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やっこの節分

 学校での節分行事が終わった後、やつこにはもう一つの大切な節分がある。

 暦の上での、本当の節分の日である日曜日。やつこは神社の掃除をしてから、そのまま社務所に向かった。掃除の道具はおばあちゃんが持って帰ってくれたので、このあとは鬼追いとしての仕事に専念できる。

 やつこが節分の見回りに参加すると知ったおばあちゃんは、何度も「気を付けるんだよ」と言ってくれた。やつこが鬼追いをしていることも、節分の日には邪気が溜まりやすいことも、おばあちゃんは知っている。その分、とても心配をかけているだろう。けれどもやつこは笑顔で「大丈夫!」と返した。こう言ったからには、必ず無事に見回りを終えなければならない。

 社務所に来たやつこを待っていたのは、普段と同じ袴姿の神主さんと、お茶の準備をしている愛さんだった。夕方に全員が集まるまでは、のんびりとお茶でも飲んでいようということらしい。

「毎年、そんなに構えてないのよ。やることはいつもと同じだから。ただ、ちょっと距離を歩くことになるかな。だから今年は日曜日で、本当に助かったわ」

「距離って、どのくらいなんですか?」

「礼陣一周よ。社台地区から、中央地区へ。それから遠川地区の西、南原地区をまわって遠川地区の東へ。そして北市地区から神社に戻って、おしまい」

「うわ、結構歩きますね……」

 礼陣は小さな町だが、歩いて一周するにはやはり時間も体力も必要だ。高校生のマラソンコースにも採用される道のりを、歩いていくにはやはり大変だ。

「鬼追いが私だけだったときは、神主さんと長い距離を練り歩いたものだけれど。でも今は人数がいるから、これで連絡を取り合いながら、受け持ち分を一周するだけでいいわね」

 愛さんが赤く光る石を手にして言った。この赤い石は、愛さんと連絡を取るためのアイテムだ。しっかり握って愛さんを呼ぶだけで、近くにいる鬼が不思議な力を使って、自分の居場所や状況を愛さんに伝えてくれるのだ。すると愛さんが急いで現場にやってきてくれる。やつこはこの石を一度壊してしまったが、そのあとすぐに新しいものをもらっていた。

「受け持ちって、どうするんですか?」

「そうね。鬼の多い社台と遠川は私が行きたいんだけど、距離が離れているから、どっちかは他の人に任せることになるかな。社台が神主さん、遠川が私、ってところかしら。南原はほとんど鬼がいないから、やっこちゃん一人でも大丈夫そうね。中央を大助に任せて、北市は海君。そうしたら、ちょうどぴったり分けられそう」

 愛さんがぽんぽんと受け持ちを決めていくと、そこに神主さんが「待った」をかけた。

「愛さん。やっこさんには鬼の多いところをお任せしたいと思います。そして鬼の少ないところを海君に」

「え、でもやっこちゃんは初めての節分だし……」

「鬼の様子を見るのなら、やっこさんは愛さんの次に得意です。十分任せられますよ」

 ね、と神主さんはやつこに微笑みかける。やつこは認められている嬉しさ半分、一人で大丈夫だろうかという不安半分で、神主さんにぎこちない笑顔を返した。

 大助と海が社務所にやってきた頃には、受け持ち範囲は完全に決まっていた。神主さんが社台、愛さんが遠川、大助が北市、海が南原、そしてやつこが中央。中央地区は社台と遠川に次ぐ、鬼の多い場所だ。駅前と商店街が含まれるので、人が多いところが好きな鬼たちが集まるのだ。

 見回りが終わったら、報告のために神社に一旦集まること。それを約束して、五人はそれぞれの持ち場へ向かった。


 日曜日の夕方の中央地区は、どこかへ遊びに行った帰りの人々や、夕飯の買い物に来ているお客さんが多い。彼らの様子を、鬼たちが興味深げに眺めている。やつこにとっては、いつもと何一つ変わらない光景だ。

