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【03】 PM9:20

ミーティング終わりに、「まあ、これも非公式な協力依頼なんだけどね」と、大谷が意味ありげに笑って、病院に向かう三人のために、パトカーを回してくれるよう麹町警察署に電話を入れた。本部まで戻る時間が惜しかったし、アルコールが入っているので、戻ったとしても本部の車は運転できない。そしてタクシーを使ったら車内で密談が出来ないからだ。

 野澤・ユカリ・菜穗子は手配された覆面パトカーに乗り(もちろんサイレンは鳴らしていない)文教医科大学付属病院へ向かう。

 「大谷が気を遣って回してくれた車だから、こちらの(かた)(運転している警官を露骨に指さして)は、オレたちが何を喋ろうとも『聴かないフリ』をしてくれる。だから菜穗子も質問があったらこの場でオレに訊いてくれ」

 ユカリは『道案内もあるから』と自分から助手席に座ったにもかかわらず、「文教医科大学付属病院まで。マスコミ避けたいから病院の正面入り口じゃなくて救急車の搬送入り口につけてください。近づいたらサイレンは鳴らさず赤色灯だけ回して」と必要最小限の指示を出した後は、タンマツのリーフを広げて、信じられないスピードで、あれこれ情報をチェックしている。とても話ができる状況には無い。

 「まずデング熱に関しての情報をおさらいさせてください。他の病気とごっちゃになっている部分もあると思うので」

 「ヤブカ類が媒介するウイルス感染症。ただしデング熱ウイルスに感染しても8割は無症状。発症すると高熱が出ると同時に頭痛、筋肉痛、関節痛になる。特徴的なのは『目の奥の痛み』があること。そして半数以上の確率で発疹、つまり皮膚にブツブツが出る。

 まあここまでだったら『今回の風邪はちょっとシンドイ』といった感じなんだけど、まれに重症化して『デング出血熱』になることがある。こうなると臓器障害や消化器官からの大量出血が起きて死亡する場合がある。重症化した後の死亡率は5%とそれなりに高い。

 ただし重症化する確率は低い。デングウイルスには四つの型があって、一つの型に感染した人が、後日、別な型に感染した場合に重症化するとされている。もちろん一回目から重症化する人も稀にはいるようだが、多重感染する確率が高い流行地でも、重症化する確率は5%以下。

 つまり、日本で散発的に起こるデング熱の流行で罹患しても、本当に重症化して『デング出血熱』を発症する確率は非常に低い」

 野澤はすらすら答える、と思ったら実はタンマツを読んでいたらしい。

 「えっ?今回、二人の子供のうち一人が重症、っていう情報でしたよね」

 「重症、っていっても、デング熱の症状が強く出ているだけなんじゃないか? 予断での発言になっちゃうけど。まあ、その辺はこれから確認できるだろう」

 そこで一旦、話を止めて、野澤は菜穗子の顔を見て、

 「そんなに心配しなくて大丈夫だよ。そんなに簡単に君に伝染《うつ》ったり、重症になって生き死にの瀬戸際に陥ったりしないから」

 完全にカラカい口調だ。

 「それを心配してるわけじゃないです!」

 ちょっと強がってみる。でも罹患する確率がゼロじゃないことは憶えておこう。

 「『デング熱』って、名前は聞き慣れないし得体が知れない感じで恐ろしげだけど、空気感染するわけじゃないから。媒介する蚊がイッパイいて、網戸もない、そもそも隙間だらけの家なのに、蚊帳も吊さず半裸で寝ている国々の人には深刻な病気だけど。『警戒しなくていい』とは言わないが『ビビる』必要はない」

 情報のチェックが終わったのか、助手席からユカリも参戦する。

 「日本に住んでいるなら季節性インフルエンザの方が遙かに怖い病気よ。昔から知られている病気で、『新型インフルエンザ』以外、みんな馴れきってそんなに怖がらないけど。

 季節性インフルエンザの流行期は冬場の乾燥期。その時期に抵抗力の弱い人たち、特にお年寄りが、インフルエンザの感染が引き金になって大勢亡くなっている。でも直接の死因じゃないから『今年の冬はインフルエンザで何千人死んだ』っていう報道がされなくて恐怖心が生まれないだけで」

 「話を元に戻すとデング熱は、2014年の夏に、久々に海外渡航者以外での感染者が日本で発生して以来、だいたい2~4年間隔で発生している。これだけグローバリゼーションが進めば、海外からデング熱が持ち込まれることを阻止するっていうのは不可能だろうな。温暖化の影響もあるし」

 「しかし悟朗さんが言ったように、デング熱ウイルスに感染しても8割は無症状、熱さえ出ない。デング熱が『常在化』『風土病化』、まあ日本で『エンデミック』する状況になければ、『出血熱』として重症化する確率は低い」

