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第54話 防災訓練はまじめに取り組みましょう

 政治による意思決定が、完全に人心を動かせる訳ではない。政治の本質は権威性の発露であるのだから、よほどの権威主義、あるいは権威従属主義的な人物以外は基本的に、自身の中の小宇宙で決された判断に従うのが普通だ。そういう意味では、マルティナ・シティの人々の多くは自分の判断に基づいて行動した。その中でも特に気の早い人などは人民連邦の存在を知るとともに避難の準備を始めていたし、よほど腰の重い人であっても、マルティナ・シティの大空に浮かぶ空中空母がなんだかよく分からないうちに撃墜されたことを知って避難の準備を始めた。間違っても、ヴェンツェル星系議会が国民の避難するもろもろについてを可決するまで律義に避難の準備を待った人などはいなかった。そして避難の先として目指すのは、領邦貴族が統治する安全な星系であり、ヴェンツェル=2のはるか上空にて待機中の輸送船であり、地上とその場所とを結ぶ軌道エレベーターの地上プラットホームとをつなぐ地下鉄道の乗車駅であった。


「お預けになるお荷物に、しっかりと鍵がついていることをご確認ください!また、追尾可能性(トレーサビリティ)確保のため、ご自身の情報は、可能な限り正確に、お荷物にご記載ください!」

「水、食糧、衣類などは避難の際にご利用になる輸送船にて確保されていますが、金融機関関係の個人証明書類や、医師から処方された特定の医薬品などは出来る限りお手荷物として、肌身離さず持っておいてください!!」

「お子様と絶対に手を離さないでください!!万が一お子様やお連れの方とはぐれた時は、無理に探そうとせず、お近くの避難誘導員にお伝えいただくか、お手持ちの端末からフォームにてお知らせください!!」


 避難誘導に従事する警察官、消防士、軍人、予備役の軍人の多くは、マルティナの各地で一様に声を張り上げて住民たちの避難誘導に当たっていた。本来であればこの程度の注意事項は常日頃から政府広報などで知らされていたし、普段であれば夜の食卓に最適な献立を紹介するようなニュースキャスターもこの時ばかりはまじめくさった態度でひっきりなしにこれらの注意事項を伝えていた。しかし、人というのは一般的に物事を他人事して考えがちであるから、確実のこれらの情報を伝えるためにも、生身の人間が行きかう人々の表情を直視しつつ、懇切丁寧に訴えかけるのが重要であった。実際に、少なくない人々がはっとした表情で自身の荷物を確認し始めたりするのだから、こういうアナログな手段を見くびるのはよくない。

 いずれにせよ、もう100年や200年もすれば、惑星開拓の礎として旧市街の面影をヴェンツェル=2に残すはずであったマルティナ・シティを、人々は捨てざるを得なかった。自然災害などに備えて全住民の避難計画自体はあらかじめ策定されてはいたし、避難訓練も半年に1回のペースで実施されていたから、避難に伴う混乱も少なかったし、混乱が発生したとしてもそれによって特に大きな問題が付随して発生させられることも無かった。しかし、今マルティナ・シティを襲っているのは明確な意思を持った外敵という存在であり、ましてやそれは隊伍を組み艦隊を構築して今まさに惑星を占領せんと迫っているのだ。事前の想定を超えた状況を前にして、何をきっかけに戸惑う民衆が行かれる暴徒として変貌するのか分かったものではなかった。


『まもなく~電車が参りま~す。危険ですので~、ゆっくりとしたご乗車をお願いします~』


 こういう非常時に備えて、あえてよりゆったりとした口調のアナウンスが乗車駅内に響き渡る。惑星唯一の都市であり、帝国の基準から言っても辺境の辺境に構築された都市ではあるのだが、それでもマルティナ・シティは半径で換算すれば60km以上に及ぶ巨大な都市空間であったから、当然地下にはこういった大規模な鉄道網が構築されていた。この巨大な輸送インフラは人員輸送にも用いられるが、主な利用目的は惑星の開拓や都市開発に必要な各種物資・資源を軌道エレベーターから需要地の各場所へ送り届ける為のものであった。しかし今の運用方法は想定されたものとは真逆のものであった。多くの人員を軌道エレベーターへと送り返すためにほとんどすべての路線と車両がフル稼働させられていたのだ。もっとも、人員を効率よく大量に輸送するにあたって鉄道というインフラは非常に大きな威力を発揮する。当然これも災害時を想定した正しい運用方法ではあるのだ。

