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第52話 お貴族様の仕事は権威を以て対応に当たること

 ヴェンツェル星系が抱えている総人口はおよそ2500万人前後。開発途上の星系であることを考えればまずまずの規模である。2500万人口のおよそ9割はヴェンツェル=2に生活の拠点を置いており、惑星の各地点には研究や防衛を担う施設が点在してはいるものの、9割の内のさらにその殆どは惑星規模にて造成された平野に存在する星系唯一の都市『マルティナ・シティ』にて居住している。辺境の辺境ではあるが、そこに居住する市民は帝国、ならびに領邦貴族が保障する社会福祉を享受できるはずであった。

 

「それが今やこの状況でして…」


 潜水艦隊が運用する秘匿ドックから我々一行を拾い上げ、ひとまず安全とされたマルティナの軍集団司令部にまで護送する役目を担った大隊指揮官のムスルベス上級大尉が苦々しい声で現状をそう断じた。惑星の開発が順調に実施されたことを示す青い空に向かって、軌道往還エレベーターと炎と煙が都市の各所から立ち登っているのがモニターに映し出されている。そしてその上空には人民連邦の航空機編隊が周囲を威嚇するかのごとく飛び回り、戦火から逃れようとする国民の多くを上空の高みから見下ろしていた。


「ですが、ご無事で何よりでございます。公子閣下」


 潜水艦の中で拭きはしたもののかぴかぴになってしまっている髪を撫でつけながら、ヴェンツェル星系政府閣僚評議会議長補佐官であるアラト・センディの安心気な発言に私は曖昧な笑顔で応じた。無事なのはまぁ…、そうなんだけどね。


「正直なところ、これからも無事であるかは分からない訳だけど」

「仰る通りでございます」


 なんともまぁ状況を弁えない私ののんきな発言に対して、沈痛な面持ちで首都防衛司令部から派遣されたデリー参謀が声を絞り出した。実際のところ、空か海か陸かの違いはあるものの、私が先ほどからずっと敵に囲まれている状態なのはほぼ間違いないのはその通りなので、彼にかけるための言葉を私は思い浮かばなかった。嫌味になっても困るし。


「直接的に申し上げますが、マルティナ・シティの空は敵の航空優勢下にあります。…議会においても、今後の対応をめぐって意見が割れておりまして」

「どういう意見がどっちとどっちに分かれてるんだ?」

「2500万を数えるヴェンツェルの住民を、避難させるのか、否かという部分に論点が集約されております」

「まぁ、そうなるよねぇ…」


 アラト補佐官が若干声を落としながら話す内容は、領邦貴族が本来最も頭を悩ませねばならない問題そのものであった。

 語弊がある表現ではあるが、自身の領地に住まう国民は領邦貴族に取って何物にも代えがたい貴重な資産である。国民が享受できる人権の総量を価値基準の中軸として帝国の体制が形成されたといっても過言ではない。この場合において領邦貴族の地位は究極的には国民の信託によって成立しているのだ。であれば当然、2500万人の人口を戦禍に晒す訳にはいかない。また、人民連邦によって実施されるであろう惑星への占領も考慮すれば、マルティナに住む国民は直ちに避難させるべきだ。

 では一体どこに?


「ヴェンツェル自体、入植が行われてまだ間もない土地でございますので、2500万人口を退避させるだけの船舶そのものは、軌道上にて既に確保されております。本来、評議会議長によって発令される避難命令は自然災害に限ったものとされているのですが、丁度この法令改正審議をしている最中での事態でございまして…」


 そう、避難するなら行く先は宇宙しかない。2500万人を星系から避難させるに足る航宙艦そのものも、既に確保されているのだ。

 もっとも、航宙艦の準備は戦時を想定して行われたものではない。あくまでそれは惑星における自然環境の急変に対応するためのシロモノなのだ。宇宙時代におけるテラフォーミング技術の発展を以てしても、そこに入植した人類に襲い掛かる自然環境全体を完全に制御するのは不可能であり、大火山の噴火や予期せぬ大地震、迎撃網をくぐりぬけた隕石など、その脅威は枚挙にいとまがなかった。特に都市の防災対策が万全ではない入植初期の惑星においては、惑星に居住する住民全体が避難するのに必要な船舶の確保が領邦貴族には義務付けられていた。それはヴェンツェル星系も例外ではない。軌道上のドックに1500m級と2000m級の輸送艦がそれぞれ1000隻ずつの計2000隻が待機状態にあることは既にデリー参謀から報告されている。


