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冷たい太陽と海の花  作者: 木乃梢
3.悲しみの結婚
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-9

 目を覚ました時、フィオレナはベッドの上に一人で寝ていた。

 部屋の中は暗く、少し離れた丸テーブルの上で、一本だけのろうそくの火がゆらゆらと動いている。薄い上掛けが一枚かかっていただけで部屋の中は極寒、肩に触れた自分の頬の冷たさにフィオレナはぶるりと震えた。

 その時、灯りの届かない暗闇で何かが動いた気配がした。フィオレナは思わず叫ぶ。

「――だ、だれ?!」

 しかし返事がない。

 カタン、と軽くて硬質な音がしたあと、シュッ、シュッ、と衣擦れの音が、やけにゆっくりと、フィオレナの不安を煽るように響いてきた。やがて、蝋燭に照らされてぼんやりとその顔が浮かび上がった。

「あなた、……ラドミルさま?」

「お久しぶりです、フィオレナ様」

 そこに立っていたのは、スヴァログの側近であるラドミル・ボリスであった。見知った顔ではあったが、彼の柔和な笑顔にフィオレナの緊張はますます高まる。その不信感が伝わったのか、ラドミルは苦笑して、それ以上距離を縮めようとはしなかった。

「あなたには謝っても、何をしても、言い訳にしか聞こえないでしょうし、信じられなくて当たり前だとは思うんですが……どうしても、これだけは言わせていただきたいのです。ただ、あなたのためにとは絶対に言えません、これは私のため……私の偽善のためですが……」

 ラドミルは歯切れ悪く長い前置きを伝え、二度、大きく息を吸った。それから突然、勢いよく頭を下げたのだ。

「グウィネイラの一国民として、またグウィネイラ王の側近として、あなたに謝罪します。……本当に、本当に……なんと申し上げていいか……」

 フィオレナは驚いて思わずベッドから降りた。近寄ろうとして、逡巡する。彼はこうして謝っているが、グウィネイラがティアータにした仕打ち――フィオレナ自身、まだ本当の意味で理解できないし認められないのだが――を思えば、ティアータの王女として、彼に慈悲を持って接するのは間違っている気がした。

 だけど、ラドミルの思い詰めた表情や態度は、彼が事の真相を知っているのだと物語っていた。いまフィオレナの周りのすべてが敵にまわっている状況で、唯一まともに対話をしてくれそうな彼の存在は、手放すのが惜しい。その謝罪を受け入れれば彼はフィオレナの味方となって、いろんなことを教えてくれるのかもしれない。だけどそうすることはティアータの敗北でもあるように感じて、フィオレナは言葉に詰まった。どういった反応をするのが、ここでの正解なのか――。

 ラドミルは頭を下げたまま微動だにしない。フィオレナはきゅっと拳に力を込めた。黙っているだけではだめだと、迷いながらも口を開いた。

「ラドミルさま、顔をお上げください」

 フィオレナの声にラドミルはさっと頭を上げ、フィオレナと真摯に対峙した。その目は、もう罪悪感に囚われてもいないし、フィオレナを憐れんでいるわけでも蔑んでいるわけでもなかった。ただ、冷静に、フィオレナがどう反応するかを見ていた。

 その目を見て、フィオレナの背に冷たい緊張が走った。この男は危険だと、瞬時に察知する。そして、自分が取るべき行動や姿勢が、きっと今後の扱いに大きく関わってくるだろうということも分かった。

(この人は、確かに罪悪感に苛まれて私に謝罪した。だけど完全に私の味方でもない。グウィネイラに全面的に肩入れをするのは個人的にひっかかるところがあっても、それが組織のためだと思えば、理性で抑えることのできる人なんだわ……。頭が良すぎる人は、危ない。……いいえ、私、怖いんだ)

 いま、フィオレナの味方は一人だっていない。どんなに家族の死を許せなくても、悲しくても、それにかこつけて悲劇の女王を演じた瞬間、この男はフィオレナを完全に切り捨てるだろうと感じた。フィオレナは、自分の身一つでこの男と対峙しなくてはならない――時には冷たい女王の仮面も貼り付けて。

 覚悟を決めろ、と。言い聞かせる。ニコニコしていれば愛される世界は、もう、終わったのだ。

「ラドミルさま、あなたの誠意を感じることはできました。ですが、なぜあなたがこうまでして私に頭を下げるのか、私には分からないままです。ただ詫びて謝罪を受け入れろと言う前に、その訳を話すのが道理ではなくて?」

