【15】 8月16日(金) PM1:00
「晴洋軒で奢ってくれるんじゃなかったんですか」
菜穗子が野澤に不満を言うが、
「上野公園はまだまだ全域立ち入り禁止。もちろん公園内にある晴洋軒は休業中。それにここだって晴洋軒だぞ」
「系列って言うだけで、ここはちょっとだけ高級な、でも実際は病院の食堂です」
「学食より高いから来たことない、って言ってたじゃないか。それをわざわざ連れてきてやったんだから感謝しなきゃ。眺めも良いし、昼間っからお酒も飲める」
この人は本当に他人をカラカうのに労を惜しまない人だ!
中途半端に終わった菜穂子の歓迎会を再度行う話が出た時、野澤が、
「休日出勤してもらったし、アーニャも連続して幹事するの大変だろう。ここはオレが仕切ってやるし、奢ってやるぞ!」
と宣言、さらに西篤室長にかけ合ってその週の金曜の午後、研修名目で勤務時間中に開催ということを強引に決めてしまった。もちろんその週末、野澤班は休日シフトの担当はない。
「野澤君、あくまでも食事がメインですよ」
今回は参加しない西篤室長はそう釘を刺したそうだが。
で、その会場なのだが。
ユカリや本田、佐々は前もって知っていた様子だったが、菜穗子もタクシーに分乗して行き先を聞いた時点で、オチがわかってしまった。
帝大病院の最上階、晴洋軒が営業するレストランでやるのか・・・それでも文句が口からでてくるのを止められない。
「まあ、そんな膨れっ面してないで。本当に良い眺めじゃない、ここ」
ユカリにフォローなんだか、カラカいのダメ押しをされているのか分からないことを言われて矛を収めたが。
確かに眺めは素晴らしい。高さは15階だが、建物自体が本郷台地の上にあるので、谷になっている不忍池を挟んで上野公園全域が一望できる。
今日も夏の激しい日差しが木々の緑と池の緑と桃色(ボート池を除く池の大型の蓮の葉の緑と、花の桃色)を美しく照らしている。
今、そこはすべて立ち入り禁止になっているが。
正確には食堂ではなく、隣接する会議室を貸し切って(どういうツテで借りているのか今ひとつ分からなかったが)そこで研修名目の会は始まった。
「今日は菜穗子の歓迎会だけど、ここ個室だし、まだアルコールも入ってないから、ちょっと仕事の話を先に片付けようか。メシ食べながら」
という金曜の夜と似たセリフで野澤が切り出す。
「じゃあまずはユカリから。黄熱の発生状況について」
「皆さんご存じの通り、黄熱によるテロはほぼ不発に終わったと言って良いでしょう。
黄熱の発症者は5名。すべて不忍池エリアのホームレスの人でした。そのうち重症例は最初に保護した有山氏だけで、その有山氏も一命を取り留め、快方に向かっているとのことです。
ちなみに不忍池エリアのホームレスで黄熱の抗体反応が出たのは発症した人を除いて8名いました。
次ぎに黄熱ウイルスを持ったヒトスジシマカですが、発見されたのは上野公園の不忍池エリア、それも池の西側のみで発見され、都内や関東近県の公園、並びに上野公園の台地エリアでは発見されませんでした。
しかしデング熱の発生もありましたので上野公園全域の封鎖は、最低でも10月末までは続けられ、公園付近でも定期的な蚊の採集を行うとのことです。
ちなみに上野公園で保護されたホームレスの総数は564名にのぼり、現状は近辺の小中学校に避難中ですが、今後、抜本的対策に進むかどうか不明です」
「まあ、抜本対策の必要性は今回の件で誰もが認識したと思うが、具体的にどうするのか、受け入れ先をどこにするのかは、もう少し時間とチカラが必要だな。ユカリは通常業務を続けつつ、そっちの進行についてもチェックしてくれ」
野澤は割に淡泊に話をまとめ、
「じゃあ次ぎに大谷と小仲。テロリストの捜査状況について」
これには小仲が答える。
「これまた皆さんご存知の通り、テロリストは水曜の未明、一網打尽となりました。想像通り、『右派テロリスト』集団で、団体名は『美しい日本を取り戻す会』だそうです」
これには(主に女性陣から)「ダサッ!」とか「センス悪い!」とかのブーイングが飛んだ。しかし森保が、
「しかし、先週の環境テロリストと言い、今週の右派テロリストと言い、すぐに捕まえられるくらいに公安警察は尻尾つかんでるんだったら、なんで実行される前に何とかしないんでしょうか」
と、いささか空気を読まない(彼以外の発言だったらイヤミ以外の何物でもない風に取れる)発言をするが、小仲が冷静に(というか諦め口調で)説明する。
