3 ペンを拾っただけなのに
『私は自分の顔に自信がある』
こんなことを大々的に言ってしまえば、他人からよく思われないことを知っているので、わざわざ言いふらしたらはしないけど、それでも心にはいつも大きな自信があった。
勉強が出来る訳でもないし、運動神経に優れている訳でもないけど、この顔さえあれば社会で生きていける――そんな自信が。
だってこの世界は、顔が良いというだけで待遇や境遇が良くなるんだもの。
「……ねぇねぇ」
「―――」
私はすごく恵まれている…のだと思う。
だって他の人が自分に自信を持つレベルの顔になりたければ、相応のお金と時間を掛ける必要があるけど、私は生まれながらにして完成しているんだから。
それは、悪く言うのならズルで卑怯…なんだろうな。
だから神様はときどき、そんなズルを調整するみたいに…幸運と不幸の帳尻を合わせるみたいに、災難を引き起こす。例えばそう、…いま私の目の前をたむろする彼らみたいな人達を使ったりして。
「ねぇ、待ち合わせしてんの?」
「―――」
「俺らと一緒に遊ばね。これからボーリングとぉ、カラオケ行くんだよね」「金は俺らが出すからさぁ」
「――…」
頭に響く下品な大声で叫ぶ男たち。
こっちがわざと無視してるって気付かないの?…それとも、気付いてて話しかけてきてるの?…どっちにしろ最悪ってことは確かね。
一応、周りを歩いてる人にさりげなく助けを求めてみたりもしたけど、知らぬ存ぜぬ。
まぁ、私も同じ立場だったらそうするから、気持ちは分かるけど。触らぬ神に祟りなしだ。下手に関わって、面倒に巻き込まれたくはないんだろうって分かるけど……はぁ、どうやって切り抜けよ…。
「ねぇ、ねぇ」
「―――」
どのような手段で、この『声が五月蝿く、安っぽい香水の匂いが臭く、唾が飛んで汚く、存在が鬱陶しい』男たちの囲いから切り抜けてみようか…走って逃げてみせようか。なんて、スマホを弄りながら何処か他人事のように考えていた私は――
「ねぇ、聞いてる?…ねぇ、、。聞こえてるかってぇ…聞いてんだろッ!!」
「痛ッ」
男の怒声に驚き、思わずスマホを落とした。
気持ちの悪い猫撫で声で延々と話しかけていた男は、埒が明かないとでも思ったのか猫かぶりをやめ。怒鳴り声と共に少女の腕首を掴んでは、力任せに引っ張り上げる。
所詮はナンパだと高を括って、呑気にも災難が過ぎ去るのを待っていた私はそこで初めて――自分の危険な立ち位置に気が付いた。
「優しくしてるうちに来いよ、なぁ!」
「やめ、離して!」
『…あっ、こわい』
駄目、怖い、怖い。なんで、私なの。やめて、痛い。
猫撫で男とは別の…体格の大きな男に掴まれた方の手首から、だんだんと身体が冷たくなっていくのを感じて、身体が勝手に震えだす。なんで、誰もきてくれないの…私が偉そうだから?私が傲慢だったから?だから誰も…だれも…誰か、助けて。
「おい、あんま俺らをイラつ――」
「――ねぇ、おじさん。その子嫌がっているよ?」
それは大きな声と言うわけでもないのに、この場にいる全員の耳をすんなりと通った。
「へ…」
「あ˝?誰、お前」
――王子様だった。
高そうなコートを着こなし、こんな場面でも穏やかな表情で、冷静に私と男たちとの間に立つ彼は、登場の仕方も相まって…まるで、お姫様のピンチに駆けつけてくれる物語の王子様に見えた。
「…この女の連れじゃね?」
「いや、生憎と知らない人だね。困っているのをたまたま見かけたから…ね。女の子が怖がっているんだ、解放してあげなよ」
