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2:染みる

「まぁ、楓!可愛らしいお客さんね」

 ひとまず少年の手をひいて家に帰ると、玄関まで出てきた母親が破顔した。彼女は大の子供好きなのだ。事情があって友人の弟を預かることになったのだと言うと、母はあっさり騙されてくれた。

「そうなの。いらっしゃい、僕、お名前はなんていうのかしら?」

 少年はきょとんとした表情で母を見上げている。元が犬なのだから、言葉が分からないのだろう。帰宅途中に何度も話しかけたが、少年は一言も発しなかった。だからといって、名前がないのはまずい。とはいえ、ポチなどと安易な名前はつけられない。

「……タロウ。こいつの名前はタロウだよ。人見知りがひどくて、めったに話さないんだ」

「まぁ、そうなの。困ったちゃんね、太郎くんは」

 言葉に反しちっとも困っていない母は、愛しいものを見る目で子犬の少年の靴を脱がせている。ポチもタロウも余り大差ない気もするが、つけてしまったものは仕方が無い。タロウの方がやや人間味があるだろうし。まぁ、どうせ一日だけなんだ、と俺は軽く考えていた。

「楓。太郎くんをお風呂にいれてあげなさいな。ついでにあなたも入っちゃいなさい。さっき沸かしたばかりだから、いいお湯加減のはずよ」

 そう言い残し、タロウの頭を撫でてから母は台所へと立ち去ってゆく。それを見送る少年の腕を引き、俺は風呂場へと向かった。


 風呂から上がった頃には、タロウは言葉を発しないものの、表情をコロコロと変えるようになった。それはとても無邪気で、純粋な可愛らしいものだった。そして、嬉しそうに笑う顔のなんと多いことか。真新しいタオルの匂いをかいだ時、母が笑いかけた時、目の前に並ぶ平凡な家庭料理をきょろきょろと眺める時。そんなことが嬉しいのかと思ってしまうような時に、澄んだ薄茶の瞳は喜びの色に染まり、きゅっと細められるのだ。

 しかし、その表情を見るたびに、俺の心には苦い何かが溜まってゆく。俺には「子犬に幸せを教える」という役目がある。そのことを、子犬の笑顔が思い出させるからだろう。

 幸せとはなんだろう。

 そんな疑問が胸に浮かんでは消え、消えては浮かぶ。こうして何気なく夕食を摂っている間にも、タロウの残り時間は減っている。とても一日で出せる答えではないのに、その結果を子犬に示さねばならないのだ。

 幸せとは、一体なんなんだろう。

 金持ちであること?健康であること?美しい容姿を持っていたり、素晴らしい特技をもっていること?望みが何でも叶うこと……?わからない。そんなこと、俺が知りたいくらいだ。そもそも、俺はどんな時に幸福を感じているのだろう。覚えがない。自分が分からないことを、どうやって他人に教えろというんだ。

 隣に座る小さな横顔を眺める。タロウは、丸い目を輝かせながら卵焼きを頬張っていた。食器を思うように使えない少年に、母が根気よくフォークに食べ物を刺しては手渡している。そんな光景が妙に胸に染みて、俺は思いきり米を頬張った。

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