EDOSAN〜筋肉の祭典の象徴的なアレ〜
『さあ始まりました。筋力に物を言わせてゴールを目指せ、EDOSANのお時間です』
後輩の淡々としたアナウンスを聞きながら、エドワードは目の前に広がる障害物の数々をぼんやりと眺めていた。
最初に出てくるのはやけに傾斜が急な浮島である。落ちた先に待ち受けているのは池だ。いや、土の中に水が溶け込んでいる影響で沼のようにも見える。
その先にまた車輪がついた坂道だの何だのかんだのの障害物が続いており、遥か遠くに高い舞台が作られた場所がゴールなのだろう。少しばかり距離はあるものの障害物を乗り越えた先ならばちょうどいいのかもしれない。
実況席と看板が掲げられた席に座る後輩のメイド少年、ショウに死んだ魚のような目を向けたエドワードは「これ何?」と問いかける。
「朝起きて、朝ごはん食べて、ショウちゃんとハルちゃんで『遊んで』って言うから何かと思ったら何これ?」
『エドさんの限界が見たくて』
ショウは片目を瞑って舌を出すという茶目っ気たっぷりな表情を見せると、
『普段から筋トレをしているエドさんに、異世界の文化として有名なあるアスレチックを体験してもらいます。こちらはですね、何と筋肉自慢で体力自慢の人しか参加できない行事なんですよ』
「選んでもらったのは光栄だけどぉ」
エドワードは実況席の向こう側に広がる観客席にも目を向けると、
「何でヴァラール魔法学院の全校生徒と全教職員に見守られなきゃいけないのぉ?」
『皆さん見たいんですよ、エドさんの筋肉を』
「気持ち悪いねぇ」
観客席から甲高い悲鳴も野太い絶叫も聞こえてくるが、その全てに苦笑で一応は答えるエドワード。何だか少しも嬉しくない。
ただ、この障害物走が筋肉自慢の代表に数えられるとされており、それに選ばれたのがエドワードのみということだったら実に光栄である。伊達に普段から仕事をサボって筋トレに打ち込んでいないのだ。
ショウは『さて』と話題を切り替え、
『こちらの障害物走ですが、90秒以内にゴールできたら第2ステージに進出できます。最終ステージまで4種類のコースがありますが、全てのコースをゴールできた暁には豪華景品プレゼントです』
「内容は聞いてもいいのぉ?」
『ダメです』
「残念」
豪華景品という内容が非常に興味を唆られるが、あの後輩の口振りからでは簡単に教えてはもらえないのだろう。それなら自分の持てる力でゴールを目指すだけだ。
こちとら自由奔放な魔女に何千年と振り回されてきたのである。優秀な魔女に追い付く為に色々と努力をしてきたのだ。こんな場所で足を滑らせて脱落しましたなんて言ったら指を差されて笑われる羽目になる。
エドワードが軽く足の腱などを伸ばして準備運動をしていると、ショウが障害物走の説明をしてくれる。
『水に落ちれば即失格、豪華景品はなしです。また90秒を過ぎても失格となってしまいます』
「はいよぉ」
『準備はいいですか?』
「いいよぉ」
目の前に広がる障害物走の舞台を見据えてエドワードが応じると、ショウが息を吸った。
『それでは始めてください』
ぷわああああん、という下手くそな喇叭の音が晴れ渡った空に響き渡った。
開始の合図が告げられると同時に、エドワードは傾斜が急な浮島を足場に難なく飛び越えていく。こんなものはワニの背中に飛び乗るより楽勝だった。
泥水に飛び込まないように気をつけて浮島をヒョイヒョイと飛んだ先、車輪のついた坂道に飛びつく。これは少しでも加減を間違えると車輪が勝手に回り始めて泥水に背中から飛び込ませる仕掛けが施されていた。危ない障害物である。
その間、ショウの実況が続いた。
『さて、坂道の部分も簡単にクリアをしたエドさんは、高い位置からジャンプして次の障害物に。こちらは丸太にしがみついた状態で傾斜を滑り落ちていきますが、途中で段差がありますね。ここで振り落とされる危険性がありますが』
丸太にしがみつき、カーテンレールみたいな場所を滑り落ちていく仕掛けも持ち前の怪力を生かして意地でも離さずに突破する。力技で敵う訳がないのだ、仕掛けの方が。
次いで待ち受けていたのは、障害物である棒が何本も目の前をくるくると回っている舞台である。足場となっているのは細いポールだ。少しでも棒に押し出されれば沼に飛び込む羽目になる。
棒が回る瞬間はそれぞれ差があるので、エドワードは慎重にポールへと足をかけて渡っていく。『ポールにしがみついてもアウトですよ』なんてショウが実況席から言うものだから、もう払い除けるしか手段がなかった。
