第7話 立場があるものに権限と責任を背負わせればよいという話なんです
「思い出した…」
皇帝を迎える万雷の拍手の中、銀河帝国貴族アルバート・フォン・アウステルリッツとしての記憶が、一瞬のうちにありありとよみがえってきた。
「大丈夫でございますか…?」
顔が青ざめ足元がふらつき始めた私に、ソレリアが声をかけた。側にいたリーゼや両親も心配そうな視線を私に向ける。
「あ…」
病弱な私は、生まれた時からめちゃめちゃに宇宙酔いが激しい体質であった。そのひどさは折り紙付きで、「宇宙」や「銀河」という言葉を見たり聞いただけで引付やじんましんを起こすほどだった。大宇宙をまたにかけ、銀河を統べる皇帝陛下を輔弼たてまつる帝国貴族の嫡男という立場にあっては、それは決して望ましい体質ではなかった。私を溺愛する両親は、その状況をできうる限り打破するため多くの医者や研究者に頼り解消方法を調査させたが、結局は生まれつきのものであり、本人が時間をかけてゆっくりと克服していくしか対応の取りようがなかった。
やがて両親は思い切った策に出た。まず、なるべく私の日常生活の部分から「宇宙」に関するあらゆる事象を切り離し、それまで私が抱いてきた「宇宙」への悪いイメージを忘れさせ、取り除く。そして、貴族としてはどうしても外せない宮中出席の用事のみをこなすために、公爵家本邸のある星系から数万光年離れた惑星ジン・ヴィータに私の居住地を移させ、移動の負担を取り除く。
そうした配慮を徹底的に重ねることで、少なくとも宇宙に関連した言葉を見たり聞いたりするだけで七転八倒な事態を起こすことは無くなった。その代わり、転生した私がこの世界を中世風の異世界であると勘違いを起こす土壌にもなったということなのだが…。
「うっ…」
鮮明によみがえってきた記憶の中身を掘り返すさなか、急に胃の中がむかつき、吐き気がこみあげてきた。
「若様…!」
まさかこのような場で胃の中身をリバースするわけにはいかない。私はソレリアに手を引いてもらいそそくさと会場の中から抜け出していった。
「ハァ…ハァ…す、すまないソレリア」
ひとまず駆け込む場所に駆け込むことで一通り出すものを出した私は、すっきりした感覚を取り戻しつつソレリアに礼を言った。…というか、まったく気付かなかったけど周りをよくみたら電気設備とかも結構整ってるな。あえて古風なデザインに設計されているから、パッと見では判断しづらかったが。
「最近はこういうこともありませんでしたが。おそらく疲労がたまっていらっしゃったのでしょう。どうかここはご安静に…」
「いや…、そういうわけにもいかないからね」
決して悪いことではないのだが、体調不良で中座するのは帝国貴族として相応しい行為では当然ない。領地に住む国民の生活と人権を保護するという重い責任を有するがゆえに、その引き換えとして認められたのが貴族としての地位や数々の特権なのである。そのために、生まれながらにして一挙手一投足に気を配り、常に他人の目線に気にし、家の、ひいては国民の名を汚さないように生涯を送らねばならない呪われた血脈…。それが、記憶が覚醒する以前の私が持っていた、帝国貴族に対するイメージであり、考え方なのであった。
帝国議会制定法によってその社会的地位が定められ、国民の生命・身体・財産をはじめとする諸権利を擁護する責任を持つ「帝国貴族(=臣民)」には大きく分けて2つの分類が存在する。
一つ目が、星系レベルの広大な領地を持ち、そこに居住する『国民』の生活と人権に対して、これを直接管理・統裁する「領邦貴族」。
二つ目が、かつてのペルセウス連邦議会議員の末裔であり、現在でも帝国の立法機関である『臣民院』において、継承と選挙に基づき議席を保有する「議会貴族」である。
この枠組みの中にあって、120億を超える領内人口を誇る「アウステルリッツ公国」の頂点に立つ「アウステルリッツ公爵家」は『貴族の中の貴族』とも称される『領邦貴族』にカテゴライズされる訳だが、その経緯は他の領邦貴族とは少々異なっている。
まずもってして、貴族制度のルーツ自体、連邦末期の社会的混乱と民主主義の制度疲労のさなか、その国家機能をほぼ世襲によって存続させてきた地方星系国家の行政運営に由来している。そもそも、なぜそれまでの人類史において常識でもあった「選挙に基づく民主的正統性」をかなぐり捨ててまで、恒星間汎人類国家である「ペルセウス連邦」の構成国が、行政機構の存続のために血統と世襲という統治手法を『選択』したのか。…そもそも、行政機構の存続という目的以前に、人類社会がこの統治手法を『選択』することは、ある意味で旧ペルセウス連邦の成立期よりももっと以前。それこそ、人類が宇宙へ進出し始めたその瞬間から運命づけられていた。
