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やっこと冬の礼陣

 礼陣の冬は、雪が薄く積もる穏やかな冬だ。山の方には膝まで埋もれるほどの雪が降るらしいが、町はそうでもない。今年の冬も、いつもと同じ、雪が降っては陽の光に融かされるということが続く日々だ。

 昨夜はほんの少し、雪が厚めに降った。朝日に融けかけて、踏むとじゃくじゃくと音がする。水とまだ凍っている部分とが入り混じって、不思議なリズムを作っている。靴は濡れるが、足元が奏でる音が面白くて、ついつい雪のある道を通ってしまう。学校へ向かう十五分ほどを、やつこはそうして楽しんでいた。


 根代八子、小学五年生。もうすぐ六年生になる。特技は三年生から習っている剣道で、道場内でもなかなかの腕前だと評判だ。性格は明るく、活発で、クラスでも男女の別なく人気者である。みんなが親しみを持って、やつこのことを「やっこ」あるいは「やっこちゃん」と呼んでくれる。たくさんの人たちに囲まれて、やつこは毎日幸せな日々を送っている。

 そんなやつこだけれど、幼い頃にはお父さんを亡くしてしまっている。やつこが小学校に上がる直前、お父さんは不幸な事故で死んでしまった。家族でとても悲しい思いをした代わりに、やつこには不思議なことが起こった。――「鬼」が見えるようになったのだ。

 やつこの住む礼陣の町には、二種類の人が住んでいる。一方はやつこと同じ人間。そしてもう一方は、「鬼」と呼ばれる人々だ。

 彼らは基本的には頭に二本のつのを持っているが、姿形は人間に近い者もいればそうでない者もいて、様々だ。そして人間にはないような、不思議な力を持っている。ふわりと飛び上がったり、姿を消したりといったものだ。普段は人間の目には触れないように、その力を使って、自らその姿を見られないようにしている。

 しかし、ある種の人間には彼らの姿や生活を見ることができる。そんな特別な人間を、この町では「鬼の子」と呼んでいる。なぜそう呼ぶのかというと、そういう人間は大抵の場合、片親あるいは両親を亡くしている子供なのだ。鬼たちは、そういう子供たちの親代わりをするのだといわれていて、だからこそ鬼の子はその姿を特別にとらえることができるのだということになっている。鬼に守られる子供になったから、「鬼の子」なのだ。

 お父さんを亡くしてしまったやつこも、この町では当然のこと、鬼の子だ。町を歩き、人間たちを見守ったり、ただのんびりと過ごしたりしている鬼たちを見ることができる。ただ見るだけではなく、言葉を交わしたり、一緒に遊んだりもする。礼陣の人たちにとってはそれが当たり前なので、誰もやつこのことを不思議に思ったりはしない。この町の人たちは、鬼は存在するものだと認識しているのだ。

 さらにいえば、不思議な力を持つ鬼は、礼陣では神様として扱われている。人に寄り添い、人のようにふるまう、あまり偉そうではない神様だ。けれども人間が困っているときは、過干渉しない程度には助けてくれるし、願い事をきいて、なんとか叶えてやれないものかと考えたりもする。「神様」の扱いを受けているからには、鬼たちも人間たちのために何かしてやりたいと思っているのだった。

 やつこはそれを、鬼が見えるようになった頃から、鬼たちから直接聞いて知っている。だから鬼たちの抱える悩み事や、考え事、嬉しいことも悲しいことも、ほとんどわかっているつもりだ。特にここ数か月で、そのことがそれまで以上によくわかるようになっていた。鬼の持つつらさや痛みに触れる機会が、多くなったからだ。

「あれ、どうしたの? なんだか元気がないね?」

 やつこはしょんぼりした様子の鬼を見るたびに、声をかけている。今日のしょんぼりさんは、人間の大人と同じくらいの大きさだが、体は全身炭のように真っ黒で、蓑のようなものをかぶっている、一見おばけのような風貌の鬼だ。鬼はうなだれながら、やつこに言った。

『人間の子供が、お社に石を投げたんだ。鬼なんかいるわけないだろ、ばーか、なんて言いながら。ちょうど私はその場所にいて、石が当たってしまったんだよ。……当たっても、石なんか体をすり抜けていくんだけどね。だから体は全然痛くないんだけど、あの子の言葉を思い出すと、胸がとても苦しくなるんだ』