 そして帝国貴族は、この手の公共インフラへ投資することを厭わない。

 車両がたどり着いた先に建造された半径700mの威容を誇る軌道エレベーターは、人員と物資を満載しながら大空の向こうへと飛び立っていく。そこに幻想的な雰囲気はない。張り詰めた緊張感と絶望からの逃避、そして高いところを恐怖する人間の根源的な恐怖心が、人々の大半を支配していた。

 



 





「我らが主君。ヴェンツェル子爵アデレード様、ならびに子爵家の恩寵を受けし全ての国民に、円環の無窮なる加護あれかし」


 子爵家の忠実なる家臣の一人であり、熱烈な貴族主義者であるバルク領邦騎士は、狭い指揮車内にあって、他の誰でもない自分にのみ聞こえるだけの小さな声で祈りをささげた。個人の持つ主義主張を、やすやすと他人にひけらかすべきではないという彼個人の信念に基づいた行いであった。


「稼働状態にある戦闘車両全車、周囲に警戒しつつ前進!!」


 ヴェンツェル=2地上軍隷下にあって、首都防衛の大任を負う第1戦車連隊長バルク中佐は、通信がつながるすべての相手に聞こえるだけの声でそう叫んだ。部下に対する命令は、簡潔かつ明瞭であるべきだという彼個人の信念に基づいた行いであった。


 マルティナ・シティ上空の航空優勢は、いともに地上軍航空隊が奪還することに成功していた。しかし、航空優勢によって地上における絶対的優位を確保できるというのは軍事的常識においては永遠の過誤である。静謐な軌道上の空間から砲弾を投下しても、鮮やかな群青が広がる大空からミサイルを発射しても、結局は泥濘と騒音にまみれた地上部隊によって最終的な勝者は決定されるのである。どこまでもありきたりで退屈なその常識を、ヴェンツェル=2地上軍首都防衛隊は己の流血によって証明できるはずであった。


「損害多数、詳細不明です!!」

「承知の上だ!!ここで攻勢に出ずしてなにが公国軍人か!!」


 連隊長が直々に指揮するのは、自身の連隊に残された最後の予備兵力であった。周囲を敵に囲まれようとも、上空を敵に覆われようとも、人民連邦軍の強襲部隊は恐ろしいまでの頑強さで首都防衛隊の装甲兵力に抵抗の姿勢を示した。一見すれば強迫観念に基づく自殺行為にも捉えかねられないその強襲部隊の行いはしかし、あくまで軍事的な合理性に基づくものでもあった。敵の戦車砲は、首都防衛隊配備の主力戦車の装甲をやすやすと打ち抜いたし、砲兵火力と航空支援によって戦車が破壊されてたとしても、壊滅状態にある市街区のあちこちに設置された無人の対戦車ミサイルランチャーは底知れる脅威を首都防衛隊に与えていた。電子戦機による通信妨害を行ったとしても、対戦車火力を有した擲弾兵があちこちに潜伏し、勝利を目前にしたヴェンツェル地上軍将兵の多くを社会主義の天国へと強制的に導いた。

 時間をかけて地上からの偵察を行い、綿密な砲・航空火力を容赦なく叩き込みさえすれば到底問題にならないだけの兵力ではあったのだが、今まさに2500万の全都市住民が避難しようとしている状況が人民連邦軍の強襲部隊に利を与えていた。


「司令部!!第5区画住民の避難状況は!?」

『まだ、4割程度です。もう少し、もう少し耐えていただかなければ…』

「ダメだ遅すぎる…!」


 現場で避難作業に当たってる側からすれば言い分はあろうが、それでもバルク中佐は悪態をつかずにはいられなかった。

 空挺降下を敢行した人民連邦軍に対し絶対優勢であったはずの機甲戦力はもはや意味を持っていない。慢性的な人材不足から少数精鋭編制を余儀なくされている公国軍であるが、人民連邦の軍事力からすればそれはただの少数普通、単なる寡兵であった。ゆえに、3個師団から編制された首都防衛隊は都市外縁のホイ川を絶対防衛ラインとしつつも、その戦略目標を果たせそうにはなかった。


