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【01】 8月9日(金) PM6:50

 「あれっ?悟朗ちゃんいないの?」

 一人、デスクに残っている榊原ユカリに、背が低く小太りでヒゲツラの中年男が、やたら馴れ馴れしく話しかけてきた。顔に似合わないバリトンの美声で。

 「っていうかユカリちゃん以外、誰もいないね」

 「歓迎会があるので第3班は皆、出払ってます。私もこれ片付けたら出ちゃいますが」

 「オレ、呼ばれてないんだけど」

 「そりゃそうですよ。藤邑(ふじむら)さん、もう緊急対応室の人じゃないんですから。西さんは呼んでると思いますけど」

 「冷たいな~。オレだって『前』緊急対応室長なんだから、呼んでくれたってイイじゃない。統括局ってスタッフ少ないから飲みの機会が減っちゃってさ」

 「何言ってるんですか。藤邑さんは、何かあったら『首席報道官』の仕事があるんでしょ。『記者会見は藤邑君に任せる』って委員長から言われたっていう自慢、この前してたじゃないですか。昔みたいに飲み歩くなんて不可能でしょ」

 ユカリは、明らかに年上の藤邑を適当にあしらいながら、PCのモニタから目も上げずにツッコむ。

 「そんな冷たくしてイイの?せっかくイイ知らせを持ってきたんだけど」

 ユカリは、『ハイハイ、相手しますよ』みたいな感じで、ようやく仕事の手を止め、藤邑に正対して訊ねる。

 「良い知らせって?」

 「別に秘密にすることないからユカリちゃんから悟朗ちゃんに伝えて貰おうか。北千住の事件でアピールできたから、仮設堤防、とりあえず一度に3箇所分設置できるようになった。設置するマシンが2台追加で、予備も含めて仮設堤防はその三倍の9セット分をなんとか今年度の予算から捻出させた。来年度には全国展開できるんじゃないかな」

 「それは朗報ですね。悟朗さんに伝えときます」

 ユカリが(ちょっとわざとらしいほどの)笑顔を藤邑に向ける。それで調子乗ったのか、藤邑がまた話し出す。

 「ところで歓迎会って、誰の?」

 「今週出向してきた坂本菜穗子さんの歓迎会です。配属されていきなり千住の事件でしたから歓迎会まだだったんですよ」

 「ああ、辞めた津川君の代わりに環境省から来た。で、どんな感じの子?」

 「元気だけは良いみたいですね。デスクでいつも奇声を上げてます」

 「奇声?」

 「奇声か悲鳴かどちらとも取れますけど。ともかく一日中、元気イッパイに騒いでます」

 そう、菜穗子はこの一週間の間、ほぼ毎日、奇声を上げていた。最初のうちは悲鳴というか非難めいた声だったが、あまりのことに週の後半はボヤいている感じになってはいたが。『前任者が辞める前に作ってたはず』の引き継ぎ資料がほとんど存在しなかったからだ。

 

 

 千住緑町堤防爆破事件の翌日、気持ちの整理が全く付いていないまま出勤した菜穗子は、ユカリから『緊急対応班』の『通常業務』のレクチャーを受けた。

 班長の野澤悟朗以下、ほとんどのメンバーは千住の事件の後始末で出払っていて(南田ですら本堤防の修復の交渉で出払っていた)、席にいるのはユカリとアーニャくらいだったというのもある。

 「『温暖化対策委員会』って、政府系の委員会で良くある、学者さんとか有識者による『アドバイス』機関として最初は発足したんだけど、2024年の『伊勢湾大海嘯』で十万単位の被災者が出た時、気象庁とか地方行政とか警察、消防、あと自衛隊とかの実務レベルでの連携が上手くいかなくて、被災者が増えた反省から、研究機関の他に実働部隊が常設されワケ。研究機関の方が『対策研究室』とそれに属する『対策研究班』。まあここでは『対策研』って呼ばれてる。で、実働部隊の方が『緊急対応室』で、それに属するのが私たち『緊急対応班』」

 北の丸の温暖化対策委員会本部の打ち合わせスペースでユカリがレクチャーする。

 「緊急対応班の業務範囲は、温暖化によって頻発する災害、たとえば海水面の上昇で起きる水没対策や、大型台風時の高潮対策なんかの自然災害面だけじゃなくて、昨日みたいな人為的な環境テロ対策も含まれる。まあ環境テロ対策は最初はウチの担当じゃなかったんだけど、これも環境テロで被災者が出てからウチの担当になった」

 ここで、ユカリはホワイトボードに『温暖化』と書いてから、『自然災害』と『人為的災害』に矢印を結び、話を進める。

 「基本は温暖化による自然、もしくは人為的な災害時に、緊急措置として縦割り行政の枠を超えて住人を守る、というのが『緊急対応室』の役目。基本は災害防止、これは環境テロ時の捜査支援も含むんだけど。そして住民の避難支援。この二つがメインの仕事ね」

 ここまで一気に喋ってから、ユカリは菜穗子の顔を覗き込んで、

 「縦割り行政の枠を超えて、っていうのが、各行政機関から嫌われる原因。まあ、法的根拠が希薄なのに、ヨソの組織から命令系統無視で頭越しに指図されたり、なんだか分からないヤツに頭ごなしに命令されたりしたら、普通はムカツクわけよ、お役人としては。いくら緊急時だとは言えね。まあ、それはそれとして」

 それはそれとしてって。そこが一番訊きたいところなのに。菜穗子はちょっと不満げな顔をしたが、ユカリはスルーして続ける。

 「もちろん昨日みたいに本当の緊急事態がしょっちゅう起きてるわけじゃないから、緊急対応班の通常業務は、既存の省庁や地方自治体、それとウチの温暖化対策研究室なんかと連携して、災害対策支援をしたり、事が起こった場合の避難態勢作りの支援や、公安と協力して環境テロ組織の実態を把握しておくとかの、『事前準備』というか『事前態勢作り』になるわけ」

 「温暖化対策委員会、と言ってもこれ以上温暖化が進まない施策、たとえば温暖化ガス排出の取り締まりとかはやらないっていうことですよね」

 「それは菜穗子の出身の、環境省の担当だよね。あくまで私たちの仕事は温暖化によって引き起こされる天災・人災の対策をする組織だから。まあ、よく間違われるけど」

 「あと、温暖化対策って言って頭に浮かぶところで言うと、熱帯性の伝染病対策、とかはどうなんでしょうか?」

 菜穗子の質問に、なぜかユカリが珍しく一瞬苦い顔になる。が、すぐに気を取り直したようで、

 「対策研では研究してるけど、緊急対応班の仕事かどうかは微妙。というか今のところは守備範囲外かな。基本的には厚労省マター。具体的には国立感染症研究所とか各地方自治体の保健所で対応、っていう事になってるけど、爆発的に流行したりしたらウチの支援が必要かもね」

