楽しげな日々の中で
第六話 「楽しげな日々の中で」
――――目を開けると僕は、布団の中にいた。また悪い夢を見ていたらしい。
やけに鮮明で、現実的な夢だった。
あれは本当にただの夢だったんだろうか。
紅葉の、秋。僕はこの季節が好きだ。
木々は衣を色とりどりに変え、冬への備えを始める季節。道の脇に生えた木々から落ちた枯れ葉が大地を埋め尽くす。そんな通りを歩きながらの帰り道。声を掛けられ振り返ると、自転車の荷台に横向きに腰かけた女の子が、あっという間に僕を追い抜いて、その先で半ば転倒しかけて止まった。
「もぉう、止めてよぉー」
などと口を尖らせて文句を言ってきたけれど、僕のせいではないと思う。
だって止められるわけがないのだから。止めようとして下手に触れて、少しでもバランスを崩したら、さっきみたいに、そのまま転倒することになるだろうから。
なにせ自転車のサドルには、誰も座っていないのだから。
本人曰く、ある程度勢いをつけておいてから、ハンドルを両手でしっかりと掴んで斜め前に押しつけるようにして飛び上がり、サドルの傾斜を利用して荷台に乗れば、後は体を横に向けるだけの簡単な技らしい。
初めて会った時、「危なくない?」と聞いたところ、スカートをたくし上げて、膝上の痣を見せてくれた。もう何ともないらしいけど、その痛々しい青痣は、転んだときの衝撃を物語っていた。しばらくそれを見つめていると、結果的に彼女の太ももをまじまじと見つめることになってしまったらしく、顔面を強めに殴られた。鏡を見れば、今でも少し、跡が残っているかもしれない。そのくらいの威力はあった。僕の殴られた痛みと、彼女が自転車から転倒した時の痛み、果たしてどちらの方が痛いんだろうか。
まぁ多分彼女の方だろうけど、そんな痛みを味わっていながら未だに続けているとなると、これはもう、一種のプライドなのかもしれない。
ちなみに、どうしてそこまでしてそんなことをするのかと聞いたところ、「目を閉じたらまるで彼氏と二人乗りしてるみたいな気分になるでしょう?」と返された。
何を言ってるんだこの子は。
なんて寂しい子なんだ。よし、僕が彼氏になってあげよう。うん、そうしよう。
という具合に調子乗って告白したら腹を強めに殴られた。あの、遠い夏の日❘
――――それはさておき。
『エア彼氏との青春』を謳歌していた彼女は自転車を半ば転落する形で滑り降り、律儀に鍵をかけ、道の端に寄せてから右腕を高く上げ、メトロノームのように左右に大きく振りながら、「久しぶりー!!」と大声で叫び、ゆっくりと歩み寄って来る。
これは、僕に手を振っている、ということでいいのだろうか。
うん、いいんだろう。きっと。
良かった。あれ以来なんとなく顔を合わせづらくて避けて来たけれど、杞憂だったらしい。
――――と思ったらいきなり足を止めて百八十度回転し、自転車の方へと戻って行った。
どうしたんだろう。やっぱりまだ、気にしてるのかな? 僕が殴られた痛みがいつまでも取れないから病院に行ってみたら、あばら骨にひびが入っていたことを。
いや、違った。やっぱり道の端に自転車を止めるのは気が引けたらしく、鍵を差し込み、ハンドルを両手で持ってぐるりと半回転し、自転車を押しながら再びこちらに向かってきた。
――――彼女の足元を見て、ふと、違和感を覚えた。
道路から、落ち葉が無くなっているのだ。慌てて顔を上げ、道の脇に生えた木々を見る。
相変わらず、枯れ葉を落とし続けていた。再び視線を落とし、道路を見る。
一面を枯れ葉が埋め尽くし、彼女の押す自転車は、その上をガサガサと音を立てながらこちらへと向かって来ている。……なんだ、気のせいか。
「どうしたの?」
彼女は不安そうに、僕の顔を覗き込んでくる。
いつの間にか両手が空き、自転車が無くなっていた。
「いや、何でもない。気のせいだよ。………多分」
僕はお茶を濁すように笑みを浮かべた。
「………嘘つき」
彼女は口を尖らせて、さぞかし不機嫌そうに呟いた。
「…………え?」
僕の思考回路は困惑して、彼女が何を言っているのか、良く分からなかった。理解できなかった。
――――唐突に、世界がぼやけ始めた。
足元がおぼつかなくなって、僕は倒れこみそうになる。
右足が、地面にずぶりと沈み込んで、僕の体は傾き始めた。