第5話 ようこそ、異世界転生へ!!ここへ来るのは初めてかな?
恵まれた地位。豊かな土地。干渉のない境遇。従順な家来。美形な自分。
非常にありがたいシチュエーションなのはわかる。贅沢な状況だということも理解はしている。
ただ…。うん、そうだな。言葉を濁してもしょうがないし、ストレートに申し出よう。
ちょっと…、飽きた。
記憶の覚醒からおおよそ1ヶ月が経とうとしていた。どうやら、この世界でも私がいた地球と同じ暦法を使うらしい。いや、そういうことを言いたいわけじゃない。とにかく、都合よく前世の記憶だけを保って転生した私は、一見ド派手でアクティビティなようでいて、なんだかんだ物事がルーチンでうまく回っているこの異世界の生活に慣れてしまった。適応したと言ってもいいくらいだろう。
この状況に潜む問題は明確である。とにかくつまらないのだ。
一応は望んで異世界に来ている身の上なのだから、電化製品といった文明グッズがないのは受け入れられる。むしろ、非電源ゲームが充実しているし、一声かければソレリアをはじめ屋敷の者が相手になってくれるのだから、娯楽的な意味では特段退屈しているわけではない。
逆に、貴族としての仕事といったものがふんだんに用意されていたならば、それはそれで有意義に過ごせたのかもしれない。しかし、青年というにも少々若すぎる私にそのような大役が廻ってくることもそうそうない。やることと言えば、今いるこの世界を象徴するかのように、ただただ平穏に。穏便に。そのための象徴として、ただ民衆の前で偉そうにしていることが、私が果たすべき仕事であった。「役割」と言い切っても良いくらいだろう。
刺激らしい刺激も少なく、退屈で、つまらない。飽き飽きしている。しかし--これは自分でも以外ではあったのだが--こういった状況に対する不満それ自体は無かった。
まぁ、聞いてくれ。自室で一度試して以来、魔法や異能力的なチートスキルにも結局目覚めていない。ひょっとしたら、今すぐここに魔王の軍勢が現れて、大切な領民や家来たちが目の前で殺されたりすれば、怒りや悲しみとともにそういう力にも目覚めるかもしれない。
そこまでして特別な力に目覚めたいかと聞かれれば、はっきり答えられる。Noだ。
なんてことはない。自分で想像していた以上に私は凡俗で退屈な存在であったのだ。平和のありがたみを噛みしめる一方で、自分から主体的に行動しようとはしなかった。
それでよかった。そう心から思えていたはずなのに…。いったいこれは…。
帝国の建国記念日を迎える上で、国家の藩屏たる貴族が帝都たる「ジン・ヴィータ」まで出向いてその祝宴に出席しない理由は存在しなかった。病弱である私は、長距離の移動に体の負担がかかりやすいらしい。体調不良らしい体調不良など、記憶が覚醒した時を除けばてんで覚えがないのだが、ともかくこういうときに備えて、帝都に赴きやすい別邸が私に与えられているらしい。
さて、帝都に向けての移動手段であるが、使用するのはいつも通りの『馬車』である。最初に乗ったときは驚きもしたが、もはや到着と同時に無感動なまま乗り組むあたり、慣れというものは恐ろしい。用意されたのは長距離移動用であったが、やはり帝都まで赴くには時間がかかるということで、おおその3日に渡る旅程が組まれていた。また馬車といってもやはり貴族が搭乗し、さらには長距離に対応する必要から客車内部は非常に広く、乗り心地もよいものであった。そしてなによりもその装飾の程度には目を見張るべきだろう。なにせ帝都にまで向かうのだから、当然豪華であれば豪華であるほど、家の権勢というものを他の貴族に示すことが出来る。神話級にデカい一本の木材から加工、組み立てされた車体に加え、黄金でできた羽が生えていたり、数百年生きた象から採れたという象牙の彫刻があしらわれていたりなどなど。おそらく何も考えずに見たら天国からの迎えが来たのかと錯覚するようなシロモノであった。
…ただ、目的地である宮殿への到着と同時に、周囲から新しい従者が現れて馬車からレッドカーペットを敷くところまで行くと、さすがにここまでするものかと閉口したが。
「良い…、天気だな。ソレリア」
「左様でございますね若様。晴れて何よりです」
恐ろしく巨大…。前世の日本におけるちょっとしたビル位の大きさがある石造のモニュメント越しに、日の光が刺すように照っていた。そんな中で真紅のカーペットの上を闊歩するのだ。さすがに居心地の悪さを感じていたが、そんな私によるとりとめのない発言に対しても、彼女は屈託のない笑顔で応じてくれた。
