姉弟で決めたこと
学生寮 夏季と冬美の部屋
狭山夏季は部屋に帰宅後、制服を脱いで部屋着に着替える。テーブルの上に勉強アイテムを置き、今日の内容を復習する。夏季は担任の狭山冬美先生の弟であり姉と同居している。2人用の部屋なので1人用より広い。
「明日からか。強くならないとな。勉強が終わったら今夜のレシピかな」
ふと、独り言を放つ。明日からA組はハードになる。夏季は先の未来、魔族と戦う覚悟が出来たのでA組に残ることを選択した。
部屋の時計を確認し、きりの良い時間まで勉学に励む。夏季は勉強の成績は優秀で、テストで高得点を取っている。テスト前になると、泣きついてくる飛鳥と授業を欠席する渚に教えることはある。
1時間が経過し丁度一段落したので勉強を中断する。冷蔵庫の中身を確認して今日のレシピを考察する。
「明日からハードモードなんだよな。ふぅ……いつものスタミナ系にするか」
夏季は早速取り掛かり、自前のエプロンを使う。部屋のことは当番制で決めているが、仕事で疲れが溜まったりする日がある時は代わったり、共同することもある。
慣れた手つきで材料を切って、調味料を混ぜて、焼いていく。
フライパンからの熱気が、食欲をそそるいい匂いが漂う。
「スタミナ系といえばこの料理になってしまうよな。姉さんは喜ぶぞ」
お皿に盛り付けたタイミングで扉の開く音が聞こえた。冬美のご帰宅である。夏季は匂いにつられてやってきた犬と感じてしまう。
「ただいま」
「おかえり」
冬美は夏季にハグをする。夏季は姉のいつもの行為を受け入れており優しく抱き返す。姉弟の日常の1つである。
「廊下を歩いていたらいい匂いがしたわ。夏季が美味しそうなものを作ってると思っていたわ」
「本当に犬みたいだな」
「ん?どういう意味かな?」
「何でもないよ。とりあえず離れてくれ。出来立てだからすぐ食べようぜ」
「はーい。今日は豚キムチにしたんだね」
冬美は上着を脱いで手を洗い食卓につく。食卓の上には豚キムチ、白米と味噌汁、焼き鮭が並べられている。
「今日のレシピはこれだなと思っていたわ。池田さんが手に入れた鮭がまだ余ってたのね」
「今日はたらふく食べないと、1日目からからバテたくないんだ。姉さんに合わせるのは尋常じゃない」
「それは褒め言葉なのかな?まぁいいわ。明日の力のためにいただきます」
「あぁ。いただきます」
一口を食べるともう一口。箸が止まらない。夏季が作った料理の豚キムチはご飯が早くすすむすすむ。冬美は美味しい顔をして頬を緩ませる。学園での冬美は、戦いに厳しく妥協はしないし、クラスメイトの前では弱音を吐かない、筋の通らないことを嫌う真面目な講師である。弟の夏季であっても同じだ。
しかし、この部屋の中では、夏季以外に見せることのない優しく甘い姉になる。あっという間に料理がが無くなり、手を合わせてご馳走様となった。
「何回食べても大好きな味」
「これさえあれば嫌な日があっても乗り越えられる」
「忘れられない味ね。夏季は私よりお料理が上手になったわね。まぁ私がだらしないしね」
「良いんじゃないか?姉さんはその分強い。だらしないけど。だらしないけど」
「だらしないを2回も言うな!」
「痛っ!」
冬美は夏季の額にデコピンを喰らわす。夏季が受けたダメージは大きいようで、額に手を当てる時間が長い。
「ったく。手加減を知らないのかよ。俺じゃなかったらヤバかったぞ。怪人女め」
「あなたが余計なことを言うからよ」
「……はは」「……ふふ」
二人は自然な笑みがこぼれる。
夏季は学園での会話は多くない。仲の良いユウキ、飛鳥、渚の中でも口数は少ないが、姉と話すほうが饒舌になる。冬美は学園では見せない緩い口調になる。他のクラスメイトが見たら信じられないと思う。
気が抜けた家族、姉弟同士のコミュニケーションが1番の幸せである。
「片付けは私がやるわね」
「頼む」
夏季に作ってもらってたので、片付けは冬美の出番である。片付け中でも会話は止まらない。
「で?豚キムチにしたのは気まぐれではないんでしょ?」