『痛い、もう嫌だ!!家に帰りたい!!』

『助けてくれ!!チクショウ!!こんなところで!!』

「クソッ」


 連隊長の通信に繋がっている以上、相手は部隊指揮官であるはずなのだが、それらの多くはまるで戦場に放り込まれた新兵かのように情けない悲鳴を上げていた。バルク中佐はヘッドセットを叩きつけたくなる気持ちを抑えつつ戦闘指揮を行う必要にも迫られていたのだ。

 そもそもな話として、宇宙海賊との戦闘を担う宇宙軍と比較し、地上部隊はどうしても軍人としての目的意識に欠けるきらいがあった。最下級の2等兵ですら臣民としての地位を最低限保障され、それなりの給与と待遇、そして充分な訓練が与えられている公国軍であるため、綱紀の類が緩むことは無いのだが、それでも命を懸けた戦闘を前にしては高度な思想教育が施されている人民連邦側の将兵に一日の長があるのは確かであった。ましてや防衛ラインの後背では多くの人々がマルティナ・シティから脱出しようとしている。だからこそここを正念場と捉える者もいる一方で、自分もできるだけさっさとこの場から逃げたいと思う者がいるのも仕方がない話であった。

 双方の名誉のために記すが、覚悟を決めた者、さっさと逃げたいと思う者の間で死亡率が異なるということは無かった。社会主義が平等を目指すのはどうやら本当らしい。

 

















「おのれぇ!!」


 アルバートの前ではまず見せないような表情で叫びながら、懐にしまわれた拳銃を引き抜き凄まじい早さで構えたソレリアであったが、しかし相手の反応速度はそれを上回っていた。


「くっ…!!」


 議会議事堂の警備員が標準装備する4mm口径の拳銃が、甲高い銃声音とともにソレリアの手元を撃ち抜いて銃だけを正確に弾き飛ばした。

 

「おぉっと。私が手加減するなんて考えるんじゃないよ。綺麗なその顔を吹っ飛ばすのは別に難しいことじゃないからね」


 腰を抜かして呆気にとられた表情を浮かべるコーネリアを尻目に、ずかずかと歩みを進めたその女性がソレリアの頭蓋に銃口を押し当てる。


「一体何奴…っ!!」

「おぉ~。ほんとに学習した通りの反応を示してくれるね。ちょっとばかし古めかしいその表現も事前の文化研修でやった通りだよ」


 相手は左腕に気を失った青年を抱えこみながらも、飄々とした態度を示した。その立ち振る舞いはしかし隙が無い。要人護衛に多少の覚えはあるクローネも、咄嗟の事態に対応が出来かねていた。


「ま、ここは貴族様の礼儀とやらに則らせてもらいますか。私は人民連邦軍のフラナガン大尉。高貴な方々に比べましたら誠に卑賎の身で恐縮ではございますが、ここはどうぞご寛如ください」

「それで自己紹介のつもりですか…!?」

「いんや。ケンカ売るにはこれが一番手っ取り早いって聞いたからね」


 フラナガン大尉の発言は明らかに挑発を意図したものであったが、この場合ソレリアがそれに気付くのは不可能であった。相手の右側面に強襲を仕掛けようとするソレリアの試みは、瞬時に持ち直された拳銃のグリップを腹部に強打させられることでとん挫した。


「ぐッ…。このッ…!!」


 鍛えられているためそう簡単に意識を失うことは無かったが、それでも冷静に急所へと撃ち込まれたその一撃はソレリアの戦闘力を一瞬で喪失させた。


「ん、あぁ。了解。めんどくさかったら別に殺してもいいから、そこは任せる」


 不意に、フラナガン大尉が虚空に向かってそういい捨てる。それは議会議事堂へ同時に潜入した工作員との通信を行うためのものでったのだが、事情を知らぬコーネリアに対してその行動は言いようも知れぬ不気味な感情を抱かせた。


「さて。お二方ちょっとよろしいかな?手伝ってほしいんだけど」


 口調は丁寧。表情もにこやかであったが、なにより目の奥が笑っていなかった。しかしここで拒否するわけにはいかない。コーネリアが黙した頭を下げ、クローネもそれに従った。