 ここでユカリは唇の端だけでカッコよく笑って、

 「で、菜穗子の通常業務は、台風の高潮による災害の予測と対策ね。研究室と常にリンクしながら、高潮とかでヤバい地域の災害を具体的にシミュレートして、その対策を関係機関とあらかじめ練っておくことが中心」

 「と、言われてもどこから手を付けて良いか見当が付かないのですが」

 「もちろん一から全部やるわけじゃなくて、辞めた津川君が引き継ぎの資料を作っているから、まずはそれをチェックしてみて。それと、同じ内容の仕事を他の班で担当している人もいるから、その人たちに聴いて。第二班の泰田さん、第四班の盛崎さんが担当だから、後で紹介してあげるわ」

 

 

 ということで菜穗子は前任者、津川の作ったという引き継ぎ資料を見始めたのだが。

 「それがワード数はスゴク多いのに、読んでも読んでも内容が頭に入って来ないんです。現状の説明すらマトモに書いてないし、曖昧に課題が羅列してあるだけで、『どうしたら良い』とか『こうすべき』とかの結論が全く無いし」

 金曜日の昼休み、いっしょにお弁当を食べるようになったアーニャに愚痴ってしまう。

 ちなみに北の丸の温暖化対策委員会本部には、職員用の食堂も無く、近くにコンビニも飲食店も無い。「隣の官舎に住んでいる私たちは自室に戻って食べたりしてるけど、通勤してる人はお弁当を持ってくるか、昼時に来る屋台のお弁当屋さんで買ったりするしかないわね」と火曜日、ユカリが説明してくれたが、そのユカリ自身は「午後から足立区役所で、昨日の事件の避難状況検証があるから」とレクチャー後に外出してしまい、菜穗子は途方に暮れてしまった。

 「実質初日なのに一人ご飯か・・・」屋台のお弁当屋さんでお弁当を買って来て、席で淋しく?食べようと思った時に、アーニャが「私もお弁当だから一緒に食べない?」と誘ってくれ、それから彼女と一緒に食べることになった。「私はほとんど一日中、席でネットを監視する役目だから、お弁当なのよね。一緒に食べてくれる人が来てくれて良かった」と笑顔で答えるアーニャのお弁当は、女性らしい彩りの手作りのお弁当。買って来た自分の(デミグラスソースとか唐揚げで)茶色っぽいお弁当と見比べて、グラビアアイドル並みの容姿だけにじゃなく、お弁当一つとっても、なんとなく女性として敗北感を感じてしまい、それから菜穗子もお弁当を持ってくるようになった(ただし菜穗子のは祖母製だったが)。

 ということで一緒にお弁当を食べるようになって、アーニャとは愚痴を言えるくらい仲が良くなってきたというワケだ。

 「ようやく読み解いたと思ったら、全く結論がないなんてフザケんな!って感じで。何の参考にもならなかったです」

 「それで、結論がないことが分かったたびに奇声を上げてたのね・・・」

 「ウルサくしてスイマセン」

 「まあ、辞めちゃった津川さんのことだから、仕事中も自分の留学準備ばっかりしてたんじゃない」

 と、突然、ユカリが、

 「結論がないっていうのはそれだけの理由じゃないでしょうね」

 『話は外で聴いた』と言わんばかりに話に加わって来た。

 「ユカリさん、今日は戻るの早かったですね」

 「ちょっと気になることがあって帰ってきた」

 「気になることって?」

 「まあ、二つあって、一つは菜穗子、あなたのことね。津川君の作った引き継ぎ資料、チェックし終わって途方に暮れた頃だと思ったから。ぼちぼち第二班の泰田さんと、第四班の盛崎さんを紹介する段階かと思って」

 「えぇー。私が途方に暮れるの分かってたんですか」

 「とは言っても状況が分かってないと、他班の人に質問すら出来ないでしょ?」

 「その状況説明すらマトモに書いてあるとは思えないんですが」

 「えっ、津川のヤツ、それすらやってなかったのか」

 ユカリは呆れ顔になる。

 「現状をきっちり分析したら、やばい状況が放置されていることに対する責任を追求することになる。嫌われたくない、無難にやり過ごしたい、って思っていたら現状分析すら曖昧になる。でも津川君、辞めちゃうんだから、その辺は割り切ってキッチリ現状と問題点くらいは分かるように残していったと思ったんだけどね。性格的に無理だったのかな。ちゃんとチェックできて無くてゴメンね」

 ユカリが頭を下げる。

 「とんでもないです、私の理解力が足りないんです」

 「そんなこと無いでしょ。そこそこ社会人経験もあるのに、自分が辞めるときに十分な引き継ぎの資料も作らなかった津川が『人としてダメ』だったということだし、それを見逃した悟朗さんや私が甘かったと言うこと」

 ユカリは謝罪の応酬はこれで終わり、というゼスチャーをして、

 「それじゃ午後イチで泰田さんと、盛崎さんを紹介しましょう」

 もっとも紹介はされたが、二人とも忙しくて、改めて時間を取って貰う約束だけしか出来なかったが。

 そして、ユカリの『気になる、もう一つの方』については、質問することすら忘れてしまった。

 

 

 歓迎会は19時スタート、場所は九段坂上のインド料理店の個室。

 「またここ?」

 「インド料理、中華料理、イタメシのローテーションだね」

 誰ともなしに出てきた非難めいた言葉に、幹事を務めるアーニャが反論する。

 「しょうがないじゃないですか。緊急対応班は海抜以下じゃ呑まないっていう不文律があるんですから。銀座とかには繰り出せないし。近いところで言っても竹橋も九段下も海抜下なんですから。九段坂上にあるお店で回すしかないんです」

 「せめて神楽坂とか」

 と凸凹コンビの凹の方の小仲が言いかけたが、アーニャのキツイ視線に黙らされた。アーニャは、普段はフレンドリーで愛嬌イッパイの雰囲気を出しているが、怒ると男を一発で黙らせるくらいの圧迫感が出せる。美人って何をやっても得だよな~などと、どうでもいいことを菜穗子が思っていると、

