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冷たい太陽と海の花  作者: 木乃梢
3.悲しみの結婚
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 季節は巡り、二年の歳月が流れた。

 十五歳だった少女は美しい娘に育ち、静かにひざまずいていた。

「あなたはティアータに関するすべての権利を放棄することに、同意しますか?」

 フィオレナは、ティアータの者とグウィネイラの使いの者が見ているなかで、そっと目をつぶった。

 明るくにぎやかなティアータでの十七年を思い返した。

 お父さま、お母さま、お兄さま、マヌエル……私はすべてを、ここに置いていかなければならないのだ。愛しい人のもとへ旅立つには、ここで、何もかもを。

 ――でも、それでも。

「……はい、同意します」

「よろしい。では、こちらへ。出発します」

 儀式用の小さな城の外には馬車が数台とまっていた。これからフィオレナはこれに乗り、北の国境付近の教会に行き、結婚式を挙げる。そこには二年ぶりの再会となるスヴァログがいて、グウィネイラ政治の中枢を担う者たち、ティアータ国王を筆頭とする王家、その分家、有力貴族たちが二人の結婚を祝うのだ。

(あっという間の、二年だったわ)

 御者の手を借りて馬車に乗り込み、フィオレナは窓の外を眺めた。季節は晩秋。木々は色付いた葉を地面にちらつかせていた。


 二年と少し前、フィオレナとスヴァログは初めて顔を合わせた。すべては政略結婚だったが、ティアータの王城にスヴァログが滞在した数日間で、二人は確かに惹かれあい、未来を語ったのだ。遠く離れたあとも頻繁に手紙のやりとりをしてその絆を深めていった。一年後、二人は無事に結婚するはずだった。

 しかし不幸なことに、グウィネイラ国王が急死したのだ。王太子であったスヴァログは必然的に国王になり、彼のまわりは一気に慌ただしく変化していった。喪に服すため、さらに多忙を極めたため、結婚は先延ばしにされたのだった。その間手紙は途絶え、もちろん会うことも叶わず、フィオレナはスヴァログが今どのような様子なのかまったく知らなかった。

(お父さまが亡くなったのですもの……お苦しいでしょうね……)

 もともと体調を崩すことが多かったらしいのだが、その死はあまりに突然で、スヴァログの父王は若すぎた。まだまだこれからが脂ののりどきという男盛りであった。暗殺などという疑いもあったが、先方からはなんの知らせもないし、おそらく純粋に病死であると思われた。

 数時間を馬車の中で揺られて過ごし、フィオレナはすっかり疲れてしまった。ようやく馬車が止まり、目的の教会に着いたらしい。ほっとしてため息をつくと、身の回りのことをする世話係としてはせ参じた侍女ニーナが心配して主人の顔を覗き込んだ。

「姫様、お体大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫。心配掛けてごめんなさい。ちょっと疲れてしまったけれど、こんなことでへこたれていられないわ。さ、行きましょう」

 フィオレナはにっこりと笑って見せ、御者の手を借りて馬車を出た。外はきれいに管理された芝で、緩やかな丘に細い道が続いている。その先に、美しい尖塔を持った教会があった。

 自分はこれからここで花嫁衣装に身を包み、魅力あふれる異国の王の隣に並ぶのだ。そう思うだけで胸が高鳴る。

 スヴァログはどんな男になっているだろうか。今の私をどう思うだろうか。あの時よりもずっと大人になったつもりではあるが、期待していたほど体は成長しなかった。世の貴婦人たちを見ては、フィオレナは自分の体の貧相さにがっくりしてしまうのだ。

(お母さまはとってもグラマラスなのに……私の体はいつまでも子どもっぽくて、嫌だわ)

 教会に入ってすぐに控室に連れ込まれ、大勢の侍女に服を脱がされ風呂に入り、今度は豪華な純白のドレスに着替え、ヘアセットからメイクまで大変な時間をかけて変身させられた。その分仕上がりは完璧で、フィオレナは鏡に映る自分を一瞬疑ったほどだ。

 何枚も重ねたペティコートでスカートはふんわりとふくらみ、もともと細い腰はコルセットでさらに締めてその分寂しい胸を押し上げ、白い肌は惜しみもなく出している。すんなりした首から肩のラインがとても魅力的だった。純白のドレスと対を成すような夜空を溶かしこんだ黒髪は、フィオレナひとりではほどけそうにないほど複雑に編みこまれ、結いあげられていた。ひと房、結わないで肩に垂らした髪がなんともいえない艶を出している。あとは、グウィネイラの伝統のマントをかければ完成だ。

 やがて、フィオレナの母が、彼女の控室にやってきた。

「まあ……美しいわ、フィーナ……なんて綺麗なの……」

 言うや否や、王妃は娘を優しく抱きしめた。

「お母さま……」

 思いがけず涙腺が刺激され、フィオレナはくっと息をつめた。

「本当は、あなたを遠い国に嫁がせるのなんて嫌だったのよ。あなたは大国の王妃なんて柄じゃないもの……どこか、国内の好き合った男性のもとへ嫁いで、王女だと気取らずかわいい子どもたちと一緒に笑い合っている、そんな未来があるのだとばかり……」

 王妃は体を離し、フィオレナの目をしっかりと見ると、次にはにっこりと笑った。王妃の頬も涙で光っていた。

「でも今、ああこれでよかったのだ、と思えました。あなたはグウィネイラ王を愛しているのね」

「……はい、とても」

 王妃は強く頷いて、フィオレナの頬を優しくなでてやった。化粧を崩さないように、そっと涙をぬぐってやる。

「もう、こうすることもできなくなるわね……。あなたはグウィネイラの王妃で、私はティアータの王妃……遠い地で、まだ不安定な関係のお互いの国で、私たちは同じ立場になる」

