57話 一般人がいう「なろう系主人公が好きです」とはカッコいい戦いを繰り広げるファンタジー作品の冒険者のことであって、敗走中に辛気臭い表情で根回しをする異常者転生貴族を指しているわけではない。
「う…。気持ち悪い…」
撤退途中の首都防衛隊に拾われた後、神経が逆立っている撤退途中の軍人たちにガチガチに護送されながら、要人輸送用の大気圏往還輸送機に押し込められた私は、別の機体にて安静処置を施されているソレリア、テオドラの両名と比較して明らかにぴんぴんしていた。それなのに、地表を離れている感覚(実際に離れつつあるのだが)に襲われ、精神的な圧迫感から宇宙酔いの症状が出始めていた。
「横になってお休みになってください。薬もご用意いたします」
「…スミマセン」
本来であれば、ライラ嬢の側にお仕えしてヴェンツェル子爵家の将来を守るべき立場にある侍従の彼は、今こうして私の元へ派遣されている。公爵家の長男である自分の安全が自分だけの問題でないことは分かっているのだが、さすがにこうして甲斐甲斐しくお世話をしてもらうと申し訳ない感情が先に立ってしまう。
「軌道ターミナルまで、あとどれくらいかな…?」
「2時間もかかりません。ですが、今はどうぞご安静に」
退避のために軌道エレベーターに押し込められた一般国民をよそに、専用の往還輸送機を使って軌道上のターミナルまで向かうこの態度は、たいそうなご身分であるかのように映るかもしれない。…たいそうなご身分であることについて反論のしようがないが、往還機の使用自体は人員脱出の補助的役割のほかに、輸送艦に必要な運航要員の緊急輸送や、政府要人が脱出する際に発生するリスクを分散させる意図があったりする。惑星開拓のための資材輸送にも用いられる軌道エレベーターは当然大規模輸送を得意としてはいるが、そもそも3基しか設置されていない以上、時間をおいて複数回に分けて政府要人を護送するには手間がかかりすぎる。実際、公子である私とヴェンツェル子爵家のライラ嬢、また亡命王女であるコーネリアもそれぞれ別の機体に搭乗して移動中である。
また一方で、重要な移動インフラである軌道エレベーターに敵の攻撃を向かわせないための配慮としての意味も存在した。実際のところ、安全性という観点で見れば、カーボン・アモルファスの構造体を中心とし、星間帝国の粋を集めた安全技術が投入されている軌道エレベーターにおいて事故が発生する可能性というのは、往還機の運用時に発生する可能性以上に低いとする研究すら存在する。しかしそうであっても、軌道エレベーターに対する軍事的な攻撃それ自体は想定されていない。ましてや公子である私が襲撃されたくらいなのだ。むしろ、標的となりうる存在が軌道エレベーターに搭乗する方が多くの国民にとって迷惑であるとすら言える。
で、実際にまんまと襲撃された公子である私が、なんとか五体満足に生還できたのだから、無事でよかったよかった、とはいかないのが貴族としてのめんどくさい部分であった。
『なんといいますか…。その…』
身体的に未成熟であるがゆえに未だ細いその足を組みながら椅子に腰かけ、頬杖をつきながら、ライラ・フォン・ヴェンツェルは半ば呆れたような表情でモニター越しの私たちに視線を飛ばしていた。
「お恥ずかしい限りでございますが、どうかひとつ…」
貴族に転生したからと言って、他人に頭を下げることについて、プライド面における躊躇はない。むしろ、下げた頭の数だけ貴族としての箔がつくのだ、と臆面なくのたまう人物すらいる。
私もその程度のことは弁えているつもりなのだが、そうはいっても小学2年生(転生前時代で換算)の幼女にこうして頼み込むことについて、思うところがないといえば嘘になる。まぁ、私とて成人すらしてない小僧である以上、はたから見ればどっちもどっちであるといえばそうである。
『…コーネリア様はよろしいのですか?』
『えぇ。構いません』
同じく通信でつながっているコーネリア王女が、モニターの向こうで悠然な態度のまま頷き、言葉を続ける。
『賊に襲われ、誘拐されたのが私であると証言することについて、異存ございません』
首都防衛隊に護送されている際の車中にて、私がコーネリア王女に口裏合わせを頼んだ目的はまさにそこにあった。