 「でも、ここの料理美味しいからいいじゃん。インド大使館近いから本格的だし」

 野澤がラしくない?フォローをする。が、それもアーニャにツッコまれてしまう。

 「それは悟朗さんが辛いものが好きなだけです。イタメシの時は同じような文句言ってました」

 「あっ、そう? だったら歓送迎会はずっとここでやることにしたら?」

 アーニャのツッコミも野澤には通じないらしい。

 しかしそれには凸凹コンビの凸の方の大谷が冷静に返す。

 「野澤さん、それじゃ偏りすぎです」

 「まあ、それよりまず座りましょう」

 室長の西篤が呆れ気味に一同を促す。

 個室内に四人掛けのテーブルが三席並べられ、奥の席に自衛隊から出向している本田と班長の野澤、その向かいに警察庁の凸凹コンビの大谷と小仲、真ん中の席に主役の菜穗子と主賓?の西篤室長、その向かいに一つ席を空けて他称天才の森保(空けてある席はユカリの席のようだ)、手前の席、その一番手前の幹事席にアーニャ、その向かいには警視庁の佐々(オフでもやっぱりドーベルマン刑事っぽい、ブーツに皮のパンツをはいている。さすがに上は皮ジャンを脱いで無地のTシャツ一枚だが)。佐々は、奥の席に座ろうとしたが、アーニャに『席を決めるのは幹事の権限です。ここに座ってください』と言われて、アーニャの前に座らせられた。そして懇親会めいた場に出たくないオーラ全開の南田がその隣に座る。

 と、ちょっと遅れてユカリが入ってきた。

 「ごめんなさいね。ちょっと調べ物をしてたら遅れちゃった」

 ユカリはスッと空いている菜穗子の正面の席に座る。もう一つ、アーニャの隣、南田の正面の席が空いていたが、そこには見向きもしなかった。

 「それにちょっと良いニュースがあったから」

 と、野澤に目線を送る。

 「何?仕事の話?」

 「出がけに、藤邑さんに聞いたんだけど」

 「ああ、あの話、決まったんだ」

 と、藤邑という固有名詞が出ただけで野澤には話の内容が分かったようだ。そして改まった声で、

 「今日は菜穗子の歓迎会だけど、ここ個室だし、まだアルコールも入ってないから、ちょっと仕事の話を先に片付けちゃおう。この一週間、千住西地区の事件のフォローでまともにミーティングできてなかったから。西さん、申し訳ないですがちょっとだけお付き合いください」

 西は笑顔で先を促す。

 「じゃ、ユカリ、藤邑さんからの良いニュースの内容を」

 「仮設堤防、一度に3箇所に設置可能なよう、今年度の予算から捻出できたそうです」

 今夜はさすがに白衣は着ていない森保が小さな声で「よしっ!」と呟く。

 「どうせ藤邑さんのことだから自分の手柄みたいな感じで言ったんだろうな。西さん、今回もいろいろありがとうございました」

 野澤が室長の西に感謝する。

 「まあ、野澤君がいろいろ陰で根回ししてたから。しかし良かった。意外に早く決まったようですね」

 「北千住の事件でのアピールが上手くいったようです」

 野澤はここでいったん言葉を切ってから続ける。

 「仮設堤防の追加に関しては来週、本田さんと森保が対応してください。ということでまずは千住緑町堤防爆破事件のフォローに関して報告を」

 やっぱり外出時も制服姿(夏服だが)の本田が話し始める。

 「仮設堤防の強化は火曜日中に完了。設置のため壊した家屋に関しては、結局全面的に解体することになり、替えの効かない物品、具体的には思い出の品々とかご位牌とかの取り出しをウチ(自衛隊施設部隊のこと)が昨日、木曜日までにご家族の意向を汲んで終わらせ、後の解体は民間の業者に引き継いだ」

 「特にあのご家族からクレームとか入らなかったようですが」

 大谷が質問する。

 「その辺はあのご家族の犠牲で街が守られた、的なアピールを足立区側からしてもらうように、野澤君が上手く根回ししてくれたからね。区長からの感謝状とかいろいろ。しかしそれが新たな問題も生んだようだ」

 えっ、と珍しく野澤が驚いた顔をして本田を見る。

 「ちょっと街の英雄みたいな感じで、簡単に足立区から引っ越せない雰囲気になったみたいだね。結局、足立区の紹介で、とりあえずは千住西地区の空き家に引っ越すそうだ。空き家問題も深刻だからね」

 野澤が一瞬、苦い表情をする。やはり千住西地区を出て欲しかったようだ。が、すぐに気を取り直して、

 「じゃあ、南田、本堤防の改修工事の方は」

 「東京都建設局は、来週頭から爆破された箇所の改修工事に入るそうです。仮設堤防を維持しながらの工事になるので、具体的な工法についてアドバイスして欲しいと連絡があり、森保を紹介しておきました」。

 森保が頷く。

 「それについては既に都と打ち合わせを始めてます」

 「千住東地区の隅田川沿い堤防全体の本格的な強化・改修は、家の立ち退き交渉とかもありますからまだ時間がかかるそうです」

 南田が淡々と続けたのに対し、森保が半ば愚痴りがちに、

 「僕たちの仕事は『緊急対応』だから、確かにどうしようもないことではあるんですが、堤防自体の強化が終わらない限り、今回みたいな事件は何度でも簡単に起こせますよね。東京都全体で強化しなければいけない堤防の総延長が200kmを超えてるのは知っていますが、もうちょっと速いペースで出来ないんですかね」

 その話題を野澤が引き取る。

 「まあ、オレたちの役割はその場しのぎの応急措置、っていう建前だから、そこから先は大っぴらには動けない。まあ、大っぴらじゃ無く動くのはかまわないから、東京都にアノ手コノ手でプレッシャーをかける必要はあるな」

 そしていい手を思いついた、とでも言いたげに、

 「そうだ、森保。今度オレも行くから『西遷』計画を都の連中にブツケてみようか。非公式にだけど」

 『西遷』計画って何? 初めて聴くワードだ。

 「野澤君、『西遷』計画自体が非公式なものですよ」

 野澤のやることに寛容だと思っていた室長の西篤が、さすがに苦々しげになっている。

 「隅田川沿い堤防の本格的な強化促進については、温暖化対策委員会として正式に話をします。水面下であまり動きすぎないでくださいね」

 「何回、正式に話をしても動きっこないね。どこも慢性的に予算が無いんだから」

 南田がボソっと呟く。が、野澤はそれを完全にスルーして、

 「次ぎに犯行グループの捜査状況を報告。まあ、捕まったのはニュースで皆も知っていると思うけど」

 と話を振る。大谷が小仲に『アンタ喋りなさいよ』と視線で促す。もちろん口の重い佐々が報告するなどあり得ない。

 促された小仲が簡潔に報告する。

 「知っての通り、実行犯グループは水曜日の朝に一斉に逮捕されました。公安で動向をマークしていた連中でしたから、逮捕は比較的簡単でした。爆破現場の方の出入りはは防犯カメラにしっかり写ってましたので証拠も充分でしょう。現在は資金ルートも含め、組織の全容を捜査中です。いずれにせよ昨日時点で、オレと大谷、佐々さんからは手が離れました。後は警視庁とか公安、ウチの情報室マターですね。ただし」

