【14】 その後
会議はPM7時半に始まった。
温暖化対策委員会の『ER』(オペレーション・ルームのことを医療機関のERにカケてそう呼んでいる)に集まったのは意外に小数で、委員長(政治家の人)、統括局長(この組織での官僚トップ)、統括局次長(官僚ナンバー・ツーで実務を実質的に仕切る)の三幹部に情報室長の野村、緊急対応室長の西篤。緊急対応班からは、第3班のみ野澤以下、今回チームのユカリ、大谷、小仲、アーニャ、菜穗子(佐々はまだ川口の病院にいる)の6人、他班は班長だけが出席している。
それに加えて、他省庁や自治体との調整を担当する連絡室の室長とその部下数名。
全員で20人に満たない。
しかし会議の相手はそこにいる人たちだけではなかった。
多数の他省庁や自治体(主に東京都)の関係者がネットで繋がっていて、連絡室の実務担当者が手際よく発言者の映像を切り替えてゆく。
会議は、最初、情報室の野村が司会をして始まったが、結局、一番全体像が見えている野澤が引き取り、独演会のように話すことになった。
「具体的な対応は主にディフェンス面とオフェンス面に分けられます。
ディフェンスは簡単に言えば『防疫』ですね。
実際に動いて貰うのは、東京都保健所と感染予防衛生隊の皆さん、そしてそれを警視庁警備部の方々がバックアップする、という今までデング熱対策を行ってきた枠組みを続けていただければ良いでしょう。
ただし、ホームレスがいるすべての公園を徹底的にチェックする必要があります。従って感染予防衛生隊のマンパワーが足りなくなる可能性が出てきます。積極的に他県に協力を要請してください。それも神奈川、千葉、埼玉などは、やはりテロを受けている恐れがあり、自県内のチェックで手一杯になるでしょうから、西日本の各府県に要請してください。その辺の調整は厚労省でお願いします。
なお、黄熱は症状は重く死亡率も高い病気ですが、蚊に刺されなければ感染しない病気です。バイオテロとしては対処しやすいでしょう。自衛隊の特殊武器防護隊の出動までは不要です。
あと、厚労省を中心に至急動いて貰う必要があるのは、今回の黄熱を、ナルハヤで、政令による『指定感染症』に指定することですね。
黄熱は未だ第4類ですから、強制的に検診ができません。
黄熱は既知の感染症なので、『指定感染症』とするには無理があるんですが、海外渡航者以外から患者が出た、ということで、『新種の黄熱の可能性』とかなんとか理由をつけて。
それは同時にマスコミ対策につながります。
市民を人質に取られている事件、と解釈して報道協定を結んでください。
政府は既にテロだと断定できていますが、発表すると無差別テロに走られる恐れが強いため、犯人逮捕までテロだとは報道しないで欲しいという内容の。
誘拐事件と同じく、情報は逐一流すけど、報道しないで、っていうあのやり方です。
もちろん海外渡航歴のない黄熱の病人が出たことや、それが新種の可能性があること、『指定感染症』にすること、何カ所かの公園は立ち入り禁止になることなどは報道して欲しいですし、何より蚊に刺されないように周知徹底してもらわなければならないので、情報は積極的に出す、ただしテロであることは伏せてもらうという方向で。
馴れているので、警視庁で『情報統制』してもらうのがベストですね。
ディフェンス面は以上です。
その後の見通しですか?
『防疫』に関しては、黄熱に感染した蚊を徹底的に駆除、完全にゼロになるまで行う必要があります。表面的にはいなくなっても、黄熱は蚊の卵に垂直感染する確率が高いですから、最低でも蚊の二世代、8週間は対策が必要で、しかもそうなると10月に入り、蚊は活発に活動しなくなりますから、結局来年の春、最初の孵化時期もチェックが必要になります。
いずれにせよそこはデング熱対策と大きく変わりません。
しかし問題は『人』の方です。
もちろん黄熱に罹患している人はこれから何人か見つかるでしょう。そういう人を早めに見つけ出して、対処療法でも、ともかく治療する必要があります。
しかしより重要なのは、ホームレスが公園で暮らすことに対する抜本的な対策です。今回は、デング熱、そして黄熱の発生で、上野公園は全域立ち入り禁止になりますが、別の公園に移るだけでは、同じ事の繰り返しです。右派に何度でも狙われます。
オフェンスはテロリストの捜査です。
再び蚊を撒かれる可能性があり得ますから、一日でも早い逮捕を期待します。
報道協定だってテロリストが捕まるまで、というタテマエで結ぶことになると思いますが、守られるのは良くて今週中が限界でしょう。
まあ、いずれにせよこれは警察の仕事ですね。
今回はたまたま我々が先行しましたが、右派テロリストに関しては、本来、温暖化対策委員会の担当ではありません。
捜査を担当する部署、たぶん公安第三課なんでしょうけど、ともかく決まったら私に連絡ください。現時点で分かっている情報をすべて提供します」
野澤の独演会はあっさり終わった。主導権を惜しげも無く?手放すことで。
まあ聞き様によっては、ヨソの組織の仕事なのに、権限もなく仕事を割り振ったとも取れるが。
それともう一つ菜穗子が分かったのは、先週の事件でもそうだったが、野澤は犯人逮捕には興味がないらしいということだった。
結局その後は、関係省庁や自治体の打ち合わせになり、特に温暖化対策委員会側が口を差し挟むことがないまま会議は終わった。
情報提供をする必要がある第3班のメンバー以外は、おのおのERを出ていったが、偉い人が全員出て行ったのを見計らっていたのか、居残っていた第一班班長の高井孝直が突然、
「何が『たまたま先行』だ。そんなにオレたちを出し抜くのが好きか」
と、野澤に喰ってかかる。
「オレたちって誰のこと? 第一班のこと? それともアンタの出向元の、警察庁の公安のこと?」
しかし野澤が薄笑いを浮かべながら反論すると、高井が言葉に詰まる。さらに警察庁での後輩である大谷や小仲の冷たい目線を感じて、言葉が喉に詰まって息が出来なくなったかのように高井の顔が真っ赤になってゆく。まさに赤鬼だ!