 節分というだけで邪気が溜まっているとは、とても思えない。人間も鬼も、楽しそうにしているように見える。そんな風景の中を、やつこは竹刀袋を担いで歩いていく。

「あら、やっこちゃん。今日は剣道の自主練習でもしてたの?」

 こうして声をかけてくるおばさんも、

『やあ、やっこじゃないか。そうか、今日は節分の見回りか』

 片手をあげてあいさつをする鬼たちも、まるで普段通りだ。

 あえていつもとは違う点を挙げるとするなら、買い物客の持っている袋の中に、豆や恵方巻などの節分らしいものが見えることと、民家から「はーるよこいっ」の掛け声が聞こえ始めたことくらいだろうか。そのおかげで「今日は節分なんだな」と思うことができる。

 中央地区は、こうして歩いてみると意外に広い。いつもは家から神社へ向かう途中に通り過ぎるだけなので意識していなかったが、一周するだけでも時間がかかりそうだった。駅前の大通りに、よく催し物がある大広場。東西に長く、細い道のたくさんある商店街。そこをたくさんの人間と鬼が歩いている。やつこにとっては当たり前の光景であるはずなのに、なぜか面白く感じた。

 てくてくと歩いて、大広場まで来たときだった。今は雪が積もっている植え込みのそばに、つののある子供らしき影がうずくまっていた。やつこはそこへ走って行き、その正面にしゃがみこんだ。

「どうしたの?」

 声をかけると、子供のような鬼は顔をあげた。とても暗い表情をしている。やつこは一瞬どきっとしたが、この子はまだ呪い鬼にはなっていない。ただ、そうなりそうなくらいに落ち込んでいる。

「何かあったの?」

 もう一度尋ねてみると、鬼はぼそぼそと言った。

『大学生が、騒ぐんだ。鬼は外、福は内って。僕は、追い出されちゃうのかなあ』

 礼陣には大学が二つある。一つは公立の共学で、もう一つは私立の女子大だ。どちらにも、礼陣の内外からたくさんの人が通っている。すると当然礼陣の町には、よそから来た人が多くなる。しばらく暮らしていると礼陣のことがわかってくるのだが、ここに来てまだ一年経っていない人々だと、知らないことも多い。彼らはただ、自分の地元の常識に合わせているだけで、悪気など全くない。

 それでも傷つく鬼がいる。よそから来た彼らは悪くないとわかっていても、心がちくりと痛むのだ。普段なら「しかたないよね」で済まされるようなことも、邪気が溜まりやすい今日は、思い悩んでしまうのだろう。これが節分の怖いところか、とやつこはやっと実感した。

 けれども、あわてず、騒がず。いつも通りに、声をかけてあげればいい。神主さんや愛さんから教わったことを、やつこはいつもそうしているように実行した。

「大丈夫、誰もあなたを追い出したりしないよ。きっとそう言った人たちだって、今頃は商店街の人たちから教わってるはずだよ。礼陣ではその言葉の代わりに、『春よ来い』って言うんだって」

『本当? 僕、追い出されない?』

「うん。あなたはここにいていいんだよ。そして、一緒に礼陣に春を迎えよう。みんなを幸せにしようよ」

 やつこがそう言って笑うと、鬼もぱあっと笑顔になった。まるでそこだけ先に春が来て、花が咲いたようだった。

『そうだよね。僕は礼陣の鬼だもの。僕が礼陣のみんなを幸せにしなくちゃ。この町に春を呼ばなくちゃ!』

 そうして鬼は立ち上がり、どこかへ駆けて行った。どうやら、こうして鬼たちを笑顔にしていくことが、今日のやつこの仕事らしい。この調子でどんどんいこうと、やつこも再び歩き出した。一人で大丈夫だろうかという不安はすっかりなくなって、足取りは軽い。いつも通りに鬼に声をかけてまわればいいのだから、きっと無事に終わるはずだ。


 だんだんと陽が落ちてきて、今日も仕事をしていた人たちが帰路につき始めた。やつこも駅前広場と大通りをまわり終え、あとは商店街を通り抜けて神社へ向かうだけ、というところまできた。

 ここまで、落ち込んでいる鬼もぽつぽつと見かけたが、すぐに飛んで行って声をかけてあげると、元気な笑顔を見せてくれた。彼らが呪い鬼になることは、うまく回避できているようだ。商店街にも何も異常がなければ、やつこの節分のおつとめは無事に果たせそうだった。