 冷静に、理性的に。女の弱みを武器に使ってはならない。

 睨むのでもなく縋るのでもなく、フィオレナはただ強く、ラドミルを見据えた。

 しばらくの静寂を破って、ラドミルが先に息をついた。

「……試すようなことをして、すみません」

 するりと、肩の力を抜いた言葉だった。

「でも、少し安心しました。フィオレナさま、あなたは本当に、素敵な女性になられた……」

 眩しそうに目を眇めて、ラドミルは疲弊した笑みを見せた。今にも倒れそうな彼を見て、さすがにフィオレナも少し心配になる。

「ずいぶんとお疲れのようですね。どうぞ、それを使ってください。私もここに座るので」

 ラドミルの傍にあった椅子を指さして、フィオレナはベッドの端に腰かけた。二人の距離を、物理的にも精神的にもこれ以上詰めようとは今のフィオレナも思わない。

「……それで、お話してくださるのかしら?」

 椅子に座ったラドミルを挑戦的に見て、フィオレナは口元に薄く笑みを浮かべた。余裕の態度でいなくては、フィオレナは余計なことを考えてすぐに脆く崩れ去ってしまう。ラドミルはそんなフィオレナの様子に、感心しつつも、すぐに冷たい宰相の仮面をかぶりなおした。

「私の知っていることでお話できることは、あなたにお話ししましょう。しかし私にも、すべてのことは分からないまま……何もかもを決めるのは、結局、あの方ですから」

 フィオレナは、黙って話の続きを促した。

「一年前……陛下の父君、先代の王が亡くなる直前から、陛下の様子が変わり始めたのです。それまではあなたとの結婚を、それは無邪気に、希望を持って、楽しみにしていました。それなのに、先代が病床に倒れてしばらくしてからあの方の目は暗く燃えるようになったのです。喪に服すためにあなたとの結婚を延期して、後継の作業に追われて、でも自暴自棄になっているわけでもないし、ぼんやりとしているのでもないのです。不思議と、今までよりもずっと、何かを成し遂げようと夢中になっているんですよ……」

「その“何か”は、あなたにも分からないのですね」

 フィオレナが言うと、ラドミルは苦笑した。

「昔からずっと一緒にいて、なんでも話し合える仲だと思っていたんですけどね……どうやら、俺にも話せない秘密ができたらしい。やっと、反抗期を迎えたのかな」

 俺、と砕けた自称になって、ラドミルは疲れたように冗談を言った。でもフィオレナは、それを笑うことができなかった。

「スヴァログさまが成し遂げたいらしい“何か”は、我がティアータ王家の血筋を絶やすことでも、ティアータ人を一人残らず殲滅することでもなく、他にあると……そう意味ですよね、彼が私を生かしているのだから」

「そう、ですね……」

 フィオレナの凛とした返しにラドミルが顔を歪めた。その表情にフィオレナの胸もキリリと痛んだ。

(なんで、あなたが痛そうな顔をするのよ……ずるいわ、本当に苦しいのは、私なのに)

 もしラドミルが、スヴァログのように感情など見せない冷酷な男になっていたら、それほど楽なことはなかった。フィオレナは、ただ、彼を悪者に仕立て上げて憎めば良いのだから。それなのに、彼もまるで傷付いたような顔をする。そんな姿を見せられれば、フィオレナが彼を苦しめているみたいではないか。本当に残酷なのはラドミルかもしれない……と、フィオレナは嘆息した。

 フィオレナは、それ以上、ラドミルからことの真相を聞き出せないのだと悟った。彼も知らないことが多すぎるのだ。だから苦しんでいる。

「あなたにも、なぜ私の家族と臣下達が殺されなければならなかったのか、分からないのですね。だったら私が対峙すべきはあなたでないし、あなたが謝罪すべきなのも私ではない。……そして、優秀なあなたなら、そんなこと分かっていながら、ここに来た……そうですよね、ラドミルさま?」

 ラドミルには返す言葉もなかった。すべてが痛い。何よりも恥じていたのは、フィオレナに謝ることで自分だけがすっきりして満足しようとしていたことを、『所詮お姫様には分からぬ』と侮っていた相手に見通されたことだ。