帝国首都「ジン・ヴィータ」に存在する皇帝の居城は、「新美景宮」と称されており、その優雅さと華麗さをこの世に顕現させるのに、多大なる時間と情熱を費やしたことが想起されるまさしく大宮殿であった。
建国記念日は帝国において最大級のイベントであり、帝国にいるほぼ全ての貴族の出席が予想される。宮中において「辺境総督」としての地位を占める父も当然その出席が予定されており、事前の注目度は非常に高いものがあった。
転生貴族らしい分かりやすく華やかで豪華なイベントであるわけだが、私は貴族としての地位的に準ホストとして、この祝宴の「賑やかし」とならねばいけない。見た目の壮大さに比例して、高位の者ほど神経をすり減らすのがこういった催しの特徴であることを私は転生の初期段階でほぼ察していた。
「久しぶりであるなアルバート。おぬしが民に対していつくしむ姿勢、実に評判高いと聞き及んでおるぞ。これからも我が家の名声を高めるよう励んでくれたまえ」
転生して以来初めて会う現在の父は、絵画に描かれていたそれと比較しておよそ表現しきれないほどのオーラを放っていた、まごうことなき大人物であった。
「アルバート。こうして会うのも久しぶりでございますね。小さいころから身体の弱い子でしたが、これほど立派になってこの時を迎えられるようになるとは…」
涙を流さんとする感動の中、母親らしい慈愛を示すのは私の母である。16の息子と2歳の娘がいるとは思えないほどに色褪せない美貌と瑞々しい肌は、貴族夫人としての美意識の高さが垣間見えるものであり、目にハンカチを当てるふとした瞬間を切り取ったとしても、その光景は西洋画のワンシーンとして通用するほどに絵になっていた。
転生以降、曖昧ながらも取り戻しある記憶は、久々となる両親との再会に少なからずの感動を示していた。できるだけ礼を失しないよう、私も丁寧な所作と挨拶を心がける。
「お久しぶりでございます父上。それに母上」
転生してわかったことであるが、数百年の歴史の中で極度に洗練された貴族のムーブは基本的にコネが殆どであり、また大貴族としての我が家は、基本的にコネを求められる側である。国が主催するイベントはそのたいていが社交の場であり、営々とお互いが積み上げていたコネのネットワークがまるで蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
そしてそういった状況は、貴族としての記憶を断片程度しか持ち合わせていない私にとって非常に危険であった。なにしろ近づいてくる相手のほとんどは、こちらに向けた親愛度が120%をオーバーしている。カンストだ。そんな相手に対して「はて?どこかお会いしたでしょうか?」など言おうものなら、相手のメンツは当然丸つぶれ。しばらくは社交の場に顔を出すことすらはばかられるであろうし、ひいては我がアウステルリッツ家も巡り巡って『あの家の嫡男は貴族としての品位に欠ける』的な風聞を立てられる恐れすらある。
しかしそうはいっても、来るもの拒まずの姿勢でいればそれはそれで危険である。たちの悪い場合だと、どこかのパーティーで偶然すれちがったことだけを武器に話しかけようとしてくる下級貴族もいるにはいる。お互いの知り合い度に応じた接待時間を設けなければ『あの家の嫡男はえこひいきが目に余る』的な風聞をこれまた立てられる恐れがあった。
「これはこれはお兄さま。お久しぶりでございますわ。最後にお会いいたしましたのは公爵さま主催の園遊の時でしたでしょうか。まぁそれにしても大変凛々しくなられて…」
年齢に似合わぬ色気を漂わせながら、古風なしゃべり方をするドレス姿の少女は、我がアウステルリッツ公爵家の分家筋にあたるバイエルン=アウステルリッツ侯爵家の令嬢であるリーゼロッテである。分家とは言え超の付く上流階級であることに変わりはない。私のことをお兄さまと呼ぶが、それはやや倒錯的な貴族流の習わしの一環であり、まだ幼いの本当の妹は、乳母のもとに預けられている。
「やあ久しぶりだねリーゼ」
幸い親戚同士であれば断片の記憶の中からもある程度はサルベージ可能である(といっても貴族のいう『親戚』の範囲はかなり広い。キュウリとスイカの関係ですら貴族に言わせたら『近い親戚』に相当する)。私はできるだけ時間を稼ぐため、さも「親戚からの挨拶の対応に忙しい」ふりを決行することにした。
