3:語る
夕食後に帰宅した父を交えて、母はタロウに昔の俺の写真を見せようとした。笑顔でアルバムを広げようとする彼女を、やんわりと制止する。母ばかりか父も不思議そうに首をかしげた。実の所、なぜアルバムをタロウに見せたくなかったのか自分でもよく分からない。嬉しそうに父の膝に乗って母に頭を撫でられている子犬を邪魔したくなかったのかもしれない。しばらく皆で談話して(といっても、タロウは終始にこにこしているだけで一言も話さなかったが)十時を過ぎた頃、タロウは目を擦り始めた。眠いのだろう。
「あら、もうこんな時間。楓、あなたの部屋に布団を敷いておいたから、太郎くんと一緒に寝てあげてね」
「たまにはお前も早く寝なさい。夜更かしは健康に悪いぞ。じゃあ太郎くん、おやすみ」
穏やかな表情の両親に、タロウは満面の笑みで手を振った。
いつもだったら、部屋に入った瞬間にパソコンの前に座る。それがごく当たり前のことになっていたのだ。しかし、どうしてか今日は全くそんな気がしない。パソコンが視界に入っても、特に何もする気にはならなかった。ベッドの横に綺麗に敷かれた布団にタロウを導く。きょとん、としている小さな体を横たえた。
「ここで寝るんだぞ」
言っても分からないだろうから、枕に頭を乗せてやり、布団をかけた。ふんわりとした寝具の上からポンポンと軽く叩く。
「おやすみ、タロウ」
子犬は瞼を閉じようとしない。何か言いたげな瞳でジッと俺を見ている。見つめ返しているうちに、ハラリと記憶の糸のひとつがほどけた。ああ、覚えがある。幼い頃に「おやすみ」と促されても素直に目を閉じられないことがあった。眠くなかったわけじゃないのに、そのまま微睡みの世界へ入りたくなくて。そんな時、母は……。
俺は無言でタロウの横に寝転がった。不思議そうな顔をする子犬の柔らかな髪を不器用な指で梳きながら、俺はボソボソと呟き始めた。
「むかしむかし、あるところに……」
寝たくないとむずがる俺に、母は怒った顔ひとつせず、優しく昔話をしてくれた。その妙に安心感を与える声音に耳を傾け、物語に夢中になっているうちに寝てしまい、翌日に続きを聞かせろとせがんだものだ。さして面白くもない話に夢中になれたのは、そこに温かな気持ちを感じたからだろう。犬に言葉は通じない。けれど、気持ちはきっと伝わる。どちらかというと聞き心地の悪い声に、それでもタロウはとろとろと眠り始めた。いつしか繋がれていた掌の温みに誘われて、俺もそのまま瞳を閉じた。
翌朝、カーテンの合間から零れる一筋の光に起こされた。俺にピトリと体を寄せている小さな体とその安心しきった寝顔を見て、思わず口元が緩む。残された時間はあと十時間ほど。俺は課せられた宿題をクリア出来るのだろうか。段々と膨らむ不安を意識しないようにして、そっとタロウの体を揺すった。