 お社とは、神社の拝殿のことだろう。礼陣には昔から、鬼を祀る神社がある。「礼陣神社」という名前なのだが、子供たちは親しみを持って「鬼神社」と呼ぶこともある。長い間、礼陣の人々から愛され、大切にされてきた、由緒ある神社なのだった。

 けれどもよそから礼陣に来た人にとっては、それもあまりなじみがない。「礼陣には鬼がいるんだよ」などと言ったところで、にわかに信じられるものではない。それは礼陣に住む人々もよくわかっていた。もちろん鬼だって、そのことを理解している。だからこそ、普段は人間の生活の妨げにならないようにと、姿を消して暮らしているのだ。

 それでも、真っ向から否定されて傷つかないことはない。きっとこのしょんぼり鬼が見たという神社に石を投げた子は、まだこの町に来て日が浅いのだろう。冬休みが明けてから、まだひと月も経っていないのだ。そのタイミングで引っ越してきたような子ならば、礼陣に漂う「鬼がいて当たり前」という空気に慣れないのも、おかしなことではない。

 やつこは鬼ににっこり笑いかけると、その手をとりながら言った。

「きっと、まだ鬼のことをよく知らないんだよ。ここで過ごしていくうちに、だんだん鬼のことをわかってくれるようになるよ。そうしたら、石も投げないし、ばかだなんて言わなくなる。それまでゆっくり、わたしたちとお話でもして待っていよう。わたしたち鬼の子は、いつだってお話を聞くからね」

 そのやつこの言葉を聞いて、鬼はホッとしたような笑顔を浮かべた。いつかきっとくる、その子が鬼のことをわかってくれる日を想像したのかもしれない。やつこの手を握り返すと、鬼は頷きながら言った。

『そうだね、いつかはわかってくれるよね。今までの子だってそうだった。新しく来た人は、ご近所付き合いをしていくうちに、鬼のこともわかってくれるようになるんだ。ありがとう、やっこ。私はそのことを、忘れてしまうところだった』

「そうそう、きっとわかってくれるよ。わからなくても、この町の空気に慣れてきたら、そういうものなんだなって思うようになるんだよね。他の町から転校してきた子たちは、みんなそう言うよ。だから、その子も礼陣の子だと思って、見守ってあげてね」

『もちろん。礼陣の子を守るのが、私たち鬼のつとめだもの』

 元気になった鬼に手を振って、やつこは走って学校へ向かう。これがやつこの「鬼の子」としての役割だった。人と鬼とをつなぐ、大切な役割だ。これは人間であり、かつ鬼を見ることのできる、やつこたちだからこそできることだった。

 もちろん、やつこは人間としての生活も大事にしている。学校に着くと、まずは元気な声で友だちに声をかける。

「おはよう! ゆいちゃん、さっちゃん!」

 やつこの元気な声に、昇降口に二人で並んで話をしていた女の子たちが振り返る。そして笑顔で、あいさつを返してくれる。

「おはよう、やっこちゃん。今日はちょっと寒いね」

 そう言って困ったように笑うのは、志野原結衣香。ふわふわの髪の毛と可愛い顔で、学年でもトップクラスの美少女だと評判だ。

「おはよう。朝、起きるのつらくなかった?」

 こちらは宮川紗智。眼鏡をかけていて、少しおとなしそうな女の子だ。やつことよく話すようになったのはここ数か月のことだが、今ではまるでずっと前から仲が良かったようだ。

 二人とも、やつこにとっては大親友だ。三人で楽しい話をしていると、自然とクラスのみんなが集まってくる。やつこを中心に、大きな輪ができる。やつこの所属する五年二組は、そんなクラスだ。校内の合唱コンクールで優秀賞をもらうほどの団結力があって、けんかをしても次の日には仲直りをするような、全員が互いを大切に思っているクラスなのだ。

 その五年二組に、冬休み明けに転校生がやってきた。礼陣の隣町である門市からやってきた、鹿川透だ。門市は礼陣よりも都会で、大きなビルも、有名な店もたくさんある。透はそんな雰囲気をそのまま持ってきたような子で、見た目も他の子に比べておしゃれな感じがする。彼はこのクラスに来てからというもの、あまり笑わないので、そういう意味でも目立っていた。

 礼陣は良くも悪くも田舎だ。門市にあるような大きな店も駅前にほんの少しあるだけで、遊べるような場所といえば、公園や神社だ。門市の子供が行くような、人気作を上映する映画館や、たくさんのテナントが入っているショッピングモールなんてものはない。これまで門市で過ごしてきた透にとって、この町は退屈な場所なのかもしれない。