 昔ながらの商店街は、活気にあふれている。入口から足を踏み入れると、「いらっしゃい、いらっしゃい!」という威勢のいい掛け声や、「あらまあ、こんばんはー」なんて穏やかな会話が聞こえてくる。お総菜やお菓子、炊きたてのご飯に、焼きたてのパンの匂いも漂ってくる。ぐう、と鳴いたお腹を押さえて、やつこは商店街を歩いた。

 商店街にも、鬼たちはいる。人間の生活を眺めたり、噂話を耳にしたりして、人間たちと同じ時間を過ごしている。時折聞こえてくる、お店の人の「このあたりでは節分に豆を撒くときは、『春よ来い』って言うんですよ」という言葉に、鬼たちの表情は嬉しそうにほころぶ。こうして商店街の人々が礼陣のことをよそから来た人に教えてくれることで、この土地のことを知ってくれる人間が増えていくのを喜んでいる。

 おかげでこのあたりは、幸せそうな鬼ばかりで、呪い鬼なんか出そうになかった。見回りは平和に終わりそうだな、とやつこが思った瞬間だった。

 その温かな空気が、突然切り取られたようになくなった。あんなに賑わっていたはずの人々の声も、ふんわりと漂っていたパンやお惣菜の匂いも、一瞬にして消えてしまった。ちょうど八百屋さんの前に差し掛かったところだ。今日のために、豆を買いに来た人がいてもおかしくはないのに、お客さんどころか八百屋さんの姿も見えない。

 やつこは竹刀袋から竹刀を取り出し、身構えた。こんな空間を切り取るような真似ができるのは、人がたくさんいるはずの場所でそんなことをしてしまうのは、呪い鬼しかいない。普通の鬼なら、こんな場所で「自分の空間をつくる力」を使わない。普段は人間に見えないよう、身を隠して暮らしているのだから。

 あたりを見回しても、まだ呪い鬼の姿は見えない。けれども、近くにいるはずだ。やつこは慎重に歩きながら、その姿を捜した。

「根代さん?」

 不意に声がかかったのは、やつこが八百屋さんの前から何歩か離れたときだった。ここから少し離れたところに、こちらへ向かって来ようとする人間がいた。――透だった。

 呪い鬼の空間は、人の生活している空間から切り離されている。ここに入ってこられるのは、やつこたちのように鬼を見ることのできる鬼の子や、巻き込まれてしまった普通の人間だ。透は、どうやら巻き込まれてしまったらしい。

「何やってるの? 商店街、妙に静かだけど」

「鹿川君こそ、どうしたの? 商店街に買い物?」

「うん。学校での節分が楽しかったから、家でもやれないかと思って、豆を買いに来たんだ。……でも、商店街に人がいないなんて、おかしいよな?」

 そう言って首をかしげた透の背後に、ゆらりと立つものがあった。大きさは人間の大人くらい。全身が炭のように真っ黒で、蓑のようなものを着ている。頭には二本のつのがはえていて、眼はぎらぎらと光っていた。そして、その腕を振り上げて、長い爪を透に向けようとしていた。

「鹿川君、危ないっ!」

 やつこはとっさに透に駆け寄り、右手で彼の腕を掴んで引っ張った。そして振り下ろされた鬼の爪を左手の竹刀で受け止め、透を背中にかばった。

「ね、根代さん? これ、何だ? 特撮か何かか?」

 何が起こったのかわからないというふうな透の問いに、やつこは鬼の爪を弾き返しながら答えた。すっかり鬼追いに慣れたやつこには、闘いながらの説明もお手の物だ。

「残念ながら、特撮じゃないの。これは呪い鬼っていって、心に強い痛みを抱えてしまった悲しい鬼なんだ」

 呪い鬼はもう一度、今度はやつこに向かって、鋭い爪のある手を伸ばした。やつこはそれを透をかばいながら避けると、「やあっ!」と叫んで、その手を竹刀で叩いた。鬼が怯んだ隙に、透に振り返る。

「鹿川君は、お店の陰に隠れてて。この子はわたしが相手をするから」

「よくわからないけど……これは根代さんにしか、どうにもできないこと?」

「そういうこと!」

 透が店の陰へ走ったのを確認して、やつこは再び鬼に向かう。ゆらりと動きながら腕を持ち上げようとする呪い鬼に、やつこは見覚えがあった。これはこのあいだ、石を投げられて落ち込んでいた、あのしょんぼり鬼だ。一度は元気づけることができたけれど、どうやら今日の邪気にあてられてしまったらしい。透が巻き込まれたのも、彼が神社の拝殿に石を投げた張本人だからだろう。

