いつものよろしく
コーヒーと昭和の雰囲気香る小さな喫茶店。
穏やかな音楽、それに添うような調理の音。お昼のピークを越えたあたり。来訪を告げるドアベルが爽やかな音色を響かせる。
「おお、懐かしい音だぁ。ふふっ、変わってないなぁこの店」
「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ!」
「ああ、どうも。じゃあ、ここにしようかな。お気に入りでね。お姉さん、新人さん?」
小さく『どっこいしょ』と呟き、椅子に腰を下ろした男は店員の女を見上げ、そう訊ねた。
「まーもう三ヶ月くらいになりますかねー」
「そっかー! いやぁ、あの人辞めちゃったかな? 鈴木さん。俺がこの店に通っていた頃、仲良くさせてもらってね」
「あ、そうなんですね! 常連さんだぁ」
「ふふ、そうそう。実は転職してねぇ。それで通えなくなっちゃったのよ。
でもたまたま近くまで来る用事があったからさ、三年ぶりにね。お、マスター! どうもお久しぶりです!」
「……ああ、どうも」
グレーの髪にきちっと刈り揃えられた髭。店主である彼は低い声でそう答えた。
「くぅー! 相変わらず渋くていいねマスター! あ、注文はいつものでお願いしますよ!」
「……はい」
「ふふっ。はい、お水です。ごゆっくりどうぞー!」
「あい、ありがとさん! はっはっはっは!」
男のご機嫌な様子に女店員はクスクス笑いつつ、店主のもとに歩み寄った。
「店長、久々に来た常連さんですってね! 嬉しいですねぇ。離れてても覚えてくれてたなんて。ねえ店長……店長?」
「……てない」
「え、何です?」
「覚えてない」
「え、え? えー!?」
「誰なんだ……」
「そんな店長! でもあの人『いつもの』って注文してましたよ!? なんでその時に言わなかったんですか!」
「言えるわけないだろう。喫茶店のマスターというものはだね、常連客の顔は覚えてなきゃダメなんだよ。
特に俺みたいな寡黙な男が覚えててくれたら客は嬉しいだろう?」
「そんな思惑が……」
「職人気質で、渋くてかっこよくて往年の昭和スター俳優のような――」
「もういいですから。それじゃ私、聞いてきますね」
「ちょちょ、ちょっと! 聞くって何を!」
「痛い! 腕、掴まないでくださいよ! 何を注文したかに決まってるでしょう!?」
「それじゃ覚えていないことがバレてしまうじゃないか!」
「仕方ないでしょう! こういうのは傷が浅いうちに白状して笑い話にしたほうがいいですよ!」
「だからそれじゃ俺のイメージが丸崩れじゃないか!」
「もう私の中では丸崩れですよ。三ヶ月間、気を使って損しましたよ」
「とにかくダメだダメ!」
「じゃあ、どうするんです? 間違ったもの出したら恥の上塗りですよ」
「う、だから……それはその……そうだ! 君、うまいこと情報を引き出してきてくれよ」
「ええ、私がですか?」
「簡単だろう。元々お喋りな奴みたいだし、カッコイイですねとかおだてれば機嫌を良くして何か情報を漏らすだろう」
「えー、まあ、おだてるのは得意な気がしますけど。普段もやってるし……でもなんで私がそんなことまで」
「時給上げるからさ、頼むよホント」
「しょーがないですねぇ。じゃあ行ってきますよ。コーヒーおまけしてもいいですね?」
「ああ、行ってこい! 君ならできる!」
上機嫌になった店主にイラッとしつつ、女店員は男の席に向かう。
「あ、失礼します。あの、このコーヒー、店長からサービスで――」
「え? 俺、コーヒー飲めない人なんだけどな」
「ええ、で、で、ですよね! こ、これフィンガーボウルです」
「え! カニとか食べる時に使うやつ? いつからそんなサービスを?」
「えーっと、三ヶ月前くらいからですかねぇ? で、では店長が呼んでるので失礼します!」
「てんちょ――」
「おい! 何言ってんだ君! そんなサービスあるわけないだろ!」
「だって仕方ないじゃないですか! ああ言って、ごまかすしかないでしょう!?」
「にしたって……ほら、滅茶苦茶熱がってるじゃないか。指をフーフーしてるよ。あいつ、なんで信じたんだ」
「でもこれで情報を一つ引き出しましたよふふん」
「いや、そんなに得意げにされてもコーヒー苦手くらいじゃ、前に何を注文したかわからないだろう。
にしても何だコーヒー苦手って! 何しにうちの喫茶店に来たんだ! うちは本格コーヒーが自慢の――」
「はいはい、いいですから。それでどうです? その口振りだとコーヒー苦手のお客様は珍しいのでは? 思い出せませんか?」
「あ、確かにな……でもダメだ。まったく思い出せない。特徴のない野郎だし、三年前ともなると……」
「あ、そうだ。あの人、鈴木さんがどうのとか言ってましたね? その鈴木さんに連絡取れませんか? きっと何か覚えてますよ」