 小仲がいったん言葉を切って、それから続ける。

 「ただし良くない話もあります」

 今度は大谷に話すように促す。一瞬、ムッとした大谷だが、諦めて話を先に進める。

 「確かに実行犯は一網打尽だったんですが、爆破までの段取りを教えた『助っ人』というか『ブレーン』というか、そういう立場の環境テロリストの行方が分かっていません。『リターン・トゥー・ザ・シー』の構成員ではないようで、そっちの捜査は難航しているようです」

 「そういう『協力者』がいた、っていう話はオープンになっていないので、ここだけの話と言うことでお願いします」

 小仲が補足する。

 「『リターン・トゥー・ザ・シー』の方は組織として解体できそうなんですか?」

 森保の質問に大谷が答える。

 「そんなに大きくない組織だから解体できると思う。でも行方が掴めていない『協力者』の話で分かるように、別な組織が台頭するだけかな。なにせシンパが多いから。シンパから人もカネも流れてくる。それを断つ方法が問題なのよね」

 しかし、野澤はその事にあまり関心が無いようで、遅れて席についてからも、ちょっと上の空のユカリにユカリに質問する。

 「ユカリ、あの日の千住西地区住民の避難と帰宅に関しては?」

 「喜野さんの仕切りですからね、ほぼパーフェクトでした。あの暑さの中ですから、避難途中で体調が悪くなった人が少し出ましたが、後遺症の残るような事態にはなりませんでしたし。4万人を2、3時間で避難させて、帰宅はあえて5時間くらいかけたようですが特に混乱もなく完了しました。正直、スゴイですね」

 ここでユカリはいったん言葉を切って、西篤を見てから続ける。

 「このところ第5班が連続して住民避難の担当をやってますから、逆に他の班、たとえば私たちが担当して、あそこまでできるかどうかちょっと不安になりました」

 「今回は足立区側から、『是非とも喜野さんに』という指名でしたから仕方が無かったのですが、次は野澤君の班にやってもらいたいですね」

 西が『当然』のように答えると、『次は避難支援か~』と主に警察庁コンビから不満の声が上がり、『避難支援の方がオレたちの仕事のメインなの』と野澤に窘められる。

 「でも、何で足立区は喜野さんご指名だったんですか?」

 ユカリが訊ねる。

 「『千住関屋町ポンプ所爆破事件』の時に、住民避難の采配を振るったのが喜野さんだったそうで、足立区に絶大な信頼があるようですね」

 それを聞いてユカリだけでなく、野澤も納得したようだ。

 「じゃあ、千住の事件に関しては以上だな。佐々さんと、大谷、小仲は手が離れ、森保が引き続き東京都にアドバイスしつつ、本田さんと追加の仮設堤防の件で動く」

 追加の報告がないことを確認してから野澤が、

 「じゃあ、改めて坂本菜穗子さんの歓迎会を行いますか」

 と言って、ようやく会が始まった。

 

 室長の西篤が手短に乾杯時の挨拶を終えて、そこから会は始まっが、とは言っても他の人の挨拶とか自己紹介とかは特にない。幹事のアーニャから『菜穗子には最後の方で自己紹介がてらのスピーチをお願いするけど、特にセレモニーらしきものは無いから』と聞いていたが、つまりは菜穗子をダシにした単なる飲み会のようでもある。皆、アルコールには強いようで、次々とビールのお替わりを頼んでいる。まあ『本格的なインド料理』が非常に辛かったからかもしれないが。

 奥のテーブルでは野澤が次々とビールを飲み干しては、本田と仮設堤防の設置訓練の方法を、三箇所展開する際にどうするかについて話をしていて、警察庁コンビが興味深そうに聴き、手前のテーブルでは、アーニャが『憧れ』剥き出しの表情で佐々に話しかけ、佐々は一言二言それに答え、南田が全く興味なさそうに黙々と料理を食べている。

 そして真ん中のテーブルは話が盛り上がっていない。率先して話をリードしそうなユカリはちょっと上の空で、タンマツで何か情報をチェックしているし、森保はアルコールを飲まないらしく、ラッシーとかを飲んでいる。

 菜穗子はアルコールには強くないが、辛いものには強いので一杯目のビールを少しずつ飲んでいたが、本来、お酒の場では楽しくしたい口なので、ユカリのタンマツチェックが一段落した段階で、

 「そういえばユカリさん、ちょっと遅れてきたじゃないですか。お昼に会ったときも『気になることがある』って言ってたし、今もなんか仕事を抱えてるんですか?」

 と訊ねる。本気の質問、というより話題を振る感じだったが、ユカリは、

 「あっ、ゴメンね」

 と菜穗子に謝り、『こういう場でタンマツとか操作してて、失礼しました』と西篤にも謝る。

 「西さんのいらっしゃる前で堂々と話すのは気が引けるんですが、朝から気になる情報が飛び交っていまして」

 「私の前で話しにくいっていうことは榊原さんの本当の専門分野で何か問題が起こりましたか」

 ユカリさんの専門分野? ユカリさんは確か厚労省出身だから、避難支援時の医療機関や要介護施設関連の話?

 「まだ起こっているかどうかも怪しいんですが」

 ユカリはまだ躊躇らっているようだ。

 「まあ、ウチ(緊急対応室)の仕事範囲じゃないようでしたら、聞かなかったことにします」

 西が寛容なんだか無責任なんだか分からない促し方をする。と突然、それまで隣のテーブルで全然違う話をしていた野澤が、

 「菜穗子が不思議そうな顔をしているし、この際だがら話しちゃったら」

 と急に話に加わって、ユカリに更に促すと同時に、菜穗子に、

 「ユカリの表向きの専門というか実務ベースでやってもらってることって、確かに避難支援時の要介護施設関連の対策なんだけど、ユカリが温暖化対策委員会に異動を希望してきた理由って、熱帯性伝染病の対策研究なんだよね」

 ユカリが『悟朗さん、その話はやめて!』という顔をするが、菜穗子はそれに気づかず、火に油を注いてしまう。

 「あれっ?ユカリさん、私に熱帯性伝染病の対策は『緊急対応班の守備範囲外』って言ってましたよね」

 ユカリが斜め向かいに座る野澤をちょっと睨んで、しかしそれに対してニヤつく姿を見て観念したのか、

 「ハイハイ、私が温暖化対策委員会に異動希望を出したのは、本来の専門分野、熱帯性伝染病対策の研究がしたかったからです。私は技官出身だし、当然、対策研に配属されるもんだと思っていたんだけど、ナゼか緊急対応班に配属されちゃって」