「はぁぁ…んだよ。正義のヒーロー気取りかよ面倒くせぇなぁ…」
「おい聞けよ、このガキ『女の子がコワがちぇるから離ちてあげて』だってよ」「ふはっ、ははは」
「――はぁ…。テメェ何様のつもりだ、ぁあ˝!」
体格の大きな男が今度は王子様に向けてまた吠える。
これまでも自分が少し脅しさえすれば、周りの人間は言うことを聞いたのだろう。その成功体験がこの男から透けて見えた。
しかしそんな威嚇、王子様には効かなかった。
男の下品な恫喝も恐喝も、近くに停めてあった自転車を蹴飛ばすパフォーマンスも彼にはなんの効果もなく。まるで動物園にでも来たみたいに、、暴れる男たちを何も変わらず、じっと見続けてるだけだった。
男達はそんな王子様に痺れを切らしたのか、それとも少し直接的に脅そうとしたのか。私の手首を掴んだ、この中で一番体格の良い男が王子様の胸ぐらを掴む。
いや、掴もうとして――華麗に避けられた。
そして王子様は小さく「触るな」と呟いたんだと思う。そこからはあっという間もなく、足で男の足関節を軽く蹴って身体を傾けさせたかと思えば、目を潰すフリをして男の体勢を崩させ、再度の蹴りで手も触れずに大男を圧倒した。
武術なんて何も知らない私から見ても、その一連の動作には一切の無駄がないことがわかった。
「お、おい!テメェ――」
「――ここまでにしときません?これ以上は流石に警察が出てきますよ」
その強さは直接対峙した男たちも感じたようだ。
負けて幾分か冷静になったことで、先ほどよりも周囲に群がってスマホを向けてきているギャラリーに気が付いたのだろう。
「……――はぁ、萎えた」
「ッ、いいのかよ」「待てよ!」
「…おいガキ」
「はい?」
「…その女、お前に譲るよ」
「それはどうも」
立ち上がった男は私には見向きもしないで。
最後にそんな言葉を残したかと思えば、仲間を引き連れて何処かへと消えていき、周囲のやじ馬たちも通行人に戻っていった。
「あ、あの!」
「?」
そんな集団の波に呑まれまいと、私は恐怖で固まっていた喉を何とか震わせ、上擦った声で王子様に話しかける。
「た、助けてくれてあ、ありがとうございます」
「どういたしまして」
「それで、も、もしよかったらあの、この後」
「ごめん。友達を待たせているんだ」
名前も知らない王子様はそう言って微笑んだ。
絵本のように颯爽と現れ、私を救ってくれた本当の王子様みたいな彼は、そうして助けにきてくれた時と同じように颯爽と去っていく。
残されたヒロインは一般人に巻き戻る。
一抹の寂しさで心を締め付けられながらも、不幸の後にやってきた幸運を噛み締めて。
◇
「それで。私たちは一体いつから友達になったの?王・子・様」
「そう膨れないでよ、お姫様」
「はあ˝?」
「……ごめんってば、冗談だってば…」
程よく冷たい空気が甘い香りを運ぶ街中。
「そんな睨まなくても…」なんて、うじうじ呟く彼に連れられ、というか『――えぇっと、こっちの道は違うから』『あっちから甘い香りがするけど…目的のお店ってもしかしてそこ?』『えっ、ホント!それって、こっち?』『違うから…こっちだって――』殆ど私が連れてきた行列の最後尾。
アミメニシキヘビよりも長い列の尻尾で私は、目の前から突然いなくなったかと思えば、女の子を助けに向かっていた男に嫌味をぶつけるも効果は無く、軽く返される。
…こういう言葉になれているのだろうか?
