カロン・エファト 3-4
正直言ってカロンと話したのはカロンが遅れて入学してきた時の自己紹介のだけだった。
初めて見たときからその容姿や性格に少し興味はあったので、野次馬に紛れて話しかけてみたが、ちゃんと話したのは今日が初めてだ。
カロンはいつも無口で、笑顔なんて今まで見たこと無かった、見るのはいつも泣き腫らした目をした顔と、痛みを耐える時の顔だけだ。
今、小等部の3年生だが、この3年間でカロンの笑顔を見たのは今日で初めてだ。無邪気で裏の無い笑顔、俺に対して偽善じゃない笑顔をしたのはカロンとジーニアスだけだ。カロンはシングルマザーなのと、ジャッポーネ(日本)人の母親とこの国の父親とのハーフであるという不利な状況で貧しい暮らしをしていることは耳にしたことがあるが、もしかして……
「こいつあの路地裏の店で働いてる……って思っただろ? あの店のことはさっき調べたけど、あそこの店長雇ったアルバイトに暴力奮うので有名何だって。でも、雇う人の条件が広くて、給料も結構いいから、辞められないらしい。もちろん、プライマリーも働ける条件の中に入ってるよ。」
俺の思っていることと、知りたかった情報をジーニアスが一気に言ってくれた。用事というのは本当に用事だったんだ……服を着替えに行っただけじゃなかったみたいだ……
でも、その事なら俺も知ってる。そこの店長は自分のストレスを他人にぶつけるタイプらしく、奥さんにDVをしていたらしいが、奥さんに逃げられてからこんな店を開いたそうだ。
そして、殴りすぎて殺してしまった事もあるらしい。
しかし、店長は言葉を巧みに使い、正当防衛で片付けられてしまい二ヶ月で釈放された。『悪意が無い殺人は罪に問われない』それがこの国の法律であり、常識である。
この店長の事も不幸な事故として片付けられた。店長はそれに懲りずにまだ、人に暴力を奮っているのだから、虫酸が走る。
そんな店に関係がなかったとしても、その周りをこいつはうろうろしてるって事はやっぱり、こいつあの店で働いてるんじゃ……
その時、“う~ん”という唸り声を出しながらカロンの目がゆっくりと開いた。
その目は部屋の蛍光灯の光を眩しそうにしながら薄く開いた。
そして、俺達の姿をその緑がかった瞳に映した瞬間、飛び起きた。
基、飛び起きようとした、だ。痛みで顔を歪ませながら枕に頭を落とす。そりゃ肋骨が折れた体を無理矢理起こそうとしたら痛いに決まっているじゃないか。痛みから額に脂汗をにじませながら肩で息をし、カロンは痛みを抑えながら、首だけこちらに向けた。
「ここどこ………天国か?」
まぁこの大豪邸の中の医務室だからな……
目が覚めて庶民が一番最初に思うことだろう……それに、こいつは庶民よりもしたの貧乏人だから余計にそう思うだろう。
しかし、ここは天国でも地獄でもない、現世だよ。少し俺たちとは次元の違う世界だけどな。
「いや、ここは俺の家だよ。天国だったら俺達まで死んだ事になるだろ?」
ジーニアスはサラリと明るくそう言うが、誰がどう見ても天国に見えるほど豪華だ。
カロンはジーニアスの家だと聞いて周りを見渡した。恐らく俺と一緒で自分の家との違いに、絶望を感じているのだろう……カ
ロンが自分で無理矢理体を起こそうとしていたのでジーニアスと二人でカロンの体を支える為にカロンに近づいた。
その時に改めてカロンがさっきどういう状況だったのか知りたくなった。切り傷、擦り傷、打撲、捻挫、骨折……それ以上に体が細い。三食食べれる生活じゃないのは知っていたが、こんなに痩せていてよく、あの毎日の訓練に耐えられるな……
脇腹を擦りながらカロンはこっちを見た。確かに黒色に緑が混じった変な色をしている。カロンは俺が目を見ていると分かると目を細めてあからさまに顔をそらした。
その時医務室にノックの音が鳴り響いた。ジーニアスが“入れ”と偉そうに言うと使用人がワゴンに食事を乗せて医務室に入ってきた。ワゴンが入ってきた瞬間美味しそうな料理の匂いが医務室中に広がった。匂いだけで唾を飲み込むほどシーフードの良い匂いがする。使用人がワゴンから出してきた白いクリームスープとパンは、俺達庶民が食べているスープやパンとは格が違った。
「夜分遅いので、粗末な食事になってしまいましたがどうぞ。ホタテ貝のクラムチャウダーとロールパンです。」
これで粗末な食事……ジーニアス、いつもはどんな食事をしてるんだ。カロンに同意を求めようとしたが、あまりにショックだったのか目が点になっていた……これは当分立ち直れないぞ……
「カロン、食え。」
ジーニアスはそう言ってカロンの膝にお盆を乗せた。カロンは自分の膝に乗っている料理をどうすれば良いか悩みながら助けを求める様に俺を見た。俺に助けを求められても、俺もどうすればいいか分からねぇよ……
だから少し卑怯だがカロンからゆっくり目をそらした。ジーニアスはカロンにスプーンを渡して“食え”と強く言い聞かせる。
「いや、でもこんな高級な料理食べれないよ。それに、ホタテってなに?」
その発言にそらした目を思わず戻してしまった。こいつ、ホタテも知らないのか……まぁこいつの家は山の中だから海の幸は……って知らないわけないだろ! 名前ぐらい聞いたことあるだろ、どれだけ貧しいんだよ。
「ホタテは……そうだな~蜆の親戚だ。」
違う! 大きく何かが違う! 蜆は淡水だから、ホタテは海水だから! って俺も何か論点ずれてる。ジーニアスもこの無知のバカに変なこと教えるな! こいつ、恐らく素直にそのことを信じ続けるぞ!
