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冷たい太陽と海の花  作者: 木乃梢
2.ティアータにて
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 ガタゴトと、馬車の不規則な動きに揺られてすでに半日が経つ。

「まだ着かないのか」

 不機嫌そうに腕を組んでいる青年が、様子に違わない不機嫌な声で向かいに座る人物に尋ねた。

「おそらくもう数十分で城下に入ります。それより殿下、見てください! この国の自然は本当に美しい。我々の祖国ではもう雪がちらついているのに、こちらではまだ木々に葉がついておりますよ」

 楽しげに窓の外を見る近臣ラドミルに、グウィネイラの王太子スヴァログはため息をついた。

「お前は本当にお気楽だな」

「あなたが真面目すぎるんでしょ、王子サマ」

 スヴァログは再び盛大なため息を吐き出した。この国に入ってから、近臣ラドミルはずっとこんな調子だ。こちらの気力を吸い取っているのではと疑いたくなるほどに機嫌がいい。二十代も後半に差し掛かった大人が、何をそんなにはしゃいでいるのか。こちらの気も知らないで……。

「ラディ、俺はお前の教育を誤ったみたいだな」

「おやおや、私は五つも年下のあなた様に教育された覚えはございませんが?」

「……年上面はずるい。俺はお前の主人で、グウィネイラの王太子なんだぞ」

「ほお、いつからそんな職権乱用するようになったんです? ワガママも不機嫌も、謁見までには治してくださいね」

 あっけなくあしらわれて、スヴァログはまたムッとした。ラドミルは彼の余裕のなさを分かってからかっているのだから、なお性質(たち)が悪い。

 ラドミルとスヴァログの間でさえ、五つの年が離れている。でもスヴァログは、これから自分よりさらに六つ下の少女――そう、まだ娘でもない――を娶らなければならない。国のためなら愛のない結婚くらいできる。後継ぎがいるというのなら何人の女とでも閨を共にしよう。だが……そこに、子供を組み敷くつもりはない。

「陛下はなぜティアータと盟を結ぼうなど……もっと適齢の女がいる国は、いくらでもあるだろうに」

「そこは私も疑問です。ですが……我が国と国境が接していなくて、かつ経済的余裕がある国といえば、やはり一番に挙がるのはティアータでしょうね。かの国の強大化を恐れている近隣諸国も、地理的に距離のある貧乏大国グウィネイラだったら、都合よくティアータの金を吸い取りつつ強すぎる結束はしないでお荷物となる、と考えて応援してくれるでしょうし」

 理詰めではその通りかもしれない。でも、スヴァログはやっぱり納得がいかない。同盟を目に見える形で示すには結婚が一番有効だし、それは王子と王女同士のほうが派手で分かりやすくていいに決まっている。しかし、別に大貴族の娘だっていいわけだ。むしろその方がティアータの勢力がグウィネイラに浸透しにくいのではないか。確かに人質という意味では王女のほうが有効的だが……。

 押し黙って考え込むスヴァログに、ラドミルも向き直った。

「……そんなに年齢を気にしなくてもいいのでは? どうせ結婚はもう少し先の話ですし、14、5歳での結婚なんてざらですよ」

「そう、だが……」

「あーもう。ヴァルって本当に年下が苦手ですねえ。環境が環境だから仕方ないとは思いますけど。でも年上の女性がそんなに好みなのも変わってますよ。第一、あなたより年上っていったらもう女性としての結婚適齢期なんて過ぎちゃってる残り物組じゃないですか! 私は羨ましいですよ、そんなに若い奥様を得られるんですから。しかも噂では大層な美人と聞き及んでいます。贅沢言わないでください。それに、結婚前にこうして顔合わせできるってことだけでもかなり幸せじゃないですか」

 だいたいあなたという人は……と、ラドミルの話はそのあともずいぶん続いた。初めて会ってから現在に至るまでのエピソードの数々。スヴァログは本日何度目か分からないため息をこぼした。窓の外を見ればすでに城下町に入ったらしく、このグウィネイラ王太子一団を人々が熱烈に歓迎していた。

 本当に、我が国とは違って活気のある国だ――と、スヴァログは目を細めた。



 *****



 謁見室に入って、スヴァログはひざまずいた。あまり慣れないティアータの言葉で名乗る。

「グウィネイラ王が子のスヴァログ・シーア・ウィクター、こちらは従者のラドミル・ボリスです。お招きくださり光栄に思います、ティアータ国王陛下」

「いやいや、こちらこそ御足労をお掛けして申し訳ないね。どうぞ、楽に」

 言われて初めてまともに、かの国の王の顔を見た。声もそうだが、実に優しそうで穏やかな男に見える。それとは対照的に、隣にいる細身の男は威圧的で眼光が鋭く、無表情で立っている。おそらく文官、宰相だろう。しか眼力だけで言ったら騎士にも勝るとも劣らない。

