第53話 ものごとがそう簡単に解決できると思ったら大間違いなのはいつものこと
「逃がしたか…」
ヴェンツェル=2の上空に浮かぶ空中空母の艦内にて、シウサガル参謀長はたった今受信した報告内容を確認し、忌々しげに呟いた。
貴族の子弟をみすみす逃がしたことは、彼の政治的信条からして許される失態では当然なかった。がしかし、彼が参謀を務める強襲部隊に別動隊を派遣するだけの余裕がなかったのも確かである。敵がヴェンツェル=5の防衛に集中した為に戦力自体が手薄な状況ではあるものの、精強であるはずの首都防衛軍に対し、我々人民連邦はわずかな機甲部隊と歩兵部隊で殴り込みをかけているのだ。司令部が保有する航空戦力が、地上部隊の支援に注力するのも致し方ない。
「だからこそ、アタシらの出番ってわけですね」
「…やってくれるな?大尉」
多くの人員が慌ただしく動き回る司令部内にあって、のんきにタバコをくゆらせていたフラナガン大尉が口元を吊り上げて参謀長の命令に応じた。
『議長!既に状況は決しているはずでございます。我々は栄誉あるヴェンツェル子爵領議会議員として、そこに住まう国民の安全を第一に考えることを思えば、危険な軌道往還輸送を行う発想には至らないはずです!』
『え~、国民の安全に関するご指摘の件でございますが、仰る通り、国民の安全は何よりも優先されるべき事柄でございます。その上で、その上でですね。軍部からの報告によれば、マルティナ・シティ上空における制空権、および往還輸送区域における安全の確保は不可能ではないとのお言葉をいただいてるのでして』
『『不可能ではない』だとぉ?『可能』とも言ってないではないか!!』
『無責任だ!!』
『議長!!あなたは閣僚評議会の代表たる立場でございますが、軍部からの情報をほしいままに捻じ曲げるその姿勢こそ私は問題であると考えます!!』
『それはですね。国民の安全にはですね、これは当然のことながら、往還輸送に関わる人員の安全もまた考慮する必要があるのです。それを考慮いたしましたらですね。人員が、危険にさらされているその状況をですね、まさに無駄にしてはならない。と、そういう考え方もできると思うのです』
『話題をそらさないでいただきたい!!安全を確保できないのは軍部の報告から見ても当然のことではないですか!!議長のそのあいまいな態度こそ、ヴェンツェルに住まう国民の全員の生命を危険にさらしているのではないですか!!当然、往還輸送に関わる人員の皆様に対しても、その不明瞭さは許されるべきではございません』
180名からなるヴェンツェル議会での論戦は、白熱を通り越して泥沼の様相を呈し始めていた。閣僚評議会議長チョウ・ネルセン率いるヴェンツェル国民党は、ヴェンツェル子爵家臣団に連なる人物が立ち上げた地方政党であり、国民の身体的安全を以て良しとする貴族的価値観を有していた。ネルセン議長が国民の脱出にこだわるのも、ヴェンツェル子爵が保つ領邦貴族としての権威を保とうとする意図が含まれている。
一方で反対するのは議会の野党的地位にあたる自由市民連合である。国民の安全を第一とするのはヴェンツェル国民党と同様であるが、敵が市街区を今まさに目の前に捉え、制空権すらままならない状況である以上、危険を押して往還輸送を実施する必要はないという立場をあくまで堅持していた。貴族的価値観とは距離を置く党風を有していたため、そこにヴェンツェル子爵の領邦貴族としての体面を守ろうという意図は存在しない。
こうした大きな対立構造が存在する中で、人民連邦に対する全国民的な徹底抗戦を主張する開拓同盟や、人民連邦に対する積極的な融和論を展開する自由社会党の議員たちががまた空気を読まない発言を行うことによって、『国民自治の小学校』と称される星系議会は混乱状態に陥っていた。
「いいからさっさとしてくれよ…」
一人で事務室の奥に設置されたモニターを眺めながらそう嘆息するディゴ兵長は、舌打ちとともにその電源を落とす衝動に襲われはしたが、自身がこの先とるべき状況がその画面の向こうで決定される以上、その光景を延々と眺めざるを得なかった。
「どうだ兵長?なんか決まったか?」
「ダメです軍曹。今議長が胸倉をつかまれました。これで3回目だっつーの。…ったく」
「チッ。レイモンドと交代させる。お前は作業に入れ」
「了解しました」