「アタシがこの貴族サマを背負うから、アンタらのどっちかはこのメイドちゃんを持って行ってくれない?」

「殿下、ここは私が」


 帝国の公爵家嫡男と、亡命中とはいえ一国の王女が揃うこの空間にあって、もっとも強大な権力を有しているのはいつ発砲されるやも分からぬ銃であり、その銃の保有者であるフラナガン大尉であった。おびえながらも黙ったうなずくコーネリアを確認したクローネは、恐る恐るといった態度でうずくまるソレリアを持ち上げ、左腕を自身の肩に乗せる。

 大尉が襲撃したタイミングは、実際のところ絶妙であった。避難が行われると決まれば、マルティナの住民とともに多くの星系政府関係者も避難先に向かう必要がある。警備の人員の大半はそこへ割かれるし、ましてや警備に本来動員される警察関係の人員も今はその大半が避難誘導に駆り出されている。避難が事前に計画されてるとはいえ、それは外敵の強襲を想定したものではないのだ。いちいちVIPの警護体制なんぞ考える余裕はなかったのだろう。ゆえに、例えそれが公爵家の嫡男であったとしても、そこに割くことが出来る警備の人員は限られていたため、このような不意打ちを可能とする状態が発生してしまった。


「余計なことをしたら撃つ。それだけ頭に入れておいて」


 素っ気ない口調でくぎを刺した大尉が、すぐそばの通用口の扉を開けて中に入る。本来であれば清掃の者や、議会の職員でごったがえてしていたはずのその空間は、照明はついているものの今はだれもいない。


「ぐっ…!」

「ソレリア殿。今しばらくの辛抱です」


 打ち所が悪かったのか、ソレリアが表情を苦痛にゆがめる。しかし、負傷者2人を含めたその小集団を先導する大尉は一切気に掛ける様子も見せず、アルバートを豪快に肩に乗せながら通用路を足早に突き進んでいく。本来であればこの手の通路は保安上の都合によりやたらと構造がややこしく、またその詳細についても秘密事項ではあるのだが、人民連邦軍の特殊部隊を相手にそれはもはや意味をなさないようであった。


『ってかヤバい!マジでヤバイ!』


 身体を折り曲げた状態で屈強な体格の女性の方に担がれ、大いに腹部を圧迫されている最中の私は誰にも届かない声でそう叫んでいた。そう、脳震とう間違いなしの一撃を喰らいはしたものの、実はこうして物事を考えるだけの余裕があった。海で溺れかけていた時もそうなのであるが、どうやら貴族としての『私』と転生者としての私の意識が融合したことをきっかけに、気絶だとかそういった類にやたら耐性ができたらしい。ただ、単に気絶しにくいわけではなく、身体の方が気絶した状態でありつつも頭の中の意識だけが明晰のようだ。そうでなければこの大尉から完全に気絶するまでもう少し折檻を喰らっていただろう。その結果として気絶した場合、たぶん死んでいる。


『警備員、はさすがに無理だよなぁ。よりによって私が人質の状態だし、下手に刺激できないだろうし』


 瞼が閉じられた状態なので何も見えず、触覚や聴覚もぼんやりとしか機能しないものの、それでもソレリアが身体にダメージを負って私ともども誘拐されている真っ最中なのは分かる。分かるから焦っているのだが、頭の中でどれだけ今後の展開をこねくり回そうともいい案が浮かぶわけではなかった。


「大尉。いつでも大丈夫です」

「ご苦労。ラン軍曹」


 物のようなずさんさで扱われながら、私の身体は車両かなにかに放り込まれた。痛みを感じないのが、現在における大不幸中の小幸いであった。


「…の連中はどうしてる?」

「まだ川のところで…………。結構…………みたいです」

「ま、結構だ。合流……………」


 人民連邦の言語についてはグリーゼ王国のインテリジェンスを通じて公開されてはいたが、それでも個々人の使う微妙な癖に対応できていないし、なによりよく聞き取れなかったものの、自分たちがまんまと人民連邦の術中にはまって銀河一高貴な人質となったのは確かであった。ホイ川の向こう側で戦闘中の部隊と合流するつもりなのだろうか。


『クソッ…!!なんにせよ間が悪い!!』


 敵の人質になるという貴族として最大級に恥ずべき事態が迫っているのもそうなのであるが、また一方で、頭の部分の鈍い触覚を通じても伝わる何やら暖かく柔らかい感触に私は歯噛みしていた。もっと感覚がはっきりしていた状態で感じたかった…、いやいや。


『ってかおそらくそうなっているであろう状況をコーネリアとクローネに見られてるのが純粋に恥ずかしい!!』


 