さて、何やら変な平行四辺形の形をした障害物も超えた先で、最大の仕掛けっぽいのが待ち受けていた。
「なぁにこれぇ」
エドワードは思わず呟いてしまう。
まず目の前にはピンと張られた布、そしてその先にレールに乗せられたポールが存在している。そこまではいいが、問題はそのレール部分だった。
大きく波打つレールは真ん中で途切れており、さらにまた別のポールが向こう岸のレールに乗せられている。おそらく慣性を働かせてレールを滑り落ちていき、その反動を使って向こう側のポールを掴んで再出発ということなのだろう。非常に仕掛けが難しい。
実況席のショウは楽しそうな口調で、
『元の世界でもここで沈んだ挑戦者は多かったです。エドさんは果たして初見で突破することが出来るのでしょうか』
「無茶なことを言ってくれるねぇ」
だが、やるしかない。
エドワードはピンと張られた布に向かって飛び込み、ちゃんと踏み切ってから飛び上がる。その長身と鎧の如き筋肉に似つかわしくない身軽さで宙を舞ったエドワードは、ポールをしっかりと掴んだ。
掴んだ瞬間にポールがレールを滑り落ちていき、重力が容赦なく襲いかかってくる。とうとう途切れたレールでポールが引っ掛かるも、寸前で手を離すことで重力から解放されたエドワードは、再び目の前のポールを掴むことに成功した。
両手に自分の体重がのしかかってくるも、何とか完全にレールを渡り切る。本当に危なかった、落ちるかと思っていたのだ。
『おお、ステージ最難関を突破しました。さすがです、エドさん。皆さん、盛大な拍手を送ってあげてください』
ショウの号令に観客席から割れんばかりの喝采が送られる。
エドワードは豪雷の如き喝采を無視して、巨大な箱をグイグイと押していく。この箱にはそれぞれ重さが違うらしく徐々に加算されていくようだが、元より怪力なエドワードに通用するはずもない。
あっさりと箱を押して移動させてしまうと、箱に取り付けられた梯子を利用して最終の仕掛けに挑む。最後に現れた仕掛けはやたら反った見た目の壁のみである。何か仕掛けが施されているのではないかと勘繰ってしまうほど何もない。
「よいしょ」
たっぷりと助走をつけて、エドワードは反った壁を駆け上った。壁を上った先に指先を引っ掛けて、身体を持ち上げると目の前にはボタンがある。
ボタンを押すと煙が盛大に吐き出して驚かせてくるが、ショウが『ステージクリアです』と宣言したことで喝采が再び送られることとなった。なるほど、仕組みはこのようになっているのか。
今まで自分が駆け抜けてきた舞台を振り返り、エドワードは銀灰色の双眸をキラキラと輝かせながら言う。
「楽し」
その口振りは、まるで楽しい遊びを見つけた子供のようでもあった。
☆
第2ステージである。
「待とうかぁ」
『何ですか?』
「これ何ぃ?」
『第2ステージの正式衣装ですよ?』
ショウがすっとぼけたような口調で言ってくるので、エドワードは反応に困った。嘘をついているような素振りがないので困るのだ。
と言うのも、第2ステージの正式衣装として提示された衣装が水着である。しっかり競技用の水着であった。膝丈まである水着のみの着用なので上半身は裸の状態であり、鍛え抜かれた鋼の筋肉が剥き出しとなっていた。
おかげで、主に女子生徒や女性教職員から甲高い悲鳴が聞こえてきた。心が痛い。この状態で障害物走をやらなければならない状況とは一体何なのかと問いただしたくなる。
実況席に座る後輩に視線をやったエドワードは、
「嫌がらせとかじゃないよねぇ」
『ステージを進んでいくと水着である必要性が分かりますよ』
「仕掛けの内容を教えてくれるとかはぁ?」
『ザックリと言いますと、泳ぐ部分があるんですよ』
「なるほどねぇ」
エドワードは納得した。泳ぐのならば水着は必須だろう。
『では最初の仕掛けである丸太にしがみついた時からスタートです。準備が出来ましたらしがみついてくださいね』
ショウに促され、エドワードは目の前に置かれた一抱えほどもある丸太を見やる。確かに抱きかかえて有り余るほど大きい。
さらにその丸太に抱きついた状態で坂道をゴロゴロと転がり落ちていくという仕掛けのようだった。重力に振り回されて力がなければすぐに落下してしまいそうだ。
エドワードは促されるまま、丸太に抱きついた。直後に下手くそな喇叭の音が空に響く。
――ぷわあああああん!!