 やつこは先ほど鬼から聞いた「お社に石を投げた子」を、もしかすると透かもしれないと思っていた。他の学校に転校生が来たという話は聞いていないし、そもそも礼陣に新しい住人が来れば、あっという間に町中の話題になる。

 礼陣の大人たちは商店街へ買い物に出たときに情報を交換しているので、噂話などは瞬く間に広がってしまうのだった。おまけに噂好きなのは人間だけではない。鬼も面白い話は共有したがる。そんなことなので、やつこのような鬼の子は、人間と鬼の両方からたくさんの噂話を聞くことになるのだった。

 ここ最近の噂といえば、透たち鹿川一家が、この遠川地区に引っ越してきたということくらいだ。古めかしい家並が特徴の遠川地区の東側に引っ越してくる人は珍しいので、人々の間では話題になっていた。多くの新しい入居者たちは、洋風できれいな家が建ち並ぶ中央地区や、遠川地区の西側、あるいは神社の近くにある社台地区に来ることが多い。わざわざ古い家を選んでやってくる人は、なかなかいないのだった。

 やつこは結衣香や紗智と話しながら、ちらりと透の方を見た。相変わらず、彼は仏頂面をして、頬杖をついていた。本を読んだりすることもなく、ただそこに「いてやっている」だけのように見える。

 そこへ、男子生徒が一人近づいていったので、やつこは「おっ」と思った。彼は吉崎雄人という、クラスの男子のリーダー的な存在だ。やつことも仲が良く、同じ剣道教室に通っている。人と話すことが上手な彼なら、今日こそ透と仲良くなれるかもしれない。そう思って、彼らの姿を見守った。

「鹿川。オレたちさ、昼休みに雪中ドッヂボールやるんだ。一緒にやらない?」

 男子は冬でもグラウンドに出て元気に遊んでいる。そして服や靴下をびしょびしょにして戻ってくるのだ。教室でそれらを乾かしていると少し臭うのだが、それもまた礼陣の冬の風物詩のようなものだった。

 けれども、透はそれがどうやら嫌らしい。あからさまに顔をしかめると、「またか」と言った。

「お前たちがそうやって外で遊んだあと、教室が臭いんだ。こっちは勉強に集中したいのに、迷惑だよ。そうやって、もう何回も断ってるだろう」

 そう、雄人が透を遊びに誘うのは、これが初めてではない。彼が転校してきた初日から、こうして声をかけている。けれども彼は、一度もその誘いにのったことがなかった。そしてその日の昼休みが終わった後、「教室が臭い」と文句を言っていたのだった。

 だが、どれだけ断られても雄人は透を誘った。他の子が「やめておけよ」「どうせあいつは一緒に遊ばないだろう」と言っても、何度でも声をかけていた。

「今日は臭わないように、濡れた靴下を入れる袋を持ってきた。オレがクラスの全員分用意したんだ。裸足はちょっと寒いけど、まあ、なんとかなるだろ。だから今日は教室が臭くなる心配はないぞ!」

 雄人はそう言って、得意げにビニール袋を広げて、透に見せていた。彼なりの工夫なのだろう。やつこは思わず笑ってしまった。どうやら結衣香と紗智も、雄人と透のやりとりが気になっていたようで、同時にふきだしていた。それにつられるようにして、教室中が笑いに包まれる。

 でも、透だけは笑っていなかった。それどころか眉間のしわをさらに深くして、雄人に向かって吐き捨てるように言った。

「そういう問題じゃないんだよ。俺はお前らなんかと遊びたくないって言っているんだ。どうしてわざわざ雪で濡れるようなことをしなくちゃならないんだ? ちっとも理解できないね」

 ちっとも、を強調した透の言葉に、クラスはしんと静まりかえった。つい数秒前まではあんなに笑っていた子供たちが、一斉に言葉をなくし、まるでそこに誰もいなくなったかのようだった。

「……あ、そっか。ごめんな」

 やっと雄人がそれだけ言ったけれども、そのときはもう透はまた頬杖をついて、どこか別の方向を見ていた。

 男の子たちが「雄人、もういいよ」「そいつにもう話しかけるなよ」と口々に言い始めたが、雄人はあいまいに笑うだけで、透のそばを離れた。遠巻きに様子を見ていた女の子たちは、ひそひそとおしゃべりを始める。「鹿川君って冷たいよね」「門市の子だからって、田舎を見下してるんじゃないの」という声が、やつこの耳にも届いた。