遠く離れた位置から見ていた私は『連れてきたくせに放置するとは何事か!』と思わなくはなかったけれども、彼の勇気ある行動は立派だと思うし。
褒められるべき行為だと思う…から、不愉快オーラを垂れ流すのもここまでにしておいてやろう。
「はぁ…っで、大丈夫だったの?」
「あぁ、うん。靴は家に帰ってから洗うよ」
「へ?何の話」
「え?何の話」
まるで汚い物でも踏ん付けたかのように、履いている靴を足の長さ以上に遠ざけようとする彼との会話はかみ合わず、頓珍漢な空気が漂う。
「…いやいや。貴方が助け出した女の子。あの子を一人でほったらかしといて良かったのかって聞いてるの」
「なんで…?」
「なんでって…ほら、知らない異性に無理やり連れて行かれそうとなったんだから、きっと今も誰か付き添ってあげないと不安でしょ」
「かもね?」
「かもねって、貴方――」
「――不安かもだけど、それって僕と関係があるの」
「は?」
「え?」
彼は心底、私の言いたいことの意味が分からないといった具合で。私はその素っ頓狂な顔を前に『お姫様を安心させるのは王子の役目でしょ』なんて軽口は、喉の奥へ押し込めるしかなかった。
「え、いや貴方は彼女を助けたのよね」
「そうだね、彼女が困っていそうだったから」
「な、なのに今は、放っておくの?」
「あぁ成る程。ん〜…これは僕の考え方なんだけど。あの子が男の人に囲まれて困ってたのは外的要因だったけど、今も不安に襲われているってのは内的要因でしょ」
「こう言っては悪いけど、そんな所までは面倒見きれない…かな」
「―――…」
「あ!もちろん遠無さんが連れてきたいって言うのなら、連れてくるけど…」
「…そう」
『ズレ…てる』
感性と言うか感覚と言うかそういったものが彼はズレているんだ。
私は彼を誤解していた。
クラスの人気者で、カリスマもあって、誰からも好かれているお人好しだと思っていた。ああいう傷付いた女の子は真っ先に助けに向かう王子様なんだとクラスで彼を見て思っていた、だから女の子を助けた事自体はさほど驚かなかった。想像上の彼ならするだろうなと思っていたから、たかだかペンを拾っただけなのに、こうしてお返しをしたがる重度の人好きである彼なら…けど、彼は違った。彼は――
◇
長蛇の列は以外とスムーズに進み。
彼が私に飲ませたかったというスムージーは、思ったよりも早く手に入った。
「そういえば何か体術でも習っているの?」
「ん?あぁ、さっきの。…まぁ昔にね。それよりも――」
スムージーは片手に。どこか落ち着いた場所で話そうという流れになった私たちは、近くにあるという公園へ何げない会話を暇つぶしにし、歩いて向かう。
私としては正直。彼がしたがっていたお返しとやらも済ませた事なので、もう帰ってしまいたかったのだが、あと少しだけだからと懇願されてしまい。
それとスムージーを奢ってもらった手前、帰りにくかったということもあり、もう少しだけ彼とのお喋りに付き合う運びとなった。
「へー、綺麗な公園ね」
「そうだね!公園に入るのなんて何時振りかなぁ」
けれど、それもこれも私がスムージーを飲み切るまでは、の話。このスムージーさえ飲み切ってしまえばあとは何も知らない。
とっとと帰ってしまおう。
『この関係も終了。彼が騒いでも無視してやろう。だってそう、私と彼はただのクラスメイトなんだから。私はクラスの女子みたく彼に絆されてなんてないし、今も心の中は猜疑心でいっぱいで。さっきの一件によりその気持ちは大きくなった。彼は王子様なんてモノでは――』
「あ、美味しい」
しかし一口、そんな気持ちと共に吸い込んだスムージーが想像していた以上に美味しく。ついつい頬は緩み、美味しさの言葉が零れてしまう。
あんな行列が出来ているのも納得だわ、こんなに美味しいのなら通ってもいいかな。なんて彼の前であることを忘れ、物思いに耽ってしまうほど、それほどまでにこのスムージーは美味しかった。
「そう?…それは良かった」
人に勧めておきながら、自分はスムージーを買わなかったこの男は木に凭れながら、心底うれしそうに笑う。
このスムージーのように甘く、優しさ溢れる声と顔の彼は、私に向けてだけ穏やかに笑う――それはまるで本当の王子様みたく…。
「ッ……う、ううん」
正面、それも間近でそんな顔に当てられてしまった私は思わず、スムージーを吸い込む肺に力が入り、軽くむせる。
『これは素なの?それとも計算なの?――狙ってそんな王子様100%みたいな顔をしているのなら、貴方は何を狙っているの!私は騙されな――』
「あ、貴方は、座らないの…」
一方的に気まずくなった私は、横に広いベンチで、座れるスペースも十分にあるというのに、なぜか立ったままな彼へ。こんこんとベンチを叩いて着席を進めるも――
「う、うん大丈夫、大丈夫」
「?」