 そこでユカリはもう一度、野澤を睨むが、輪をかけて笑顔になった野澤に呆れたのか、ようやっと本来の、唇の端だけで格好良く笑って、

 「ということで私も菜穗子と同じ立場だったわけ。自分の意思に沿わない対応班配属組の仲間ね」

 え~と、私は異動希望までは出してないんですけど。と思いつつ、まあ、ユカリさんと同じ組だったらいいか、と菜穗子はちょっとだけ嬉しくなった。

 「ということで、この班での実務はキッチリやりつつ、それとは別に、今でも国内に発生する熱帯性伝染病に関してはチェックしているわけ」

 「で、『気になること』って具体的には何?」

 野澤の更なる追求に、ユカリが開き直ったように、

 「東京でデング熱の感染者が出た、というウワサがネット上で飛び交ってるんです」

 「えっ?それなら何年かに一回は起きてるよね」

 「本当に感染者が出たなら、ウワサが飛び交う前に、公的機関からすぐに発表されて、『ウワサ』としては伝わらないじゃないですか。そこが変なんですよ。上野あたりで『デング熱の感染者が出てる』『発覚しないように感染者が連れ去られたらしい』とか昨日の夜から書き込まれていて」

 「ウソ臭くないか。医療機関で検査しない限りデング熱かどうかなんて判明しないし、判明した段階で公的機関から発表があるだろう」

 「今年の頭に、感染症法が改正された時に、デング熱は二類に格上げになって、疑いがあるときには強制的に検診できるようになってますしね。まあ、本当にウソ臭い話ではあるんですけど、昨夜から何回も書き込まれているようなのでちょっと気になるんです」

 「陰謀論とか都市伝説じゃないですか? 公的機関が発生を隠している、なんてウササはネット上で良くあることだし」

 アーニャも会話に加わる。

 「だから現状は『気になる』情報としてチェックしているだけなんだけど」

 と、突然、南田が、

 「だとしてもウチの仕事じゃ無いだろ、榊原の古巣の仕事だ。それで遅れて来たり、会の途中でもタンマツいじってたり、何のかんの言って昔の仕事に未練があるって事かよ」

 とユカリにイヤミを言う。

 が、野澤以外の、そこにいるメンバー全員から冷たい視線を集めて黙り込む。それも室長の西篤も含めてだ(しかし野澤はこういう時でもニヤニヤしていた)。

 そして西がちょっと厳しめの口調で、南田ではなく、菜穗子に向かって話し出す。

 「この緊急対応室の扱う仕事の範囲について、坂本さんがどういう風に聞いているかは知りませんが、温暖化によって起こる天災・人災に対して、省庁や地方自治体の枠組みを超えて緊急に対応する必要があるものすべてだと考えてください」

 そして今度は南田に向かって、諭すように話しかける。

 「そもそも省庁・自治体縦割りで上手く対応できていたなら私たちの組織は生まれていません。君が他の組織、特に出身の国土交通省との軋轢を避けたい、クチバシを挟んで憎まれ役を買って出たくない、と思うのはよく分かります。しかしそれで被災者が増えたら私たちが存在する意味が無いのです」

 そして全員に、少し改まった感じで言う。

 「ただし、無原則に私たちの仕事範囲が広がることも好ましくありません。私たちのリソース、人的・予算的な資源は有限です。優先順位はありますし、通常の枠組みで上手く回っているものに横から口を出すのは控える必要がある。しかし上手く回っているかどうかのチェックは必要で、それも私たちの仕事だと考えてください」

 それから西はユカリに笑いかけて、

 「榊原さんは良く分かっていると思いますから老婆心のようなものですが」

 ユカリも唇の端で格好良く笑って軽く頭を下げる。

 「少し真面目な話をしてしまって場の雰囲気を悪くして申し訳なかったですね。今日は坂本さんの歓迎会なのですから楽しく飲みましょう」

 西が話題を転換する。

 その言葉を聴きながら、場の雰囲気を壊したのは南田さんだよね、室長である西さんにフォローされるって、南田さんヤバくない?と菜穗子は思う。そして、室長の考え方を聞けて良かった反面、私はどうするのか、どうしたいのかと考えあぐねる。ここでは南田の方が少数派、というか明らかに孤立している。しかし自分自身はここでの仕事に向いてるのか自信も無いし、環境省に早く戻りたい、やり残したことがたくさんあるし、と思い悩んでしまう。

 そんな黙り込んでしまった菜穗子に気を遣ったのか、西が話しかけてきた。

 「坂本さん、まだ一週間ですが、ここでの仕事に慣れましたか」

 前任者への愚痴が出そうになって、なんとか耐えたが、ユカリが遠慮無く、

 「津川君の引き継ぎ資料が体をなしていなかったようで苦労をかけてます」

 とぶっちゃけてしまう。

 「まあ、津川君は仕事中も留学するための勉強ばかりしていたんでしょうね」

 西の返しは、どこかで聞いたことのあるフレーズだった。前任者のアラ探しはカッコ悪い。ここは話題を変えよう、と異動してきてからずっと疑問に思っていたことを訊くことにする。

 「あの、異動して来た初日に千住西地区の事件が起こったんですが、ああいう事ってどれくらいの頻度であるんですか?」

 「それは中々運が悪かったですね。東京の緊急対応室が管轄しているのは関東圏に伊豆半島ですが、今回のような爆破騒ぎは年に一、二回と言ったところでしょうか」

 「それより台風とか集中豪雨での出動が多いですよね」

 西の話に、ユカリが言い添える。

 「関東圏への台風の接近数も年5回を下回る年がほぼなくなりましたし、台風自体も大型化する傾向にあります。局地的大雨や集中豪雨の頻度も多くなっていますから、年間二桁弱くらいは出動することになります」

 「去年の秋口は二週連続だったこともありましたね」

 「頻度も多いですから、対策はそれなりになされている部分があります。私たちが全面的に『支援』しなくてはならないことは少なくなって来てはいますが、海水面の上昇と併せて被害が大規模になる可能性も高いので、私たちが直接出動しなくても、支援のためスタンバっておく機会はさらに多いのです」

 そこで西は更に改まった口調で、

 「しかし本当に大切なのは常日頃からの準備です。私たちの仕事は、事が起きてから支援の準備を始めても間に合いません。そういう意味では坂本さんに非常に期待しています」

 えっ、私が期待されている?