「いつまでしょぼくれてんのよ。あなた、そんなに弱い鬼じゃないでしょう!」

 やつこは竹刀を上段に構え、すっと呪い鬼に近づく。軽く地面を蹴って、鬼にぐっと迫る。自分よりも大きな相手だが、このくらいの大きさなら、決められないことはないはずだ。

「メン!」

 掛け声とともに、竹刀が呪い鬼の顔面を直撃した。予想以上に綺麗に入ってしまった。顔を押さえてうずくまった呪い鬼に、やつこはあわてて「ごめんね」と言い、ポケットから取り出した札を触れさせた。やつこが祈りを込めた、鬼を神社へ帰すための札だ。

 札を呪い鬼にあてながら、やつこは静かに呪い鬼に語りかけた。

「顔、痛かったよね。ちょっと強く打ちすぎちゃって、ごめんね。心が苦しかったのに、叩いちゃって、本当にごめん。……心の痛みは、神社で癒そう。大鬼様が、きっとあなたの苦しみを取り除いてくれるから。神社へお帰り。叩いたお詫びは、あとで御仁屋のおまんじゅうでするからさ」

 呪い鬼が顔をあげ、やつこを見た。その眼はもうぎらぎらしたものではなく、優しげなものになっていた。

『いいよ。叩かれてもしかたないことを、私はしてしまったんだから。胸が苦しくてしかたなくて、我を忘れてしまったけれど、やっこはそれを止めてくれた。ありがとう』

 そう言って、呪い鬼だった鬼は、すうっとその姿を消した。神社に帰っていったのだろう。あとは神主さんに、まだ少し残っているはずの心の痛みを癒してもらえば、きっと善い鬼として街で会えるようになるだろう。

 鬼が消えると同時に、商店街には賑やかな音が戻ってきた。買い物客の話す声や、店のおじさんやおばさんたちの元気な掛け声が響いている。店の陰に隠れていた透は、その様子を口をぽかんと開けて見ていた。

 やつこは透に駆け寄り、「大丈夫?」と尋ねた。透は無言で頷いたあと、「今の、何?」と訊いた。やつこは竹刀を袋にしまいながら、それに答えた。

「礼陣にいる鬼だよ。でも、あれはいつもの鬼じゃないの。本当は、鬼はみんな優しくて、人間のことを心から大切に思っているんだ。でもね、そんな鬼も、常に優しく穏やかではいられない。人間と同じで、悲しんだり、怒ったりするの。それがとても強くなってしまうと、感情を抑えられなくなって、さっきみたいに暴走しちゃうんだ」

 透はそれを聞いて、ハッとしたような顔をした。それから、震える声で言った。

「……俺、神社の拝殿に向かって、石を投げたんだ。鬼なんかいるわけないだろって言って。そのときちょうど、父さんが仕事の失敗ですごく落ち込んでて、母さんがそれにイライラしていたんだ」

 家に居辛くなって外に出た透に、ちょうどそこにいた近所の人が話しかけた。透が引っ越してきたばかりの子であることを知っていて、教えてくれたのだろう。

「礼陣には鬼がいて、子供を守ってくれるんだよ」

 けれどもそれは、大人の都合で引っ越しを余儀なくされ、家にも居場所がない透には、まるでふざけたことを言われているように感じた。「何もできない子供」のような扱いをされ、作り話のようなことを語られ、透の心はとげとげしていた。

 たとえ礼陣に鬼がいて、子供を守ってくれるとしても、自分のことはちっとも守ってくれていないじゃないか。だいたい、鬼なんか想像上のもので、実際にいるはずがない。透はそう思ったのだった。

 誰も自分にとりあってくれないという不満を、透は神社に行き、石を投げるという形でぶつけた。本当は、神社のことには興味があったし、好きだった。けれどもこのときばかりは、自分を助けてくれない神様に対して、いらだっていた。

「……あとで、謝りに行こうと思ったんだ。どんな神様だって、その土地で祀られている、大切な存在のはずだから。でも、そうしたらそこに、根代さんがいて……恥ずかしくて、謝れなかった」