 マルティナ・シティの議会周辺に設けられた官庁街は、普段であればその都市の規模に見合うだけの人員を常に包摂していた。であるから、一人の少女がビルの屋上で馬鹿でかい対物ライフルの組み立て作業を行っていた場合、当然それは人々の注目を集めに集めてしょうがなかったはずなのだが、今のところ多くの人々にとってそういった出来事は特にどうでもいい事柄だった。


「それがッ、好都合ですからねッ!!」


 金属同士がぶつかる武骨な音とともに独白し、命中すれば人一人の頭蓋骨を文字通り霧消させるだけの弾薬を装填したテオドラは、屋上の縁にライフルの二脚を乗せると、ビルの足元で右カーブに差し掛かろうとする装甲車にめがけて12.5ミリ(ワンエイス・スケール)排莢式徹甲弾の一撃をためらいなく発射させる。

 装弾数の向上や、金属加工のオミットといった多くのメリットを持つケースレス弾薬を差し置いて、古めかしい排莢機構を備える錠閂(ボルトアクション)式ライフルを使用するメリットといえば、激烈な威力を除いてほかにない。絶対に仕留めようとするテオドラの殺意を乗せた弾頭は音速の数倍のエネルギーを保ちながら装甲車のエンジン部分を容赦なく貫いた。


「ぐっ!!」


 強力な反動をこれまた強力な筋力で支え、重い金属音を響かせながら力強くボルト部分を巡らして次弾の装填を完了したテオドラは再び躊躇なく引き金を絞った。


「危ない!!」


 一度目の銃撃音を耳にしていち早く反応を示した避難誘導の警官が叫び、周辺の避難民は恐怖に顔を引きつらせながら一斉に頭を下げた。2発目の銃声が響き、今度は装甲車の右前のタイヤを銃弾が襲った。弾丸は金属製のホイールを切り裂き、タイヤと車体をつなぐシャフト部分をへし折った。原理上パンクしないエアレスタイヤの破壊を狙うにあたって、実際にこの方法は効果的であった。

 2回目の銃声に人込みが一段と低くなる様が上から確認できた。一応、テオドラ本人も消音器を使う発想がないではなかったが、いずれにせよ道路を走る装甲車を対物弾頭で地面と縫い付けようとしているのだから、使ったところでそれでは焼けた石に霧吹きをかける程度の効果しかなかっただろう。

 もっとも、住民の避難計画を考えた人物はそれなりに優秀であった。都市内における避難民の動線は完全な制御下にあったため、混雑にあふれた避難民が歩道からそれて道路をふさぐようなことは無かったから、銃撃を浴びて操作を失った装甲車が避難民を跳ね飛ばすということもまた無かった。右カーブに差し掛かっているところで右前のタイヤをシャフトごと破壊された装甲車は、つんのめるように車体を地面に擦らせ、すぐに停止した。


「さ…、て…、とっ!!」


 重い対物ライフルを放り投げたテオドラは、軽やかな身のこなしで地上から30mはある屋上から身を投げ出すと、そのまま放物線を描きながら乗り捨てられた自動車を派手な金属音と共に踏みつぶし、地上へ降りるために必要な時間をショートカットした。


「アナタ、避難誘導の方ですか?」

「え、えぇ」


 目の前で軽々と自動車を踏みつぶしたおいてなお涼しい表情で尋ねるテオドラを前に、避難誘導を務める警官は呆気にとられながらも一応はうなづいた。


「危険ですので、ここの区域を閉鎖させて下さい」


 そういいながらテオドラが警官の前に突き出した身分証には、ペルセウスの円環を翼で覆う不死鳥の意匠があしらわれていた。陰気臭い表情の写真とともに顕されたその紋章は、他ならないアウステルリッツ公爵家を表すものであり、公爵家近辺の人物を警護する必要がある場合に限って、広範な行動の権限を認める許可証の役割を意味していた。


「は、は、ハイ!!直ちに!!」


 今までの出来事の何よりも表情を青ざめさせた警官は、すぐに胸元の無線機に向かって何事か通達するとともに、道路の向こうから向かってくる避難民に向かって進むべき方向を変えるよう叫び始める。何事か異常を悟った避難民の多くも、好奇心以上に自身の身の安全を優先してその場から立ち去った。

 