 菜穗子が驚いた顔をしたのに、西は少し笑って、

 「津川君の後任、誰でも良いから補充して欲しい、とは環境省には言ってません。環境省は私の出身省庁でもあります。気象学に強い人で、その知識を行政に活かすモチベーションがある人を前から探していました。津川君が急に辞めてしまったので、異動が早まったくらいに考えてください」

 思ってもいなかった高評価に菜穗子は舞い上がりそうになるが、

 「もっとも上司と折り合いが良くない、というのも好都合だったんですが」

 と自分の人事異動の裏をあっさり明かされてガッカリする。

 ヤッパリ。外から見ても前の上司とソリが合わないのってバレてたんだ・・・

 「あっ、西さんが言いたいのはそういう意味じゃ無くて」

 と野澤がフォローめいた事を言い始める。

 「オレたちの仕事は、相手の立場とか階級とか、それこそ元上司だとかっていって、いちいち『畏れ入って』ちゃ出来ないってこと。目上の相手が不満そうな顔をしたり、露骨にイヤミを言って来たって、『いったん部署に戻って検討し直します』なんてやってたら間に合わない。高確率で不遜だと思われることは覚悟しなきゃならないけど、性格的にそれができない人がいる。まあ、菜穗子はそうじゃないってことを西さんは言いたかったんだと思うよ」

 あまりフォローになってない。

 「遠回しに無神経で配慮が足りない人間だって言われている気がするんですが」

 思わず菜穗子が不満を口にすると、

 「そう、そういう感じで上司からの『お言葉』に揚げ足取ったりするのも重要。端的に言えば場面によって、まさに『無神経』になれなきゃ務まらん、ってことだな」

 とカラカい気味に言ってから、野澤は少し真面目っぽい顔に切り替えて、

 「しかし日頃の準備段階では『無神経』モードはダメ。普段オレたちがやる『準備』って、早い話『顔つなぎ』とか『根回し』だからね。もちろんキチンと対策を練っておくことも重要だけど、緊急事態になった時に無理をしてもらわなきゃいけない部署に食い込んでおかなきゃ、いきなり無理言っても聞いてくれないでしょ」

 さらにユカリが付け加える。

 「今週一週間出勤して分かったと思うけど、昼間、デスクにいるのってアーニャだけでしょ? もちろん千住東地区の事件の後始末もあったけど、それだけじゃない。それぞれ自分の担当分野で『顔つなぎ』と『根回し』、まあ言ってみれば一般企業で言う所の『営業活動』みたいなことをしてる。イザという時に備えてね。まだ菜穗子は状況を把握してないから、どこに『営業』かけて良いか解らなくて、すぐに出来ないと思うけど、期待してる」

 ユカリに『期待』されて、なんかヤル気が出てきた菜穗子だったが、野澤の次の発言でそのヤル気が半減してしまった。

 「そう言う意味だと他班の高潮対策の担当者、話は参考になるけど、スタンスはあまり参考にならないな。気象庁から来てる第二班の泰田さんは、台風や豪雨の予報のエキスパートで、そういう事態になった時、緊急対応室全体の指針を決める際のカナメになる人だけど、事態に対応するための施策に関してはノータッチの人。もちろん現場にも出ない」

 「国土交通省から来てる第四班の盛崎さんは、温暖化による海水面の上昇でどういう水害が起きるか、その危険度について、各地域の情報をキチンと把握しているんだけど・・・」

 ユカリがちょっと言葉を濁すが、野澤がまたもあっさりぶっちゃける。

 「まあ、盛崎は悪い意味でイノセントだよ。確かに知識はある。しかし現場が置かれている状況は知らないし、知ろうともしない。自分が問題を指摘すれば各現場が自主的に対策を立てて、自動的に対応してくれる、って思い込んでるヤツだから。本人は明るくて良いやつなんだけど、彼の言うことってスルーされちゃうんだよな。せっかくの知識がカンジンの時に役立たない。現場の状況抜きに机上の空論で展開されてるからね。対策研の人間なら許されるかもしれないけど、緊急対応班としてはダメだろう」

 ますますヤル気が削がれそうだ。

 しかしユカリまでも、野澤の話した実情については否定せず、

 「菜穗子は泰田さんからは温暖化による気象の変動や台風の進路予想について、盛崎さんから関東圏の水害危険度について、それぞれ確認して、後は自分で現場を見て回りながら、現場のそれぞれの担当者と具体的で実行可能な緊急対策を作り上げなきゃいけない。もちろんイチから作る必要は無くて、今ある各自治体ごと、各省庁ごとの緊急対策をブラッシュアップして、有機的に繋げて行けばいい。まあ、口で言うのは簡単だけど」

 それから少し安心させるような柔らかい笑顔を作って、

 「泰田さんにしても盛崎さんにしても来週は学会があるんでレクチャーはお盆明けになるって言ってたじゃない。いずれにせよそれまでは自分で調べられるところはやっておかなきゃね」

 ユカリがそう言ってくれるけど、ヤル気どころか不安になってきた。

 と、隣に座って、料理を食べることに専念していた森保羊太(痩せているのに健啖家らしい)が食べ終わって一息ついたのか、話に加わる。

 「坂本さん、そんな暗い顔しなくて大丈夫ですよ。各地、各部署のキーマンはほとんど野澤さんやユカリさんが押さえてますし、警察がらみだったら大谷さんと小仲さんがフォローしてくれます。僕もいろいろ助けてもらいましたから」

 えっ、この人も『営業活動』とかしてるの?

 「坂本さんって本当に思ってることが顔に出て、カワイイですね。もちろん皆さんのように空気を読んだり上手く人間関係築くのは不得意ですが(自覚はあるんだ!)、科学と工学を修めた僕は、知識なりアイディアを実行可能なものにしてゆくのが得意技だと思っているので『営業活動』やりますよ。ちなみに僕は最初から対策研じゃなくて、緊急対応室に異動希望を出した(くち)です」

 「羊太さんは結構、得してますよね。確かに人当たりが良いっていう訳じゃ無いのに、動機が純粋で、行動も裏表が無いから、粘る相手を間違わない限り、粘られると『うん』と言わざるを得なくなるっていうか」

 こういう席でも寡黙な佐々に相手にされず、ちょっと酔ってきたようなアーニャも参戦してきた。そしてカラカうように付け加える。

 「菜穗子、気をつけた方が良いよ。お気に入りみたいだし、『付き合ってくれ』とか粘られたら断れないよ」

 しかし森保は怪訝な顔をして、

 「そういう意味で『カワイイ』って言ってないんだけど。アーニャってちょっと言語感覚おかしいよね」

 たぶん本人は意図していないのだろうけど、反撃になってしまい、アーニャの方が熱くなる。

 「私はこんな顔してるけど、生まれも育ちも日本、海外在住経験も無ければ、留学したことも無い! もちろん第一言語も日本語だし子供の頃から国語は常に5!」

 「知ってるよ。僕は一度聞いたこと忘れないから」

 しかし森保は全く平静なままだ。そして、分かった!という顔になり、

 「そうか、自分は言語感覚がおかしいんじゃなくて、感性そのものがおかしいんだって言いたかったんだね」

 「アンタにだけは言われたくない!」

 