科学技術の隔絶的な躍進を背景とした大開拓時代の始まりによって、銀河系のオリオン腕やペルセウス腕、あるいはサジタリウス腕の一部を中心にさまざまな星系国家が誕生した。しかし、この場合の「国家」とは、あくまで一定の範囲内をただ単に総称するフレーズに過ぎない。地球時代における最後で最大の統治組織であった太陽系情報政府――国連、NATO、EU、ASEANその他もろもろの汎国家機構を継承する存在――の解体に伴って発生した無秩序状態を、新たに開拓された星系に無理やりごと押し込み、辛うじて纏め上げただけ、というのが多くの場合の実態だ。当然星系内における対立や内乱の火種はいつでもくすぶっているし、大開拓時代を生き残れないまま滅んでしまった星系国家も多く存在する。また滅びはしなくとも、便宜上の国家を指導する便宜上の国家元首たちの中には、外敵――端的に言うと近隣に所在する他の星系国家――の脅威をことさら強調することで、便宜上のナショナリズムを裡に発揮させ、便宜上の国民を無理やりにでも纏め上げようとしたりもした。当然、内の問題を外に押し付けるやり方で根本的な解決が出来るわけがない。『ペルセウス連邦』という象徴によって実現した恒星間汎人類国家の存在は、人類種そのものを無秩序な戦乱による滅亡から回避させるために必要なのは確かであった。そして最終的には「円環計画」の発足によって、あらゆる星系国家の内外に存在していたあらゆる対立の芽が、表面上は塗りつぶされることになる。
…まぁ、長々と説明してもオチは分かり切っているはずだ。その通り。遠大にして苦労の多い「円環計画」の野望は、連邦成立初期には糊塗された星系国家内外における対立の火種をゆっくりと、だが確実に蘇らせた。星間企業による経済的な植民地化に批判の焦点が当てられがちであるが、むしろ星系国家内部における分離主義の機運が再燃することこそが、地方星系国家の指導層が最も恐れる事態であった。
そしてここへきて、そもそもの話の前提である「血統と世襲に基づく行政機構の存続」が解決のカギとなったのである。
ペルセウス連邦そのものが、歴史的経緯がそもそも異なる星系国家同士を「円環計画」という国家神話によって連帯させているように、おのおのの地方星系国家においても「建国神話」が必要とされた。そしてその建国神話を意図しないまま担うハメになったのが、おのおのの地方星系国家にとって最も苦難の時代とされた大開拓時代を乗り切った「開拓者たち」である。これら「開拓者たち」は、自分たちを「開拓者たち」と呼んだわけではないものの、多くの場合後発の移民集団とはつかず離れずの微妙な距離感を保ったまま、多くの地方星系国家における独自のコミュニティとして存在感を放っていた。大開拓時代の終期から連邦初期において、地方星系国家における行政機構を婚姻、相続ないしは縁故によってゆるやかに独占していた「開拓者たち」は、それこそ連邦政府からも特定の排他的利益集団として批判の対象とはなってはいた。しかし一方で「開拓者たち」は、本来は不安定な星系国家内部における対立の火種を沈静化させ、内部における結束と連帯の象徴としても機能し、しかも本格的に連邦経済圏の矛盾が表面化した時期にあっては、本来なり手がいないはずの地方星系国家の行政機構を積極的に担う存在として活躍しはじめた。…まぁこの時期になれば地方星系国家の行政を担う行為なんぞ、労多くして功少ないもはや罰ゲームだ。そもそも役人になるだけの努力と才覚があるのなら、星間企業で実権を握るかジン・ヴィータの市民権を得る方がよほど実入りが良いのが実情である。「開拓者たち」の末裔が地方星系国家の行政運営を積極的に担うのはいわば苦渋の決断であり、むしろ責任感の悲壮な発揮と言ってもよかった。基本的にやるべき仕事といえば、連邦財界に根を張る星間企業との交渉(ほとんど下請け業務)で神経をすり減らすか、破壊される地元の産業を前にその善後策を検討する(大抵は焼け石に水)ことで神経をすり減らすか、急激に悪化する治安に対応すること(軍閥化する犯罪組織)で神経をすり減らすかの3択である時点で、その労苦は明白であった。
また実際のところ、「ペルセウス=システム」が損傷することで発生した「ペルセウス動乱」以降にもなると、連邦末期から帝国建国期における地方星系の治安は、「分離主義」という言葉が大変に丁寧かつ品格のある表現とみなされるレベルまでいよいよ後退した。一応は主権が認められているはずの連邦構成国たる地位を、各々の星系において独立する諸勢力が押し付け合い(奪い合い、ではない)、本当の意味で「ペルセウス連邦の統治が及ぶ土地」といえるのはせいぜい首都惑星に所在する大陸の一区画、公教育を始めとするペルセウス連邦憲章に示された基本的人権が保障されるのはさらに一握りの存在、というのも珍しくはなかった。
…のちの『大帝』アランによって叙された新たな領邦貴族は、そのほとんどがいわゆる「開拓者たち」の末裔かあるいはその係累であり、そして新たに認められた諸特権の多く(独自通貨の発行、宇宙・地上における戦力の保持など)は、かつての連邦期においては事実上の分離主義政策とみなされてもおかしくないものであった。しかし、新たな中央政府たる「帝国」はこの場合、「反物質」というこの宇宙で最も貴重なエネルギー源を供給する主体になる。名実ともに帝国は「円環」によって紐帯される恒星間汎人類共同体となったのだ。