「ハーイ、お嬢さん」


 周囲の安全を確認するテオドラの耳に、場違いで陽気な声が届いた。呼ばれた当人は、鋭い視線を保ったまま声が聞こえた方向へ顔を向ける。


「一緒に乗っていかない?」


 白煙を上げる装甲車の残骸に片肘を乗せて寄りかかりつつ、白髪の女性軍人は不適な笑みを浮かべていた。










 とある領邦貴族の星系に所在する軍務省の地方局内に設えられた大会議室は、多種多様な貴族関係者をその内部に抱えることで異様な空気を醸成させていた。そこに集められた各領邦貴族に所属する武官同士が、深刻な表情を浮かべながら互いに情報の交換を図るものの、結局のところどの貴族家も現況を再認識する以外にとる術はなかった。


「聞けば、アウステルリッツ領に侵攻した敵は、同時に5つの星系を歯牙にかけたとか」

「アウステルリッツ家が矢面に立ったのは不幸中の幸いでございましたな。…海賊どもの対応に追われている当方としましては考えたくない事態でございます」

「まさしくですとも…。さすがに公爵家が多少なりとも持ちこたえるとは思いますが、万が一にも本土決戦になった場合を考慮せねば」


 領邦貴族という国家内国家を構成する銀河帝国であるが、辺境総督たるアウステルリッツ公爵家の立ち位置は一線を画すものであった。ゆえに、帝国における三大航路帯であるクロートー、ラケシス、アトロポスの存在を境界線として、これよりジン・ヴィータ側の宙域全体を『帝国本土』と称する慣習が、他の領邦貴族の間で一般化していた。


「『本土決戦』と、お伺いしましたが」


 当然、この用例を好まない貴族も居る。他ならないアウステルリッツ公爵家がそれだ。

 本来であれば詩を詠み歌を奏でる方がよほど似合っているであろうその美声を聞いた領邦貴族の武官らは、自身の用いた表現で虎の尾を踏んでしまったことを即座に理解した。


「異なることをおっしゃりますな。領邦貴族がしろしめす宙域の全ては、皇帝陛下の誓約が等しく及ぶはずの所。現況を以て『帝国本土』が侵攻されてないとのご認識を示されるのは、いかなる事情に則るのでございましょう?」


 棘を感じさせるその発言の主は、侍従を連れてはいるものの、少女といってもまだ通用するだけの風貌を備えていた。しかし、軍人然とした口調と厳格な印象を与えるアベニュー・グリーンの軍服は、やはり彼女が誇り高き貴族軍人であることを毅然と証明していた。


「リ、リーゼロッテ殿…!!これはとんだ失礼を!!」


 会話に参加していた一人。ソアイムット伯爵軍の大督が、慌てて取りなしながら遥かに年下の令嬢に対し自らの不明を詫びる。


「はて。私めは謝罪など要求したつもりはござませぬ。卿らの仰る意図が奈辺にあるのかを伺ってございます」


 彼女の一挙手一投足は常識と作法によって形成された厚いベールに覆われていたため直接的な怒りを発することは無かったが、その詰問は関係のない周囲の者に対してもすさまじい威圧感を与えていた。これが実家の権威を借りるだけの俗物であればまだ対応の仕方もあったであろうが、武門の名家であるバイエルン侯爵家はそういった人物の存在を許してはいない。公国軍准佐であるリーゼロッテ自身、10代前半で公国軍士官学校を優秀な成績で卒業後、地上部隊と航宙艦での指揮経験をそれぞれ有し、宇宙海賊を相手取った実戦も既に経験している。そういう教育方針だからアウステルリッツの一族は宇宙海賊から手痛い人的被害を被っているのであるが、いずれにせよ貴族としての名誉に非常に敏感な彼女の性格は、侮りがたい実績に基づいているものであった。

 もっとも、名誉に敏感な貴族はそう簡単に他人の名誉を軽んじたりはしない。そういう貴族的価値観に則れば、リーゼロッテが今現在行っている詰問は貴族の振舞いとしては正直なところ不適切であるのだが、そういう細かい事情を無視するほどに彼女の機嫌は悪化していた。


「お嬢様。こちらにいらっしゃいましたか」


 人好きのする表情を浮かべながらも、内心で冷や汗を流しながらマリウス・フォン・ハノーファー宮廷伯がリーゼロッテの側へ落ち着いた足取りであゆみ寄る。本当にリーゼロッテを探しているのであれば、彼自身の侍従に対応させるのが本来であることを考えると、剣呑なこの状況に宮廷伯自身が直接割って入ろうとしているのは明白であった。