『白頭鷲』を名乗る工作員に襲われた私であるが、これを単独で追撃せしめるソレリアの行動は、結果的にみてかなりの筋の悪い判断であった。
確かに、常日頃から宇宙海賊の脅威にさらされている領邦貴族にとって、自力救済は正当に認められた権利である。制定法に基づきつつ裁判を提起して権利の回復を図らねばならない一般の国民とは、権利に対する捉え方が大きく異なるのが普通だ。
しかし、500年近い平和な時代を享受してきた現在の銀河帝国において、相手がたった二名とはいえ何の支援も受けずにこれを追いかける行動は、軽率の誹りを受けても致し方ない部分もあった。宇宙海賊、あるいは領邦貴族同士の対立を私戦によって解決し、またそれが貴族として正当に称えられるべき名誉ある行為とされていた時代は既に遠いものとなっている。ましてや、ソレリア、テオドラの両名が完膚なきまでに返り討ちにあい、私自身も再び誘拐される危険に陥ったのだ。国民のために奉仕すべき立場にある領邦貴族にとって、身の安全を確保することは権利というよりもむしろ義務に属する事柄であり、アルバート・フォン・アウステルリッツは自身を不名誉を雪ぐことにかまけてその義務の履行を怠った…。批判が出るとすれば、大まかに考えてそのような筋書きをたどることになるだろう。
ちなみに、賊を追いかけるよう直接判断したのはソレリアであるが、帝国の法において侍従の責任は基本的に貴族自身に帰することになっている。私自身が気絶した間に下したソレリアの意思決定は、私自身の責任となるのだ。
「ですが、それはあくまで貴族が受けた不名誉を、貴族自身が雪ごうとした場合についてです。…お判りいただけますか?」
『…なるほど。『公子閣下は、王女殿下をお救いするために、自らの危険を顧みず果敢に誘拐犯を追い、見事これを成功させた』というストーリーで、事態を糊塗すると』
「その通りです」
こういう含みを持たせた会話というのは、領邦貴族特有の価値観を持つ者同士で初めて通じるものであるのだが、目の前のレディは、その点においては既に立派な領邦貴族としての気風を備えていた。
『敵の脅威を喧伝しつつ、一方で公爵家の功績としてアピールにもなる行いでございます。ツィアマト王家に対する我が公国の友誼も、帝国と比較して一層強固なものとなりますね』
『いやぁ、それほどでもぉ』
締まりのない表情で、ライラ嬢の発言に全肯定するだけのお姉さんと化しているコーネリアであるが、一方で私としては、政治的な駆け引きをここまで認識できる、目の前の少女の存在をなかなか空恐ろしく感じ始めていた。下手すれば私と同じ転生者…、いや、転生したところでこの異世界においてはなんらチート的な効力をもたらさないことを私が一番知っているはずだ。むしろ、純粋培養された貴族の方がよほど頭が切れている。
『…正直に申し上げますと、閣下のご提案は我がヴェンツェル家としても渡りに船でございます。閣下ご自身の安全に関する無思慮については、我が子爵家にとっての責任にもなりかねませんので』
モニターの向こうに佇むレディは転生者である私以上にはるかにしたたかな存在であった。秘密を共有した間柄にのみ見せるであろうその笑みは、到底8歳の少女が浮かべられるはずのものではなかったが、帝国の貴族に一般人の感覚を当てはめてもおおよそ無意味である。
「ご納得いただき、感謝申し上げます」
『…ですが、コーネリア殿下』
『はい?』
腹芸が出来なくもないが、しかしどこか抜けたような印象のコーネリア殿下は、ライラ嬢の呼びかけに対して明らかに油断していたような態度で応じた。
『失礼をご承知の上で申し上げますが…』
ライラ嬢としてもコーネリアのテンション感をほとんど承知しているようだ。枕詞に乗せる感情も、どこか遠慮気味であった。
『…殿下ご自身の安全について、我が子爵家は間接的に責任を負う立場にございます。しかし殿下ご自身の身の上が危機にさらされたことについて、直接に責を問われるのはご自身の配下のはず…。その部分について、如何にお考えでしょうか?』
『…なかなかの仰り方でございますね』
ライラ嬢の詰め方は直接的なものであり、私も内心で冷や汗をかいた。