「遠慮はいらないから、食べろ。ホタテも蜆も貝だ、そう変わらない。ちょっと大きさが違うだけだ。」
変わるよ、めちゃくちゃ変わるよ。まず値段から大きく違うから、出鱈目言ってんじゃねぇ! カロンが信じたらこいつが恥をかくぞ! 心の中でツッコミをすませ、カロンを見るとカロンは申し訳なさそうにスプーンを受け取り一口スープを口に入れた。
その瞬間、カロンはびっくりしたのか目を見開いて、それから何かにとりつかれたように皿にかじりつくようにスープとパンを食べ進めた。数分して、全て食べ終えたカロンは笑顔でこっちを向いた。
「美味しかった、ありがとう。こんなちゃんとした食事久々だ。」
こっちを向いたカロンは俺達に今まで見たこと無いような満面の笑みを浮かべてそう言った。久々の食事か……本当にこいつまともな食事してなかったんだな……こんなガリガリになるほど食事をとってなかったのか。
「おい、久々って……お前飯食ってるか?」
ジーニアスの質問を聞いた瞬間、さっきまでの笑顔が一気に消えた。何も言わず、じっと俯くカロンにしびれを切らせたのか、ジーニアスはカロンの細い腕を掴み顔を近づける。
「言え、今まで何があったか、あのレストランとはどういう関係か全て洗いざらい話せ。」
ジーニアスはそう言うとカロンの腕を離してゆっくりと椅子に座った。
座ってからカロンを視界から外さずにカロンが話し出すのを待ち続けた。俺も、ジーニアスの横に椅子を置き、話し始めるのを待つ。こいつに何があったのか俺も知りたいし、今後の対応の参考になるだろう。静かに待っていると、俯きながら静かにカロンは口を開いた。
「父さんが死んで3年経って、さすがに母さんの稼ぎだけでは二人分の生活費は養うことはできなかったんだ。食事も朝ご飯を食べれれば良い方なぐらい、本当にお金がなかったんだ。だから、俺が働いて少しでも母さんの負担が減ったらと思ったんだけど、俺みたいチビのなプライマリーを雇ってくれる店なんてそう無くて……で、たどり着いたのがあのレストランだったんだ。そりゃ、良くない噂があるのも知ってたし、プライマリーを雇ってくれて、あれぐらいの給料をくれる店なんてそうそう無い……だから、学校が終わった後あの店で働いてたんだ。」
静かで少し低い声でそう話し始めたカロン瞳はとても悲しそうだった。
しかし、瞳を濡らすことは無かった。父親が死に、母親と二人暮らし、お金も無くて、あんなところでバイトって、どんな波瀾万丈な人生だよ。それで無くても学校であれだけ苛められているプラス、バイト先で暴力受けて、おまけに栄養不足ってこれ以上に最悪な事があるだろうか。
ふとカロンの腕に目をやると、カロンの手首になにやら刃物で切った後のようなものが残っているのが見えた。俺がそれを見たのをカロンは分かったのか、カロンは手首を手で隠して一回とぎれた話をまたカロンは話し始めた。
「今日はさ、ちょっと運が悪かったんだよ。いつもはこんな事無いんだよ。今日はたまたま店長の機嫌が悪くて、その時に俺、物音を立てたりしたから。だから……その……怒れただけだよ。」
そう言って、指をポキポキ鳴らしながら俺達と目線をそらした。その目は恐怖の色に染まっていた。
物音を立てただけでこんなんになるなんて、やっぱりあの店おかしい。それに、こいつだってそんな理不尽な理由で思うようにされているのは悔しいはずなのに、なんでこいつは何も言わないんだ……ジ-ニアスは椅子から立ち上がりカロンを上から見下ろす。
「怒られた? 怒られるのレベルを超えてるだろ。殴られて、骨折られて、ゴミのごとくゴミ捨て場に捨てられて。それが怒られる?怒られるってのはこういう事を言うんだよ!」
そう言ってジーニアスはカロンの頭に思いっきり拳骨を喰らわせる。あまり力をいれてないとはいえ、さすがにボロボロの体には痛いだろう。カロンは頭を押さえて涙目になりながら、
「何すんだよ!? 痛いじゃんか!!」
そう当たり前のことをカロンはジーニアスにつっかかる。突っかかったときに大きな声を抱いたので、肋骨に響いたらしく脇腹を抑えてうずくまった。
「あ~良い音したね。」