 野澤とユカリの説明がステレオ状態になり、着いてゆくのが大変だ。

 「つまりオレたちがまずやるべきことは、デング熱が国内に常在化することを防ぐ手筈がキチンととられているかをチェックすること。とは言っても、患者の治療や、感染源になるヤブ蚊対策とかは厚労省だの東京都保健所とか公園管理事務所とかが責任を持って対応するだろうけどね」

 「じゃあ、なにをチェックすべきなんですか?」

 菜穗子が訊ねる。

 「ホームレス対策だな。こういった『公衆衛生』問題があるのに、この角度からのホームレス対策は誰も考えていない。気にはなってるけど、どこの役所も『ヨソが担当するんだろう』程度に思っている。だからオレたちが出しゃばらざるを得なくなる可能性が高い」

 デング熱でホームレス対策がなんで必要なのか。その質問が菜穗子の口から発せられる前にパトカーは文教医科大学付属病院の救急搬送口に着いた。

 

 

 前もってユカリが連絡していたのだろう、二十代中頃の、こざっぱりした若い男が緊急搬送口に立っていた。白の半袖ワイシャツにノーネクタイ、薄い色のスラックスという、現在の官僚っぽい無難な格好をしている。

 「梶原君、こちらが私の上司、緊急対応室第3班の班長、野澤悟朗さん、こっちがここでの私の後輩、坂本菜穗子さん。で、悟朗さん、こっちが私の厚生労働省での後輩、梶原弘さん。健康局結核感染症課所属の技官」

 「初めまして野澤さん。梶原と言います。オウワサは榊原さんからお聞きしています。それ以外のウワサもいろんな所から聞くんですが」

 「まあ、そのへんは自分の目と耳で確かめてください」

 肩の力が抜けきった調子で野澤が返す。

 「梶原君、時間も遅いんで、申し訳ないけど本題を先に。まずはその後分かったことを教えてくれない?」

 ユカリが話を進める。

 「ここでは何ですから、中に」

 梶原は、手慣れた感じで緊急搬入口から病院の中に入り、野澤以下3人の緊急対応班もそれに続く。

 

 集中治療室(ICU)の前のソファには、子供の両親なのだろう、若い男女が不安そうな顔をしてに座っている。その両親に、なんとはなく頭を下げてから、声がとどかない距離を取って話し出す。

 「容態はどうなの?」

 「容態が重かったお兄ちゃんの方も既に安定してます。集中治療室(ICU)にいるのも、病室が取れなかっただけで」

 「重症って話は?」

 「熱が相当出たので、そのダメージを回復させるのに手間取ったという感じのようです。多臓器不全とかの『出血熱』じゃなかったですね。そこはちょっと安心しました」

 「発症までの詳しい経緯は?」

 「デング熱を発症した子供二人は、台東区上野桜木一丁目に親子4人で住んでます。その二人が両親に連れられて地元の診療所に行ったのが今日の18時頃。二人とも熱を出していて、兄の方には発疹も有り、デング熱迅速検査キットですぐに感染していることが確認されました」

 「街の診療所でしょ? よく検査キットなんて用意してあったね」

 野澤が話の腰を折りかけるが、ユカリがすぐに話を元に戻す。

 「既に大きな公園のそばの診療所には保健所の指導もあって常備されるようになってます。それで、18時半には台東保健所に通報されると同時に、ここ、文教医科大学付属病院に搬送された、っていう状況ですね」

 ここでユカリは梶原に向き直って、

 「厚労省の記者会見はいつ?」

 「ついさっき、正確には21時ちょうどから感染症情報管理室長が始めてます。たぶんまだ続いてるんじゃないでしょうか。東京都側の会見は時間差を付けて21時半開始予定。こっちは朝刊にぎりぎり間に合うかどうか」

 「そんな時にここにいて良いの?」

 「まだまだ下っ端ですから、僕なんかが本省に詰めてる必要ないですよ。過去の例が多いので会見用の資料作りとか、もう課としては慣れっこですし、例年のことなのでマスコミの注目度も下がってますから。残念ながら」

 梶原が不満を吐く。

 「ところで、問題の感染場所がだいたい特定できたっていうのはナゼ?」

 「一週間前の日曜、8月4日に家族そろって上野公園に遊びに来た際、大噴水付近で子供二人が何カ所か蚊に刺された記憶があるとのことです。ちなみに母親によれば、その時以外に屋外で下の子供を遊ばせたことはないし、小学2年生の上の子は、今週は暑かったので、熱中症を気にして友達と外で遊ばせないようにしていたそうですから、まあ間違いないでしょう」