返事とともに、椅子から重い腰を上げたディゴ兵長は、自身の上官と入れ替わりで入ってきたレイモンド一等兵と場所を変わった。
「レイモンド。そっちの状況はどうだ?」
「平和そのものです。気味が悪いくらいに」
「まぁ、撃たれるよりはましさ」
軽い苦笑とともに事務所からでてターミナルの方向に足を向けたディゴ兵長は、小窓の先の景色にふと視線を飛ばした。
漆黒の宇宙を背景として、合計950隻の輸送船が荘厳な雰囲気とともに、ヴェンツェル=2の上空420kmにて整列している様が目に入った。
「兵長、お疲れ様です」
「あぁルフスか。今の様子はどうだ?」
「敵が余計なことおっぱじめなければ、あとは待つだけですよ」
「そりゃ結構」
本来であれば平和な日常を謳歌するだけの人々が行きかいしていたはずのターミナルは、足止めを喰らったわずかな人だけを残し、ガランとしただけの空虚な空間と化していた。
「市街区で戦闘が起きたっていう話ですけど」
「その話は俺も聞いたが、実際はホイ川を超えた第5区でのコトらしい。ここからじゃどっちにしろ確認しようがないがな」
作業といっても、下士官でもない警備員モドキの兵士が今現在行うべき仕事は殆どなかった。自然と、今の状況を話題にするだけの雑談を行う流れになる。
「ていうか、敵も直接ターミナルを攻めてこないですよね。ぶっちゃけ言ってそっちの方が敵からしてもラクだと思うんすけど」
「さぁな。自爆でもされたら困るとかそういう話なんじゃねぇの?もしくは、下手に攻め込んで事故でも起きたら面倒とか」
「あ~ありえそうっすね」
マルティナ・シティから伸びる軌道エレベーターは全部で3基。はるか上空の終着点であるこの場所からでは地上の様子を把握できないが、軌道エレベーターそのものが戦略的に大きな価値をもつのは確かである。大気圏外から地上に向けて物資輸送を行うのは宇宙時代であっても至難の業なのだ。地上軍の降下揚陸といった特殊事例でもない限り、人民連邦が慎重な対応をとるのも当然ではあった。
「そういや、どうでした議会の方は?」
「んあ?いや~、ダメダメ。責任逃ればっかだよ。結論出す気あるのかねアイツら」
さも下らないと言いたげな態度でディゴ兵長は言い捨てた。ただ、2500万の生命について、実際に責任を持てる人物がいるのだろうか。
「『星系に住まう国民の安全について、その責任を負うのが帝国の貴族たるものの誉れである』…。アデレードおじい様は、常にそうおっしゃってました」
ヴェンツェル星系議会に殴り込みをかける意気込みを見せた私であったが、事前に話の一つは二つは回しておかねばならない。議会議事堂の貴賓室に押しかけた私に怜悧な視線を飛ばすご令嬢などは、そういった意味では特に重要であった。
「2500万を数える国民の安全につきまして、閣下よりご高配を賜れますことを、ヴェンツェル子爵家の一員として感謝申し上げます」
椅子から立ち上がり、ヴェンツェル子爵アデレードの孫にあたるライラ・フォン・ヴェンツェルは深々と頭を下げ、私に対して感謝の意を示した。
ちなみに今年で8歳になるそうだ。
「アデレード殿がおっしゃったように、私も帝国貴族としての責務を果たすまでです」
内心の違和感を抑えながら、私も立ち上がって貴族間における外交儀礼から一分も外れない姿勢で応じた。
ヴェンツェル議会で立ち回りを演じる以上、子爵家を相手に最低限話をつけておく必要があった。アウステルリッツ本家とはいっても、議会からすれば私も所詮はよそ者。下手に引っ掻き回そうものなら子爵家のメンツをつぶしかねなかった。とはいっても、アデレード・フォン・ヴェンツェル子爵の二人の子どもは、子爵本人とともに前線にいる。彼女がこの場に引っ張り出されたのはそういう事情が関係していた。
「と、言うことです殿下。準備のほど、よろしくお願いしますね」
「簡単に言ってくれますわね…」
即席で作り上げた原稿を握りしめ、わなわなと震えながら姫様はこちらを睨みつけていた。
「聞きましたよ。ご自身で書き上げられたそうですね」
ソレリアにも原稿作成を手伝わせようとは思っていたのだが、案外すんなり書き上げてしまった。演説そのものをすぐに了承したあたり、王族として慣れた行いではあったのだろう。
「えぇ、書きはしましたとも…。ですが、この文章を全部暗記して演説しろ、とは聞いておりませんわ」