――彼は遠慮とは違う、何とも言い現しにくい感情と表情で断るのだった。
まただ。彼は時々こうして様子がおかしくなる。
道に迷って人に順路を尋ねていた時も、スムージーを購入する時も、今も…そういえばペンを拾ってあげた時も様子がおかしかった気がする。まるで何かを避けるかのような、何かを我慢するかのような、そんな風に見え…――そもそも彼は真面目に私へ何を望んでいるんだろうか。
最初はストーカーなのかと思った。
初めて会話して次の瞬間には手を握ってくれだと色々あっての今日、我が家にまで押しかけてきたのだから。まぁ偶然だったらしいけれども、同級生でなければ通報ものだ。
次に思ったのは、単なるお人よしという線。
けどこれも違った。そもそも、たかだかペンを拾った程度でこんな恩返しを毎回・毎度していては、如何なお人よしといえど身が持たないだろうし、それに先ほどの一件。女の子を助けた後の彼と会話して気付いた。
彼はきっと――他人に興味がないのだと思う。
あの絡まれていた女の子を助けに向かったのだってきっと、『助けたい』だとか『助けなくては』とかそういった正義の心に突き動かされたからなどではなく。
朝会ったら挨拶をしようだとか、間違えたことをしてしまったのなら謝ろうだとか。そういう小さいころに習った教科書の通り。『困っている人がいたら助けましょう』という教えに則っただけで、そこに彼自身の意思は介在していないように思えた。
彼は結局のところ、他人がどうなろうとも無関心でいられるのだろう。
だから特定の誰かを贔屓することも、逆に蔑んだりすることもせず、どこに誰といても平等で、冷静さを保つことができるんだ。
誰からも好かれ嫌われない王子様の正体は、誰にも興味を抱かない一人ぼっちの人気者だったんだ。
「――サッカー部の助っ人で試合にでたらなんか知らないおじさんにスカウト?ってのをされてね」
「……」
――でもだからこそ不思議。そんな彼がなんで私なんかに付きまとうのか…。
『この呑気にお喋りに興じている男は私に何を求めて…お金…とか?』
――いや、違う。
彼ならこんな迂遠なやり方せずとも、自分にお金を貢ぐ人間なんて大勢いるだろう。それに彼の父親は有名な政治家という噂だし、お金に困っていそうには見えない。
『なら彼は私の…私の身体が目当てで近付いてきた?』
――それも腑に落ちない。
彼からはそんな邪な視線は感じないし。というより彼はそういう人間らしい営みにすら興味を抱いていないのだと思う。時々、人に触れるのを嫌悪するのがその証拠だ。
『けど、困った。だとしたら彼は一体なぜ私に近付くのか…、人に興味がない彼が私に何を求めているのか、本格的に分からない――誰からも好かれる人気者が、こんな愛想も愛嬌もない氷の女に望むモノ…とは』
わざわざ手を繋ごうとしてきたり、偶然とはいえ自宅に訪れたり、犬のように付きまとってきたり。
『この屈託ない笑みを向けてくる彼は私に何を求め、私だけを見つめ振る舞う男は私のことを何と思い、ペンを拾っただけの私に…そんな些細でくだらない出会い方をした私に…私は彼に…彼は私が――…ッ!……コイツまさか…私のことを好』
「へっ。ま、まさか…」
「どうかしたの?遠無さん」
私に気があるのか、柳レイ!
◇
二人の関係性に進展か異変が生じた日の晩。
【カッコイイ男子高校生がナンパに絡まれてる女の子を助ける動画!】
なんて何の捻りもなにもないタイトルでSNSに投稿されたその動画は、そこそこの再生回数を叩き出した。
おおむね、好意的に受け入れられている動画ではあったがしかし、コメント欄には撮影・投稿主への『これって盗撮じゃないですか?』『お前も助けろよ』『カメラぶれすぎ』や、ナンパをしていた男たちへの『キモチワル』『死ねよ』『女の敵』などの直接的暴言。
あまつさえ被害者である少女に対しても『そんな恰好で出歩いている方も悪い』なんて否定的、攻撃的なコメントが少なからず書き込まれていた。
けれど、仕方なかったこととはいえ〝人に暴力を振るい警察の真似事をした男の子〟については、数多の称賛の声あれど、誹謗中傷やその類のコメントが書かれることは一切なかった。
これは、誰かが悪意あるコメントを消しただとか、誰かが意図的に操作したとかいう訳ではなく。自然とそうなった…だけなのだが、その称賛一色に染まる視聴者の声にはどうにも作為的な何かを感じざるおえなかった。
例え善行を積んだ者に対しても、敵意ある発言は湧いて出る世の中。
――にも拘わらず。彼は嫌われることなく、ネットの上でも人気者であり続けた。
それは彼に悪意を抱くことを禁じる何か、人間の意思すら容易に操れる…まるで神様と呼ばれるの存在の介在を疑わずにはいられかった。
柳レンに助けられた、自意識高めな美少女が護身術を学び始めたのは、また別の話。