 クラスの雰囲気は険悪だ。こんなことは今までにも何度かあって、そのたびに一つずつ解決してきた。けれどもやつこは知っている。この状況をどうにかするためには、みんなが透のことを理解しようとするだけではなく、透もみんなのことを気にしなければならないのだ。互いに相手のことを思わなければ、この居心地の悪さは拭い去ることができないのだった。


 その日の授業が終わり、掃除も済んだ後。やつこはランドセルを背負って、いつも持ち歩いている竹刀袋を持ち、帰る準備を始めていた。今日は剣道の稽古がある日で、ほんの少しだけ急いでいた。そこへ結衣香と紗智がやってきて、「ちょっとだけいいかな」と声をかけた。元気がなさそうな二人を、やつこは放っておけない。笑顔で頷いて、「どうしたの?」と尋ねた。

「ええとね、鹿川君のことなんだけど……クラスでちょっと、浮いちゃってるでしょ?」

 結衣香がもごもごと言った。透本人に聞こえないように、というよりは、あまり「浮いている」という表現は使いたくなかったけれど、それしか言葉が見つからなかった、というところだろうか。結衣香にはそういうことを考えるところがあるということを、やつこは長い付き合いでわかっていた。

「うーん、ちょっと他の子と距離があるかもね。まだクラスに慣れてないからじゃない?」

「でも、このまま周りにひそひそされるのも、なんだか嫌……。クラスの雰囲気が良くないのは、わたしもちょっと気になる」

 紗智がうつむき加減に言う。クラスの子たちから非難されるという経験は、紗智にもあった。以前の自分を見ているようで、いたたまれないのかもしれない。

 やつこは腕組みをしながら考える。たしかにクラスの雰囲気が良くないと、みんなが暗い気持ちになってしまう。だけど、この問題はすぐに解決できるものではないのだ。透が遊びに誘われても断ってしまう以上、こちらからは手の出しようがない。これまでの転校生は、誰かが「遊ぼう」と言うと、喜んだり、少し恥ずかしがりながら、それを受け入れてくれた。だからすぐに打ち解けることができたのだけれど、透の場合はそうではない。

「やっこちゃん、どうにかできないかな」

「どうにか、って言われても……わたしにも難しいなあ」

 やつこが一人で考えるには、この問題は少々厄介だった。けれども、こんなときに相談できる先輩が、やつこにはたくさんいる。ちょうど今日は稽古の日なので、その先輩の一人には確実に会えるはずだ。

「わたし一人じゃいい考えが浮かばないから、海にいに相談してみるよ。ゆいちゃんとさっちゃんも、何かいい案が浮かんだら教えて」

「うん、もうちょっと考えてみる。早く鹿川君もクラスに馴染めるといいな」

「六年生もこのクラスだから、卒業まで一緒だものね。わたしのときみたいに、やっこちゃんみたいな人が鹿川君の話を聞いてくれるといいのかもしれない」

 紗智の言うとおり、透の素直な気持ちを聞くことができれば、この問題を解決する方法が見つかるのかもしれない。けれども、それをどうやって聞けばいいのか、やつこにはいい案が思い浮かばない。

透が「さよなら」も言わずに教室から出ていくのを、やつこは悩みながら見つめていた。

 それから結衣香と紗智に「また明日」と言って、やつこも教室を出た。走らなければ、剣道の稽古が始まってしまう。いつもは一旦家に帰ってから道場に行くのだが、今日はそのまままっすぐ向かうことにした。念のため、道具を一式学校に持って行って正解だった。重いけれど、時間がないときには少しだけ楽ができる。

 道場に着いたときには、もうほとんどの門下生が集まっていた。小学三年生から中学三年生までの子供たちが、この心道館道場で剣道を習っている。加えて、鬼たちもよく見学に来ているので、いつも道場はとても賑やかだ。

「やっこちゃん、こんにちは。今日はちょっと遅かったね」

 息を切らしているやつこにあいさつをしたのは、心道館道場の息子であり、やつこの憧れの先輩でもある、進道海だ。さわやかな笑顔がかっこいい中学二年生で、この道場に通う小学生たちはみんな海に尊敬のまなざしを向けている。やつこも海に、息を整えながら、元気にあいさつを返した。