椅子に座った私に近寄ったコーネリアは、耳元でそう訴えかけた。
「慣習なんですよ。重要な演説をするときは丸暗記して臨むんです」
「議員の皆様は原稿を読みながら討論を行っておりますわよね?」
「帝国貴族たるもの、演説の内容は完全にインプットされて当然、という風潮がございまして」
正直言って面倒であるとは私も思うのだが、覚えようと思えば覚えられる人間が後を絶たないため、演説の丸暗記じたい、未だに慣習として根強く残っている。私の父などその気になれば施政方針に関わる演説を何も見ずに1時間以上ぶっ続けで行うことが出来るのだから、まさに『格が違う』としか言いようがない。
「ちなみに、何枚ほどですか?」
「…500単語ほど」
「1枚分じゃないですか!…まぁ、内容が良ければ文句はないのですが」
多少の小言を言いつつ原稿を受け取った私がその内容に目を通す。…ふむ。なかなかどうして勘所を押さえている。
「そりゃあ、私とて王族としての務めを果たしておりましたので」
「まだ何も言ってないですけど」
胸を張るコーネリアに若干あきれながらも、それなりに感心した私は胸元からペンを取り出し多少訂正や追記が必要な部分を書き込もうとする。
「ちょ、ちょっと余計な修正など加えないでください!覚えるのは私めなのですよ!!」
「分かってますけど、演説していただく以上は多少私の要望も盛り込んでいただかないと」
これから原稿の内容を覚えようとしている人に対し酷いことをしている自覚はあるため、ふと一つ思いついた私は、正面でじっと佇んでいたライラ嬢を手招きで呼び寄せた。
「…何でございましょうか」
一応は本家家元の嫡男であるはずの私に対し、幼女は胡乱気な視線を向けていた。…まぁ、高貴な者同士の、というにはいささか威厳の成分が欠けたやり取りを見せつけた訳だし、致し方なくはあるのだが。
「これがこれで、手はこんな感じで…、そうそう。じゃ、お願い」
ハァ…。というため息が聞こえないでもなかったが、頭を抱えるお姫様の足元まで駆け寄ったライラ嬢は、不意のことに対して視線を向けるコーネリアと向き合いながら、両手を合わして甘い声を出して言った。
「おねぇさま。…お願いします」
「………………ハッ」
三瞬ほど固まったコーネリアは、小さく息をのんでことの次第を飲み込んだ。
「殿下」
見かねたクローネが、身体をかがめて抱きしめようとするコーネリアの肩に手を置いた。
「よろしいですか殿下?あと30分で登壇していただき…」
「待って、待ってください。今覚えてますので!」
先ほどとは打って変わって真剣な表情を浮かべるコーネリアが、私の言葉を遮って鋭く言葉をはさんだ。
「…覚えられると思う?」
「さすがに大丈夫かと」
私の質問に対し泰然とした態度でソレリアは答えた。さすがに…さすがにね?
「で、あとごめん。ちょっとトイレ行ってくる」
「では、護衛の者を」
「議会の中で襲ってくる奴はいないでしょ。私はここの警備体制を信用することにしたから」
そういってソレリアを適当に言いくるめた私は、登壇を直前にしてやいのやいのやりあっている空間から少し離れたところのトイレまで足を延ばした。
「正直私もちょっと不安なんだよね…」
トイレに向かう途中、懐からメモ書きした紙を取り出し、これから行う演説の内容を再確認する。用を足したかったのは本当なのだが、姫様相手に上からああいった手前、人の見ている前で暗記の確認がしづらくなってしまっていた。自分の首を絞めるとはまさにこのことである。
「閣下!」
そうして油断していたものだから、後ろから急に声をかけられて驚くなというのは無理がある。最小限の動作で紙を折りたたみ、高速で懐にしまい直した私は振り返り、そしてもう一度驚く羽目になってしまった。
「ラスター軍曹…」
片腕を失ったままのラスター軍曹が、少し気恥ずかしそうな態度で私を呼び止めたのであった。
「無事だったのか…。てっきり」
「ご心配をおかけして申し訳ございません」
私の言葉を皆まで言わせず、ラスター軍曹は私に向かって頭を下げた。あまりに咄嗟のことに言葉がつまりかけた私であったが、なくなったはずの腕の痕を見て、一つ腑に落ちることがあった。
「義手だったのか」
「えぇ。今は無くしてしまいましたが」
あくまでにこやかな表情のまま、ラスター軍曹はそういった。