喇叭の音と同時に、抱きついた丸太が自動的に動き出す。レール状の坂道をゴロゴロと転がり落ちていき、しがみついているエドワード振り落とされそうになる。
それ以上に視界が目まぐるしく回っていくので、三半規管が刺激されて吐き気を催してくる。目を固く瞑って吐き気を無理やり飲み下すと、丸太が止まった。どうやら坂道を無事に転がり終えたらしい。
エドワードは丸太から落ちないように慎重に下りると、
「うわぁ……」
目の前に聳え立つ柱に、エドワードは遠い目をした。
柱からは等間隔に出っ張りが突き出ているだけである。それが手前側と向こう側に並んで屹立しており、おそらく出っ張りの下段にポールが設置されているので、ポールを出っ張りに引っ掛けて移動するのだろう。かなり技術を求められる仕掛けだ。
持ち前の運動神経だけで片付けられるような内容ではない。下手をすればポールを出っ張りに引っ掛けられずに沼へ落下してしまう可能性も考えられる。難易度が第1ステージとは違ってかなり上昇していた。
ポールを掴んだエドワードは、意を決して仕掛けに挑戦する。
「ふッ」
息を吐くと共にポールを1段上の出っ張りに引っ掛ける。いつのまにか足場はなくなり、手の力だけでポールを掴んでいるしかない。
もうこれであとには戻れない。あとは前に進んでいくしかない。
出っ張りにポールを順調に引っ掛けて上昇していき、4段目の辺りに到達したところで目の前に別のポールが現れる。これを掴んで、今度は1段ずつ降下していかなければならないらしい。
『おっとエドさん、楽々と仕掛けをクリアしていきます。次は降下していきますが、大丈夫でしょうか』
ショウの実況の声に、エドワードは自分の予想が的中したことに頭を抱えたくなる。上昇にしても降下にしても初めて挑戦するのだから難しいのだ。
目の前のポールに手を伸ばして、何とか掴んでから「ふぅ」と息を吐く。上昇時に神経を使いすぎて疲労感がある。降下の時もまた神経を使うと考えると嫌になる。
でもここで落ちる訳にはいかない。ポールを掴む手にグッと力を込め、背筋を反らして勢いをつけて出っ張りにポールを引っ掛けていく。
『お、凄い凄い。エドさん、順調にポールで移動していき、着地しました。いいですね、これも簡単にクリアできるのでしょうか』
そして目の前に聳え立つ2枚の壁も手足を突っ張って移動し、仕掛けを難なく突破していく。先程のポールを出っ張りに引っ掛ける仕掛けと比べると明らかに簡単すぎる仕掛けだった。
そして目の前の梯子を上っていくと、ようやくショウが最初に説明をしていた水着になる必要を理解した。巨大な水槽に強い流れが作られており、流れに逆らって泳ぐ必要があるようだった。
まあ躊躇っていても時間がなくなるだけである。エドワードは鉄格子のようになった天井部分の隙間から水槽の中に飛び込むと、壁を蹴飛ばして水の中を進み始める。
『エドさん、スイムゾーンをあっさりと突破。やはり体力が無尽蔵だと簡単に泳げてしまうそうですね』
梯子を伝って水槽を脱すると、目の前に現れた滑り台を下りる。その先に待ち受けていたのは、
「狭ッ」
思わず声を上げてしまった。
狭い通路の足場部分はベルトコンベアのようになっており、そこそこの速度で後ろに流されていく。幸いにもベルトコンベアを流されても沼に落とされることはないのだが、ここで時間を食うという仕組みになっているようだった。
