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スヴァログは実に楽しんでいた。
ティアータは、国土自体はさほど広くなくとも経済の面で近隣諸国の上をゆきリードしている強国だ。そんな国の王女だというのだから、どんな深窓の姫君で、気位もプライドも高い女なのかとうんざりしていたのだが、実際の姫はその反対をゆく、なんともおてんばで親しみやすく、素朴な少女だった。素朴、といってもその魅力は並みではない。少女ながらに美しく、黒い髪と瞳は白磁の肌と相まって輝くようだ。グウィネイラの女たちの冷たいまでにすました容姿よりよっぽどいい。
しかも頭もいいらしい。先ほどから、グウィネイラ語でスヴァログと何の不安もなく会話しているし、グウィネイラのことを教えてくれ、と願う様子は知ることに貪欲な様子をうかがわせた。
「そうですね……グウィネイラはとても寒い国です。つい十日ほど前、初雪が降りました」
「雪……雪が、もう?」
「ええ、たぶんあと一月もすれば、あたり一面真っ白になるでしょう」
するとフィオレナは目をきらきら輝かせて、スヴァログを見上げた。
「私、そんなにたくさん積もった雪って見たことないんです! ティアータは海風が強いので、冬でもあんまり雪が降らなくて……。本当に、真っ白になるんですか?」
「そうだね、何もかもすっぽり覆われて、音まで消えていくようだよ」
想像をしているのか、ほうっと息を吐き出して、フィオレナは完全に夢見る少女の図だ。
(うーん、そんなにいいもんじゃないと思うけど……あんな、死の世界のような静寂は……)
毎年やってきて、一年のうちのほとんどを支配しているグウィネイラの冬を、スヴァログはあんまり好きでなかった。
「あ、でも、スヴァログ殿下がいらっしゃれば、そんな雪も溶けてしまうかもしれませんね」
「……は?」
意味が分からず、楽しそうに笑う少女をスヴァログはきょとん、と見つめた。あんまり手ごたえがなかったからかフィオレナははっと笑顔をひっこめて、恐る恐る尋ねた。
「殿下のお名前、グウィネイラの神話に由来しているようでしたので……あの、違いましたか?」
「あ、ああ、太陽と火の神、ですか」
「はい!」
正直驚いた。まだ同盟の話が持ち上がって三月ほどしか経っていなかったはずだ。グウィネイラの言葉がずいぶん堪能なだけでも称賛に値するが、神話にまで目を通しているのか。
(ただのおてんば王女様じゃないってことか……)
頭の良すぎる女は嫌いだった。王妃となる者は、相手にしていてイライラしない程度の知識は持っていて、政治には口出しせず、金を浪費しすぎない、まあそれなりの女でいいと思っていた。――だが、この少女は、嫌いじゃない。好奇心が強くて知ることが好きな、知的な人だ。利発で明るくハキハキしゃべる、こんな人が、雪に閉ざされたグウィネイラには必要なのかもしれない。
「グウィネイラの王家は、神話から名前をとる王が多いんです。私の父も雷の神の名をもらってます。フィオレナ殿下のお名前も、何か意味が?」
「私の名は、花、という意味です。春に生まれたので……。覚えやすいでしょう?」
「ええ、明るくて美しい、あなたにぴったりの名だ」
スヴァログが言うと、フィオレナは頬を朱に染める。その様子にスヴァログは小気味よく思ってやさしく笑った。
(なんて素直で、初々しい人だろうか)
スヴァログは、素直に、フィオレナのことを好きだと思った。
まだ少女だということを差し引いて、屈託のない笑みもすっきりした性格も、屈折した環境に置かれてきたスヴァログにはまぶしいくらいに魅力的だ。
ころころと笑ってよく喋る少女をあたたかい思いで見つめながらいると、扉が控えめに叩かれた。
「……殿下」
「ラドミルか。どうした、入れ」
扉から顔をのぞかせたラドミルは、フィオレナににっこりとほほ笑みかけて会釈をし、スヴァログに向き直った。
「そろそろ、お時間です。王女様の侍女さんもそわそわしてますよ」
「まあっ、もうそんな時間? ごめんなさい、私ったら、ぺらぺらおしゃべりがすぎたわ」
「いえいえ、あなたのお話はとても楽しかったですよ。俺もあんまりしゃべるほうじゃないですから」
しゅんと肩をすぼめるフィオレナだったが、スヴァログの言葉に嬉しそうに微笑んだ。
ラドミルが開けて抑えた扉の向こう側に、ニーナが待っていた。
「では、今日は本当にありがとうございました。またこうしてお話できると嬉しいです」
「こちらこそ、ありがとうございました。グウィネイラ語で、俺が楽をさせてもらってしまって……」
フィオレナの後ろについて、扉のそばで立ち止まった。彼女は最後にくるりと振り返ると、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「では、次の機会には、ティアータの言葉で殿下のことをお話くださいませね」
「おや、ずいぶん難しい宿題を……」
ふふ、と声を漏らして、優雅に膝を折ると、フィオレナはニーナと一緒に廊下の向こうに消えた。
その姿がすっかり見えなくなってから、ラドミルはにやりと王子を横目で見た。
「……おやおやまあまあ、これが本当にスヴァログ・シーア・ウィクター様でしょうか? あんなに不機嫌だったのに、今じゃ恋する乙女のような瞳をしてらっしゃる」
「ラディ……」
「私も外から聞き耳立ててましたけどね。ひねくれて屈折しているあなたに必要な光、といったような、素晴らしいお姫様ではないですか。お姿も今でも十分可憐ですが、あれは数年後、化けますよ。良かったですねー、どこかほかの男に目をかけられる前に自分のものにできて。いやはや、これはますます、先が楽しみです」
ぺらぺらと陽気に喋る近臣を押しのけてスヴァログも部屋を出た。与えられた客室に行くまでの廊下でもラドミルの口は回りつづけ、スヴァログが部屋のソファに腰を下ろしてようやく、話の矛先を主に向けたのだった。
「で、どうでした、殿下。その様子だとまんざらでもなかったようですけど」
すべてお見通しだというのが気に喰わなかったが、確かにラドミルの言うとおり、スヴァログはずいぶんと彼女を気に入ったのだった。年とか国とか関係なく、ああいう人を、純粋に好きだと思えたのだ。それは、生涯の伴侶として暮らしてもいいだろう、と決意できるほどに。
「彼女は……フィオレナ殿下は、グウィネイラに必要な風、だな」
ラドミルは、そんな詩人のような例えに首をかしげた。
「グウィネイラだけでもなく、俺にも、ああいう人が必要なのかもしれない」
「――ほほう!」
パンッと手を叩いて、ラドミルは破顔した。
スヴァログもふふっと笑うと、目を閉じソファに身を沈めた。その瞼に映ったのは、先ほどまで目の前で輝いていた、花の笑顔だった。