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ラージ  作者: 全州明
二章
3/15

落下地点のその先2

 その中のエレベータで、僕は一人の女性と居合わせた。エレベータはガラス張りで、外の景色が一望できて、床だけが、人工大理石が埋め込まれていた。

 このまま上の階へ行くのかと思うと身が(すく)んだけれど、女性の方はまるで微動だにしない。ここの住人なのだろうか。すらりと伸びた細身の体に茶色のコートを着込み、肩まで伸びる長い髪で、思わず目を奪われてしまうような美しい人だった。

「あの……」

 今にも消え入りそうな、か細い声だった。

「はい?」

 あまりに小さいその声に、僕は思わず聞き返す。

「あの……何階、ですか?」

 言われて初めてまだ動き出していないことに気がついた。

各階がデザインされたボタンは、六階だけが、(あわ)いオレンジ色に光っていた。

「え? あぁ、すいません。屋上でお願いします」

「あの……屋上へは、行けないんですけど……」

 女性は怪訝な顔になって、申し訳なさそうにこちらを覗ってくる。そして形のいい綺麗な人差し指で、一番上の階を指した。

 しまった。怪しまれたかな。

 いや待てよ。これは僕の夢なんだから、ある程度は思い通りにできるはずだ。僕はこの人に好かれたいと思っているから、怪しまれる以前に、もっと好意的に話しかけて来てもいいはずじゃないか。ということは、やっぱりここは、現実なのか?

 だとしたら、記憶をもとに造られるはずの夢の中で、見ず知らずの女性に会う理由も頷ける。

「あ、あの…………」

 女性の顔は、すっかり脅え切って、目には涙が(にじ)んでいた。

「あぁ、すいません。やっぱり九階でお願いします」

 今度はしっかりと確認してから一番上の階を指定した。

「あ、そっか。……すいません」

 なぜか謝られ、こちらを見つめてくる。

「あっ、すいません。……あの、ひょっとして、ずっと昔、どこかで会いませんでしたか?」

 ぺこりと頭を下げてから、茶色く綺麗な瞳で(なお)もこちらを見つめてくる。

「え? 多分、今日が初めてだと思いますけど……」

「そ、そうでしたか。あ、でも、あの、その………伝言が、あるんですけど……」

「伝言?」

「あっ、そのいえ、あの、誰かは言えないんですけど、確認のため、言う前にクイズを……」

「クイズ?」

 今度はこっちが訝しむ番だった。しかし、この気弱そうな女性がふざけているようには見えない。

「あの、アルティメット・エクストリームの意味を答えろっていう問題なんですけど……」

「アルティメット・エクストリーム?」

「……ご、ごめんなさい。意味分かんないですよね」

 確かに意味が分からない。けれど、初めて聞く言葉では無かった。

それどころかそれは、僕の一番好きな言葉だ。

「………これは、今思いついたことなんですけど、その……言葉自体に意味はない。ただ――――」

「ただ?」

 女性は目を輝かせ、期待の眼差しを向けてくる。

「ただ、ただ単にそれは、アルティメット・エクストリームカッコいい言葉だ」

 それは本当に、たった今思いついたものだ。けれど、なぜだか間違っている気はしなかった。

「すごい! 正解です!!」

 だからこう言われても、大して驚きは――――

「えぇ? あってるんですかぁ?」

 思わず()頓狂(とんきょう)な声を上げてしまう。まさか本当に合っているとは思わなかった。

でも、という事はつまり、この伝言を寄こした人は僕以外居ないんじゃないだろうか。

 アルティメット・エクストリーム。そう呟くだけで、心にグッとくるものがある。

さっきも言ったように僕はこの言葉が好きだ。だから日常的に使う。

アルティメット・エクストリームいいね、とか、アルティメット・エクストリーム素晴らしいね、とかそんな風に。そしてその度に、皆首を傾げ、意味を尋ねて来た。でも、この言葉の意味を誰かに話したことなど一度としてない。何せ今思いついたんだから。だけど僕に伝言を寄こしてきた誰かは、僕より先にこの言葉の意味を思いつき、そして知っていた。

そんなことができるのは、未来の僕以外居ないんじゃないだろうか。

まぁ、この女性が適当なことを言っているだけと言う可能性も捨てきれないけれど。

「……あの、それで、伝言の方なんですけど………」

「え? あぁ、そう言えばまだ聞いてませんでしたね」

 まぁどうせ僕のことだから、夢の中で青春を謳歌(おうか)しろとか目が覚めないように気をつけろとか、そんなようなことを言うんだろう。

 しかし、女性の小さな唇から発せられた伝言は、想定外のものだった。

「えぇっと、言っていた通りに言いますね。

〝死ぬ気で走って飛び降りろ。そうすれば、思い通りの場所に辿り着く〟

〝でもそこは、呆れるほどに都合が良くて、息が詰まるほど狭すぎる〟

〝お前がそのことに気付くまで、きっと目が覚めることはない〟

〝でも忘れるな。そこには何もない。いつまでも、狭い世界に閉じ籠るな〟

〝目が覚めたらその時は、部屋の外に出ろ。家の外に出ろ。この世界の、外に出ろ〟

〝そこには全てがある。この部屋の中には無い、全てが〟

……だそうです。あの、別にこれは、私が言ってるんじゃないんですよ?」

「――――嘘だ。そんなはずは………」

「本当にこう伝えろと言われたんです!! 信じてください!」

多分この人は、嘘なんかついていない。でも、だとしたら、それはそれで辻褄(つじつま)が合わない。

何かがおかしいなんてもんじゃない。根本的に違う。この伝言を寄こしたのは、僕じゃない。

間違いなく他の誰かだ。そう言い切れる。僕が、この僕が、家の外へ出ろなんて言うはずが無いし、全てが思い通りに行く世界を、あんな風に(けな)したりはしない。

でも本当に僕じゃないとしたら、他に誰がいる? 僕以外にこの言葉の意味がわかる人なんて、目の前に立っているこの人しかいない。でもこれが現実だとしたら、この人は僕のことを知らないはずだし、夢の中にしてはあまりに酷だ。

ふと、視界の端にわずかに映り込んでいた女性の足が、消えていることに気がついた。

慌てて顔を上げると、そこにはガラス張りの壁があるだけだった。エレベーターは既に九階に着いていて、その扉は開いたまま、閉じる気配が無い。

降りろということなんだろう。僕は敷居を大きく(また)ぎ、九階に降り立った。

直後に扉が閉まり、あっという間に下の階へと消えていった。

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