「鈴木……」
「嘘、それも覚えてないんですか……」
「いや、鈴木って名字の人は何人か入ったことあるし、それに連絡先も知らないな……」
「あー、結構ここ辞める人いるらしいですもんね。店長が嫌だとかで。
それでどうしましょう? やっぱり正直に話して注文聞いてきます?」
「いや、え?」
「頑張って思いだしてみますか。うーん、せめて好物が何かわかれば糸口が……」
「いや、店長が嫌だって、え? ホントに?」
「はい、何かイラつくって。みんな」
「みんな!? そんなフワッとした理由で辞めた!?」
「まあ、いいじゃないですか。今はそれは」
「君発信の問題なんだよ。それとあと今まで何回も言ってきたけど『マスター』ね! 店長じゃなくてマスター!」
「はあ……そういうところかな」
「そんなボソッと、まあ、いい。確かに君の言うとおりだ」
「あ、自覚あったんですね」
「違う! イラつくって話じゃない! 好物だ好物! それが何かわかれば……ん?」
「あの人、何か呟いてますね」
「よし、近くに行って聞いてきてくれ、頼むぞ……」
――まご
「店長……」
「お、どうだった?」
「……やりました。タマゴタマゴと呟いていました!」
「いよぉし! でかした! うちで卵料理と言えば……」
「タマゴサンドかオムライスですかね。他にもパンケーキとか卵を使った料理はありますけども」
「あのクソ野郎は見たところ二十代後半から三十代。まだまだ食える年齢だ。
それにこの中で一番人気はオムライス。これを頼んでいたに違いない。よし、作るぞ!」
「はい!」
調理の賑やかな音と香りが店内に溶ける。そして完成。店内の暖かみのある照明の下で艶やかに輝く半熟卵のトロトロのオムライス。ソースは濃厚デミグラス。会心の出来。至高の一品。お盆の上、ゆらゆら揺れながら女店員に運ばれていく。
「はいお客様! こちらオムライスに――」
「え? 俺、卵アレルギーなんだけど」
「……ええ、見せに来ました」
「見せに!? 何で!?」
「い、良い出来だったので、あ、そういうサービスです!」
「そんな新サービスが……でもいつから?」
「んー、三ヶ月前くらいからですかねぇ。じゃあ、失礼します!」
オムライスはお盆から降りることなくキッチンに戻り、出番を終えた。
「店長……」
「あんのゴミムシが! だから何しに来たんだ! このふわとろ卵が自慢なのに!
……ん? じゃあタマゴタマゴ言ってたのはなんだ?」
「あ、それなんですけど本を読んでたみたいで。活舌が良くなる本ってタイトルの」
「タマゴ……生麦生ぎょめ、米、生卵。早口言葉というわけか……クソッ、これでもう打つ手なしか」
「噛みました? 生麦生米生卵。赤巻紙青巻紙黄巻紙っと……いや、そんな驚いた顔されても。
それにしても……ふぅーもう、しょうがないですね。あとで文句言わないでくださいよ」
「お、何か手があるのか!?」
「ええ、まあ見ててください」
店長の熱い尊敬の眼差しを背に受け、女店員は再び男の席の前に立つ。
「あの、お客様」
「ん?」
「今、お久しぶりにご来店のお客様限定で、店内のメニュー全て無料サービスを実施してまして」
「え、嘘!? 全部!? 俺が!?」
「はい、無料という事でそれで改めて注文をお伺いに来た次第でございます。これを機に何でも好きなものを、はい是非」
「ええ、すごいサービスじゃない! いつから始めたの?」
「三ヶ月前くらいからですかねぇ……」
「はははっ! 君が入ったあたりから? 君でしょ! どのサービスも考えたの。すごいなぁ改革者だ!」
「ええ、まあふふん。それで何になさいますか?」
「んーでもまあ、いつものがいいかなぁ」
「んー、そのいつものって因みに……」
「あっはぁ! マスターならすぐわかるよ! ねえマスター!」
「……」
「おーい、マスター? あれ? どしたの? わざわざこっちに来なくても……」
「……わかりません!」
「え、わかりませんって、え、ええ!? いつものだよ!? もしかして俺のこと覚えてないの!?」
「はい……すみません」
「えー、一緒に飲みにも行ったのになぁ」
「はい……はい? 飲みに? お酒をですか?」
「そーだよマスター! それも忘れちゃったの!?」
「え、ええ? いや、私はお酒飲めませんし……」
「え、そうなの? ……あれ? そう言えばなんか顔が微妙に違う気がするな」
「は?」「え?」
「うん、はっはっは! ごめん勘違い勘違い!
いやー、似たような喫茶店と間違えちゃったよ。
だってここ、チェーン店でしょ? 違う? それにほら、こういう喫茶店のマスターってどこも似てない?
寡黙でどこも似たような雰囲気出してさ、ははははは!
あ、それで新規客割引サービスとかないの? それから注文はタンドゥーリ・ムルグね」
「ねえよ!」「ねえよ!」




