ブレイン・リラクスト 5-2
幼い頃から親とは仲は良くなかった。
特に父親とはどうしても話が合わず、何度も喧嘩をしていた。
最終的に口もきかなくなった。
でも、どこかで父親のことを慕っている部分もあった。
そりゃ、父親だ。
本当に嫌いになることは出来なかった。
自営業をしていた父親の元で暮らしていた俺。
昔は裕福だった。仕事が軌道に乗っていた時は裕福な暮らしも出来たし、弟妹たちも私立の幼稚園に通えるぐらいお金はあった。
父親と母親、三つ下の弟と五つ下の妹の五人家族。
昔はそれなりに幸せだった。
至って普通の家族だった。
だが、この町は軍事が大きな力を握っている。軍備施設や軍事工場などがこの町の経済を大きく左右することになる。
つまり、仕事の経済状態は軍事と比例する。
高等部二年の時に他国の大きな戦争が終わった。
そうすると軍事の仕事は減り、この町は一気に不景気になった。
それはもちろんこの町の人にとってはとても辛いことだ。
皮肉なことに、この町はどこかで戦争をしていてくれた方が、裕福な暮らしが出来るのだ……
この不景気のせいで、俺が高等部の二年生の頃、父親の仕事も不安定になり、家には借金がどんどん貯まっていった。
父親の仕事はどんどん減り、父親は夜にバイトをしながら昼は仕事を探していた。
そのせいで両親は毎晩のように喧嘩をしていた。
妹達が寝静まった後に二人は口喧嘩をしている声が2階の俺の部屋にまで聞こえてきた。
まだ幼い妹にこの状況は悪影響だと思ったし、不安にさせたくなかったから、なるべく弟妹と一緒にいてやった。
同時に俺も弟妹に支えられた。
今の俺が正常を保っていれたのは必死に打ち込むものもあったからだ。
小等部の頃はバスケットに打ち込み、中等部と高等部は軍事訓練の射撃に打ち込んだ。
何かに打ち込んでいないと、不安で押しつぶされてしまいそうになるからだ。
必死になってる時は、何も考えなくてすむから。
だから、暗くなるまで必死に何かに打ち込んでいた。
そうしていないと心が押しつぶされてしまいそうになる……
馬鹿騒ぎをしている時でも、家にいる弟妹達のことを思うと、何も楽しむことが出来なくなっていた。
でも、カロンやジーニとつるんでいたりすると、馬鹿なことばっかりしていたから忘れられた。
しかし、その忘れられた時と家のギャップが大きすぎてまた苦しくなった。
ジーニは今と変わらずマイペースの自由人で、高等部になって“我が道を行くに”拍車がかかったような気がする。
ジーニの家は財閥だし、この不景気なんか痛くもないんだろうな……
カロンも変わらずくそ真面目で、ガキだ。何かと馬鹿なことをやってはジーニ罵られる。そんなカロンを見てると俺も自然に笑みがこぼれる。
しかし、カロンもこの不景気のせいでバイトが少なくなったらしく、給料日前になると死人のようになっていることもあった。
そんな三人の学生生活が崩れだしたのは、俺の心境の変化だろうか……
****
高等部の2年生の冬。
4限の射撃の訓練でストレスを発散した後、昼休みに昼食をとる。
カロンの昼食の多さに毎度呆れてから、俺達3人は机を3つつなぎ合わせて必死に作業し始める。
「お前さぁ~昼休みにお前の内職に俺達を巻き込むの止めろよ……」
内職と言っても、学校の宿題などの内職でなく、本格的な内職作業だ。
今回の内職はバラの造花を作る作業だ。
締め切りが近くなると俺はいつも2人に手伝ってもらう。
2人も文句を言いながらなんやかんやで手伝ってくれるからありがたい。
カロンは眠そうな目で作業をしながら俺に文句を言った。
カロンも高等部になってから正式にバイトが出来るようになり、シフト数が増え、父親の残した山の作業も残っているのか、授業中に睡眠をとることが増えた。
今日は給料日後だからか、少し余裕があるようだ。
「いやぁ〜悪いとは思ってるんだよ? でも、3人でやった方が効率がいいだろ?」
