内戦 2-4
涼しい風が髪を揺らしてくすぐったかった。オキシドールと血の臭いが鼻の射して気持ちが悪い。
目を開けるのがしんどくてなかなか開けられない。っていうか開けるのがめんどくさい。なんか音はするけど、何の音かも分からないほど頭が回らない。
やっとの事で静かに目を開けるとぼんやりとした視界が広がった。少し経ってからだいぶ視界がはっきりしてきた。天井から横に視線を移すとさっきからしていた音の正体の心電図が見える。
あれ? 俺ってこんなに心拍数低かったけ? 部屋の扉が大きく開くと、そこから看護婦が入ってきた。
「エファト大尉、お目覚めになりましたか。もうすぐ診察の時間ですから、もう少し待っててください。」
看護婦はそう言い残すとにこっとこちらに笑いかけ、病室から出て行った。
病室の扉が閉まるのを見届け、目線をまた天井に戻す。体を起こしたいが体全体に力が入らない。辛うじて動かせるのは負傷の少なかった右腕だけだが、こちらも感覚が麻痺してなかなか思うように動いてくれない。自分の体なのに自分の意志で動けない自分にいらだちながら上半身を起こすように努力する。病院の寝間着から見えるぐるぐる巻きの包帯が自分で見ていて痛々しい。
数十分たって、やっと上半身を起こすことができた。上半身を起こすだけなのに汗だくだ。上半身を起こしてすぐに腹部と左胸に激痛が走った。膝を抱え、下唇を噛み締めて痛みに耐える。傷は開いてはないようだがとてつもなく痛い。
数分経ってやっと痛みが治まり、力を抜くと体を支えていた力も抜けてベッドに倒れてしまった。何だよこんな怪我でへばりやがって……早く仕事場に行かないと今頃仕事が溜まっているに違いない。そこにあの二人の仕事まで来たら……あぁ、あいつらは俺を殺す気なのだろうか……窓から吹き込む風が涼しく、かいた汗を乾かしてくれる。腹部と左胸の痛みは不規則に脈打つ。もう一度上半身を起こそうとすると今回は一回目より時間はかからなかった、しかしその分その後に来る激痛がひどい。
その時、病室の扉が開いた。病室に入ってきたのは婦長さんと看護婦さんだった。無理矢理体を起こした俺と目が合い、二人とも沈黙。
「エファト大尉、何やってるんですか! まだ起きれるような体じゃないんですから! 早くベッドに寝てください。」
看護婦は体を起こしている俺を見て、すぐに俺をベッドに寝かせる。
せっかく体を起こしたのに、またベッドに逆戻り……悲しいものだ。
体を動かす事ができないのでこの病室で診察を受ける。聴診器で心臓の音を聞いたり、点滴を打ったり、内臓がちゃんと機能しているかを調べたり、傷に化膿止めを塗ったり……正直言ってめんどくさい。
こんな傷もう2・3日したらきっと治ってるさ。診察中そんなことばかり考えていた。窓の外の流れる雲をただただ見つめ、くだらない診察が終わるのを待っていた。最後に患者衣を着直して診察終了、看護婦さんは診察結果を記入しながら病室を出て行った。
「化膿してないからいいけど、まだ傷は完全に治ってないし、今は痛み止めで痛みが治まっているけど、痛み止めが切れる夜になると本来の痛みがあるかもしれないから、その時はナースコールで呼んでね。あと、まだ無理に体を動かすと傷口が開くからあまり無闇に体を動かさないように! 分かったわね。」
婦長さんはそう言ってナースコールを俺の真横に移動させた。そんな横に置かなくても、届くよ……俺、そんなに腕短いか? “いいですか”と婦長さんが聞き直したので、了解の意味をかねて辛うじて無事な右手を挙げてひらひらと振る。婦長さんはため息を一つして、最後にまた“何かあったらナースコールですよ。”と念を押して病室を出る。
動かすなと言われると動かしたくなるのが人間の性質だ、痛み止めが効いている間に体を動かしとかないと体と頭がおかしくなりそうだ。またしても上半身を起こと、点滴を打ったばっかりだったので痛みはそこまで無かったがやはり少しは痛みが走った、何より体全体が重た。下半身はそこまで痛まなく、足をベッドからおろしてちゃんと座る。数秒でできるこの動きをするのにどれだけの時間がかかっただろうか・・・ベッドの下に置いてあるスリッパをふつうの数十倍ゆっくりのスピードで履き、腕に力を体を支え、立ち上がろうとする。立ち上がって足に力を入れ、一歩ずつ確実に病室の扉まで歩み寄る。やっとの事で扉の取っ手に手を掛けるところまで来た……しかし、
ガラッ
扉が開き、取っ手が動いたので体の支えが無くなり床に倒れ込む。顔を上げたときに見えた顔はジーニアスとブレインだった。