 きっと、やつこが神社の掃除をしていた、先週の日曜日のことだろう。クラスでは「近づきがたい存在」になってしまっていた透には、クラスメイトの前で神社にお参りをするということが、自分の秘密を知られてしまうようで恥ずかしかったのだ。しかも、石を投げたことを謝るためだったのだから、この土地の人であるやつこにばれるのは、もっと嫌だった。

「そうやって、結局謝り損ねてきたから、鬼は怒ったんだな。呪い鬼とかいうやつになっても、しかたないよ」

 透はそう言って、うなだれてしまった。けれどもやつこは、透の肩に手をかけて、首を横に振った。

「礼陣の鬼はね、子供に優しいんだよ。さっきの鬼が呪い鬼になっちゃったのは、もともとあの子がちょっと落ち込みやすい子で、さらに今日は邪気が溜まりやすい節分だからなんだ。たまたまタイミングが悪かっただけ。それに、鹿川君はもう石を投げたことを反省してるでしょ? だったら大丈夫だよ。鬼たちはみんな、鹿川君を礼陣の子だって思って、これからも見守ってくれるよ」

 やつこがにっこり笑うと、透は顔をあげて、頬を赤くして微笑んだ。

「そうかな。俺も、礼陣の子だって、思ってもらえるかな」

「もちろん。鬼が見えるわたしが言うんだから、間違いないよ。それに今日、おうちで節分やるんだよね。鬼たちが絶対に、鹿川君の家に春を運んできてくれるから」

 やつこは確信していた。だって、周りの鬼たちが、『その通り』と言ってくれているから。きっと透の家にも鬼たちは行って、この一家が礼陣で幸せになれますようにと、応援してくれるだろう。

 透はやつこに「ありがとう」と、それから「また明日」を言って、八百屋さんに向かった。おじさんの威勢のいい声が「これからもよろしくな、ボウズ」と言っていた。礼陣の人間たちにも、鬼たちにも、透は大歓迎されている。きっとこの町での生活は、楽しいものになるだろう。

 やつこは鼻歌まじりに商店街を歩いた。人間と鬼の笑顔があふれる、いつもの商店街を。見回りが終わったら、愛さんが何かごちそうしてくれないかな、なんて期待をしながら。


 やつこが社務所に戻ると、神主さんと海がすでに戻ってきていた。神主さんの担当だった社台地区も、海の担当だった南原地区も、異常はなかったらしい。それどころか、海は鬼に会うことすら少なかったという。

「南原は遠川の向こうだし、合併するまで礼陣じゃなかったからな。鬼もそっちまではあまり行かないんだ。だから今年の見回りは退屈だったよ」

 そうは言うものの、海が鬼追いを始めたのは一昨年の春からなので、節分の見回りは二回目だ。昨年の見回りは大助と一緒に行なったらしく、鬼への声掛けもほとんど大助がやってしまったために、活躍の場はあまりなかったそうだ。