俺はおやつの板チョコこかじりながら、完成したバラを箱に綺麗に詰めて、教室の後ろに置いた。
「そりゃ、1人より3人の方が効率良いに決まってるだろ。って、ジーニさっきから進んでねぇじゃん……さっさと作れよ。」
カロンはぶつくさ言いながらも器用にバラを手早く作っていく。
そんな緑色のかかった瞳が見つめる先にジーニアスの手が映し出された。
「ちょっと黙って。今、このバラのクオリティー半端ないほど高いから……」
ジーニの手元を覗くと本物かと思うほど綺麗なバラがあった。
尋常じゃないほどの美術センスのあるジーニは1つ1つのバラのクオリティーが高いかわりに作業効率は遅い。
内職は素早さが命だと何度も言ってるのだが、凝り性のジーニが一度凝り出すと気が済むまで凝る。
「そんなにクオリティー上げたところですぐに店に並ぶんだから止めろよ。それより、ブレイン。さっきからなに突っ立ってんだよ。お前の仕事なんだからさっさとやれよ。まったく、なんで俺がこんなことを……」
カロンはジーニの頭を軽く叩いて、バラを箱に詰めた。
叩かれたジーニは少しムッとして、長く伸びた爪でカロンの腕をグサッと刺した。
なかなか深く刺さったみたい。
カロンは立ち上がって反抗しようとしたが、ジーニに敵わないことが分かっているのか、行き場のなくした腕をそのまま俺の頭に飛ばしてきた。
「痛っいなぁ~なにするんだよぁ~」
俺は叩かれた後頭部を擦りながらカロンに言うと“やかましい!?”と怒られた。
出会った頃の、あの臆病で人と話さなかったカロンはどこに行ってしまったんだ……
今は母親のように口うるさく、お節介だ。
まぁ、そこがこいつの良いところなのかもしれないが、毎日のように後頭部を叩かれてはそろそろ頭の形が変形してしまう。
「よし、完璧なバラが出来たし今日はここまでにしよう。そろそろチャイムが鳴るし。」
ジーニは満足のいくバラを作り終えたのか、さっさと箱をしまってしまった。
ふと時計を見るとあと5分でチャイムが鳴る時間だった。
「ん〜今日中にノルマいきそうないなぁ……放課後は残れないし、今日は徹夜だな……」
俺がため息をつきながら箱をしまっていると、カロンが1つの未完成の箱を自分の机に持って行った。
カロンはそのまま自分の机で黙々と作業を続けていた。
これは“俺も手伝ってやる”と言っているのだろうか……
まったく、ツンデレというか、素直じゃないなぁ〜
「カロンって本当にお人好しだよね。あっ、俺はもう飽きたからやらないよ。」
「えぇ〜ジーニも手伝ってよ〜どうせ授業中寝てるんでしょ?」
「寝ているからって授業中に内職をして良いなんて定義はどこにもないよ。俺はパス〜」
ジーニはそう言って地味に5本ぐらいのバラの束を手に持って自分の席に戻っていった。
まぁ、5本でもありがたいけど、一時間で5本ってどれだけクオリティーが高くなるのか、ある意味楽しみだ。
結局、俺達3人は授業中にせっせと内職を続けていた。
「おい、そこの3人……勉強の内職なら見逃すことはあるが……本格的な内職は見逃せないぞ。さっさと仕舞え。」
「先生! そんな殺生なぁ~これで俺の明日のご飯が懸かってるんですよ。それに、外国語ならいつも1位なんだから、見逃してくださいよぉ~」
俺は先生に頼みながらも、手は止めない。
ジーニは3本目のバラが気に入らないのかずっとバラとにらめっこしている。
カロンは箱の半分終わらせたのか、ノートをとってまた作業に戻るのを繰り返している。
「はぁ……お前達は成績も戦績もいいからなにも言えない……ってなるわけないだろ! さっさと作業を中止しろ!」
そのまま俺達はその授業中はノルマを達成できず、没収されてしまった。
これで俺の徹夜が決定した。
****
そんな苦しくても、楽しかった生活は長くは続かなかった。