自身の責任を部下に押し付けるのは、実際のところ、口で言うほどに簡単な行いではない。特に、常に自身の側にあって、一族の歴史とともに歩んできた背景を共有する家臣などは、領邦貴族からすれば殆ど自身の身内のような存在である。簡単に切り捨てるのは心情的にもなかなか難しい。
また、工作員二名を追撃する行いは、帝国の法的責任からすれば私の責任であるが、アウステルリッツ家中においてはソレリアの責任として重く認識される。であるからこそ、私がこうして頭を下げて『事態のもみ消し』お願いをしているのだ。そして、もみ消しされた責任の所在は、翻ってコーネリア王女殿下を安全について責任を負う、王国亡命政府へと波及していく。
『ご心配には及びません。ツィアマト王家の末裔たる私めが、身体の一つや二つを張らずして国を回復せしめる手段がないことを皆も承知しているはずです。私の身に危険が及んだのは事実でございますが、それを理由にして、我が亡命政府の者に責任を負わせることはございません。それとも…』
一拍おいたコーネリア王女は口元に笑みを浮かべたが、その視線は挑戦的な光が灯っていた。
『誇り高き公国の皆様が、亡命中の身とは言え、主権を有する我が王国政府にとやかくご意見なさることがあるんでしょうか?』
『…差し出がましい申し出でございました王女殿下。私めの無礼を、どうぞお許しください』
『謝罪には及びませんわ』
素直に自身の非を詫びるライラ嬢に対し、コーネリアは鷹揚な態度でそれを受け止めた。
…さすがに、王族としての建前の取り方は承知しているということか。議会での演説の時もそうであったが、堂に入ったその立ち振舞いは、彼女の肝の太さを明確に表していた。
「先ほど受けた攻撃の被害は甚大です。具体的な損害は確認中とのことですが…」
「エネルギーの補給がギリギリです。艦載機、および艦載艇による輸送を行わなければ間に合いません」
「航行要員の損耗が厳しく、このままでは艦隊機動そのものが不可能になりかねません。しかし、既に配備についている人員らも体力の損耗が激しいとのことで…」
撤退戦というのは、神経をすり減らし、そしてやりがいも感じにくい地味な作業のオンパレードだ。重力も働いていない環境のなかで、ヴェンツェル防衛艦隊は、敗北したものの義務としてその立場を受け入れなければならなかった。
「ヴェンツェル=2まで、およそ546時間か…」
デーネル提督は重い息を吐いた。防衛艦隊は、戦略価値とともに、戦術的な価値すらもすでに失いかけていた。艦隊とはそもそも宇宙空間における戦闘力を意味しているが、今の状態ではせいぜい言って負傷兵の後方移送部隊であった。万が一敵の艦隊に捕捉された場合、艦隊の司令官は降伏を選択する人道的責任があるとすらいえた。もっとも、捕虜皆殺し集団の異名を持つ宇宙海賊との戦闘経験に慣れた将兵らが、降伏という選択を支持するか、提督には自信がなかった。
「率直に申し上げまして、首都への帰還は現実的ではありません」
未だに戦線復帰が叶わないシェーンレーベ参謀長から、臨時にその地位を代行しているマルセン戦務参謀が果敢に意見を物申す。言いにくいことを自身の上司に進言できるのは組織人として称賛される姿勢であり、この短時間でそこまでの人格的成長を遂げたのは喜ばしいのであるが、肝心の所属組織がガタガタの状態である以上、上司としては内心で沈痛な思いを感じていた。
「望みをかけるとしたら、増援の存在だな」
この状況下でそれに期待をかけるのは、ハッキリ言って神頼みといってもいいほどの妄言であった。増援と簡単に言うが、人としての感覚では到底とらえきれない遠大な距離に渡って広がる星系宙域において、どこにいるかもわからない増援と接触するのはそう簡単な話ではない。戦闘に入る前、あるいはいっそ戦闘の真っ最中であれば、艦隊の位置情報を搭載したビーコンを各場所へ設置し、増援が欲しい位置を容赦なく喧伝するのであるが、撤退している真っ最中の状況でソレをやれば、何のためにこうして闇に紛れて撤退しているのかわからなくなる。
「…私としては、増援が実際に来ているのかどうかも少し怪しいと考えているのですが…」
「マルセン戦務参謀。卿は、海へ行ったことはあるか?」
「いえ、ございませんが…」
「そうか。一度行ってみるといい」