「おい、お前なにしてんの? 立てる体じゃないって婦長さんに聞いたんだけど。」
嫌なところで嫌な奴らに会ってしまった……よつんば状態になっている俺を冷たく不審な目で見る。
「いや……仕事場に戻ろうかと思って……」
下を向きながらあいつらと目を合わせないようにそう言い、力と言えないほどの力を腕に入れて、立ち上がり、ベッドへ戻る。ベッドに戻って、二人を見てみると二人は呆れたような目をして俺を見る。
「はぁ? 仕事に復帰するだぁ? いつも馬鹿な事言ってるけど、現在はさらに馬鹿に拍車がかかったな。きっとボコボコ身体に穴空けたから、どっかの部品が欠落してるんだな、かわいそうに。俺が探してきてやろうか? きっと一番でかいネジだ。心配しなくてもすぐ見つけてきてやる。」
口は笑っているが、声と目が笑っていない……それどころか怒っているように聞こえる。ジーニアスはベッドの横の椅子に座って窓の外を見ている。もう、怒る気にもなれないらしい。
「な、何が欠落だ! 俺は至って正常だ! 俺はただ病室でじっとしているのが性に合わないだけだ!」
言い返さない方がいいのは分かっているがここで言わなかったら、これから何も言い返せなくなってしまう。言い返すとブレインは笑っていた口が笑わなくなり、無表情に戻る。
「性に合わないねぇ……お前ってなんて言うか、自虐的だよな。人はズバズバ殺してるくせに、なに? もしかして“本姓はMです。”みないなノリ?」
ブレインはそう言って俺をにらみつける。どうしていいのか分からずにそのままじっとしておく。しかし、さっきまで座っていたジーニアスが急に立ち上がり、俺の前までやってきた。
「ベッドに縛り付けてやろうか? その方が仕事我慢しなきゃ! みたいなので、快感を覚えるんじゃないの? 俺はそういうのよくわかんねぇけど、お前が悦んでくれるなら、ちょっと嫌だけど協力するよ。任しておいて!」
ジーニアスはにこにこと笑いながらそう言った。なにがわかんねぇだ……お前は完全Sだろうが!
「誰が悦ぶか!? それに俺は自虐的なんかじゃねぇよ。単にこの病室のアルコールと血の臭いが耐えられないだけだ!」
この病室どころか、病院自体の臭いが耐えられない……消毒の臭い、薬の臭い、腐った肉の臭い、血の臭い……それが全部まとまっているのが病院だ。だから病院は嫌なんだ……
「血の臭いが嫌だ、なんて……。もしかしてヴァンパイア? 食欲をそそられて、いつ誘惑に負けるかどうか気が知れないから、とか言う……うん。我ながら、おもしろい説だ、ジーニこの噂流そうか? カロン・エファト、ヴァンパイア説!」
ブレインとジーニアスは笑っているが、俺はそれどころじゃない……体中は痛いし、座ってるのがやっとなのにこんな冗談言われたら、つっこむのに体力使うじゃねぇか……
「そんなことあるか! お前らこそ頭のネジ落としたんじゃないのか? 血の臭いが嫌なのは、戦場でかぎすぎたからだよ……何でなんでヴァンパイアになるのか俺には分からん……」
座ってるのがしんどくなり、スリッパを脱ぎベッドに寝ころぶ。やっぱりこうやってるのが一番楽だ。しかし、こいつらが俺を見下ろしているみたいで、少しむかつく・・・ブレインは俺の話を聞いて“あぁ、なるほどね・・・。”と小さく呟いた。
「っで本題に戻すけど。後はお前の勝手にしろ。俺は誰がどこで死のうが関係ない。自分の体調も管理できないような馬鹿な奴は特に関係ないし、興味もない。ただお前が倒れて、俺にお前の分の仕事が回ってきた時は、この手でお前を殺しに行くからな。そうしたらお、お前はいなくなったことだし、お前の仕事は無くなる。よって俺は仕事をしなくて済む。これで一件落着だ!」
ジーニアスはそう言って少し怖い顔をして俺に向かって言った。俺は言い返しようが無く、黙って考える。確かに自分の体調管理は軍人として基本中の基本。それができないのは軍人として最悪だ。こいつらの言うことは正しい。でも、自分の中の仕事しなければと言う気持ちをどこに持って行けばいいのか分からない。でも、ここでもめたら俺が殺されかねない・・・
「てめぇら普通に残酷な事言うなよ。分かったよ・・・このアルコールと血の臭いが充満した病室でじっと空を見てればいいんだろ。」
気にくわないがそうすることしかできないので、そうすることにした。こんな傷で休んでられないのに、こうすることしかできない自分にむかつきながら病室の窓の外を眺める。
「まぁ空を見る必要性があるのかどうかは疑問だけど、その方がお前自身の為にもなるんじゃない?