俺の内職で家族の生活が安定するわけもなく、今まで以上に家庭内はギスギスしていた。
借金も、俺の知らない間に倍ぐらいに膨れ上がっていた。
父親は夜になるとどこかに行ってしまい、帰ってこない日が何日か続いた。
そして、高等部の三年になってすぐの5月。
今でも忘れない。
土砂降りの雨が降っている夜のことだ。
今日はバイトでミスをしてしまい、帰りがいつもより遅くなってしまった。
傘をさしながら少し落ち込んだ気持ちで帰り、家に着いた。
時間が遅いからか、家の電気は全て消えていた。
(はぁ〜今日は疲れた〜宿題もしなきゃだし……今日ぐらいは寝ちゃおうかなぁ……)
そんなことを思いながら、傘を水滴を家の前で払っているいると、家の中から異臭がした。
少し生ものが腐ったようで、鉄くさい臭い……
どこかで嗅いだことがある……どこだっけ? なんか、嫌な感じ……
あまり良い臭いではない。でも、どっかで嗅いだ……
(また弟が変なことでもしたのだろうか……)
どこで嗅いだ臭いか思い出せず、そんなことを思いながら扉を開けた。
扉を開けた瞬間、どこで嗅いだか思い出した。
(あっ、そうだ……戦場だ……)
家の中に戦場と同じ臭いがした。
戦場で嗅いだ硝煙の臭いでなく、血生臭い鉄の臭い。
目の前には、赤い水たまりと異臭の漂う人形と包丁を握ってリビングにたたずむ1人の男。
「父さん……なに、やってるの、さ……」
俺はリビングに1人で立っている実の父親を見つめた。
そして、その父親は床で真っ赤に染まっている母親と弟妹を見下ろしていた。
「ブレイン……何だ、いないと思ったらそんなところにいたのか……」
そして、父親は振り向いて俺の方を見た。
その顔は生気はなく、返り血で汚れ、狂気に狂った目をしていた。
そんな父親を目の前にして、俺は身動きが取れなくなった。
いや、違う。
父親を見て動けなくなったんじゃない。
床に転がっている弟妹と母親の死体を見て、動けなくなった。
ここから見ても、既に絶命しているのは明らかだ。
そして、こんなことをしたのが目の前にいる父親だということも……
父親は赤い液体の滴る包丁を手にしたまま俺の方にゆっくり、ゆっくり近づいてきていた。
逃げなければと、心が警鐘を鳴らしていた。
なのに、俺は頭の中で必死に何か別のことを考えていた。
そうだ、明日の朝ご飯のパンを買ってくるの忘れた……
明日の夜は弟妹とたくさん遊んであげなきゃ。
母親の愚痴もたくさん聞いてやらなきゃ、母さんがパンクしちゃう……
そんなことを頭で考えていると、目の前で父親が包丁を振りかざしていた。
俺はそんな父親を見上げていた。
なぜか逃げる力も気も起きなかった。
「悪いなブレイン。俺はもう疲れた……」
父親の言葉に俺は耳を疑った。
疲れただ? それはこっちの台詞だ……
俺はお前のせいでこんな目にあってるんだ。
普通ならこんなバイト三昧でもなく、たくさん遊んで、良い生活をして、普通に暮らしていたのに……
なのに、お前は疲れたからと言って家族を殺し、俺達の未来を奪うのか?
まだ、たくさんあった弟妹の将来を奪ったのか?
あんなに苦労して家計を支えていた母親を殺したのか?
そんな勝手なこと許される訳ないだろ……
「ふざけんな!?」
俺は振りかざされた包丁を腕で受け止めで止める。
前腕から血が噴き出し、激しい痛みが走った。
しかし、それ以上の怒りで頭は支配されていた。
包丁を素手で掴み、父親を制する。
爆発している感情と反して、行動はとても落ち着いていた。
身体の中では今までにないほどの怒りが爆発していると同時に、全身は悲しみで震えていた。
「何が疲れただ……そんなことで母さん達を殺したのかよ……」
「これ以上何も出来ないんだ……母さんとは話しをしたが言うことを聞いてくれなかった……」
父親は俺の腕から包丁を外そうともがいていたが、静かにそう呟いた。
これ以上何も出来ないから……殺したのか?