無重力空間で出来るだけ身体をリラックスさせながら、デーネル提督は言葉を続ける。
「宇宙空間というのは、ハッキリ言って人間がいるべき場所ではない。そうであるのに、かつては一つの星系、一つの惑星の上で満足していた人間という種が、今はこうして大宇宙を駆けずり回っている」
「はぁ…」
「だがな、惑星にある海というものは、これがなかなか広大無辺な場所なのだ。空気はあるが、単調な景色に囲まれ、周りは飲めない水ばかり。まるで宇宙空間のようなものだ」
「そういうものなのですか」
この時代において、海よりも宇宙が身近な人というは決して少なくない。宇宙軍で通例化されている艦隊や艦長といった用語が、海軍のそれを元にしていると知っている人というのもそれほど多いわけではなかった。
「そこでだ。見渡す限り水しかない、そんな状況で、乗っていた船が転覆した時、卿はどうすると思う?」
「えぇと…、そうですね。出来るだけ慌てずに、顔を水面から出して…」
「ハッハッハ!想像でそういった対応が思い浮かぶのであれば大したものだ」
「そ、そうなのですか提督!?海の水は真水よりも比重が高いと聞きますので、てっきり身体が浮かびやすいものかと…」
「いや、いやそうではない。戦務参謀の方法は、溺れた時の対応としては正しい。だがな、普通の人間はなかなかそういう判断ができないのだよ。出来るだけ手足を動かして、自分の体を浮かせようともがくのがよくあるやり方なのだ」
「えぇ!それでは、逆に体力を消耗して身体が沈んでしまいそうですが…」
「まぁ、聞きなさい。つまりだ、出来るだけ静かに浮かぼうとするのも、手足を動かして浮かぼうとするのも、結局は生き残りたいという目的から生まれる行動だ」
「…と、いいますと?」
「ほぅ、分からんかね。要するに、我々は今、海の中で溺れている状態と一緒なのだよ。ただ、だからと言ってそのまま海に沈んでいくようなトンチキな真似はしないだろう?確かに、生き延びようとするのは苦しい行為だ。しかしだ、生き延びたいというのは一方で素朴な感情だ。だからこそ…」
「…援軍は来る。その、望みを捨ててはいけないということですね」
「そう。儂が言いたいのはつまりそういうことだ。いやはや、どうも、歳をとるとやたらとまわりまわった言い方になってしまう。今の海の話というのは、結局のところはただの例えだ。それに、卿には出来るだけ今の状況を自分事として考えてもらおうと思ってな。なに、降伏したからと言って恥ではないが、これで生き残れれば立派な従軍紀章の一つくらいは貰えるかもしれん。ここで踏ん張るのは別に損なことではないはずだ」
「し、しかし閣下。我々は言うなれば敗北した側です。決して名誉ある立場というわけでは…」
「いやなに。我々はこの戦いにおいてはじめての敗者であるが、一方でこの戦いの先駆けを担った人間でもある。これは、なかなか軽んじられてよい行いではあるまい」
「なるほど…」
マルセン戦務参謀がそう納得しかけたところで、通信参謀の一人が、よどんだ雰囲気を漂わせる司令部内にて、よく通る声を響かせる。
「第2戦隊の残存艦より報告です!小型の機影が、高速で接近中とのこと。小型機と思われますが、それ以上の詳細は不明!」
講釈を垂れる老人といった雰囲気を打ち消し、デーネル提督が再び高級軍人としての険しさを表情に取り戻す。
「先ほど、数度に渡って強襲を仕掛けてきた機体は、自律航行による無人機であるとしていたな」
「はい。こちらから仕掛けた電子戦に対する脆弱性からみて、それがほぼ確実であるというのが、我々参謀側としての見解です」
「今回はどう考える?卿の個人的な所感でよい」
「こちらが機体を撃破した以上、機体を放った側の敵が、我々が所在する位置部分におおよその検討をつけるのは当然かと思われます。であれば、現在接近中の敵は、おそらく斥候のそれからさらに一歩進んだ存在であるかと」
「結構だ。さて、では今後どうすべきかな?」
「出来るだけ手足を動かして、生き残るために全力を尽くすべきかと」
「ふむ、しかし、それではすぐに体力を消耗させてしまうかもしれんな?」
「ですが、それによって周囲が我々の存在に気付いてくれるかもしれません。生き残る努力を試すのに、価値はあるかと存じます」