 「蚊を捕まえてみないと最終的な判断はできないけど、蓋然性は高そうね。それで公園の立ち入り禁止措置とか、蚊の調査、さらには『感染が疑われる人たち』の対応とかは?」

 「そっちは都保健所と東京都の東部公園緑地事務所の仕切りですが、初めてじゃないですから抜かりないでしょう。公園はもう立ち入り禁止措置を始めているそうですし、朝になれば蚊の捕獲調査にも入るでしょう。ヒトスジシマカは夜行性じゃないので、今晩、捕獲調査しても意味ないですからね。それより問題は、その『感染が疑われる人たち』の対応で」

 「ホームレスへの対応ね」

 野澤が話しに割って入る。

 「本当にハッキリ物を言う人なんですね、野澤さんって」

 梶原が苦笑いする。

 「僕の口からはとても言えないです。厚生労働省の省内では特に言えません。ウチの省内だけでも社会福祉系と失業対策系っていうルーツが違う二つのセクションが絡んでますし、その上、僕らが『公衆衛生上の問題だ』なんて言ったら『人権問題』だって揚げ足とるヤツらが外野だけじゃなく内輪にも大勢いますから」

 「でも健康局結核感染症課所属の梶原さんとしては、明言はできないけど問題視していると。だから暗黙裏にこちらに協力してくれると。だからユカリに連絡くれたというワケね」

 「こちらから連絡取ったんじゃなくて、ユカリさんが割り込んできたっていう感じですよ。それに感染症法の今年の春の改正では、いろいろお世話になりましたし」

 「改正のダシとして温暖化対策っていうフレーズを使ってもらった、そしてそれに知恵を貸した程度ですよ」

 ユカリが付け加えるが、梶原の方も何か付け加えたそうにしている。だが野澤はそれをあっさりスルーして、ザックリとした結論を言う。

 「まあ、そちらが問題視していても口を挟みにくいっていう事情も分かるから、オレたちがいつものように勝手に口を出している、っていう事にするよ。でも陰で協力はしてくれるんでしょ」

 梶原は再び苦笑いしながら、

 「よろしくお願いします。最終的には具体的な施策が必要になってくるのは間違いないので」

 「そこまでは面倒見切れないけど、そっちの三竦(さんすく)み状態を打破するキッカケくらいは作らなきゃね。嫌われること前提で口を出すんだから」

 梶原の苦笑いが深くなった。

 「悟朗さん、そこまで偽悪的な言い方しなくても」

 ユカリがフォローするが野澤はそれもスルーして言い放つ。

 「ではまず、明日の朝にオレたちが上野公園の中に立ち入れるようにしてください」

 

 ユカリが梶原と具体的にどうやるか打ち合わせをしている間、菜穗子は野澤に訊いてみる。

 「異動後すぐに休日出勤なんで分からないんですが、ここだといつ代休取れるんでしょうか」

 菜穗子は愚痴っぽく聴こえないように、できるだけドライな口調で言ったが、野澤は『分かってるんだ』とでも言わんばかりに、

 「今も台風シーズンだし、その後始末も含めて年内はオレたちの手が離れることは無いな。来年の1月からはちょっと休みやすくなるけど、年内は長めの休暇は諦めてね」

 つまりしばらくは代休取れないっていうことか。運動しないと体が鈍るなぁ、などと菜穗子が考えている間にユカリは打ち合わせを終えたようだ。梶原は二人に会釈をして去って行く。

 「話は付きました。梶原君は顔を出せないそうですが、私たちは明日の朝8時に上野公園内の『動物園前交番』に集合、ということで」

 「了解。明日は二人ともヨロシク」

 それから野澤は思い出したかのように、

 「明日は、白衣とか往診の道具を持って来てね」

 とユカリに頼む。

 訳が分からない話に菜穗子が思わず口ばしる。

 「コスプレさせるんですか?」と。

 それには野澤ではなくユカリの方が呆れて、

 「何言ってんの。私はそもそも医師免許有り。白衣着て聴診器ぶらさげてもコスプレじゃない。ホンモノの医者」

 そう言えば厚労省の技官出身って言ってたけど、お医者さんの資格も持っているのか。これまでユカリさんからそんな話を一度も聞いたことがなかったけど、そういう所もカッコイイ。でもこれほど医者らしくない人も珍しいな、などと菜穗子が思っているのに気付いたのか、

 「医師免許は持ってるだけ。私、臨床がすごく苦手でね。それで、厚労省の技官になったの」

 「話が脱線してる。オレは白衣を着て来て欲しいとは言っていない」

 そこで菜穗子をからかうようにニヤッと笑いかけて、

 「そういう趣味が無いわけじゃないけど。それよりは、明日からのオレたちの行動は基本、法的な根拠がない。が、医師なら言い訳が可能。まあ少しだけだけどね」

 そういう趣味はあるんかい!

 しかし、この人たちはこうやって無理を通してゆくわけだ。菜穗子は呆れると同時にちょっと感心してしまった。

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