見上げるほど巨体なエドワードからすれば、あまりにも窮屈で狭すぎる通路である。四つん這いどころか、腹這いで進まなければならないような通路だ。ベルトコンベアの存在も相まって時間を無駄に消費させられるかもしれない。
この場で立ち止まる訳にはいかない。エドワードは素早く四つん這いになると、通路に身体を滑り込ませた。
「あ、意外といける」
ベルトコンベアの速度はそれほど速いものではなく、腕の力だけで匍匐前進するだけでも十分に進めた。それほどエドワードの身体能力が高かった訳である。
狭い通路もあっさりと突破したエドワードは、最後の仕掛けである重量のある壁に挑んだ。徐々に重くなっていく壁のようだが、怪力のエドワードには玩具みたいなものである。
片腕だけでヒョイヒョイと持ち上げては壁を通り越していき、最後の壁を簡単に持ち上げてからゴールを示す赤いボタンを押した。今回も楽しい仕掛けであった。
万雷の喝采が送られる中、実況席からちょこちょこと駆け寄ってきたショウがエドワードにタオルを差し出す。
「お疲れ様です、エドさん」
「ショウちゃん、この仕掛け誰が作ったのぉ? めっちゃ楽しいねぇ」
「考えたのは俺ですが、再現してくれたのは副学院長です。さすがですよね」
エドワードは濡れた髪をタオルでわしゃわしゃと拭いながら、
「そういえばさぁ、ショウちゃんだけしかいないのぉ?」
「と言うと?」
「ハルちゃんとかぁ、それこそユーリとか飛び入り参加しそうだけどぉ」
そう、この場にはエドワードとショウ以外の問題児がいないのだ。
彼の上司である銀髪碧眼の魔女や暴走機関車野郎の少年、南瓜頭の美人お茶汲み係などが面白がって乱入してくることも考えられた。それなのにこの場にいるのは最年少の後輩だけである。特に暴走機関車の少年はショウと一緒に行動を共にしているので、一緒にいないのは珍しい。
ショウはキョトンとした表情を見せ、
「ユフィーリアとアイゼさんは第七席のお仕事みたいです。ハルさんは、どこに行ったんでしょうね?」
「怪しい」
「ふふふ」
怪しむエドワードに、ショウは楽しそうに笑った。
☆
さて、第3ステージである。
『第3ステージは難易度が高いので制限時間はありません。十分に時間を使って突破してください』
実況席のショウに言われ、エドワードは第3ステージとやらに視線をやる。
ほとんど足場のないステージである。要所要所には足場があるのだが休憩場所として使われているようで、ほとんどの仕掛けは手の力だけで突破しなければならない様子である。
第1ステージ、第2ステージなど比べ物にならないほど難易度が爆上がりしている。これは制限時間を設けられると絶対に突破できない。
エドワードはグルグルと肩を回しながら、
「よーし、ちゃっちゃとやっちゃおう」
『お、自信がありますねぇ。ですが舐めてかかると痛い目を見ますよ』
実況席のショウに「平気だってぇ」と余裕ぶって応じるエドワード。
最初の仕掛けはポールを使って台座に引っ掛け、向こう岸まで移動していくものだ。第2ステージの出っ張りにポールを引っ掛けて移動するものより簡単に見える。
身体を反らせて勢いをつけ、ポールを引っ掛けて台座を次々と移動させていく。そして難なく向こう岸に移動することに成功した。数少ない足場に着地を果たすとドキドキと逸る心臓を押さえる。
「怖ぁ……」
第3ステージということもあって、かなり怖い。足場が少ないということも恐怖心を後押ししていた。