事故や戦闘で四肢の一部を無くした軍人に義手装着や再生手術が施されるのは珍しい話ではない。が、そこまでの大けがを負った軍人が艦船などの前線勤務についているはずがなかった。本来であれば年金付きの名誉除隊、本人の希望で再び軍務についたとしても、事務業務に回されるのが普通のはずである。
「私こそ申し訳ない。…義手とはいえ、犠牲を負わせてしまったのは確かだ」
「覚悟の上での軍務でございます」
口で言うことはたやすいだろうが、本心からそういうことをなかなか言えるものではない。
そして、そこまでの行為をした相手に対し、存分に報いるだけの義務が貴族にはあった。
「ラスター軍曹。卿の名誉ある犠牲に対し、アウステルリッツ公爵家に連なるものとして、感謝をささげよう」
「…もったいないお言葉でございます」
「卿の行動は、領邦貴族が記憶として刻むべきものだ。世が世なら侍従として取り立てたいところだな」
「頭をお上げください閣下。人を助けるという、当然の行いをしたまででして」
そういいながら私に近寄って腰をおとし、目線の高さを私に合わせたラスター軍曹が、さすがにすこしばつの悪そうな表情を浮かべながら私の肩に触れた。いやいや、こうして臣下の活躍に大盤振る舞いするのが貴族の格を示す行為なのだ。
「家には私から言伝えておこう。それまで生き残ってくれたまえ」
「承知しました。それでは」
見事な敬礼を示す軍曹に、私は胸に手を当て返礼の態度をとる。そのときであった。
「…うん?」
手を当てた胸に、何か違和感を覚えた。布の向こうに、何か堅いものが?
「あら?」
驚くにはまだ早かった。頭を下げ、胸の違和感に一瞬気をとられた隙に、ラスター軍曹の姿が消えていたのだ。見渡しのいい廊下である。あの巨体が隠れる隙なんぞあったものではない。
「???」
今までのそれとは一線を画した驚きの事態を前に、とりあえず私は胸元に感じた違和感に触れ、なにかを取り出した。
「これ…、通信用か?」
丁度ポケットに入るだけの長方形をしたプラスチック製の何か。それに、シール状の骨伝導マイクとスピーカーが付属していた。さすがに廊下でこれ以上あたふたとしてはいられない。そう判断した私はそのままトイレに向かい、個室の中でマイクとスピーカーをそれぞれ目立たない部分へと張り付けた。
『ハーイ、貴族さま。聞こえる?』
「何であなたが…」
張り付けた数秒後、ついさっき私を海中へ放り投げた張本人である美人スパイの甘い声が脳内に響いた。私は個室の中で一人愕然とした表情を浮かべた。
『さすが、議会に足を向けたのは正解ですわ。やはり、上に立つものの自覚がおありなんですね』
「まさかラスター軍曹が…!!」
『それは置いといて』
背筋に冷たいものを感じ、思わず皮膚に張り付いたスピーカーに手を当てた私を無視して、美人スパイはまくしたてる。
『空中空母を撃墜する件ですが、大方の準備は完了いたしました。ここのところをご説明する余裕がなかったものでして』
「そ、そうか。なら結構なのだが」
『ご希望次第では撃墜するタイミングを合わせることが可能ですが、いかがいたしましょう?』
「もう出来るのか?」
『はい。ですが、ご命令をいただいてから発射するまでにおよそ70秒ほどいただきますが』
「そうか分かった」
色々聞きたいことはあるのだが、あくまでそれは私の単なる興味に過ぎない。むくりと顔を出す好奇心を押さえつけ、私は言葉を続ける。
「じゃあ、撃墜するタイミングは私の方に任せてもらおう」
『了解いたしました』
正直なところ、一度内容さえ暗記してしまえばあとはそれを繰り返すだけである。350人を数える議員たちの全ての注目を集めつつ、身振り手振りを交えながら避難の意義を主張する私の意識は、後に控えているコーネリアの演説と、空中空母を撃墜するタイミングを心配することでその殆どが持っていかれていた。
「それでは、改めて私の方からご紹介させていただきましょう。我らが帝国の貴重な友人であり、この最大の国難をともに乗り越えるべき同志の存在を!!」
状況が状況であるため、オーディエンスからの拍手などは望みようがない。そうした異様な緊張感がほとばしる空間に足を踏み入れたコーネリアが、一瞬だけひるんだように私の目には映った。しかし、登壇するその態度は余裕と優雅さを醸し出すものでもあった。500年に渡ってお互いに隔絶された社会であったとしても、尊さを人に印象付けるプロトコルというのは案外変わらないのかもしれない。