よかったよ。お前がそこまで馬鹿じゃなくて。危なく話せなくなるところだったよ。じゃぁまた、見舞いに来てやるから、見舞いにもらったお菓子とかちょうだいな。」
いつもの笑顔に戻ったブレインとジーニアス。ジーニアスは俺の病室の引き出しから紅茶の葉っぱを取り出しポットからお湯を注ぐ。いつの間にこんなもの俺の病室に置いたのだ・・・
「お前らは食べることしか頭にないのか?俺は空が見るのが好きなんだよ。じゃ、菓子以外の目的で見舞いに来てくれや。」
病室の窓から見える空をじっと見てからジーニアス達の方をみる。いつの間にか紅茶の用意ができていた。でも、身体を動かすのがしんどく、痛いので紅茶は飲まないことにした。俺紅茶派よりコーヒー派ですし・・・
その時、体中に激痛が走った。まだ痛み止めが切れる時間じゃないのに・・・腹部と左胸に肉がえぐられたみたいな激痛が走り、額に脂汗はにじみ出る。自分自身に何が起こったか分からず、痛みに耐える事もできなかった。声にならない叫び声を出している俺に何が起きているのか分からないが、二人は俺が苦しんでいることは分かったようだ。とりあえずナースコールに手を伸ばすが身体全体に力が入らずボタンが押せない。ボタンに指をかけた時、ブレインの指が俺の指を押してくれた。機械音が小さく鳴り響く中えぐられたような痛みが脈打ち、大きく呼吸をして必死に痛みに耐える。数分して看護婦が病室に入ってきて、心電図や点滴を確認しながら意識が薄れる俺に声を掛けている。そうもしているうちに婦長さんが病室に入ってきてた。入ってきた婦長さんはどうやらもう状況が分かっているようだ。婦さんは病室に入ってきてすぐに俺の腕に注射を打った。どうやら痛み止めらしい、痛み止めを打った後数分してだんだん痛みが和らいでいく。痛みの後にどっと疲れが来た。体を横にしたまま戻すことができずに固まる。動けない・・・
「もう、無理に体を動かしたりするからこんなことになるんですよ。薬も万能じゃないんですから。」
婦長さんはそう言って、棚の上に痛み止めの薬と化膿止めの薬を置いて病室を出て行った。看護婦は動けないでいる俺を仰向けにしてから病室を出て行った。なんかとても惨めな気分だ。
「ほら、怒られた~もうこんな無茶すんなよ。じゃ俺たちは仕事に戻らなきゃな。」
ジーニアスはそう言って椅子から立ち上がり大きな伸びをした。こいつ、俺が苦しんでいるときにのんきに座ってお茶飲んでやがった・・・まぁこいつはこんな奴だと思っていたが、ここまでひどい奴だとは思わなかった。でも・・・俺もこいつらに心配させたんだよな・・・怒るに怒れない・・・
「おう、仕事がんばれよ。俺もすぐ退院して戻るからよ。それまで俺の仕事増やすんじゃねぇぞ。」
俺がそう言うと、二人は笑顔で“いや”と言って笑いながら病室を出て行った。
急に静かになった病室には部屋に鳴り響く無機質な音が規則正しく永遠に響いていた。窓の外に目をやると、綺麗な秋空だった。
次はなかなか長くなりそうです……
ってか、カロンが可哀想……