寿司を奢るって言われて来る店じゃ」
と非難めいたことを言いながらしっかり10皿食べた菜穗子は、ユカリに「文句を言う割に食べるのね」、と再びカラカわれたりした。
もちろん店内では事件について話したり出来ない。30分ほどで店を出る。
電車で本部に帰るのかと思ったが、野澤とユカリは竹橋の本部から公用車で来たらしい。上野公園の方に戻り、公園脇のパーキングセンターに向かう。
「緊急対応時は自衛隊とか警察とか消防に乗せて貰えるけど、頼んで迎えに来てもらうのにも時間がかかるから、緊急対応班は自前の車両も用意してあるの。そっちの方がより早く現地に着ける場合もあるから」
「早い話が自分たちで運転して出動するわけだ。普通の官庁だったら官僚が自分で緊急車両を運転するなんてあり得ないけどな」
ユカリの説明に野澤が付け加える。
止めてあったワンボックスの公用車を指さしながら。
地色の淡いブルーを黒で縁取ったその車は、ガッツリ赤色の警光灯を乗っけている。
色違いの警察車両のような車だ。
どうやらこれで養蜂家スタイルの帽子などを運んで来たらしい。
「運転してみるか? 菜穗子は運転免許持ってるもんな」
ウソでしょ。完全なペーパードライバーの私が、いきなりこんな大きな車を運転できるワケがない。しかし私が一番ペーペーだし、運転しなきゃイケナイの?
「まあ、冗談はさておき」
ユカリがタイガイなフォローをする。
「緊急時にはサイレン鳴らして走るけど、あれって普通に運転するより断然難しいから特別な訓練が必要なのよ。法律的には免許取得後二年以上経ってれば運転できるみたいなんだけど、ウチの内規じゃ、ちゃんと訓練を受けた有資格者以外は運転しないことになってるの。緊急時以外でもね」
そしてカッコ良く笑って、
「だから悟朗さんが運転します」
「あれっ、ユカリさんは資格無いんですか」
思わず質問してしまうと、ユカリは今度は苦笑いしながら、
「私は運転免許自体持ってないの」
と答える。それに乗じて、
「ユカリはこれまで男に運転させてきたから、自分で運転する必要が無かったんだよな」と野澤がセクハラめいたことを言う。が、ユカリはあっさり「そういうこと」と話を終わらせる。
でもこれってユカリさんある意味、のろけてる?
再び湧きつつある疑問は、野澤の次の発言で吹き飛んでしまった。
「菜穗子は免許取得後二年以上経ってるんだろ。そのうち訓練受けて資格取ってもらうからな。なあに、二週間くらいの泊まりがけの研修を受ければ取れるから。比較的暇な、春先に予約入れておくよ」