「やっこちゃんは、どうだった? 初めての節分、大変だった?」

「ちょっとね。呪い鬼も出ちゃったし」

 海の問いに、やつこは苦笑しながら答えた。すると神主さんが、にっこり笑って、やつこの頭をそっと撫でてくれた。

「はい、ちゃんと中央地区から一人、帰ってきましたよ。やっこさんは、本当に鬼追いが上手になりましたね。私のところに来たときには、鬼はもうほとんど癒されていました」

「そっか、良かった。……ええと、竹刀で叩いちゃったんだけど、大丈夫そうでした?」

「ええ。鬼は回復力が強いですから」

 神主さんがそう言ってくれたので、やつこはホッとした。安心したところで、大切なことを思い出した。

「あ、鹿川君に、鬼追いのこと内緒にしてねって言うの忘れてた!」

「鹿川って、やっこちゃんのクラスメイトの? ……まあ、大丈夫じゃない? 明日学校で会ったときに、秘密にしておいてって言えばいいと思うよ」

 鬼追いにはことさら厳しい海がそう言ってくれたので、やつこはあらためて胸をなでおろした。そして、明日も透と話す口実ができたことを、少しだけ嬉しく思ってしまった。

 そうしているうちに、愛と大助が戻ってきた。二人ともなんだかくたくただ。大助などは、頬に大きな傷をつくっている。やつこと海は驚いて、二人に駆け寄った。

「大助さん、どうしたんですか? そんなにぼろぼろになるなんて……」

「あ? 大したことねえよ、これくらい」

「見るからに痛そうだよ! 大助兄ちゃん、そこに座って。消毒して、ガーゼあてなくちゃ」

 やつこと海がそれぞれ救急箱と傷を洗うための水を用意している間に、神主さんは真面目な顔をして外に出ていった。

愛さんがタオルを持ってきて、海が持ってきた洗面器に浸した。そしてぎゅっと絞ると、大助の頬を優しく拭った。それでも、大助は痛そうに顔をしかめていた。

「北市地区に、強い呪い鬼が出たの。私がちょうど遠川地区の東側にいたから、すぐに駆けつけることができたんだけどね。大助は呪い鬼にやられて、怪我をしてしまったのよ」

 呪い鬼が暴れたあとは、無機物なら元の状態を取り戻すことができるが、生き物には被害が残ってしまう。大助のように怪我をすることは珍しくなく、最悪の場合は死んでしまうかもしれない。鬼追いは、そういう危険を伴うものなのだ。

「今、神主さんが神社に帰ってきた呪い鬼を鎮めに行ってるわ。ちゃんと帰すことができたはずだから、大丈夫だとは思うけれど」

 愛さんが大助の頬からそっとタオルをはずすと、白かった生地は真っ赤に染まっていた。やつこはそれを見てぞっとした。もしも中央地区にその呪い鬼が現れていたら、きっと対処できなかっただろう。大助と愛さんだから、この怪我だけで済んだのだ。

 顔を蒼くするやつこを見て、しかし大助はにかっと笑った。

「そんな顔するなよ、やっこ。このくらいの傷、よくけんかをする俺には日常茶飯事だ。それに鬼追いはちゃんと成功した。心配することねえって」

「でも、大助兄ちゃん、痛いよね?」

「こんなのは痛いうちに入らねえ。それに、北市地区を守れて良かった。もうすぐ北市女学院の高等部の入試があるからな」

 自分だって三月に高校入試を控えているくせに、大助は誇らしげにそう言った。そんな大助が、やつこはやっぱり心配で、けれどもとても立派だと思った。頑張った大助の傷に、まるで勲章を贈るかのように、やつこはそっとガーゼをあてた。

 まもなくして、神主さんが社務所に戻ってきた。大助たちが神社に帰した呪い鬼は、無事にその心の痛みを癒し、神社の裏手にある鎮守の森に行ったという。これで、今年の節分の見回りは終わった。

「さて、みんなお腹が空いたでしょう。晩ごはんにしましょうか!」

 愛さんの言葉に、みんなの目が輝いた。動き回った体には、やっぱり美味しいご飯が一番だ。戻ってきてすぐに食べられるように、愛さんはきちんと仕込みをしていてくれたらしく、そう待つことなく賑やかな夕食が始まった。

 真っ白でつやつやのご飯に、甘く煮た黒豆、そしてイワシのつみれとたっぷりの野菜が入ったお味噌汁。愛さんの節分スペシャルメニューに舌鼓を打ちながら、やつこは外から響いてくる声に気が付いた。

 鬼たちが撒かれた豆を拾ってきて、それをつまみに宴会をしているのだろう。楽しそうに歌っている声は、普通の人間には聞こえないものだけれど、明るい雰囲気は町中に広がっていくようだった。

「私たちも、ごはんの後で豆を差し入れに行きましょうか」

 愛さんがそう言ってくれたので、やつこは大きく頷いた。

「春よ来い、って言いながら撒くんですね!」

「民話の『花さか爺さん』みたいだな。枯れ木に撒いたら、花がすっげえ咲くんだろ?」

「その話で撒くのは、豆じゃなくて灰ですよ、大助さん。……でも、春を迎えるんだから、きっと似たようなものだろうな」

 冬の一番寒い時期を越えたら、この町にも春がやってくる。季節の花が咲き、空気も心も暖かくなる春が。

 その日が待ち遠しいな、と思いながら、やつこは鬼たちの、人間たちの、声を聴く。町中にあふれる、その声を。

 春よ、来い。礼陣の町に、さあ、おいで。

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