自分は関係ないような発言をして、パンを袋から出し、口にくわえる。カロンもつっかかるのはいいが、ジーニアスになにを言っても流されるだけとわかっていながらもつっかかる。ジーニアスは上からカロンを見下ろしたままつっ立っている。
「そりゃ痛いだろうな、怒るっていうのは最低でもこの程度なんだよ。あの店の怒るは犯罪に近い。」
ジーニアスはそう言って静かに椅子に座り直し、俺を見て顎でカロンの方を指した。俺からもなんか言えってか? まぁ言いたいことはだいたいジーニアスが言っちまったからな。俺は口に入っていたパンを飲み込み、椅子から立ち上がりカロンの包帯が巻かれた頭を鷲掴みにし、自分の方に近づける。
「お前あの店で働くの止めろ。殺されちまうぞ。」
俺の言葉を聞いてカロンは目を反らし小刻みに瞳が揺れる。光の当たり具合なのか、瞳が今は緑色一色に見える。その緑の瞳を俺はどこかで見たことがあるような気がした。
「それは……出来ない……」
カロンは小さな声でそう言い、鋭い目付きで俺を睨んでくる。どんなに屈辱的な事をされても、ムカつく事があっても、ずっと薄く開かれた目をして流していたのに今のこの目は獣のような目をしている。
「今、あの店を止めたら母さんの負担が大きくなっちゃう。だから止めるわけにはいかない。」
自分に言い聞かせるような口調でそう言うとベッドから足を下ろし、顔をしかめながら立ち上がろうと足を踏ん張っている。ジーニアスが椅子から腕を組んだ姿勢で“何をしている?”とカロンに問う。
「家に帰る。こんなに遅かったら母さんも心配してるだろうし。今日は本当にありがとう。」
カロンはそう言って笑うと包帯だらけの体をふらつかせながら、椅子にかかっている自分の服をひっつかんで医務室のドアへ向かっていく。
右足が折れているのにこんな無茶して歩いたら治るものも治らなくなってしまう……カロンを止めよう立ち上がるがその前にジーニアスが口を開いた。
「その心配はない、さっきお前達の家に使いを出しといた。あと数分したらお前の母親が来るはずだ。」
そう言うとジーニアスはコックが入れた紅茶を飲んだ。ジーニアスの言葉を聞いてカロンの顔が青ざめたのが分かった。今カロンが青ざめた理由が俺には分かった。
俺の知っているカロンは、無口で不器用、それだけど根は優しくて誰かのことを思ってる奴……その優しくする対称は主に母親だ。その母親にこんな怪我するようなバイトをしていると知られたらいやだろう……カロンはゆっくりと歩いてきてジーニアスの胸ぐらを怪我の少ない左手で掴み顔を近づける。
「何でそんなことすんだよ! 母さんにあの店でバイトしてたことバレちまったじゃねぇか!? どうしてくれるんだよ!?」
カロンは血相を変えてそういうと膝を折って崩れた。やっぱりだいぶ無理をしてたらしい……
必死に左手で脇腹を抑えながら踞る。ジーニアスは掴まれた時に乱れたワイシャツを直し、カロンの前にしゃがむとカロンの肩に手をのせて静かに話始めた。
「すまなかった……でも、事が事だからな、流石に親に連絡をしなければならないと思ってな……」
ジーニアスの言ってるかとはもっともだ。自分の息子がこんな怪我していたらどんな親だってビックリするだろう。しかも、こいつの様子だと親には何も言ってないようだ。
その時、廊下から足音が聞こえてきたと思ったら直ぐに扉が開いた。扉の前には長い黒髪を一つに束ね、エプロン姿の女性が息を切らしながら立っていた。
「カロン!?」
女性はそう叫ぶと床にしゃがみこんでいるカロンのもとへ小走りで駆け、カロンに抱きついた。カロンは痛みから少し顔をしかめたが同時に少しビックリした顔をして抱きつく女性の腕を掴んだ。どうやら彼女が例のカロンの母親らしい。
「何があったのこんなボロボロになって……」
カロンの肩を掴んでカロンに向き合う母親の目には涙が溜まっていた。カロンはそんな母親から顔を背け、指をポキポキ鳴らしながら、言いにくそうに目をキョロキョロさせていた。母親はそんなカロンから目を離さずにずっと見続けた。
「カロンのお母さん、恐らく本人からは言いにくいと思うので、俺からお話します。」