 フィオレナが、ぽつりと、こぼした。

「あなたはとても、残酷です。……優しさが、今の私には残酷です」

 何も言わないラドミルを、フィオレナは立ち上がって見下ろした。傍から見たら哀れでも、ティアータ王女としてなけなしの矜恃を振りかざし、淡く微笑んだ。

「でもラドミルさま、ここまでわざわざ来てくださって、ありがとう。まともに話せる人がいると分かっただけでも、この現状の私にはとても嬉しい……。さあ、ここにいるのは、あなたにとってはあまり良い事ではないのでしょう? とりあえず今回は、ここまでで十分です。誰にも見つからないうちに、お帰りください」

 ラドミルが逡巡したのは一瞬で、すぐに礼儀正しく低頭して部屋を後にした。

 パタン、とドアが閉まった途端、フィオレナはその場にくずおれた。我慢できなかった。涙が溢れ出て、パタパタと絨毯に染み込んでいく。

(お父さま、お母さま、お兄さま……ああ、本当に……)

 ひとりぼっちになってしまった。この世に、ただ一人フィオレナは生かされてしまった。

 愛する人の元にいるため、全てを捨てる覚悟であったはずなのに。その人もフィオレナを見てくれないいま、彼女のそばにいてくれる人はひとりもいない。

 ラドミルから本当に聞きたかったあの女性(・・・・)のことは、ついに聞けないまま、フィオレナは床に伏せてその夜を泣き明かした。



 *****



 暗い部屋を辞して、ラドミルはようやく詰めていた息を吐き出した。

 正直、あの少女をなめていた。

(いや、少女と言うのもおこがましいか……)

 たった十七歳の彼女は、それでも、ティアータの王女として育ち、大国グウィネイラの王妃にと望まれ、強く気高く生きてきたのだ。こちらを鋭く射抜く瞳は、まるで孤高のオオカミのようだった。少しでも誤魔化そうとしたり、弱みを見せれば、喉元に食いつかれそうな緊張感に襲われた。ラドミルだって、王の側近としてそれなりの苦労や恐怖、命の危険も潜り抜けてきたのだ、その彼に畏怖を抱かせるほどに、フィオレナは、強かった。

(彼女なら、もしかしたら……)

 そんな希望がちらと胸によぎった。

 だけどすっかり疲弊したラドミルは、その小さな希望をすぐに打ち消した。もう、期待して裏切られるのはうんざりだった。

 フィオレナには気の毒だが、ラドミルも自国が大事だし、何より一番大切なのは、兄弟のように一緒に育ち君主としても敬愛するスヴァログだ。その彼が今、これまでにないほど追いつめられ、何かを考え、決意し、行動した。その結果、水の王国ティアータの王家はただ一人美しい王女を残して殲滅されグウィネイラの従属国となり、その残された王女に苦しい生を強いている。どういった理由あってこの未来を彼が選択したのか、ラドミルには分かり得なかったが、それでもきっと、何かを想ってのことであることは確かだ。だから、その“何か”が分からなくとも、ラドミルにとって苦しいことでも、スヴァログが本当に崩壊してしまうその一線を越える直前まで、ラドミルは主の思うがままにさせるつもりだった。

 そうしているうちに、きっと、彼は話してくれるに違いない。その時だけを期待して、ラドミルは暗く冷たいグウィネイラ国王の右腕として暗躍する。もはやそれだけが、彼らなりの信頼の証になってしまったのだから――。

 ほぅと息をつけば、白いもやが漂って消える。ラドミルは高価な硝子のはめられた窓から外を眺めた。降り積もった雪が月明かりにぼんやりと浮かび上がっている。

(この国は、いつだって静寂だ)

 あの、豊かなティアータとは違う。生と音と色にあふれた水の王国、哀れな娘の祖国。怒りも喜びも、素直に表現することを知っている、愛らしい彼女を、この国の静けさが飲み込もうとしている。

 グウィネイラ人とティアータ人は、もしかしたら、敵対するめぐりあわせなのかもしれなかった。

(だけど俺は、やっぱり、あの日の光景が忘れられないんだ……)

 目をつぶれば、今でもはっきりと浮かび上がる。

 ラドミルが見たのは、明るい日差しの中で穏やかに笑いあう二人。お互いを確かに満たしていた、スヴァログとフィオレナの、純朴でささやかな姿だった。



ここにきて初後書き失礼します。

はじめましての方もそうでない方も、こんにちは!作者の木乃梢です。拙作をお読みいただきありがとうございます。

ずーっとやってみたかった政略結婚もの。まだまだ不勉強ですが、頑張ります。


お気に入り・web拍手などなど、本当にありがとうございます。とっても励みになっています。

皆様のご期待に応えられるよう、精進してまいります!

…ので、今後とも、どうぞよろしくお願いします。

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