「若様、この状況における国民の処遇につきましては…」

「分かってるソレリア。原則として避難させるのが公爵家としての立場だ。捕虜の扱いに関する取り決めもできてない相手に国民を任せるわけにはいかないからな」


 心配そうに声をかけるソレリアに対し、私はあくまで堂々とした態度でそう答えた。国民の権利を守ることが栄誉とされる領邦貴族として、それが当然の振舞いであるからだ。それに、事前に公国軍統合参謀本部によって策定された(そして前提が狂って最早しっちゃかめっちゃかになっているであろう)防衛計画においても、戦時における国民の避難は領邦貴族の重要な責務として明記されていた。

 しかし、私のそういう確固たる意見を目の前にして、デリー参謀とセンディ補佐官の浮かべた表情は複雑そのものであった。

 

「単刀直入に申し上げます」


 本当であればもう少しオブラートに包んだ表現もできなくはないのであろうが、迂遠な表現を用いすることを迫りくる状況が何よりも許していなかった。立ち上がったデリー参謀は正面に私を捉え、問題の所在を極めて明確に表現した。


「宇宙戦力が壊滅し、また大気圏内における制空権を敵に確保された以上は、マルティナ・シティに居住する全2351万の国民が実施する避難の安全について、軍部としてはお約束できません」

「…………まぁまぁまぁ」


 星系議会がくすぶっているのもそれが大きな原因だろう。百歩、いや万歩譲って宙域での航行はまだ大丈夫だとしても、普通に考えて、悠々と敵の航空機が飛んでいる中、作業としてはすさまじく無防備な軌道往還輸送をやるのは正気の沙汰ではない。護衛し、避難作業にもあたる軍部としては正直に言って責任のとれる話ではない。そりゃあ、やれと言われればやりますよ、けど。という態度を示すのもしょうがない話ではあった。


「避難させるにしろ、させないにしろ、双方の言い分は分かる」

「若様…」


 何かしら言いたそうなソレリアをここはいったん静止させ、私は口を開いてセンディ補佐官に疑問をぶつける。


「議長命令でなんとか避難命令を出すよう法改正を決したいが、避難そのものが危険であるとして少なくない議員がそれに反対している。まぁ、そんなところか」

「仰る通りでございます」

「議長自身はなんと」

「…可能な限り、この惑星から脱出させるべきだというのが議長のご判断です」

「ううむ」


 顔を手の平に載せて考え込む態度を作った私に対し、部屋のそばにて控えていたムスルベス上級大尉が、意を決した面持ちで私の方に駆け寄った。

 

「おい、君!!」


 咄嗟にデリー参謀が静止しようとするが、あいにく体格の差は如何ともしがたい。隆々とした筋肉を振るって静止を突破した上級大尉は、膝をついて頭をたれ、私に対してその内心を打ち明ける。


「どうか!!議会に対して公子閣下より直接、避難に関するお言葉をお願いできませんでしょうか!!か、閣下のお言葉さえ賜ることが叶いましたら、反対する議員らも避難することに同意するはずです!!どうか、ご高配のほどを!!」

「上級大尉!!場を弁えろ!!」


 デリー参謀の叱責を無視したその歎願は、本人の体格も相まって見る者に対し充分に迫力を与えるものであった。しかし、さすがに見過ごせないと判断したセンディ補佐官も周囲に控えている兵士たちにムスルベス上級大尉の拘束を指示しはじめる。


「待った待った。補佐官、ちょっと待って」

「閣下、しかしこれは…」


 ムスルベス上級大尉に対してやってくれたなぁという視線を鋭く飛ばすセンディ補佐官の不満顔を押して、私は腰を落とし、目の前で首を垂れる一軍人に対し声をかける。


「君、兄弟は?」

「…兄と妹がそれぞれ」

「その二人は今どこに?君と同じ軍人じゃないのか」

「両名とも軍人です。現在、防衛艦隊にてその任に当たっているはずです」

「国民を避難させるということは、すなわち首都を放棄することだ。これは、ヴェンツェル星系における軍事生産を停止させることを意味する。前線で戦っている将兵たちの活躍を、ともすれば無為にさせる行いであるのだが。そのことについて、分かっているのか」

「承知の上でございます」


 上級大尉の行いに気を荒立てたデリー参謀とセンディ補佐官も、その発言によって当人の言わんとすることにおおよそ察しをつけたのだろう。無理に静止させることをせず、私の後ろに立ってその経過を見守る態度に移った。