「…本来であれば、私のような存在が他国の情勢に関わり、その枢要な意思決定を左右するべきではないはずです」
しっかりとその双眸が周囲を見つめながら、コーネリアはそうしてゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「ですが、国を失い、帰るべき場所を喪失した者として、そうでなければ皆様にお伝え出来ないことがあると考え、無理を承知の上、この場に発言の機会を設けさせていただきました。その点につきまして、まず感謝申し上げます」
若干芝居臭さが強いものの、まぁ王家のスピーチなんぞ重厚であって然るべきである。
「ツィアマト王家は、グリーゼにおいて、栄光と同意義の存在でございました。王家に連なる者として、それは誇るべきことでした。当時まだ幼かった私は、自身の境遇になんら疑問を抱くことは無かったのです」
内心荘厳な雰囲気が芽生え始めていた私であったが、それを遮るように無粋なセリフが脳内に響いた。
『お忙しいところすみませんが、ちょっとよろしいでしょうか』
ちょっとよろしいか、ではない。めちゃめちゃ忙しいに決まっている。が、周囲の視線がある中で馬鹿正直にそうやって文句をいう訳にもいかない。私はギリギリスピーカーが拾えるくらいの声量で応じざるを得なかった。
『ナ、ン、ダ』
『撃墜のタイミングですが、もうしばらくお待ちいただくことになりました。敵の通信が急に活発になりましたので、我々としてはこれを解析する必要があると判断いたしました』
「上に立つものとして、それはあってはならないことでございました。権力の腐敗は、ツィアマト王家もまた等しく蝕んでいたのです。ですが、ツィアマト王家もまたそのことには気づいておりました。それでもなお、グリーゼというゆりかごに、ツィアマト王家は安楽の座を求めてしまったのです。腐敗それ自体を批判することなく、それを受け入れてしまいました」
『ド、レ、ク、ラ、イ、カ、カ、ル』
『…5分はかからないはずです』
『オ、ワ、リ、シ、ダ、イ。ウ、テ』
「権力の腐敗を、人類社会が共通して持つ弊風であるかのように受け入れてしまったのです。これは何よりも救いようのない過誤でございました。自らが秘めた可能性を手折り、発展の芽を自ら無に帰させてしまいました。…それによってもたらされた結果は皆様もご存じのはずです」
『よろしいのですね?』
『タ、イ、ミ、ン、グ、オ、シ、エ、ロ』
「私は今生きながらえ、こうして皆様に語り掛ける機会をいただいております。が、これは多くの犠牲の上に成り立っているものなのです。…本来、ツィアマト王家が守護すべきであった国民の、その犠牲の上に成り立っています。ツィアマト王家は、歴史の上にのみその存在を記すことになるやもしれません。それ自体は自浄を厭ったことの報いでございますが、しかし国民は違います」
『承知いたしました。では、解析が終了次第攻撃を開始します』
『オ、ト、セ、ル、カ?』
『ご安心ください。お望みであれば、大気圏外の航宙艦でさえも撃破してご覧に入れましょう』
「国民には生きる権利がありました。そして生活を営み、幸福な人生を享受する権利がありました。ツィアマト王家が、その権利を簒奪したといっても、もはや過言ではありません。…しかし、帝国の皆様は異なります。当初、私は我が目を疑いました。国民の福祉を、本当の意味で第一に考える為政者が存在したのです。そして、為政者自身はそのことを何にも勝る名誉と捉えていたのです。これは、人類社会において特筆すべき成果です!ツィアマトがあきらめ、人民連邦が否定した理想を帝国は実現したのです!」
『予定では、残り1分ほど砲撃を実施できます。劇的なシーンをお見せできそうですね』
『ジョ、ウ、ダ、ン、ノ、キ、ブ、ン、ジャ、ナ、イ』
『これは失礼』
「誤解なく申し上げましょう。人民連邦の手に、国民の存在をゆだねてはなりません!!謀略と武力を以て国家間のコミュニケーションを構成する存在に、これを侵奪されることがあってはならないのです!!私は亡国の徒として、偉大なる先人に泥を塗った不届き者として申し上げます!!この悲劇を、決して繰り返してはなりません!!国民の幸福は、平和の先に存在するのです!!帝国の皆様は、そのことを深くご理解していただいているはずでございます。どうか、どうか賢明なご判断をお願いいたします!!」