「いかがないさましたかな、リーゼロッテ様。丁度、統帥会議事務局の方がお見えになりましたので、ご一緒に挨拶に伺おうかと」

「…承知いたしました宮廷伯。事態は、急を要しますので。私めの質問はどうかお忘れになってくださいまし」


 斬り付けるかのように鋭い視線を横にずらし、リーゼロッテは宮廷伯の取りなしに同意した。実際のところ、もう少しスマートな対応案が宮廷伯の脳裏に複数浮かんではいたが、もっともストレート且つ手っ取り早い手段を彼に選択させるほどにリーゼロッテの機嫌は悪化していた。


「まったく…。前線にいる将兵らの努力を何と心得ているのやら」

「お嬢。お気持ちは分かりますが、今は他の領邦貴族との協調が必要なときです」


 自身の感情を表に出さない鉄面皮ぶりを誇る宮廷伯であったが、感情を表に出しやすいリーゼロッテについては、普段彼が示す周囲への対応とはまた異なるフランクな態度で接していた。同じく鉄面皮ではあるが、主人の感情の変化に全く動じない侍従のローゼルとはこの部分で大いに異なっている。


「自重しろ、というのでしょう。えぇ…、分かっておりますわ」

「ご理解いただけて何よりです。…その分、他の家には相応の責任を負ってもらいましょう」

「当然でございますわ。兵器や資源の増産、人員の供出、航路の使用に艦船の徴用。引っ張るだけのタネはいくらでもございます」


 固めた拳をもう片方の手の平に打ち付けつつ、忌々しげにリーゼロッテは断じる。


「それと…、前線に派遣する増援の件なのですが」

「承知しております。帝国軍がお兄様の元へ派遣されると」

「い、いえ。アルバート様個人の為というわけでは…」

「…はぁ。お兄様…。どうしてこのようなことに…」


 リーゼロッテはそう言葉を漏らすと頭に手を当てて嘆息した。転生貴族の固有スキルである悪運は、こうして一人の乙女心を大いに揺れ動かしているのであった。






たまには劇中に出てくるガジェット類を詳しく考えてみようのコーナー


・非常用収納箱

:新規開拓が進む惑星にとって、住民の大半を危機に陥れるような大規模自然災害は決して稀な脅威ではない。災害に耐えるだけの都市をデザインし、構築するのがまず重要であるが、最終的には惑星そのものを放棄する避難行動についても事前に想定し、それに必要となる施策を講じることも領邦貴族が背負う重要な責務の一つである。

もっとも、避難とは国民の生活基盤を根底から覆す事態であり、国民が保有する財に対して著しい毀損を要求する行為でもある。これに出来る限り対応するために案出されたのが非常用収納箱である。非常用避難箱自体は小型のコンピュータを搭載し、1m四方からなる組み立て式のプラスチックケースであり、複数個をつなげればより大きな荷物を収納することも可能。防水、耐熱、耐衝撃加工が施されており、内側には梱包材があらかじめ装備されている。避難時には家財道具など、避難時に必要となる物品をここに収納し、当該市街区にてあらかじめ定められた場所においておけば、指定された集荷作業員がこれらを回収し、緊急用貨物として避難する人員とは別に運搬してもらえる(小型の無人回転翼機が集荷作業を行う場合もある)。また、非常用収納箱はそれを利用する個人の情報を入力することが可能であり、非常用収納箱を使用した人は避難先にてこれを宅配用荷物として受け取ることができる。非常用収納箱を活用すれば、実際に避難する際には必要最低限の手荷物だけで事が足りるため、人が密集した際の混雑の解消なども期待される。非常用収納箱は個人につき2つが原則として支給され、役所に申請をすれば追加分を貰える。個人の保管状況はリアルタイムで更新されており、平時においても避難時における集荷のシミュレーションが常に可能である。しかしながら、集荷に必要な作業にはどうしても時間がかかってしまうので、個人用の非常用収納箱を適切に運用するには正確かつ迅速に避難に関連する指示を発出する必要がある。また、本来手荷物として持つべき貴重品などを非常用収納箱に仕舞い込んでしまわないよう注意を呼び掛ける必要がある。


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