「聞くまでもないか。警察庁の方だよね。アンタが心配しなくても大丈夫、現場の警視庁公安第三課のみなさんとはよろしくやってるから」
高井の怒りは頂点に達し、顔色は赤鬼より青鬼に近くなったが、怒りを爆発させないくらいの自制心はあるようで、黙ったままERから出て行った。
ERに居残りながらも、野澤とユカリはタンマツであちこちにまだ連絡しまくっているし、大型のタブレットを持ち込んでいたアーニャはその場で色々情報を分析しているようだ。
が、大谷と小仲の二人は少し暇そうにしているので、菜穗子は最前からの疑問をぶつけてみる(それも聞きやすそうな大谷に)。
「ずっと話題になっている『右派テロリスト』って何なんですか? 正直、聞いたことないんですが。『右翼』のテロリスト、ではないんですよね」
「それは知らなくて当然。最近、それも私たちの間で言われ出した概念だから。従来的な言い方だと『差別主義者』に近いかな。
先週、千住緑町堤防爆破事件を起こしたような環境テロリストが『左派』って言われるんだけど、その『左派』とは明らかに違う傾向のテロリストを、まあ便宜上『右派』って言うようになったの。
『左派』の思想というか嗜好は、簡単に言えば『あんたたちが恵まれているのは不平等! みんなで共に貧しくなろう』っていう発想。自分たちは見棄てられたのに、都市部に住んでいる一部の人間だけ守られて不公平、みんな、海に沈もうよ、っていう、他者への嫉妬が底にあるけど、基本的には客観的に恵まれている人たちを引き摺り落とすことで嫉妬心を満たそうっていうベクトルの人たちね。
で、『右派』の嗜好は、簡単に言えば『自分たちさえ良ければ』っていう発想ね。でもその人自身は客観的に恵まれているとか優れているのかっていうとそうでもない。正直、たいしたことがない人に限って、自分の属しているコミュニティは優れている、『自分たち』は優れている、って思いたがるじゃない? そして優れた『自分』、ここで論理がすり替わるんだけど、『自分』が不遇なのは『ズルしているヤツらがいる』所為にする。で、大抵そのズルしているヤツらって、自分たちより下だと思っている、弱者を設定して、差別的発言をして鬱憤を晴らす人たち。
まあ、不遇なのはその人個人としては優れてないからだ、っていうことに目を背けているだけなんだけど。目の敵にする、差別する相手が必ず弱者なのは、潜在意識の中での劣等感に基づくみたいね。
もとい。
正直、『左派』の人たちと置かれている状況は五十歩百歩なのよ。他者への嫉妬が底にあるのは同じなんだけど、自分たちが不遇なのは無駄にお金が使われているからで、弱者、たとえば老人とか女性とか子供とか障害者、更に言えば温暖化によって家を追われて大都市に流入して来る人たちを攻撃するベクトルに向く。
弱者がいなくなってもアンタは優遇されないよ、って言いたくなるけど」
小仲も話しに加わり、ちょっと専門家っぽい解説をする。
「犯罪心理学的に言えば、右派の連中は『情性欠如者』で『意志欠如者』たちっていう感じかな。『情性』っていうのは、人間としての思いやりとか同情心。それが欠けている。別な言葉で言えば『想像力に欠けている』っていう言い方もできるけど、やられた相手が傷ついて、どんなに痛いのかが想像できない。共感する心が欠けているから、弱者を差別したり傷つけたりする事に躊躇いが無くて、凶悪な犯罪に走りやすい。
で、『意志欠如者』っていうのはさっき大谷が話した『本当の自分はすぐれているのに、他人のせいで不都合なことが起こっている』って考えて、『その責任は自分には無』く、『自分では努力はせずに他人を非難してはカタルシスを得ている』人たちのこと。
ちなみに左派も同じようなモンだけど、リーダーの『狂信者』を『意志欠如者』が取り巻いている感じが強い。『情性欠如者』割合が右派よりやや少ない感じかな」
大谷がまた話を引き取って、
「端的に言えば、『左派』は無差別広範囲だけど、直接人が死ぬようなテロはしないし、テロの相手は『恵まれた人』。一方、『右派』は『弱者』を狙って、人が死ぬのを厭わないテロをする、っていう違いはある。
それで、『右派』は心情的にも構成員的にも従来の『右翼』とそこそこ重複する、というか、差別的な表現を好むところとか『右翼』っぽいよね、ていうことで『右派』って言われ始めて、逆に環境テロリストの方を『左派』って言うようになったわけ。最初の説明と順序が逆さまだけど」
さらに小仲が補足する。
「だから『右派』が起こすテロの捜査は、従来の『右翼』と同じく公安第三課が担当して緊急対応班の担当外、っていう棲み分けになってる。『右派』の連中は堤防を爆破したりしないからね」
「もっとも『右派』だからって、矛先は弱者だけに向いているわけじゃないわ。今回のテロで言えば、公園で楽しく遊ぶ家族とかにも向いているワケで、成功者や幸せそうな人に対する嫉妬もある。そこは『左派』と共通しているところなんだけどね」
一連の連絡を終え、達成感が漂うユカリが話に加わった。
野澤もようやくケリがついたようで、
「お待たせ。公安三課と話がついたから、これでオレたちはオヒラキとしよう。四日間、お疲れさま」