不如帰の言霊
――天辺欠けたか。
ホトトギスの声がそう聞こえたら、返事をしてはいけないよ。
その村ではそう言い聞かせられていた。
夏が始まるころ、ホトトギスはやってくる。この村を取り囲む森には、ホトトギスが多く棲みつく。都ではそのさえずりを心待ちにする人もいるというが、村人たちはこの鳥に決して近づかなかった。
言葉には霊が宿るから、といって。
「ホトトギスの言葉に、ぜったいに『うん』といってはならない。空が欠けて落ちてくるからね。いいね」
おしゃべりをする年ごろになった子どもたちは、みな、古老からその言い伝えを伝えられる。
だから、村人たちがホトトギスに近づくことはなかった。
その夏、都から珍しい客人があった。この村含む一帯の土地を所有する、貴族の青年だった。
彼は高貴な生まれと地位を得ていたが、都で政権争いにやぶれ、遠流に処されることになったという。まもなく家も家族も財産も全て失い、島流しにされる日を待つさなか、隙を見て都を抜け出したのだ。
彼はホトトギスが好きだった。自分の屋敷近くではホトトギスを見るようなことが少なかったから、ここにやってきたのだ、と村人たちに説明した。
流される前の最後の思い出に、ホトトギスの鳴き声をよくよく聞きたいのだ、というと、村人たちは、それくらいなら……と、あわれな貴族の滞在を許すことにした。
森の近くを歩いていると、まもなく、一羽のホトトギスが、貴族の近くに舞い降りた。
あと一歩踏みだせば逃げてしまう、それくらいの距離で、貴族は立ち止まった。
一羽と一人はわずか見つめ合い、そして、ホトトギスが鳴いた。
貴族は嬉しそうに笑い、ホトトギスにこう答えた。
「そうだね。……欠けたよ」
高い高いところで、何かが割れる音がした。
見上げると、晴れわたった青空に亀裂が走っているのが見えた。
青く透明な破片が落ちてくる。遠くで村人が悲鳴を上げてさわいでいる。
「ホトトギスに返事をしたら、空が欠けて落ちる、ね。そうとも、言葉には霊が宿る。ホトトギスの鳴き声に『天辺欠けたか』などというかたちを与えたのは人間だし、それが本当に起きることだと言葉にして霊を与えたのも人間、本当にしかたないね……」
貴族は優雅に扇を広げ、口もとを覆った。
この憂き世が消え失せることこそ彼の望み、ホトトギスの鳴き声に滅びの力を与えた村を訪れたのも、これが目的だった。
貴族が生まれつき高い地位にいられたのも、先祖たちの蹴落とし合いの結果だ。なんらかの方法で自分を陥れた者に逆襲しても、次の世代で同じことを繰り返すのだろう、と思うと、うんざりだった。
そもそも、自分の障壁になる相手だけを陥れるなどというのは、公平でない。それは彼の主義に反する。
滅ぼすなら、個人でもなく、家でもなく、憂き世全てをそうしてこそ。それはこの貴族にとっての平等の達成であった。
うまくいった、と貴族が微笑んだところで、真っ青な空が砕けちり、きらめく透明な砂礫となった。きらきらと輝きながら地上を埋めていった。
その星の全ての空が砕け散り、降り積もって、地上の命を埋めてしまうのを、ホトトギスは最後まで見ていた。
「天辺欠けたか、欠けたか……」
「テッペンカケタカ」に意味を持つ言語も消失したいま、ホトトギスはもう滅びの力を持たない。この星の終焉そのものとなり、一羽生き残ったホトトギスは、星の成れの果てから飛び立った。
夏ごと何もかも無に帰した世界を離れて、宇宙のどこかに渡り、温暖な地を見出すために。