ジーニアスが言い出した。カロンの母親は視線をカロンからジーニアスに移した。その目からは大粒の涙が流れていた。それもそうだ、自分の息子がこんな夜遅くにこんな傷だらけでいたらそりゃびっくりするだろう。
「カロンは路地裏の小さなレストランで働いていまして、そこは雇う条件や給料がいいのですが、そこの店長が暴力を奮う人なんですよ。カロンはそこで奴隷のように働かされ、暴力を受け、今日挙げ句の果てにゴミ捨て場で倒れているのを俺達が発見しました。」
ジーニアスは坦々と話すと、みるみる母親の顔から血の気が引いていくのがわかった。カロンはまだ顔を背けて下を向いたままじっとしている。母親はそんなカロンの方に向いてカロンの頬を持って無理矢理自分の方に向けて話始めた。
「カロン、なんでお母さんに言ってくれなかったの。カロンはバレないようにしてたみたいだけど、毎日怪我して帰って来てるのも、学校で虐められてるのもお母さん知ってるんだよ。でも、あなたが言ってくるまで待ってたのよ。お母さんはお金やご飯なんかよりカロンに普通に暮らして欲しいのよ。あなたこの3年、ちゃんと笑ったのも泣いたのも見なくなったじゃない。カロン、もう無理しないでいいから、普通の子供みたいに楽しく笑って、悲しいときは泣いてるのをお母さんに見してくれればいいのよ。」
母親の言葉は今まで苦しんでいたカロンにとってはとても重く、そしてとても優しい言葉だった。
父親を亡くしてから、ずっと無理をしながらも働き、母親の為と思いながら痛みも苦しみも屈辱も必死に我慢し、溜め込んでいた。
だが、母親はカロンに溜まっていた全てを一瞬で消してしまった。苦しみが消えた心に残ったのは、喜びと解放感、そして安心感だ。カロンは母親の言葉を聞き、今まで溜め込んでいた物を涙として流した。声を出して泣いているカロンを母親はしっかりと抱きしめ、優しく髪を撫でる。母親に抱きしめられ泣いているカロンは、嗚咽しながらも小さく“ごめんなさい”と繰り返していた。
「なんでカロンが謝るのよ、謝るのはお母さんの方。ごめんね、カロンには辛い思いばかりさせてしまって……こんなんになる前にちゃんと話をすれば良かったわね。」
母親は泣きじゃくるカロンを抱きしめながら少量の涙を流した。そんなカロンを見ながら安心をしていた俺はジーニアスの言葉に引っ掛かった。
「ジーニ、さっき“お前達の母親”って言ったよね……じゃぁ俺の母親にも使いが行ったの?」
カロンの家より俺の家の方が近いのに、カロンの母親が先についたって事は俺の母親は俺を迎えに来る気がないっと言うことだ。まぁこんな夜遅くにお使いをさせるような親だし、俺とは犬猿の仲で馬があわないのは知っていたが少しながら期待をしていた。あれでも母親だし、少しは気にするはず……
「あぁ、使いを送ったがお前の母親は“歩いて帰らせてください。”と言われたらしく帰ってきたよ。そんなことより、お前今この感動的な場面でそれ言うか? タイミングというものを考えろよ。」
あっさり期待は壊されてしまった……あの母親、本当に俺の事を思っているのか? 思っているはず無いか、俺もあいつのことが苦手だし、恐らく母親も俺のことをどうしたらいいか分からないのだろう。だから、お互いあまり関わらないことにしている。
「そうだろうと思ったけど、しょうがないな。っと言うことで、俺の家まで送ってくれ。」
ジーニアスはそう言うと露骨に嫌そうな顔をしてため息をついてこっちを見た。このまま送ってもらわないと夜の道を一人で帰らなければならない。それだけは阻止しなければならない。
「しょうがないな。まぁもともとカロンを家まで送るつもりだったしついでとして送っていってやるよ。」
ジーニアスは大きくあくびをしてから召し使いに車を出させるように言う。カロンは泣いた目を擦りながらジーニアスの前に立ち、“ジーニアス……くん”と小さく言いながら俯く。
「ジーニで良いよ、それに礼なんていらないよ。俺達がやりたいようにやったんだから。」
そう言ってジーニアスは俺の胸ぐらを掴んでゆっくりとドアの方へ歩き出す。俺は引きずられながら下を俯いているカロンを見ると、カロンは何かを決心した様な顔つきで俺達を見ていた。