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冷たい太陽と海の花  作者: 木乃梢
3.悲しみの結婚
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-8

 王家の馬車が城下に入ったと聞き、女は城の高い尖塔にやってきていた。そこからは町がよく見渡せる。――城の正面広場も同様に。やがてゆるやかな坂を、少数の騎馬隊に守られながら二台の馬車が上ってきた。

 グウィネイラ国内に入ってからここまでの道は、雪は払ってあるだろうけど、身に染みる寒さまで拭えるはずもない。お寒かっただろうに……と、女は眉を下げた。あたためて差し上げなくては、と、頬を染めながら。

 正面広場に入って、馬車がゆっくりと止まった。と、その瞬間。何かが飛び出した。女は目を見張る。真っ白な雪の上を、黒い一点のしみ(・・)が動いているではないか!

 しかし、それはすぐに動きを止めた。雪に足をとられ転んだようだ。――そう、しみ(・・)は、真っ黒な髪をした娘だった。娘はすぐに立ち上がり再び駆け出したが、追いついた屈強な騎士に捕らえられた。なお抵抗しているようだがあの細腕では無意味だろう。女は目を細め、口元に妖艶な笑みを浮かべた。真っ赤な唇が完璧な三日月を描く。美しいが、毒を持つ艶姿である。しかし、次に馬車から姿を現した男を見つけ、今度は少女のように目を輝かせた。待ちきれない、と言わんばかりに踵を返し、塔の狭い部屋を後にした。

 彼女の起こした柔らかな風には、甘やかな白檀の香がにじんでいた。



 *****



「っ……放して!」

 フィオレナは腕を振りほどこうとするが、騎士に後ろ手を掴まれてびくともしない。

 その間にスヴァログが悠然と歩みよってきて、抵抗できないフィオレナの顎を持ち上げた。

「たった今逃げ出そうとした者を、どうして解放する? まったく、お転婆は健在というわけか」

 喉の奥でクックと笑い、彼は嘲笑に満ちた顔でフィオレナを見下ろした。

「どうだ、お前の楽しみしていた雪は。俺から見たら冷たくて、蕭然(しょうぜん)としていて……死の象徴のように感じるが」

 フィオレナは、屈辱の想いからこぼれそうになる涙を、唇を噛んで耐えた。

 一面の雪は、道のところだけは払ってある。しかし今フィオレナが立っているのはそんな除けられた雪がまとまっているところで、膝の下まですっかり沈んでいる。編みあげブーツの隙間から雪が入り、骨まで染みる冷気で指先はもう冷たくて感覚がなかった。

 初めて彼に会った二年前。降り積もる雪は見たことがないと言うと、彼は少し寂しげに微笑んで言ったのだ――『何もかもすっぽり覆われて、音まで消えていくようだよ』と。その時フィオレナは、彼が自分の国に対して抱いている思いをほんのちょっとだけ垣間見た気がした。自信を持って豊かとは言い難い、その原因の一つともいえる北国ならではの大雪を、彼は好きとは思えないながらも、それに屈せずその苦難を含んだ上で自国を良くしたいと考えているのが分かったのだ。だから、フィオレナは彼に惹かれたんだと、思っていた。欠点をも愛せる大きな人だと。この人と一緒に、国をより良くしたいと。――なのに。

(痛い)

 掴まれた腕が。冷えた足が。そして、愛する者によって傷つけられる心が。

(いったい何があって、スヴァログ様は、こんな……)

 理解できない悔しさで震える彼女を嘲笑い、スヴァログはくるりと踵を返した。城に向かう彼に続き、護衛たちもフィオレナを強引に歩かせ連れていく。雪のない道に足を踏み出したとき、がくりと膝が折れた。それでも護衛は腕を離さず、無理に彼女を立たせる。そして、ふと立ち止まった。

「スヴァログ様」

 甘やかな女の声が響いた。その親しげな声音に、フィオレナもはっと顔を上げる。

「来てくれたのか、オレーシャ。寒かろうに」

「いいえ、スヴァログ様……貴方がいない方が、よっぽど凍える思いですわ」

 そう言うと、現れた女とスヴァログはそっと抱擁を交わした。それだけならまだいい。しかしスヴァログは、まだ自分の背に腕を回している彼女の前髪を分け、その白い額に、続いて、なんと唇にも、優しくキスをしたのだ。フィオレナはショックで動けなかった。明らかに、兄弟とか友人とかそういった仲じゃない。――二人はどう見ても“男と女”の関係だ。

「あら、まあ」

 初々しい恥じらいを見せるかのようにほんのり頬を紅潮させた顔をこちらに向け、女は驚いた、と呟いた。

「これは、大変なご無礼を……貴女様は、ティアータの王女フィオレナ様ですか?」

 フィオレナは声も出ず、ただ呆然と立ったままだ。代わりにスヴァログが頷く。

「そうだ。数日後、婚儀を取り行わなければならない」

 彼の、まるで義務だから仕方がないというような響きに傷つく暇もなく、

「まあ、なのに、なんてこと!」

 突然、女は悲劇的な声を上げた。

「お前たち、未来の王妃様をなぜそのように拘束しているのです。無礼にもほどがあります! いますぐその手を離しなさい!」

 女の言葉に、フィオレナの両脇を捕まえていた近衛たちはぱっと手を離し、その場にひざまずいた。女に向かって深々と頭を下げる。

(なんなの、この人……まるで自分が女王様のようだわ!)

 フィオレナの抵抗を無視し続けた近衛たちを、いとも簡単にひざまずかせた。近衛たちも、まるでフィオレナよりこの女に忠誠を誓っているようではないか。スヴァログは冷たい光を宿した瞳で、状況を静かに見ているだけ。

「フィオレナ様、申し遅れまして……わたくし、オレーシャと申します。これから同じ王宮で暮らす女性として、ぜひ仲良くしてくださいましね?」

 差し出された手を、フィオレナはどうするべきか分からなかった。混乱する頭は入ってくる情報を整理できない。

「フィオレナ様? お顔の色が優れませんわ、もしかしてお加減が……きゃっ」

 フィオレナの顔を覗き込んだオレーシャだったが、小さな悲鳴をあげて視界から消えた。

「スヴァログ様! まだお話の途中ですわ。それにフィオレナ様のご様子が……」

「いつまでも外にいるからだ。行くぞ」

 スヴァログに腰を抱き寄せられ、オレーシャはフィオレナを気にしながらも彼と一緒に城へと向かって歩いていってしまう。

(どういうこと……? あの人は、スヴァログ様の、なんなの……)

 頭の中がぐるぐると渦を巻く。

 女を見るスヴァログの瞳には、かつてフィオレナに向けてくれたような優しさがあり。“オレーシャ”と呼ぶ声には愛おしさがにじみ出て。抱き寄せる腕は力強く彼女を離すまいとして。

(ああ、私は、どうして、ここに……)

 視界まで回り始め、そしてだんだんと、世界が色を失っていく。湧きおこるのはどうして、という疑問ばかり。

(どうしてみんなは殺されなくちゃいけなかったの。どうして私はここで生きているの。どうしてスヴァログ様の隣にいるのがあの人なの。どうして誰も何も言わないの)

 何が起こっているのだろうか。フィオレナの知らないところで、大きな意思が働いている。

(スヴァログさま、私、どうして……どうして、あなたに憎まれているの……?)

 そこで、ふつっと、フィオレナの意識が途切れた。


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