すなわち貴族制度とはこの場合「取り合えず反物質と星系統治の権限は今まで以上に渡すから、自分のところの問題は自分のところでなんとかして」という制度でもあったのだ。
はじめ、皇帝による行政権の確立を熱狂的に支持した地方星系国家における「開拓者たち」の末裔らは、むしろ貴族に叙された結果、血統に基づく職務の継承が法によっていよいよ定められてしまい、今後へ向けた絶望を覚えた例も少なくはなかった。
さて、翻って我が公爵家の成り立ちである。実のところ、公爵家の開祖である「ジークフリート・シュミット」はゲルマン風の姓名を持つ連邦政府のいち官僚に過ぎなかった。後の領邦貴族において常道たる「開拓者たち」の血統を有さない時点で、当時としては異端の存在といっても差し支えない。しかしながらジークフリート自身、明晰な感覚に基づく実務処理能力と、物事にとらわれない柔軟な発想力。そしてなにより頼まれたら断れない損な性格を持ち合わせていたのが、すべての始まりであり元凶であった。
彼は分離独立の運動が最も激しく、本来星系統治の要として機能するはずであった「開拓者たち」が、完全に一掃されてしまっていたペルセウス~オリオン腕系――いわゆる『トランスオリオン宙域』――の開発を執政官(当時)たるアラン・ノートン直々に任された。「ペルセウス動乱」によって傷ついた市民社会の復興のためにも、また円環たる『ペルセウス=システム』の修復・保守・整備・管理のためにも、莫大な資源を確保することが喫緊の課題であったのは確かである。しかしながらジークフリートに与えられた使命は、まず宇宙空間に漂流するよりはマシだという悲壮な決意とともに住み着いた人々が現在進行形で在住する未開の地をゼロから(あるいはマイナスから)開発しつつ、そして場合によっては執政官政府の新秩序に反発する分離主義者と戦い、更には新興勢力たる執政官政府そのものに反発する諸勢力との対立を回避し、加えてただ単に航行物資の略奪を図る軍閥化した犯罪者集団から航路を防衛し、おまけに星系同士をつなぐ交通インフラたる超光速航路の修復・建造・維持管理取り組むことであった。
当然それらのありとあらゆるプロジェクトは難航を極め、はじめ温厚だったジークフリートによる手記が、時を重ねるごとに仕事を託してきた執政官への愚痴に、そして仕事を請け負ってしまった後悔と呪詛が並ぶようになっていったことから、察するに余りあるというものである。
もっとも、皇帝から直々に登用されただけのことはあった。ジークフリートと彼に連なる仲間たちが、混乱の時代にあって超が付くほどに優秀なのは間違いない。彼彼女らは、組織の管理・運営や、軍事作戦行動、あるいは新技術の開発や旧来からある技術の高効率化、経済インフラの再設計および資源の効率的な活用等々で抜群の功績を残した。そして結果20を超える星系資源開発プロジェクトのすべてを軌道に乗せ、新しい秩序を破壊する分離主義者を鎮圧するために新たな軍事組織を築き上げ、執政官政府の統治に対して動揺する人々に対しては飴と鞭を巧みに使い分けてその反発を抑え込み、航路物資や惑星上の都市部を襲う不逞なる犯罪組織を容赦なく叩きのめし、半壊状態にあった超光速航路を回復してその安定した運用を再び可能にした。
そして全ての難題に対して完璧以上の成果を示したジークフリートに対し、皇帝に即位したアラン・ノートンは改めて「辺境総督」としての宮中役職と、「アウステルリッツ」を名前として抱く公爵の地位を彼に与えるとともに、ジークフリートおよび彼の愉快な仲間たちが文字通り命がけで開発した広大な宙域そのものを、その子々孫々に至るまで統治する権限(及びその責任)を一方的に与えた。
数千、数万光年におよぶ広大な宙域が、一個人の「領地」として与えられたのだ。それも政治的な実権に基づく公的な決定によってである。もっとも、当人からすればせいぜい450㎡くらいの土地付き邸宅と平穏な生活を褒美として与えられた方がよっぽど嬉しかったに違いない。ジークフリートは手記の中で『私の子々孫々に至るまでこんなヤバい仕事させるのか頭イカれてんのかアイツマジで意味わかんねぇ!!』とブチ切れていた訳だから。
その後もジークフリートと愉快な仲間たちよる素晴らしい。と同時に涙を誘う献身によって数多の星系が開発され、彼の有する広大な領地から『ペルセウスの円環』の維持管理に必要な資源の供給がほぼ完ぺきに達成されるようになった。『大帝』アランの治世において、頭打ちになったと思われた人類の生産力は、まるで魔法が掛けられたかのように見る見るうちに向上したが、その裏にあったのは便利な魔法やチートスキルなどではなく、公爵家の開祖であるジークフリートと、彼を支えた数多くの分家・侍従家による超人的で時にスペクタクル、だが全般的にみて地道で途方もない努力の積み重ねであったことを、我らアウステルリッツ公爵家所有図書館が後世に至るまで伝えているのである。