18話 帰
「【一振断】」
いつ崩落しても可笑しくないほどの玉座周辺。
遠くから、そんな声が聞こえた。
詠唱された魔術。
それが敵ではなく、味方のものであることが少し遅れてわかる。
吸血鬼の蹴りに足裏を合わせて自ら飛ぶことで距離をとり、大鎌を見る。
半透明の光が、闇の様に暗い大鎌に纏わりついている。
だがその輝きは彼女の戦いを見ているときよりも、明確なまでに薄れている。
アリスの方をみることは叶わないが、大鎌にかけられた魔術を見るに満身創痍なのだろう。
意識が掠れるほどの重傷を負いながら、しかしギリギリのところで踏ん張っている。
俺は大鎌を構える。
勝負は一回。
これを逃せば勝機はまた遠のくだろう。
そうなればアリスは死ぬかもしれない。
「いいぞ、その目……!」
吸血鬼は笑いながら、距離を潰すべく走る。
俺から距離を離すと面倒なことを身をもって知っているのだ。
「【近寄れ】!」
一定の距離にたどり着くと吸血鬼が魔術を使う。
俺の体が磁石のように吸血鬼へと吸い寄せられる。
「【留まれ】」
魔術を使い、吸血鬼の魔術を無効化する。
だが距離は潰されてしまった。
引き寄せられた時間は一瞬だったが、奴にはその時間だけで十二分だったのだ。
床が陥没するほどの踏み込みで、俺の腹に拳を当てる。
「っふ」
当たる直前に回転。
大鎌を薙ぎ払——。
「ちっ」
地を蹴って後退する。
攻めきれなかったことに歯噛みする。
「《《それ》》も使えるのか……!」
言霊による魔術行使は、超自然的な力の源——魔力自体を使う。
動きの補助が主だ。
「【血華】……感が良いな」
翻って現代魔術はどうか。
魔力を加工して、なにかしらのエッセンスを足して魔術とする。
それは火や水、光……そして血など多岐に渡る。
言霊は思い込みの延長線上に存在するが、現代魔術は異なる。
魔術自体が直接殺傷性を帯びているのだ。
「随分、勉強熱心だな」
俺は例外として、言霊を扱うものは太古からの存在だ。
わざわざ現代魔術を使うことは無いと思っていたが。
「【血晶】」
吸血鬼は笑いながら細かい凝固させた血を、無造作に飛ばす。
雨かと思うほどに数が多く、避けるのは難しい。
だがそれでも前に進む。
「はっ、焦ったか!?」
奴は大鎌を見たのだろう。
当初の輝きとは比べるべくもないほどに弱々しい輝きだ。
もう、時間はない。
「【硬く、弾け】」
吸血鬼の魔術が、着弾する。
だが油断しない。
吸血鬼は、着弾地点を見る。
優れた視力は、少し集中するだけで事細かに事象を見届けることができた。
そこには、襤褸を纏った奴のローブが。
傷がついているものの、原形を保っているところを見るとまだ生きている。
「良いぞ、それでこそだ!我が相手をするにふさわしい!」
「【——刈り取れ】」
上から、声。
顔を上げるよりも先に、眼球が声の主を捉える。
赤。黒。
死神が、そこにいた。
魔術が解け、ローブが力を失って地面に被さる。
それを見て、吸血鬼は悟る。
「貴、様!」
無慈悲にも、大鎌は吸血鬼の首にかけられる。
抵抗なく、静かに大鎌がズレていく。
否、ズレているのは視界の方。
吸血鬼の頭だった。
堕ちた頭は、地面へと激突する。
「……防御を捨てる、とは」
「!まだ生きて」
「ふ、貴様ならわかるだろう。これから向かうは、死だ」
首だけとなった吸血鬼は、静かに笑う。
「死とは無縁だと、思っていたのだがな」
吸血鬼は視線だけで、自分を打ち倒したものを見る。
血みどろだ。
吸血鬼が放った魔術に防御手段を捨てたのだ。
全ては意表を突くために。
「死に触れすぎた故、死となったか。それとも死に瀕した故に、死となったか」
俺は首を傾げる。
古い存在らしく言っていることが全く分からない。
「ふ、どうでも良いな」
「そうか」
吸血鬼は、目を閉じる。
表情は笑みを浮かべたままだ。
「行け、我の歴史をやろう。それが貴様の得になるかは我の知るところではないがな」
切り離した体が、灰になっていく。
「良き戦いであった。貴様も、そこな女も」
女……?。
アリスか!
俺は急いで彼女の姿を探す。
すぐに見つかった。
辺りに目立つ血だまりがあったからだ。
「アリス!」
俺は駆けて、アリスに近づく。
意識は無く、浅いが呼吸はある。
だが、右腕が無い。
肩口から無くなっている。
少し遠くに、右腕が落ちていた。
気絶するまでに自力で止血をしたのか包帯が巻かれている。
彼女が持つ魔術具の効果だろうか。
血は止まっていた。
俺は彼女を抱きかかえて、一目散に宝物庫へと向かう。
あそこから転移した方が速いだろう。
「おい、吸血鬼!」
俺は灰化が進行している吸血鬼に声をかける。
五月蠅そうに、瞳を開ける。
「お前の宝物庫に、治療できる魔術具はないか?」
「無い。我らには必要のないものだからな」
「使えねえな!」
「は?」
俺は宝物庫へと駆けていく。
転移が完了するまで約五分。
幸い、この近くには医者がいたはずだ。
ついでに俺の怪我も治してもらおう。
そうして俺たちは宝物庫へと入っていった。
「ふむ」
吸血鬼は一人、死を待っていた。
吸血鬼は死ぬと灰となって消えていく。
「これはずいぶんと荒らされたものだ」
玉座は崩れ、玉座の間自体すら見る影もない。
柱は折れ、あるいは罅が入っている。
一番ひどいのは壁だ。
叩きつける。蹴る。叩く。
あらゆる暴虐を受け続けた結果、もはや壁ですらなくなっていた。
この場所が崩落しないのはひとえにここが迷宮だからだろう。
吸血鬼の右目が見えなくなった。
どうやら、本当に終わりが来たようだ。
吸血鬼は目線だけで宝物庫へと消えていった彼らを見る。
「あの男はもとより。あの女も、勇士であった」
昔を想い出し、笑う。
もはや笑うことすらできないが。
「《《貴公》》よ、高みへと昇るのだ。貴公にはその資格がある。この——」
もう、残ったものは意識のみとなった。
だが言おう。
「吸血鬼が公爵【不滅公】レ・ダンテが保障しよう」
一人、不滅は死ぬ。