「ちょっと言い訳じみるけど、それは実質的に取り締まる方法が乏しいからなんだよ。相手が具体的な準備をしてるのが分かれば、『凶器準備集合罪』でしょっ引けるけど、危険な思想を持った集団が『具体的なテロの準備』に入ったかどうかまではよっぽど内輪に食い込んでなければ分からない。それほど強固な思想でまとまった団体は少ないから情報は集まりやすいけど、逆に小さい団体がたくさんあるし、団体間を渡り歩いたりするヤツも多い。昨日まで温和な団体だったのが参加メンバーがちょっと替わっただけで急に過激になったりする。正直、どの団体に食い込めばいいのか、狙いが絞れない」
「まさに先週捕まえた『リターン・トゥー・ザ・シー』なんて、一人だけ逃げた、爆破までの段取りを教えた『助っ人』が組織に迎え入れられるまで、寄付を受けては、そのカネで怪気炎を上げてバカ騒ぎというか子供だましの嫌がらせをするるだけの団体だったそうよ」
大谷がぶっちゃけ気味に話すが、野澤がさらにぶっちゃけてしまう。
「まあ、『破防法』なんか、1950年代の共産党の活動に絞りすぎてて、今時使えるような法律じゃないし、『団体規制法』は指定された団体やその後継団体が『もうやりません』ってな内容を公安に報告する義務があるだけで、公安が動く口実にはなるけど、テロを阻止できるようなもんじゃないし。
おっと、話がズレた。
『右派テロリスト』集団が捕まった話の続きをしてくれ」
小仲が続ける。
「自供は逮捕後すぐに始めたので、現時点で以下のことが既に分かってます。
彼らの想定では全部で3回、黄熱ウイルスを持ったヒトスジシマカをバラ撒く計画していたそうです。1回目はこちらで掴んだように8月2日金曜日の午後3:00に決行されましたが、2回目はその1週間後、8月9日金曜日に予定されていました。
1週間空いたのは、蚊の繁殖に手間取ったからなんですが、8月9日の前日、ホームレス連れ去りが発生し、ネット上でデング熱騒動がウワサされたことから、8月9日の実行は延期して、様子を見ていたそうです。
その後、デング熱の発生状況を見た結果、上野公園以外のホームレスのいる公園、具体的にはデング熱の発生していない代々木公園で、まさに今日、8月16日に黄熱ウイルスを持った蚊をバラ撒く計画だったということですから、捜査が遅れていればかなり危ない状態でした」
「2回目が延期されたのは偶然、デング熱の発生があったからだけど、3回目の代々木公園でバラ撒くのを防げたのは我々の初動が早かったから、というワケだ。
ちなみに『美しい日本を取り戻す会』ってどの程度の規模だったの?」
野澤の問いには大谷が答えた。
「実行部隊は18名と少なかったです。
しかしネット上で繋がっている資金提供者というか『後援者』や、様々な点で便宜を図る『協力者』はその10倍以上はいるようで、そこは現在も引き続き捜査しているようです。
黄熱ウイルスの持ち込みと、ウイルスを増幅させるサルの手配、媒介する蚊の繁殖、そして蚊をバラ撒くといった一連の作業のうち、ウイルスの持ち込みとサルの手配は『協力者』が行ったようですし」
「えっ?黄熱ウイルスって日本国内に持ち込めるものなんですか?」
菜穗子が思わず質問すると、それにはユカリが答える。
「それが持ち込めちゃうのよ。黄熱ウイルスは『感染症法』上では、『四種病原体』で、『所持、輸入、譲渡し及び譲受け、運搬、帳簿管理に関する規定はない』のよ」
「どういうことですか?」
意味が分からない。
「『感染症法』上でいろいろ制限される理由って、事故による疫病発生や生物兵器としての利用を防止するためなんだけど、黄熱は空気感染しない、人から直接、他の人に伝染らないから、今回みたいに生物兵器として使われるのは想定されてないの。
だから、特に理由を明確にしなくても、医療用とかの名目で、黄熱に感染した血清を国内に持ち込めし、いちいちチェックされるわけでも、記録が残るわけでもない。
でもウイルスを増幅させるサルの手配は難しいんじゃないかな。黄熱ウイルスを効率よく増殖させて蚊に媒介させるのには、アフリカミドリザルとか輸入できないサルを使う必要があるはずなんだけど、彼らはどうやったの?」
今度はユカリが大谷に質問する。
「研究用に日本で繁殖されているアフリカミドリザルを『協力者』が横流しさせたようですが、これが高くついて、結局、10匹しか用意できなかったそうです」
大谷が答え、小仲がさらに補足する。
「横流しする側の業者から、一匹当たり20万円要求されたようですよ」
「実はそこが今回のテロが不発に終わった最大の理由なのかもね」
感慨深げにユカリが話す。