次の仕掛けは丸太が何本も吊り下がっており、次々に移動していくものらしい。丸太はゆっくりと回転しており、移動するのも簡単そうだ。
丸太の表面には溝が設けられているので、張り付くことは簡単だ。今までの丸太にしがみついて坂道を転がり落ちるような仕掛けとは大違いである。
そんな考えで1本目の丸太に飛びつき、2本目の丸太に移動するのだが、
「うわッ」
2本目の丸太に移動した途端、丸太が急に落ちたのだ。
落ちた衝撃で手を離しそうになるが、かろうじて堪える。丸太は事故で落ちた訳ではなく、わざとそういう仕掛けになっているようだった。驚いた挑戦者を振り落とす目的もあるのだろう。
ドキドキとうるさい心臓の鼓動を意識の外に追い出し、エドワードはゆっくりと次の丸太に移動する。次の丸太も落ちるのではないかと疑ってしまったが、落ちるような仕掛けが施されていたのは2本目の丸太だけだった。
何とか3本目、4本目と移動して足場に着地をする。膝から崩れ落ちそうになるが、気合いで堪えた。
「ええ……」
次の仕掛けに、エドワードは困惑する。
エドワードを出迎えた次なる仕掛けは、ハンガーのような手持ちの仕掛けだった。ハンガーのような見た目のそれらは前後に揺れることが出来るようだが、問題は2個目と3個目の持ち手である。
1個目は掴みやすい位置にあるのに対し、2個目と3個目の持ち手は反対側についていて掴みにくいようにしている。手を滑らせて落とそうという意地悪さが見え隠れしている。
『さて、この仕掛けにエドさんはどう挑むのでしょうか。ドキドキですね』
ショウが実況席から楽しそうな声で言う。
どう攻略するも何も、正面から挑むしかない。エドワードは持ち手を掴んで、空中に身体を踊らせた。
ぐわんぐわんと身体を揺らし、そしてエドワードは2個目の持ち手を掴む為に勢いをつけて宙を舞った。2個目の持ち手を掴もうとするのだが、片手を滑らせてエドワードの身体は宙ぶらりんの状態になる。
しかし、かろうじて掴むことが出来たのは嬉しい限りだ。エドワードは体勢を立て直して持ち手を両手で掴み直すと、最後の3個目の持ち手に飛び移る。
「危なかったぁ……」
足場にようやく到達できたエドワードは、とうとうその場に膝をついた。ついでに手汗も酷い。落ちたらどうしようという恐怖心が一気に押し寄せてくる。
観客席も固唾を飲んで成り行きを見守っているが、もう緊張感が限界だった。どこかで間違えそうで怖い。
こんな場所で白旗を上げるのは問題児根性に反するので、エドワードは恐怖心を押し殺して次の仕掛けを睨みつける。
「嘘ぉ」
次の仕掛けは壁だった。
壁から僅かに突起が生えた状態のもので、そこに指を引っ掛けて横移動する仕掛けの様子である。しかも飛び移ったりする箇所も見受けられるので、自分の指先の力との勝負となる。
滑り止めらしい粉を両手に擦り付け、エドワードは息を大きく吐く。壁に取り付けられた突起に指を引っ掛け、そして移動を開始した。
(重ッ……!!)
自分の体重が容赦なく指先にかかってくる。体重を支えているのは指先だけなので、何とか歯を食い縛って耐える。
これはとっとと突破するのが吉かもしれない。そうしなければ指先が限界を訪れ、足元の沼に落ちてしまう。
壁の突起が終着点を迎え、エドワードは首だけで背後を見やる。背後から迫ってくる壁も同じような形をしているが、ここから飛び移らなければならないのだ。
(なるようになれッ!!)