「それにしてもお懐かしいこと。お兄さまったら、小さい時分にはあれほど良くしていただいたものでございますが。近頃はお手紙の数も減っておりますし、寂しく思っておりましたわぁ」
いろいろと強調された服からあふれる色気を振り向けながら、人好きのする甘えた口調でご令嬢は私にすり寄り、細い腕を絡ませてくる。
「…」
一方で気のせいだろうか。こういう場では大抵気配を消してサポート役に徹するソレリアが、何やら気迫のあるオーラを醸し出しつつあった。
「あ、あぁすまないねリーゼ。最近は私も職務が忙しいものでね。侍従にもよく手伝ってもらっているんだが、これも勉強の一環と思って頑張っているところなんだ」
気ままに日々を過ごしておいてよく言う…、と囁きかけるもう一人の私はこの際無視させてもらおう。なにせ、血統からしてトップクラスの水準が約束されていたとしても、なおそれに飽き足らず美容や容姿に湯水のごとく投資するのが大貴族の令嬢。当然そのプロポーションも見る者の目を奪う均整の取れたものであるから、彼女が色っぽく私の腕をとる時点で、内なる心拍数には大いに影響があった。
「あぁ…。たしかソレリア様とおっしゃいましたね。ノイエクラーテ領邦騎士家の」
私の発言に応じてさらりと視線を向けはしたが、発せられた彼女の声色は明らかに温度の下がったものであり、私の侍従に対して、あまり良い感情を抱いていないことを分かりやすく示していた。一方で声をかけられたソレリアとしても、当然無視するわけにはいかない。並みの人物が見ればその場で惚れ込んでしまうような美しい所作で、大貴族のご令嬢による挨拶に応じる。
「お久しぶりでございますリーゼロッテ様。ソレリア・フォン・ノイエクラーテでございます。領邦騎士たる身の上のもと、若様のお側にてその身辺を整わさせていただいております」
その挨拶は宮廷のマナーから寸分外れぬ見事なものであったが、発する声には若干固いものがあった。
「ふうん…。左様でございますか。それにしても兄さまもお人が悪い。私が寂しがっている間にも、このような侍従とうつつを抜かしていらっしゃるなど…」
頭の先からつま先までを瞬時に値踏みをするような視線を向けたのち、リーゼロッテは私の腕を自身の胸元に引き寄せ、甘い言葉で私にそう囁く。…俗にいう「当てている」行為である。
「…」
黙ったまま私に視線を向けるソレリアであるが、そこには普段こもっているような温かみが存在しなかった。なにか蓋をして閉じたような、自身の感情を押し込めているような表情であった。
「お、おいリーゼ。うつつを抜かしているなんて…」
少しばかり抗議の声をあげる私であるが、相手が相手ということもあって強く出るわけにもいかない。
「えぇまぁ構いませんことよお兄さま。人数を相手にするのも男子の甲斐性というもの。それでも私はお兄さまとのあの麗しき日々を深く覚えておりますわ。それさえあれば今は十分でございます。そう今は」
いたずらっ子のような雰囲気で、リーゼロッテは見せつけるように親愛ぶりをアピールした。自身のものと及ばない胸の豊洋さを目の当たりにしているソレリアの視線が、より一層冷たく、そして鋭くなっているように私は思えてならなかった。
さて、挨拶まわりもほどほどに、この祝宴における主賓であるところの皇帝陛下がご登場する時間となった。
正直に白状すると、私はこの瞬間に至るまで、転生までした自身の人生が多少の起伏はあれども、ただの平凡なものであることを全くと言ってよいほど疑っていなかった。そう、転生先といえば貴族のいる中世風ヨーロッパ世界であり、たとえ魔法やチートがなかったとしても、この先起こるであろう貴族特有のドタバタに、転生者としてのセンスでもって平然と対処していくことになるであろう。そうのんきに考えていたのである。祝宴で多少緩んだ雰囲気から一変して、偉い人を迎える瞬間特有の緊張した雰囲気を肌で感じながら、私は周囲に倣って頭を下げ、この異世界最大のキーパーソンとなるはずである『皇帝』の来着を告げる式部官の古式ゆかしい挨拶を今か今かと待ちわびていた。
「平和と安寧の責任者にして全人類の守護者!!神聖にして至尊なる円環の継承者!!悠久なる歴史の象徴たる銀河帝国皇帝スチュアート3世陛下の御入来!!」
帝国歴497年8月13日。人類の故郷であった地球からはるか遠く離れた惑星にて、人々は万雷の拍手でもって、皇帝の登場を称え、歓迎した。
式部官さん。絶対に噛むわけにはいかないし、よく通る大声出さないといけないからこういうときのプレッシャーヤバそう。