「そうだ。今日の姉さんは普通じゃなかったしな」
「ふふ、夏季には敵わないわ。私のことをどれだけ見てるのかな?」
「俺達は姉弟だぞ。姉さんのことは俺が1番知っている。朝から様子がおかしかった」
辛い日やうまくいかない日もある。そういう日こそ家族が大好きな豚キムチを食べるのが狭山家のルールである。夏季は冬美の様子に異変を感じたので作ってみた。
「朝からか……。今日のことをみんなに伝えるのは私も覚悟があったもの。そしたらね、思い出すの」
「うん」
「放課後、教員室で明日のことを考えてたらね――」
冬美は洗い物をする手が止まる。蛇口からシンクに直当たりする水の音が聞こえる。
冬美は教員室で、柏原先生と明日からのことについて夏季に伝える。その時にアレルギーが発症した。柏原先生も事情は知っているので冬美に気を遣うことはある。だが、講師として魔族を教えるとなるとそうもいかない。冬美は出しっぱなしの水に気づいて洗い物を再開する。
「私は弱いわ。みんなが知っている狭山先生はこんなに弱いのよ」
「姉さんは強いさ。俺も姉さんのように強くなりたい」
「何言ってるの。あなたも強いわ」
「まだ姉さんに追いついてない。足を引っ張るわけにはいかない。姉さんぐらい強くならないと奴を倒せないんだ。俺達2人で決めたんだから」
「2人で倒すって決めたもんね」
「あぁ。姉さんは強くなるだけではなく、俺を育ててくれたし感謝してる。……姉さん、この話はやめてお風呂に行こう」
「そうしようかな」
思い出したくない思い出でもあるので、2人は早々に切り上げる。洗い物が終わってすぐに一階の大浴場で身体を洗うことにした。
広い女子用大浴場は冬美しかいなかった。本日の大浴場は、このあとメンテナンスがあるためいつもより早い時間で終わる。そのためか、多くの人は早めに大浴場を利用していた。冬美が使用する頃は、残り時間は30分も無かった。少し急ぎ目に身体を洗い、一番人気の浴室に脚を伸ばして肩まで浸かる。
誰もいない静かな大浴場。
「ふふ。何やってんだかな。私は強い先生でいなければならないのよ。柏原先生や理事長も私に気を遣って頂いている。私は……強くないよ」
冬美は浮かない表情で天井を見上げ、ふぅと息を吐く。
(いけないわね、私がちゃんとしないと。今回のA組は奇跡的に強い人が多い。戦略を考えないとね)
クラスメイトの成績を考えてると、すぐさま時間が立ち大浴場の使用時間はなくなった。急いで着替えを済まし、学生寮に帰宅する。
先に部屋に戻った夏季は火照った身体を冷まさないように、寝室に向かいベッドの中に入る。今日はいつもと違う雰囲気での授業だっので疲れが増した。普段より早めに消灯し目を瞑る。疲れているが、考え事をしてたのか寝付きは良くなかった。
やがて冬美が帰宅する。夏季が中にいることは分かっているが、静かなので早く寝たと感じる。
静かに夏季の部屋の扉を開けてみる。
「寝てる?」
「起きてるよ。中々寝付けない」
冬美の一言に力がなかった。冬美も考え事をしていたことがわかる。寝ている夏季のベッドの近くに寄る。
「一緒に寝て良い?」
「いいよ」
冬美は夏季の掛け布団に潜り込み、密着した状態になる。夏季の正面から抱きつき、夏季の胸に頭を預ける。夏季は何も言わず、冬美の頭を撫でる。冬美も火照った身体と裏腹に精神は寒い。
「私には夏季しかいない。お願いだから絶対に……絶対に死なないで」
冬美の弱々しい声は震えている。密着した身体だが、冬美の身体に力が入っていない。
「絶対に……絶対に死なないさ」
夏季の小さい音量の言葉は暗闇の部屋を響かせる。冬美が落ち着くまで夏季は頭を撫でるのをやめない。
「夏季は温かいなあ」
「しっかり温まって明日のためにゆっくり寝てくれ」
「うん」
冬美の身体の力が抜けて寝息を立てる。
(頭を撫でるのはいつも姉さんだったな。俺が姉さんの頭を撫でるということは、相当精神的にきてるんだな。俺も強くなって姉さんを安心させないとな)
夏季の瞼が重くなり目を瞑る。