「父も御前に出ることを望んでいましたが、なにぶん自由の利かない身の上ですので、諦めたようです」

 その言葉にティアータ王は声をあげて笑った。掴みは成功だろう。

「グウィネイラ王は、その昔、我が王妃と面識があったそうだ。それゆえ、懐かしい顔を見たいと思ったのであろうな。――さて、ここまでは長旅であったでしょう? 今日はゆっくりお休みなさい。顔合わせは、明日、落ち着いて行えばいい」

 正直さっさとかの方の顔を見て祖国に帰りたいところだが、ティアータ王も父王も、スヴァログをこの国に数日間滞在させるつもりらしい。

(まったく、婚前の男女を一つ屋根の下に、なんて何をたくらんでるんだか)

 結婚することはほぼ確実とはいえ、グウィネイラもティアータも女の貞操には厳しい。婚前交渉は一般的ではないし、そんな噂が立てば女としては死ぬほどの恥辱になるだろう。もちろん、スヴァログとしては子供に手を出すつもりなど毛頭ないが……。

 感情は顔に出さず、真面目くさってスヴァログは頭を下げた。

「有難きお言葉、痛み入ります」

 ティアータ王が軽く手を上げると、壁際に控えていた侍女が進み出てスヴァログとラドミルを部屋へ案内した。

 部屋に入り侍女が世話をし終えて出ていくなり、ラドミルは盛大にため息をついた。

「はあぁ、緊張したぁ……。陛下の隣の男、なんつー眼力」

「あれは宰相だったか」

「そうでしょうねえ。完全に、こちらを値踏みしている目でしたよ」

「ま、仕方ないさ。大事な娘を嫁に出すんだからな」

 とりあえずこの部屋の周辺には見張りなどはいないとなると、ずいぶんと信頼してくれているほうだろう。ラドミルは人の気配に敏感だし、スヴァログも鈍くはない。ラドミルがこうして話し出したなら安心していい。

「今日はもう、お言葉に甘えて休むとするよ。……そういえば、リエブは大丈夫だろうか?」

 馬車が嫌いなスヴァログは国から自分の愛馬リエブを駆って、ティアータの首都に近づいてからやっと馬車に乗ったのだった。リエブは月毛の馬でスヴァログが5歳のときから一緒におり、王子自ら世話をしてきた相棒だった。兄弟や親しい友人のいなかった彼にとって、リエブは何よりも誰よりも愛し信じることのできる存在だ。

「ご心配せずとも平気でしょう。無理を言っていつもの下男を連れてきたのは殿下のはずですが?」

「ああ、そうだったな……でも、やはり知らない土地に数日滞在させるわけだし、」

 するとラドミルはくすくすと笑った。

「愛しの王子様の敬愛する友人が馬だと知ったら、ティアータ王女はどんなお顔をするでしょうね」

「馬臭いと嫌な顔をするだろうな。高貴な女たちは、みんなそんなもんさ。自分を着飾ることにしか興味がない」

 鼻に皺を寄せて吐き捨てる言葉は実感を伴なっている。スヴァログが心から信頼しているのはラドミルとリエブくらいなもので、馬なんかを友と呼ぶ彼を見ると、女たちは引きつった笑みを浮かべて遠ざかっていくのだ。侮蔑の表情を隠しきれていないので、スヴァログには彼女たちの思考が手に取るように分かる。

 スヴァログはふと、バルコニーの窓に近寄った。外にはよく手入れされた庭園が広がっていて、思わず感嘆のため息が漏れる。祖国の地はそろそろ雪に覆われようとしているのに、こちらでは木々が見事に色づいた葉を広げている。よく見れば花も咲いていて、この国の豊かさを象徴しているかのようだった。小さな噴水の周りを少女と犬が駆け回っていたが、年長者に連れられてどこかへ行ってしまった。その様子すら、平和で穏やかなこの国を思わせる。

「ラディ」

 小さなかすれ声にラドミルはそっと、彼の背を見つめた。

「俺が王女と結婚すれば、我が国はティアータのこの恩恵を、少しでも受けられるのだな……」

 スヴァログはこちらを見ていなかったが、ラドミルは、微笑を浮かべて無言で頷いた。


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