「お母さま……私っ……」

 母の寂しい笑顔を見て、途端にフィオレナの涙の抑制が利かなくなった。ぽろぽろと、大粒の涙がこぼれていく。

「もっと、もっと、お母さまのお側で色んな事をお聞きしたかった。私、いつもお転婆ばかりでお母さまのお仕事など知らずに生きてきたもの。結婚前の数カ月では、何も分からなかったわ……! 私、不安で不安で仕方ありません。小さなティアータですら不安分子を抱えているのに、気候に恵まれないグウィネイラの国民が素直に統治されていると思えない……私は、微力ながらに陛下と一緒にそれを治めていかなくてはいけないのに……ああ、こんなこと、考えてもみなかった! 今になって、ティアータが、家族が、こんなにも愛おしい……!」

 堰を切って不安を吐き出した娘に、王妃がしてやれることはその涙を拭ってやることくらいだった。

 娘フィオレナは、自分よりもはるかに険しい道を行かねばならないのだ……言葉も習慣も違う、暗い北国へただ一人連れて行かれる。王妃はそう思うと、それを国のためと喜んでいた自分の軽薄さにぞっとすらした。

「ああ、フィーナ……泣かないで、顔を上げてちょうだい」

 母として、女として、そして王妃の先輩として、フィオレナを引っ張り上げてやれるのは自分だ。王妃は彼女の額にキスをした。

「私もはじめは不安でしたよ。でも、私も、あなたも、一人ではありません。愛する夫を持った女は、何よりも強いのですよ」

 そうしてすっと優雅に膝を曲げた。

「グウィネイラの王妃となられますこと、こころより、お祝い申し上げます……フィオレナ王妃陛下」



 *****



「陛下、準備が整いました」

 ラドミルが扉を振り返ると、教会の者が深々と頭を垂れて扉の横に立っていた。

「ご苦労。陛下はすぐにいらっしゃる、廊下で待たれよ」

 今朝は、方々からの「準備が整いました」の報告を幾度となくうけている。今の者の“準備”は、花嫁のことだろう。計画は滞りなく、狂いなく、進んでいる。

 ラドミルは暗い気持ちで主人の背を見つめた。

 グウィネイラの伝統衣装に身を纏い、揺るぎない自信と威厳を持った背中は大きく、たくましい。もはやラドミルだけが遊び相手という小さな王子さまはいないのだ。

 彼は王になった。

「陛下、行きましょうか」

 くるりと振り返った男の顔には、表情がなかった。ただ、灰色の双眸が鋭い光を宿していた。



 *****



 数人の少女に手伝ってもらいながら、フィオレナは歩いていた。誰も一言も話さず静かで、衣擦れの音だけがかすかに響く。ヴェール越しに見る世界は何もかもがふわふわと白っぽくかすみ、なんだか現実味がなかった。

 ひとり、大きな両開きの扉の前に立つ。

 スヴァログはすでにこの扉をくぐり、長い赤絨毯の道の先でフィオレナを待っているはずだ。扉の両脇にいた侍女たちがフィオレナに向かってそろって一礼すると、扉に手を添え、完璧なまでの左右対称でそれを押し開いた。

 強い光がフィオレナの目をさす。同時に、わっと音の世界が降ってきた。フィオレナはふうっと王女の仮面を取り戻し、見る者が見とれるような優雅なお辞儀をした。実際、歓声は一瞬恍惚としたため息に変わった。

 伏し目がちのまま、フィオレナはしずしずと赤い絨毯を進んでいく。視界の端に白いグウィネイラ伝統の王のマントをとらえた時は心臓が口から出るかと思うほど高鳴った。

 大きな存在感の隣に並ぶと、ゆっくりと、向かい合わせにさせられた。

「フィオレナ」

 吐息の混ざる低い声に、ついに、フィオレナは相手の顔を見た。

「スヴァログ様……」

 二年ぶりの彼。

 思いもかけず、フィオレナの目のふちに涙が盛り上がった。

「二年の間に、ずいぶんと、美しくなられた……ああ、本当に、俺は幸せだ」

 輝く灰色の双眸にとらわれ、フィオレナは脳髄までとろけそうになった。ヴェールがあってよかった、と思うと同時に彼がゆっくりとそれを持ち上げてしまう。大きくあたたかな手が彼女の頬を包みこみ、無骨ながらやさしい指が涙をすくう。

「あなたを生涯、愛し抜こう。俺とともに、来てくれるか?」

 司教の伝える神の言葉などいらなかった。フィオレナはまっすぐスヴァログだけを見て、フィオレナのすべてはスヴァログで、彼だけが、フィオレナの大きな未来だった。

「はい……はい、どうか、私をお側に……スヴァログ様」



 そのとき、フィオレナの視界は涙でぼやけていた。ティアータ国王も、その王妃も、兄王子も、みんな、若い二人の幸せそうな姿に二国の輝かしい未来を見て、そのまぶしさにすべてを奪われていた。


 だから何も見えなかった。


 スヴァログの不敵な笑みが。ラドミルの何かを断ち切ったような覚悟の顔が。グウィネイラ側の参列者の燃える瞳が。

 

 ――すべてが、ここで終わり、そして、始まった。


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