身体を大きく揺らして勢いをつけ、エドワードは空中で身体を捻って次の突起に指を引っ掛ける。
しかし、だ。
空中を舞ったエドワードは指先を突起に引っ掛けることに成功したものの、体重が容赦なく指先に襲いかかり、その衝撃で突起から指が外れてしまった。ふわりと身体が宙に浮かぶ感覚が襲いかかり、視界からステージそのものが消える。
次の瞬間、ばしゃんと全身を冷たい水が包み込んだ。
『ああっと、ここでエドさん脱落です!! さすがに初見でこの仕掛けを制するのは難しかったかあ!!』
水にくぐもった声でショウの実況が聞こえてくる。
エドワードは水を掻き分けて水面から顔を出し、酸素を肺の中に取り込む。濡れた灰色の髪を掻き上げて、エドワードは岸まで泳ぐ。
本日2度目の水に濡れる事態になってしまった。しかも今度は脱落の意味である。本当に悔しくて仕方がない。
岸に手をかけると、目の前に手が差し出された。碌に相手を確認せずに手を掴むと、その手はショウよりも小さく柔らかくて冷たかった。
「お疲れ、エド」
「ユーリ? 何でぇ?」
エドワードは銀灰色の双眸を瞬かせて、目の前の魔女の顔を見やる。
透き通るような銀髪と色鮮やかな青い瞳、そして肩だけが剥き出しとなった独特な見た目の黒装束。上司の魔女、ユフィーリア・エイクトベルがエドワードの手を掴んで沼から引っ張り上げる。
彼女は七魔法王の仕事で学院に不在だったはずだ。そのお供でアイゼルネもいなかったはずで、ハルアはどこかに行ってしまったとショウが言っていたのだ。
唖然とするエドワードにタオルを被せたユフィーリアは、わしゃわしゃと髪の毛を乱暴に拭いてくる。
「惜しかったな、途中までは格好よかったのに」
「七魔法王の仕事じゃないのぉ?」
「嘘に決まってんだろ。ショウ坊が面白いことをやるって言うから、特等席で観戦してた」
けらけらと笑うユフィーリア。どうやら後輩の嘘だったようである。どうして嘘をつく必要があったのか不明だが、まあ触れないでおくのがいいだろう。
「本当、残念だよぉ。豪華景品って結局は何だったんだろぉ」
「お前も筋トレが足りなかったってことで」
ふ、とエドワードの顔に影が落ちる。
顔を上げた瞬間、鼻先に僅かな痛みが走った。硬い何かがエドワードの鼻に触れたのだ。
何かと思えば、ユフィーリアがエドワードの鼻先に噛み付いたのである。離れていく彼女の顔には悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
「次はちゃんと、豪華景品を渡させてくれよ」
それはつまり、
ええと、
まさか…………?
「ちょっとユーリ、豪華景品の内容って知ってたのぉ? ねえユーリってば、おいコラ待てクソ魔女!?!!」
「あひゃひゃひゃひゃ!!!!」
高笑いで逃げるユフィーリアを、エドワードは鬼のような形相で追いかけるのだった。
☆
その日からである。
「…………」
ヴァラール魔法学院の廊下に、懸垂の要領でぶら下がるエドワードの姿が度々目撃されるようになった。
窓枠やドアの淵に指を引っ掛けては横移動をし、飛び移る鍛錬をひたすら繰り返している。今までの筋トレとは違う系統で、生徒や教職員たちも驚いたものである。
先輩が筋トレする姿を眺めるショウとハルアは、
「ショウちゃんショウちゃん、エドに豪華景品を渡すって言ってたけど何しようと思ったの?」
「ああ言う試練系のご褒美には美女のほっぺちゅーが相場なんだ。だからユフィーリアとアイゼさんにお願いしたんだけれども」
「それお嫁さんとしてどうなの?」
「普段はナシだぞ。でもエドさんの誕生日だしいいかと思って」
ショウは遠い目をすると、
「……でも何があったんだろう。俺はエドさんに豪華景品の内容を一切漏らしていないのになぁ」
「やっぱり落ちたの悔しかったんじゃない?」
「それもそうか」
懸命に筋トレへ取り組むエドワードの姿を観察しながら、ショウとハルアはのほほんと先輩が筋トレに取り組む理由を予想し合うのだった。
《登場人物》
【エドワード】筋肉の祭典の象徴的な行事にお呼ばれして嬉しいが、途中で脱落して悔しい。次は完全制覇を目指す。
【ショウ】異世界知識をフル活用し、エドワードの誕生日に障害物走を企画。豪華景品の内容は、まあ誕生日特権なので目を瞑った次第ではある。
【ユフィーリア】最終ステージで観戦。第3ステージで脱落したエドワードを迎えに行った。
【アイゼルネ】最終ステージで観戦。あんな仕掛けをクリアできるなんて凄いワ♪
【ハルア】最終ステージで観戦。あれ楽しそうだなぁ。やってみたいなぁ。