 「アーニャ、羊太に怒っても意味ないから」

 ユカリが二人の(というかアーニャの一方的な)口ゲンカかを軽く止める。

 「それより他に何か質問ない? お酒の席でしか訊けないような質問にも答えるよ」

 え~っと、ユカリさんに一番訊きたいのは、野澤さんとの関係なんだけど、それはさすがに・・・

 「お酒の席でしか訊けないわけじゃないんですが」

 結構、自分にとって重要な質問をしてみる。

 「あの、私も官舎に引っ越した方がいいんでしょうか。西東京の実家から小一時間かけて通勤していて、環境省時代はどちらかといえば近い方だと思っていたんですが、緊急で呼び出されることが多いなら小一時間かかるのは問題かと」

 西篤が少し困った顔で答える。

 「管理職の私や班長の野澤君、サブリーダーの榊原さんは官舎に住むことが義務づけられていますが、それ以外の人に建前的には強制できません。しかし本音を言えば、公共交通機関が止まっていたとしても、30分以内に出勤できる所に住まないと戦力としてカウントできない場合が出てしまいます。とは言っても義務ではないので、都心に住むための特別な住宅手当は出ません。結果、家が特別に近いとか、出身省庁の官舎の方が都合が良い、という方以外は北の丸の官舎に住んでいます。家賃も安くて通勤も楽、というか通勤時間0分ですから」

 つまり官舎に住んだ方が良い、というか『住め!』ということなのね。

 「そう言えば津川君の使ってた部屋、まだ空いてるわね」

 ユカリが補足する。

 「プライベートと仕事の切り替えが難しかったりするけど、楽ではあるわ。官舎って言っても普通のマンションみたいなものだから、オフに近所づきあいとか気を遣うこともないし。もっとも回りに外食できる店とか食料品を買えるスーパーとか全然無いから、週末にまとめて買い出しに行かなきゃならないとか面倒もあるけど、私も住んでるからその辺はいろいろアドバイスできるし」

 「考えてみます。両親を説得する必要があるので」

 えっ、とユカリが『そこから?』という顔をする。

 「って言うか、緊急対応班に出向になったこと余り喜んでないようなので、説得に手間がかかるというか」

 「どうして?」

 「初日にヘリに乗った、っていったら、『そんなに危険な仕事なのか』って父はかなり渋い顔をしてましたから」

 「その程度で?」

 「父は研究職一筋の人なんで想像が付きにくいんだと思います(もっとも私自身、緊急対応班の仕事が良く分かってるわけじゃないけど)。生産管理の仕事をしている母の方は、一年中、国内外をあちこち飛び回っているので『私もヘリに乗ってラクしたい』なんて言ってましたけど」

 「命に関わるような危険な目には遭わないわよ。前線で体を張ってくれるのは、警察とか消防とか自衛隊の現場の人。私たちはその人たちの相互連携が上手くいくように、最前線近くに行って『支援』するだけ。千住東地区爆破事件の時だって『危ない』っていう目には遭わなかったでしょ」

 「野澤さんとユカリさんに、ヘリに乗る時とか、さんざん嚇されましたけど!」

 「それは菜穗子が高いところが苦手、ってだけで、常に安全は確保されてたでしょ」

 ユカリが、また唇の端でカッコ良く笑いながら言う。

 確かに野澤さんは、爆破現場に残りたがった森保さんに、キッチリ待避しろってシツコイくらいに言ってたな。しかし今、ここで官舎に入ります、と言えるほど父親を説得できる自信は無い。

 「分かりました。少しだけ時間をください。そもそも私、一人暮らしとかしたことも無いので」

 アーニャが話に加わる。

 「菜穗子ってもしかして箱入り娘だったりするの?」

 「一人娘ってだけで、そんなことないですよ。大学も東京だったですし、環境省に入っても自宅から通えたので、一人暮らしする機会が無かっただけです」

 何か自分に独立心が無いみたいでカッコ悪い。この話、終わらせたいと思い、逆にアーニャに訊いてみる。

 「ところでアーニャさんはどこに住んでるんですか? 自転車で出勤されるのを見たことがあるんですが」

 電動アシスト付きのロードバイクで颯爽と出勤してきた姿を数日前に見かけたからだ。ショートパンツから伸びる素足がスラッと長くて、同性ながら目に焼き付いている。

 「千代田区一番町。最寄りの駅的には半蔵門。自転車で5分くらい、歩いても15分かからないかな」

 「一人暮らしなんですか」

 「あんな家賃の高いところで一人暮らしなんて出来ないよ。実家のマンションから通ってる」

 実家が一番町のマンション?

 隣のテーブルの斜め向かい座っているアーニャの足の先から頭のてっぺんまで見直してしまう。

 「アーニャさんっちて超お金持ち?」

 いわゆる億ションが立ち並ぶ街だ。ちょっと絶句してしまった菜穗子を尻目に、ユカリがアーニャをからかう。

 「そう、アーニャの方こそ、経歴を聞いただけだったら箱入り娘っぽいよね。中学校から大学まで、ずっと三番町にある女子校だし、『顔良し、家良し、頭良し』の『最高格付け、トリプルAの女』なんだから」

 「ユカリさん、その自己紹介、もう忘れてください! トリプルAなのは、私の本名が『青木アーニャ秋子』で、その頭文字が三文字ともAだからです!」

 「でも性格は残念だよね。宝の持ち腐れというか」

 アーニャとユカリに挟まれて座っていた森保がボソッ、と言う。

 「羊太さん、どういう意味ですかっ」

 「だってアーニャ、いわゆる『腐女子』でしょ? それも女子校時代から。中学から漫研入ってヤオイな漫画描いて、女子高生のお姉さまに褒められてたって自慢してたじゃない」

 「自慢じゃない! 前に酔って口を滑らせただけ! なんでそういうどうでも良いことも覚えてるかな」

 「どうでも良いことなの? 佐々さんが好きってよく言ってるけど、あれって腐女子的な興味なんだとばかり思ってた。『佐々さんと野澤さんって、どっちが攻めでどっちが受けなのかな』とか言ってたじゃない」