「最後に。西川口の囲い屋はどうなりました?」
野澤が佐々に訊く。
「有山以外、囲ってた方も囲われていた方も、黄熱にもデング熱にも罹ったヤツはいなかった。囲われていた建物の回りの蚊もシロだった」
「囲い屋は逮捕したんでしたよね」
「ああ全員、詐欺罪で。囲い屋がピンハネする事自体はグレーだが、住んでいなかった有山の生活保護を受け取っていたから詐欺罪に問える。あと有山自身も退院したら逮捕する」
「有山さんも?」
菜穗子が何気なく訊くと佐々が不愉快そうに答える。
「有山は上野公園でホームレスをやりながら、住宅扶助を囲い屋と折半していた。酒好きで管理されたくない有山と、メンドクサイヤツを避けたい囲い屋側の妥協策としてな。普通のホームレスより妙に金回りが良かったのはそのせいだ」
「じゃあ、あの日、連れ去られたように見えたのは黄熱で動けなかっただけなんですか?」
「ああ、そもそもケースワーカーの訪問日には自分から西川口に戻る話になっていたそうだ。公園事務所の岩上から連絡があったから、囲い屋は仕方なく迎えに行ったらしい」
「岩上さんも騙されていたわけですか。何かガッカリですね」
菜穗子は深く考えず感想を言うが、佐々は不思議と真剣に返した。
「いいか、坂本。オレたちが助けなきゃいけない人間が全員イイヤツ、なんてことは期待するな。続けられなくなるぞ」
えっ?何で?
そもそも何で佐々さんが私にこんな事を言うの?
と、横から野澤が、
「そうそう、次回から佐々さんのバディに菜穗子を指名したから」
信じられない! アーニャさんに悪いし!
菜穗子が思わずアーニャの方を見てしまうと、アーニャはいわゆる『目が笑っていない』薄笑いを浮かべて菜穗子を見ていた。
第2話 完
【補足説明】
《山の日に関して》
この物語世界では「山の日」はありません。正直、物語を構想している段階では存在しなかったので、今更(2016年になって)タイムテーブルは変更できませんでした。
《デング熱および黄熱について》
■『感染するけど発症しない状況』で、そのヒトから血を吸った蚊が媒介者になるほどウイルスは増えているのか
特にデング熱。発症するのは5%とか言われてますが、じゃあ感染したけど発症していないヒトは『キャリア』になるのか。これについては、どう調べても分かりませんでした。
『キャリアになる』という前提で話を進めても良かったのですが、それでは『ホームレス感染拡大源説』を根拠なく煽る、(物語の趣旨とは違う)差別的な話になってしまうので、そういう設定は避けました。
なので、感染するけど発症しない状況では、そのヒトの中で十分ウイルスが増殖せず、蚊から見ての感染源にならない、つまり『キャリア』にはならない、という設定にしました。
すごく当たり前のことですが、この物語はフィクションで、科学論文?とか解説書ではありません。そういう設定で書きました、ということです。
■アフリカミドリザルを日本国内で入手できるのか
右派テロリストが黄熱ウイルスを増殖させるために、医療用の実験動物として日本で繁殖されたアフリカミドリザルを入手した、という話にしてありますが、本当に可能なのか、ネットで調べる程度では全くわかりませんでした。
20~30年前は、アフリカミドリザルを輸入することはよくなされていたようですが、マールブルク病やエボラ・レストンなど、サルとヒトが共通で罹患する病気を持ち込む危険性から、ペットとして輸入するなんてことは出来なくなりましたし、研究用でさえ厳しい監視下にあるようです。
輸入は無理なら、日本国内で繁殖はしてないの?という疑問が浮かびますが、これについては「分からない」です。繁殖にお金がかかり過ぎれば実験用においそれとは使えないでしょうから繁殖してないのかもしれません。また、動物実験を忌み嫌い、強く反対する人たちがいるので、情報が表に出てこないだけなのかもしれません。
いずれにせよ分かりませんでした。
新世界サル(南米産)なら輸入できる種もあるようですが、アフリカミドリザルと違って、新世界サルは黄熱に対して抵抗力が無く、バタバタ死んでしまうので、とても黄熱を媒介する蚊の繁殖に用いるなんて出来ないようです。
いずれにせよ、『日本で繁殖されたアフリカミドリザルを入手した』という設定は完全なフィクションです。
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長々と書いてきましたが、これにて第2話は完結しました。
第3話は来年前半には書き上げたいです。ではまた。