「海にい、こんにちは! 掃除当番と相談事で、ちょっとね」

「やっこちゃんはいつも何かしらの相談を受けてくるな。それだけ信頼されてるんだろうね。……さ、早く着替えておいで」

「はい!」

 海に促されて、やつこは更衣室に飛び込んだ。

 剣道着に着替えながらも、先ほどのことが頭に浮かんでくる。透がクラスのみんなと仲良くなれる方法が、何かないだろうか。もちろん気が合うか合わないかといったことは必ず出てくるので、全員と親友にさせようなんてことは思っていない。ただ、今のままだと確実に、透は孤立してしまう。みんなから「近寄りがたい」と思われながら、つまらない学校生活を送るはめになってしまう。それではあまりにも透がかわいそうではないだろうか。

 悩みながら着替えを終えて、急いでみんなのところに行くと、この道場を取り仕切っているはじめ先生が号令をかけた。どうやら、やつこを待っていてくれたらしい。あとで「遅れてごめんなさい」と言っておこうと思いながら、やつこは今日の稽古を始めた。

 稽古が終わってから、やつこはまずはじめ先生に遅刻を謝って、それから海に声をかけようとした。すると、海の隣にはすでに雄人がいた。それから、二人を心配そうに覗き込む鬼たちの姿もあった。

「オレ、どうしていいかわかんないんだ。鹿川と仲良くなりたいんだけど、向こうにはそんな気なさそうだし。あいつとはわかりあえないのかな……」

 どうやら雄人も、透のことを海に相談しているようだった。それなら話が早い。やつこは雄人たちのそばに行き、その肩をぽんと叩いた。

「鹿川君の話なら、わたしもしたいな。ちょうどゆいちゃんとさっちゃんから、気になるねって相談されてたの」

「なんだ、やっこもか。……そういうことなんだ、海にい。何か鹿川と仲良くなれる、いい方法ないかな」

 すがるように言う雄人とやつこに、海は少しだけ考えて、困ったような笑顔で言った。

「その鹿川って子さ、ちょっと考える時間がほしいのかもしれないよ。転校してきて、環境が変わって、きっとまだ戸惑ってるんだと思う。だから雄人みたいにがんがん話しかけられると、自分の考えがまとまらなくて、どうしたらいいのかわからなくなってしまうのかもしれない」

 海の言葉を聞いて、やつこはふと今朝のしょんぼり鬼のことを思い出した。その鬼に、やつこは言ったのだ。まだよく知らないだけだから、ゆっくり過ごして待とうと。海はつまり、それと同じことを言っていた。やつこは自分で鬼に言ったことを、すっかり忘れていたのだった。

「そっか、そうだったんだ! 鹿川君の考えがまとまるまで、わたしたちは待った方が良いんだね!」

 やつこがぽんと手を叩くと、海は頷いた。雄人は感心したように「へえ」と声をあげた。

「鹿川から話しかけてくれるまで、待たなきゃダメなのか?」

「いや、待ってるだけでも駄目なんだ。そのままにしておくと、向こうから声をかけにくくなってしまうからね。たまに声をかけるだけでいいんだよ。たとえば、おはよう、またな、とか」

「あいさつだね。そっか、基本から始めればいいんだね」

「そうそう。剣道と一緒だよ」

 海が笑顔でそう言ってくれると、やつこも自信が湧いてきた。これまでどうやって透をクラスメイトと仲良くさせるかばかり考えていたけれど、突然そんなにうまくはいかないこともわかっていた。そこで悩んでしまって、一番大切なことを忘れてしまっていた。

 やつこと雄人は頷きあった。明日、必ず透にあいさつをしよう。それから、無理に遊びに誘うのは、もう少し待ってみよう。透が少しずつクラスに馴染めるようにしていって、いつかは彼が自然にクラスの輪の中に加われるようにすればいい。

 クラスのリーダー格である雄人や、男女問わず親しみやすいやつこがそうしていけば、クラスのみんなもそれについてくるに違いない。そんな海の後押しのおかげで、やつこはますます希望が湧いてきた。

 頭がすっきりしたので、そろそろ帰ろうか、というときだった。海が思い出したように、やつこに声をかけた。

「やっこちゃん。土曜日の稽古の後、時間あるかな。ちょっと大事な話があるんだ」

「大事な話? ……うん、時間はあるから大丈夫だよ」

 海のいう「大事な話」は、やつこにはだいたいの想像がついていた。きっと予定が入っていても、できるかぎりそれをキャンセルして時間を作っただろう。それほどまでに、海がこうして声をかけるときは「大事」なのだった。

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