【11】 PM3:00
「アポ取って貰って悪いんだけど、大勢で押しかけるのもナンだから、南田は同席しなくて良いよ」
お昼前に本部に戻って来た南田に野澤が告げていた。
本当に南田の顔を立てただけのようだった。しかし南田は抗弁もせずに、暗い顔で、またどこかに外出していった。
ということで、東京都建設局・東部公園緑地事務所に行くのは、今回も野澤・ユカリ・菜穗子の三人となった。
「上野公園のホームレスに詳しい、あまり杓子定規じゃない人に会いたい、って向こうの建設局長には要望を出したし、南田にも良く言い聞かせたけど、実際に会ってくれる岩上さんっていう管理課の人、ちゃんと要求通りの人であって欲しいね」
JR上野駅で降り、公園口に向かって歩きながら、野澤がぶっちゃけた説明をユカリと菜穗子にする。
東京都建設局・東部公園緑地事務所はまさに上野公園の国立西洋美術館の隣、上野駅の公園口を降りてすぐの、少し歴史を感じさせる三階建ての建物に入っている。この事務所は東京23区内の全ての都立公園を仕切る立場にあるタテマエになっているが、実際に管理しているのは上野公園だけで、それ以外の公園や霊園の管理実務は外郭団体に任せている。
ちなみに未だ上野公園台地エリア内の動物園、美術館、博物館は休業中だ。
二階の狭い打ち合わせスペースに三人は案内され、待つこともなく岩上が現れた。
「東部公園緑地事務所、管理課の岩上です」
穏やかな声で三人に挨拶する。
中年、というより初老で、小柄で少しふっくらとした体型の男だ。
管理の実務を担当しているらしく、作業着を着ている。
「デング熱対策でお忙しい最中、押しかけてしまって本当に申し訳ないです」
などと野澤が空々しく?言えば、
「いえいえ、立ち入り禁止措置はもう三日目なので、落ち着いてきています」
と岩上も無難に返す。
しかし野澤は腹の探り合いに時間を費やすタイプではない。単刀直入に質問する。
「私たち温暖化対策委員・緊急対応班は、熱帯性の感染症が日本で流行しないよう、注意深く見守っています。具体的にはデング熱など蚊が媒介する感染症に関して、公園で屋外生活をしているホームレスの方々が、感染の増幅源になってしまう危険性について、非公式に調べています」
岩上は不自然なほど驚き、訊き返す。
「それで私に何をお訊きになりたいのでしょうか」
「今回のデング熱騒動の前に、熱を出したホームレスを見かけませんでしたか」
「救急車を呼ぶほどの重症でなければ、基本的には、医療系のNGOを紹介しています。
例年だと夏は、路上で過ごす人の全体数は増えるんですが、病人はあまり出ないんですよ。昼間は涼しい所で過ごしてます。匂いとかそれなりに気をつければ休める公共の場所は結構ありますから。
やっぱり公園で暮らす人にとって、危なくてシンドいのは冬場なので、冬場に施設に入っていた人が、夏場、戻ってきたりするんです」
なんか話がズレている。
野澤はさらに直接的な質問に切り替える。
「8月8日木曜日の夕方、熱を出していた『アリヤマ』という名前のホームレスが連れ去られたようなんですが」
岩上は、やっぱりその件か、と納得がいった表情を浮かべ、
「それは『有山敬三』さんのことですね」
フルネームで答える。
「ご存じなんですか」
さすがにそこまで知っているとは思っていなかったのだろう、今度は野澤が少し驚く。
「はい。先週の木曜の昼頃、熱出してフラフラしながら、旧奏楽堂前の炊き出しに並んでいる有山さんに会いましたから」
そして岩上は淡々と語り始めた。
有山さん、去年の冬、寒さにヤラレて、肺炎で死にかけたんですよ。なのに病院から出てきたら、施設に入らないで、また路上生活に戻って来ちゃったんです。
それなので『囲い屋』に紹介しました。
そうしなければあのまま死んでしまっていたでしょう。
実際に公園を管理をしている身として、朝方、ホームレスの人が死んでるのを発見するって、正直ツラいんですよ。
一人の人間として、何かできることはなかったかってどうしても思ってしまう。
この公園を実際に管理している身として、包み隠さず言ってしまえば、『囲い屋』に紹介する方が、死んでしまいそうな人を見棄てるよりましだと思っています。
『囲い屋』の人たちの方が、メシの種にするだけあって、積極的ですよ。ホームレスの人って、自分から保護を受けるための手続きをする能力が欠ける人がかなりいます。でも、公的機関は、自分たちから本当に必要な人を積極的に見つけよう、という活動はやりませんし、できません。そもそもそんな予算はどこにも無いですから。助けを求めてきたら対応する、というスタンスです。