まさしく迫真の演説であった。拍手の類はやはり起こらないが、それでも大きな一撃を与えたのは確かであろう。
『通信の解析完了しました。それでは、『迎撃』を実施します』
やることの割には呆気ない報告の直後、鈍い砲撃音が震動となって私の頭蓋を不快に揺らした。
『…命中です閣下。マルティナ・シティを覆っていた妨害電波も、全て消失しました。無人機も管制を失った模様です』
『リョ、ウ、カ、イ』
同時に、議会の隅にて待機していた軍人たちがなにやら慌ただし気な雰囲気を醸し出し始めた。まさしく寝耳に水の事態であろうが、これを奇貨としない理由はないであろう。そして、壇上で周囲を見下ろすコーネリアもそのざわめきを感じ取っていた。深々と頭を下げ、議員らに対する演説を終了させた彼女が、さっぱりした表情で私の元へ歩み寄り、耳元にささやく。
「成功、でよろしいのですね。帝国の方も」
「えぇ。お疲れ様です殿下」
「もう、勝手が違いますので大変でしたわ」
自分の出番はもう終わり、と言わんばかりの態度で、コーネリアが空いた椅子に堂々と腰を下ろした。黙りこくっていた議員たちも、今の演説、それに軍から新しく入った情報を耳にすることで、途端にざわめき始めた。ここまでくればもうあとは議員たちの仕事である。
「ひとつ、お伺いしたいことが」
「なんでしょうか?殿下」
椅子に深く座り直しがら、私は問いかけに応じる。
「これ、私が演説する必要ありました?帝国軍の攻撃だけで十分だったのでは?」
「まぁ、そういう訳でもなくてですね」
実際問題としてコーネリアの説得が、避難を躊躇する議員たちにとってダメ押しの効果を発揮したのは確かであろう。
またいずれにせよ、避難する際には現地の貴族が最終的に責任をかぶらねばならない。本来の筋からいえば、ヴェンツェル子爵家がその責任を負うべきではあるのだが、何しろ事態が事態である。人民連邦の予期せぬ強襲に対し、最前線にて対応に当たるいち分家に大きな責任を一方的に負わせるのは、今後のことを考えて問題があった。
「ゆえに、ヴェンツェル議会は殿下と私によって『説得された』という体裁をとる必要があったんですよ。こういう機微はなかなか理解しにくいものですが」
「…避難の際にもし何かあれば、私たちが責任を取るということではありませんか?」
「さ、ソレリア。車両の手配進めてくれ」
「承知いたしました」
「聞いておりますの!?」
その時である。部屋の奥のドアが開き、警備の人員らが入ってきた。本来であれば審議が決するその瞬間まで見届けるべきなのであろうが、さすがに今は急を要していた。
「お迎えに参りました」
「ご苦労。後は頼むよ」
「お任せください」
帽子を深くかぶった彼女は、自信を以てそう言い切った。歩き方などの身のこなしから、兵役の経験があることも察しられた。
『緊急です閣下』
「なんだ。まだ何か」
議場を出て、足早に外へ向かおうとするタイミングでまた通信が入ってきた。正直外部と通信しているさまをあまり周囲に見られたくないのであるが、さすがに入ってきたものには応じなければならない。
『敵の工作員が市街区に潜入した模様です。今、議会を出て避難先に向かっていますね?注意を心掛けてください』
「ッチ、面倒だな。市街区のどこにいるか、分かるか」
『おそらくは、既に議会議事堂の中に…』
「若様!!!!」
通信に意識を持っていかれてる中で、急に大声でソレリアから呼びかけられ、振り向いたのがせめてもの救いだった。私は、自身に向かってその照準を合わせているだろう銃口を視線の先に捉え、とっさの判断でその手を顔の高さまで掴み上げた。
「ちょ、ちょ、ちょ、なんだね君は一体!!」
表情を変えずに、さっきの警備員は私に両手を掴みあげられたままその引き金を引いた。
「ヒィッ!!」
一瞬のことに呆気を取られていたコーネリアが、質量を伴って響いたその銃声に情けない声を上げ、腰を抜かした。
「殿下、逃げて!!ソレリア、早く人を…」
慌てながら指示を飛ばす私であったは、信じられない膂力によって掴んでた手を振り払われた。
「ック!!」
それのせいで一瞬体勢がよろけたのが本当に良くなかった。右ほほに撃ち込まれた強烈なストレートは、私の意識を刈り取るのに十分なだけの威力を発揮させた。