 森保の爆弾発言に一同、絶句する。佐々は今まで以上に困惑した顔でアーニャを見る。

 アーニャは茹でたように顔を真っ赤にして、掴みかかるかの勢いで叫ぶ。

 「羊太殺す! 私の佐々さんへの愛はそういう次元のものじゃない!」

 「森保、その辺にしてこっち来いや。大谷、悪いけど森保と席替わって」

 ようやく、野澤が事態の収拾に入った。

 しかしタイミングが遅すぎる。いつものようにニヤニヤしてるから、森保の爆弾発言を楽しんでたのかもしれない。野澤の斜め前の席に移動してきた森保に、

 「空気を読まないにもホドがある。オマエに悪気がないのは分かるが、言って良いことと、言って面白いことがある、ってよく言うじゃないか」

 やっぱり面白がってたのね。

 しかし森保さんの前では滅多なことが言えないよ・・・

 

 その後、本田、野澤、森保は仮設堤防の今後の展開についてちょっと真面目な話を始め、警察庁コンビ片割れの小仲はしっかり空気を読んでそちらの話に加わる。

 しかし残された人たちは気まずい雰囲気だ。

 アーニャが泣きそうな目で、必死に、

 「佐々さんの事が好きなのは本当にそういう趣味で好きなわけじゃないです」

 と訴えるが、それが妙に艶っぽく、佐々の困惑に輪をかける。

 他の人は少しの間、呆れてそれを見ていたが、ユカリがとうとう窘めがちに、

 「アーニャ、今は何を言っても佐々さんに伝わらないよ。今後の行動で示して信じてもらうしかないでしょ」

 と言う。ようやく顔色も落ち着いてきたアーニャが、しかし今度は逆の方向で暴走する。

 「そうですね。次回から、私も佐々さんと一緒に現場に出ます! 仕事上はバディなんですし、現場が苦手、なんて言ってられませんよね」

 「アーニャ、それは違うでしょ。あなたの得意分野を考えれば、本部にいてくれた方が私たちも助かるし」

 「いえ、現場でも基本、ネットは繋がりますし。ユカリさんは反対なんですか」

 「オススメできないわね。現場が苦手、って結局体力に問題があるからだし。5分で来れる距離なのに、自転車に電動アシストが必要な人に現場は難しいよ」

 「あれは坂が多いからです! 確かに体力に自信はないですが・・・」

 「もうちょっと鍛えてからね」

 「わかりました。もうちょっと鍛えてから現場に出ます。その時は、ユカリさんが反対でも悟朗さんに直訴しますから」

 ハイハイ、わかりました、的な身振りをして、ユカリは、

 「じゃあ、この話は終わり。せっかく(大谷)ヒカルも来て、女性陣が集まって来たんだから、菜穗子からの、女性にしか訊けない『質問タイム』にしましょう」

 「そうですね、さっきから佐々君も困っているようですから、私も席を替わりましょう」

 とタイミングを見計らっていたかのように西が席を立つ。と言っても、アーニャと直接席を交換すると、室長の西が末席の幹事席になってしまう。南田が気を利かせて(無関心のようでも話はちゃんと聴いていたらしい)、アーニャの座っていた一番手前の席に移動して、佐々は南田の座っていた席にずれる。結果としてアーニャと佐々の間に西が座ることになり、アーニャが一瞬だけ南田を恨めしい目で見るが、南田は涼しい顔をしてやり過ごす。

 結局、真ん中のテーブルに女性陣四人が固まることになった。

 

 ということで菜穗子の『質問タイム』が始まったが、男性陣に聴きとれないほどテーブルが離れているわけでは無いので、差し障りの無い質問しか出来ない。

 「ええと、大谷さんは・・・」

 「大谷さん、じゃなくてヒカルって呼んで」

 「じゃあ、私も菜穗子って呼んでください。で、ヒカルさんはどこに住んでるんですか」

 「一応、場所は公安対策上の秘密なんだけど、ここから遠くない警察庁の官舎に住んでるわ。ちなみに今、ここに居る人で北の丸の官舎に住んでるのは、西さん、野澤さん、ユカリさん、羊太君の四人だけね。アーニャを除いて、他の人はそれぞれの出身省庁の、この辺の官舎に住んでる」

 「官舎って家賃安いし、たいてい便利なところにあるのは分かるんですが、男の人と付き合う時ってイヤじゃありません? 家に恋人呼んだりしたら、すぐに職場の人にわかっちゃうし」

 実家住まいのアーニャが興味津々な感じで質問する。『今は菜穗子の質問タイムなのに、なんでアンタが質問する』と大谷がちょっとムッとするが、それに気付かず、菜穗子は、

 「私も興味あります」

 と言ってしまう。しょうがないわね、と観念したのか、

 「何のかんの言って、警察なんて未だに完全な男社会だから、男を部屋に呼べるわけ無いじゃない。それどころか休日にちょっと着飾って出かけただけで、翌日には『昨日はどこに出かけたんだい?』とかセクハラまがいの事を言われるんだから。社会的にも品行方正であることが求められる職業だし、そう言う意味では最悪よ」

 と大谷はぶちまけ、

 「隠す必要も無いのに、カレとデートの時とかでも女子っぽいカッコはできないし。似合わないってのもあるけど、たまには私も露出度の高い服とか着てみたい! アーニャが羨ましい!」

 そう言って、テーブルに突っ伏す。

 そうか、ヒカルさんはカレがいるんだ、と思わずアーニャと顔を見合わせる。

 「ユカリさんはどうですか」

 アーニャが矛先をユカリに向ける。うん、実に素晴らしい質問! 私も訊きたかった。

 「ウチの官舎は全然違うよ。出身省庁もバラバラだから、基本、他人に干渉しないし。男を連れ込もうが、女が連れ込まれようが、職場でカラカわれたことなんてないよ。ウチの宿舎に住む権利もあるんだから、いっそのことヒカルも引っ越してきたら?」

 平然とユカリが答え、

 「まあ、私はそういうことで揶揄めいたこと言われたら断固とした対応をするタイプだから、怖くてカラカうヤツが出てこなかっただけかもね」

 と唇の端でカッコ良く笑いながら付け加える。これ以上、この問題で私に質問したら、『断固とした対応』しちゃうけど、それでもいいの?とでも言うように。

 しかし、どうしても悟朗さんとユカリさんの関係について訊いてみたい! 何か上手い切り口で質問できないか、などとゴシップ大好きの血が騒ぎかけた時、タンマツから着信音が鳴り、ユカリが確認した。彼女に音声電話が架かってきたようだ。

 ユカリは席を離れ、歓迎会を行っている個室のドアの方に移動して電話に出る。

 せっかく良いところだったのに、などと思っていた時、突然、ユカリが電話の声を荒げた。

 「子供が二人って、今までの情報と全然違うじゃない」

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