16話 吸血鬼
「長かったな……」
「あ、ああ……」
俺たちは、眼前の扉を感慨深く見つめる。
特別に豪華な意匠が施されている。
迷宮主がいる扉だ。
ドラキュリーナがいた階層から、ちょうど二十の階層を上ってきた。
そうしてようやっとたどり着いた。
終わりが無いかと思った。
幸い、これと言って消耗はしていない。
アリスが戦ったドラキュリーナが最大の敵であり、その後は大した強さを持つ敵はいなかった。
「休憩するか?」
「いや、このまま行こう」
アリスは剣を抜いている。
俺は扉に耳を当てて迷宮主の気配を探る。
奥の方から生命の鼓動が感じられる。
俺はアリスの様子を見てから、扉を開ける。
特別重厚な扉であり、すこし手に抵抗がかかる。
扉が音を立てて、開く。
すぐさま、アリスが中へと入る。
彼女は入るやいなや、前方へと剣を向けていた。
習って俺も中へと入る。
迷宮主がいる部屋はまるで玉座の間のようであった。
明らかに迷宮の外観からは逸脱した広さを持っているおり、迷宮ならではの不思議空間である。
玉座に座っているのは冠を被った一人の長髪の男。
肘をつきながら、退屈そうに本を読んでいる。
男は本から視線をずらし、俺たちを睥睨する。
目に射貫かれ、肌が粟立つ。
アリスも同じ感覚を味わっているようで、剣を固く握っている。
男は俺たちを冷めた目で見ながら、本を閉じる。
「不敬、不敬、不敬」
玉座から立ち上がって、数段のみの段差を降りる。
一歩、一歩踏みしめるたびに男の纏う威容が増大していく。
「我の前だ」
俺は苦笑いを浮かべる。
この圧は。
俺は横にいるアリスを見る。
視線は男に固定されていて、剣が、体が震えている。
それも無理ないことだ。
彼女は元々から臆病な性格だろう。
自分よりも弱い魔物に対しても、ビビっていたくらいだ。
自分よりも強い魔物が殺意をぶつけてきたら、本当の怖れを抱くだろう。
「何が、二級だよ」
俺はあの態度の悪い受付嬢へと愚痴を吐く。
今思えば前々から、その兆候はあった。
気付けなかった俺のせいかもしれない。
俺は反省しながらも、男を隅々まで見る。
赤い瞳に、発達した顎と牙と形容すべきほどの鋭い八重歯。
斑点状に色の抜け落ちた髪。
それが導く答えは。
人類の敵。
夜天を統べるコウモリたちの王。
永劫を生きる死の否定者。
「吸血鬼……!」
《《最低危険度一級》》。
つまりこの迷宮は。
二級迷宮ではなく、準一級若しくは一級迷宮であるということ。
「に、逃げ」
「ならぬ」
アリスは俺を見てから撤退をしようとしたが、吸血鬼がそれを遮る。
後ろに気配。
咄嗟に後ろを見ると、そこには退路を断つようにドラキュリーナが立っていた。
「二、二体……!?」
アリスが戦慄に悲鳴を上げる。
彼女が一対一で苦戦した存在が、二体いるのだ。
泣きそうな顔であるが、それでも剣を敵に向けている。
「貴様らは、その女を相手にしろ」
「「拝命致しました」」
ドラキュリーナは、吸血鬼の眷属らしく恭しくお辞儀を披露してから、アリスへと目を向ける。
俺にはそこに目を向けている時間は無かった。
「死よ、貴様は我が相手をしよう」
化け物が、俺を見て嗤っていたからだ。
「……アリス」
「な、なんだ!?」
「耐えてくれ」
彼女には悪いが、とても助力なんてできる雰囲気ではない。
俺は背中から大鎌を取り出して肩に担ぐように構える。
「楽しませろよ?我を」
「【刈り取れ】」
鎌を首めがけて振るう。
吸血鬼は、数瞬前に俺がいた場所に目を向けていた。
「——ちんけな手品だ。道化にすら劣る」
「っ!?」
刃が通っていない。
薄皮一枚すら傷をつけられていない。
「次は我の番だ」
吸血鬼は無造作に、腕を振り下ろす。
死の気配に俺は鎌を引き戻してから、後ろへと全力で下がる。
爆轟。
地震と見紛うほどの大きな揺れ。
なんて威力だ。
俺は苦笑しながら冷や汗を掻く。
間一髪だった。
「ふむ、避けたか」
なんとなしに、吸血鬼はそう言った。
「では次だ」
男は軽く息を吸う。
「【吹き飛べ】」
「——!?」
俺は咄嗟に大鎌で防御しようとするが、それをすり抜け見えない何かに吹き飛ばされる。
「ぐぅ……!」
壁に激突する。
かろうじて受け身は取ったが、ダメージはある。
「我と貴様の魔術行使は、同種類のようだな」
「ああ、そうだな」
俺は血交じりの痰を吐きながら、吸血鬼を睨む。
「同じ【言霊】でも、こうも出力に違いが出るか」
「我と貴様では魔力が隔絶しているからな」
まったく、種族レベルの差を感じるひと時だ。
俺の使う魔術は、【言霊】と呼ばれる最古の行使方法だ。
現代魔術のように詠唱を行うことなく自由に魔術を行使できるが反面、威力が低い。
最古ということで、俺はあらゆる伝承を読み解いて今は忘れ去られている言霊を再現していた。
俺は前傾姿勢からゆっくりと体を起こす。
鎌を握る力を弱める。
「じゃあ、これはどうだ」
集中し、広域に視界を広げる。
……今。
「【断ち切れ】」
「何!?」
首を斬る。
「【断ち切れ】【断ち切れ】【断ち切れ】」
胴体、足、頭。
此度は両断できる。
「ちっ!【蹴り飛ばせ】!」
もう一度、俺は魔術を行使しようとするも横から飛んできた吸血鬼の足に吹き飛ばされる。
直前で防御をしたものの、またも壁まで吹き飛ばされる。
「くそ、あと一歩だったのに」
俺は鎌を構えなおし、吸血鬼を見る。
「断つことに特化した斬撃か。最初のように、俺を殺すために死の概念を含ませたものではなく」
両断したすべては、何事もなかったように一つに繋がって元通りになっていた。
吸血鬼はこれが厄介なのだ。
常軌を逸した再生能力。
これを突破するためには、銀の武装か加護をもつ装備が必要だ。
そのどちらも、俺はもっていない。
だが奴も言っていたように、最初に行使した魔術は奴を殺すことができる。
「内側なら柔らかいだろう?」
硬い外皮ではなく、内部を狙う。
両断して、その後内部に死の魔術を叩きこむ。
それだけが俺が吸血鬼に勝つことのできる唯一の方法だった。
「もっと楽しませろよ、死」
「殺すまで何度も鎌を振るおう」