それどころか、区役所に助けを求めても、『生活保護を受けに来ました』ってはっきり言わないと、単なる相談を受けただけで済ませようとしますからね。
で、有山さんなんですが、年も年で(75歳前後だと記憶しています)、まともに仕事は出来ないですし、彼、お酒が好きで、酔うと大声上げたりするから、まともな施設には入れないんです。本当なら『囲い屋』ですら拒まれたりするんですけど、貸しがある『囲い屋』のスカウトに無理言って引き取ってもらったんです。
それなのに、夏になったらまた出てきちゃったんですね。
さすがに私には会いたくないというか会いにくいのか、公園のこちらのエリア(台地エリアのこと)には来てなかったようですが、先週は、熱が出たのでしょうがなく旧奏楽堂前の炊き出しに来たみたいです。
まあ、この公園に舞い戻っているのは、私の方は知ってましたけど。
非公式な調査、ということで正直に言いますが、公園事務所では定住している人に関しては、名前はともかく、どんな顔の人が、どこにどういう感じのテントを立てて住んでいるのか、ほぼ把握してるんです。もちろん資料にはしませんが。
公園としてセレモニーがある時とかに平和裏に移動してもらう必要もありますから、基礎データ的な意味で把握してます。建前はともかく、公園管理者として現実的には対立ばかりしていたら仕事が回らない。それに万一、テントで亡くなられたら・・・
話がズレました。
木曜の昼に会った後、私の方から冬に有山さんを引き取ってもらった『囲い屋』のスカウトに連絡して引き取ってもらいました
今日の昼に、地元のケースワーカーの訪問が予定されていたようで、喜ばれました。逆にそういう事情がなければ、アルコールでたびたび問題を起こしていた有山さんをまた引き取ってもらう、なんてことはできなかったと思います。
話が一段落付いた後、ユカリがストレートに岩上に質問する。
「なんで熱があった有山さんを病院に行かせなかったんですか」
岩上は苦笑いして答えた。
「有山さん、医者嫌いなんですよ。肺炎で死にかけても自分からは病院に行かなかった人ですからね。あの時も私が救急車を呼んだんです。
容態がさらに悪くなれば当然、『囲い屋』が医者に見せるワケですし。彼らは『生かさず殺さず』ですからね。
今回、デング熱の感染者が出たのが分かった時、もしや有山さんも、と一瞬、思ったんですが、考えてみれば有山さん、こちらのエリアに足を運んだのは熱を出した後ですから、デング熱のワケないですね」
その後、岩上から、改めて有山のフルネームを漢字で確認し、有山さんを囲った『囲い屋』について知っていることや、囲われている宿泊施設の場所を教えてもらい、ユカリが地元のケースワーカーにその場で直接連絡した。
そのケースワーカーによれば、この日、昼間に訪問した時は、有山の熱は下がってきていた、とのことだった。
「今日お互いに話したことは、非公式という前提ですので、どちらも聞かなかったということでお願いします」
最後に野澤が確認する。岩上ももちろん異論はない。
しかしそれで良いのか?
岩上は、見棄てるよりマシとは言え、『囲い屋』と癒着している、と非難されることをやってるんじゃないか・・・しかし菜穗子は、その疑問を口には出せなかった。
岩上に時間を取った礼を言って、三人は東部公園緑地事務所を後にした。
「さて、毒喰らわば皿まで、って言うけど」
上野公園は立ち入り禁止が続いているので、上野駅の公園口もヒトケが少ない。
その改札手前で、野澤が急に振り返り、後の二人に話しかけた。
岩上の話で今回の件は(ほぼ)決着した(緊急対応班の手は離れた)と思っていた菜穗子は、その言葉の意味が掴めない。が、ユカリを見ると「それでこそ悟朗さん」みたいな顔をしている。
「ここまで調べたんだから直接、有山に会って、デング熱かどうかユカリに診察してもらうまではやっちゃおう」
そしてタンマツで連絡を始めた。相手はどうやら佐々のようだ。
「警視庁管内じゃないんですけど、同行してくれませんか? 場所は西川口で、万一、荒事になったらオレじゃ対応できないんで」
またトンデモナイことを言い始める。そこまでする必要あるの?
しかしスピーカーに切り替えたタンマツから聴こえる佐々の声は全く当然のことを話しているかのようだった。
「川口署から応援呼ぶか?」
そんな事態?
「いえいえ、オオゴトにはしたくないんで。それに佐々さんが同行してくれれば、たいていのことは問題ないでしょ?」