「軍人としての身の上である以上、危険もまた承知の及ぶところでございます。…しかしながら、それとて守るべき国民の安全を願ってのこと。その国民が、人民連邦の捕虜として扱われることになってしまえば、それこそ前線の将兵たちの労苦を無為に帰する行いに相当するはずです。()()()()()()にとって、それは、あってはならないことなのではないでしょうか!!」


 張り詰めた空気感の中、倍以上の年齢と体格を持ちながらも、なお私にこい願う彼から視線を外し、私は重い口を開いて、言った。


「公爵家の名誉について、一介の軍人から口を挟まれる筋合いはない」


 その言葉を放った刹那、参謀と補佐官はそれぞれ顔を落とし、上級大尉の表情は青ざめ、ソレリアの態度は固まった。

 …第2護衛艦隊の参謀たちもそうであったが、自身の意見を押し通すのに公爵家の名誉を軽々しく口に出さないで欲しいものだ。


「それはともかくとして」


 再び振り返った私はムスルベス上級大尉の顔を見下ろしながら、出来るだけ言葉を選びつつ放つ。


「将兵たちの労苦を思えば、卿の言葉も至極もっともだ。国民を守るのは軍人と官吏と貴族がお互いに協力して行うべき事柄であるからな」

「で、では!!」

「あぁ。私も多少は骨を折るとしよう」


 ほほ笑みながらその言葉を紡ぎ、ムスルベス上級大尉は安堵の涙を流した。顔を下げながらのことであったので、私がその様子をうかがうことはできなかったが、






「ソレリア。ちょっと来て」

「かしこまりました」


 正直なところ、私は最初から国民を避難させることだけを考えていた。宇宙戦力は確かに壊滅状態にあるが、惑星の公転の関係上、ヴェンツェル=2の方が多少航路帯と近い距離にある。送られてくるであろう増援の宇宙戦力と合流さえできれば、宇宙空間においてはそれほど深刻な危機はあまり考えづらい。


「今から話す内容は他言無用だ。いいな?」

「ノイエクラーテ家の名誉に誓います。若様」

「結構だ」


 周囲の者には声が聞こえない部屋の片隅にソレリアを導きよせ、私は抑えた声でそう確認をとる。

 さて、この場合において、気にするべきはヴェンツェル=2の上空をわがもの顔で飛び回る航空機である。おそらく、人民連邦も出来るだけ少ない手数で惑星を制圧する目的から空中空母などというシロモノを送り込んできたのだろう。…そうそう。対宙施設群を壊滅状態に追い込んだ謎の攻撃手段を敵は持っているが、あれを喰らえば避難しようがしまいがどっちにしろ死ぬことには間違いないのでこの場合は考えないことにする。

 そこで、例の美人スパイ(ただし顔は知らない)との密約が効果を発揮するわけだ。


「…本当、でございますか?」


 ヒュルトゲンから放り出され、帝国軍のスパイと秘密の潜水艦の中で密約を結ぶ。ソレリアじゃなければ信用されない話であったろうし、またソレリア以外の者が聞けば帝国の対応の胡乱さに顔をしかめたはずだ。


「こ、公爵家領地に潜水艦を持ち込むなど言語道断の振舞いでございます!」


 訂正。ソレリアであっても顔はしかめます。抑えた声量ではあったが、それでも美人スパイに対する怒りを露わにしていた。


「他言無用だ、いいな?」

「か、かしこまりました」


 どこか釈然としない気持ちながら、それを無理やり忠誠心で呑み下したような表情でソレリアは応じた。


「まぁ、それにしても潜水艦はヤバいよね。さすがに」

「それよりも…」

「ん、なんだ?」

「いえ、なんでもございません」


 少し居心地が悪そうに、ソレリアは視線を横に向けた。


「とにかくだ。避難そのものは実施する。実施せねばならない。ソレリアにはそこのところの事情を詳しく知ってもらう必要があったからな」

「事情については承知いたしましたが、議会への説明はどういたしましょう?ヴェンツェル子爵とも連絡がつかない状況ですので、取れる手段は限られると思われますが…」

「よくぞ聞いてくれた」


 さすがは気心のしれた家臣である。私の考えを先取りし、私が言いたいことをまさに聞いてくれる。


「考えはある。彼女にはそれなりに立ち回ってもらおう」


 私が目線を移動させ、つられてソレリアもその方向に顔を向ける。


 二人の視線の先には、自分の出番は終わったものと決め込んでのんきに出された茶をすすっていたコーネリア・ツィアマト王女殿下がいた。


 

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