俺の父親はそんな人間だったのか?
「ふざけんなよ!? そんなの許すわけねぇだろ!?」
俺は叫ぶと同時に父親に体当たりをして、玄関まで走る。
俺の方が身長も高いので、父親は床に尻餅をついた。
とりあえず、この外道を警察に突きつけて裁いてもらわないと……
俺は生きて、こいつを裁かないと家族に顔向け出来ない。怒りよりもこんな感情が身体を支配していた。
その時、腹部に激しい痛みが走り、視界は赤く染まった。
身体に力が入らなくなり、地面に倒れ込む。
土砂降りの雨に降られ、身体の水分が奪われる感覚に襲われた。
雨水と共に何か違うドロッとした液体が流れていた。
俺、撃たれた……?
ふと、自分の身体を見ると脇腹から止めどなく赤い体液が流れ出ていた。
あれ? 今、俺……父親に撃たれた?
「ブレイン、すまないな……俺にはもうこの道しかないんだ……」
俺は言うことを聞かない身体を無理矢理動かし、振り向くと父親は自分を見下ろすように立ち……
俺のこめかみに銃口を向けて引き金にかけている人差し指を引っぱった。
その瞬間、頭が真っ白になった。
湿った空気に乾いた硝煙が舞い上がる。
今、自分の上には今まで動いていた父親が絶命してのしかかっていた。
「……何やってるんだよ……な、んで……俺は……俺……」
俺はとっさに腰に装備してた、リヴォルヴァーの引き金を引いていた。
訓練の成果なのか、戦場の癖なのか……
なんの躊躇いもなく引き金を引いた。
“殺られる前に、殺れ。”
戦場での常識だ。
でも、俺は……今父親に向かって銃を撃った……
何の躊躇いもなく……
俺は自分の手に握られている自分の銃を見つめながら、受け入れることの出来ない現実を見つめていた。
俺は……父親を殺してしまった?
「っ…わっ…うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
今まで出したことが無いほどの叫び声を上げ、自分にのしかかったモノを押し飛ばした。
床に流れる血が自分の血と混ざり合う。
「やだ……違う……俺は、こんな……違うんだぁぁぁ!」
俺はその場から逃げ出した。
感覚などなくなり、ただ無我夢中に走った。
殺されかけた恐怖と殺してしまった恐怖が俺の身体を動かしていた。
こんなところにいたくない……
こんな結果、受け入れたくない……
ある程度走ると、身体に力が入らなくなり、視界が霞始める。
近くのゴミ箱に足を引っ掛け派手に転んだ。
倒れた衝撃で頭がはっきりしだした。
(俺、なにやってんの……逃げるんじゃなくて、誰かに知らせなきゃ……)
いつもの冷静さが少し戻ってきたのか、俺は警察に行かなければと思った。
誰かに家族を弔ってもらわなきゃ……
撃たれた脇腹を抑えてゆっくり立ち上がり、壁にもたれ掛かりながら移動する。
足を一歩踏み出すごとに激しい痛みが身体を襲う。
(警察ってどっちだっけ……)
脇腹から止めどなく流れていく血が俺の歩いた道に印を付けていく。
血を出しすぎたのか、身体がいうことをきかなくなり、何度も壁にもたれ掛かりながらも、足を引きずって歩き続けた。
意識がはっきりしないからか、方向音痴が祟ったのか分からないが、なかなか警察につかない。
(や、ばい……視界が、ぼやけ、て……意識が……)
フラフラの体を無理矢理動かし、意識が朦朧とするなか歩いていると広い公園にさしかかった。
昔、弟妹とよく遊んだ公園だった。
よく、3人でバスケをしたり、キャッチボールをしたりして遊んだな。
あぁ……兄ちゃんもう駄目かも……
とうとう足に力が入らず、公園のベンチに倒れ込んだ。
冷たい、寒い……
血液が足りないのかなぁ……
雨は止むことなく俺の身体から体温を奪っていく。
もう、だめだ……
もう……力入らないや……
そして、俺は意識を手放した。