第46話 年功序列っていろいろ批判はあるけどなんだかんだいって公平なやり方の一つではある
「本当に大丈夫なんですか?現在の当該空域は無人と思われる大気圏内航空機による航空優勢下にあります。私はあくまで管制官としてパイロットの安全を確保する義務が」
「私にとってこれが仕事ですので、どうぞお気になさらず」
テオドラ・フォン・フロイツハイム一等領邦騎士は、あくまで丁寧な口調ながらも追いすがる相手に有無を言わせぬ雰囲気でそういった。
「いけません!!」
しかし、なんという職務意識であろうか。薄く作られたパイロットスーツに包まれた手首をつかみ、軌道宙港における航空管制官はテオドラの行く先を阻む。
「管制官。あなた、今何をなさっているかわかっているのですか?」
振り返って向けられた視線のあまりの鋭さに、「ひっ」と声を上げた管制官はしかし、なお強情な態度でテオドラの腕を引っ張る。
「お願いします!!公子様の件であるのは伺っていますが、しかし…むぐっ」
首都惑星の衛星軌道上に設けられた宙港は、広いとはいえ立往生を食らった人たちも多くいる。そんな場所で無神経にアルバート公子の安否について大声を上げる無神経さに対して、テオドラの対応も目に見えて粗が目立ち始めていた。
「良いですか管制官?アナタは職業意識でもって私の安全について確保するべきであると考えられておりますが、アナタの今の職業が一体どなたからの恩寵の賜物であるか考えたことはありますか?そもそも私の発着許可は既にここの宙港の責任者からいただいております。状況次第ではアナタが大事にしている職そのものの安否が問われることになるのですよ」
周囲には聞こえないようひそめた声であったが、特徴的なパイロットスーツを着込んだ人物が、か弱い管制官の女性を壁に押し当てているさまは否応なしに周囲から注意の目を引く。しかしそれすら今のテオドラにとっては些細な問題であった。
「致し方ないですね…。それでは」
一瞬のことであった。あまりに自然な動きであったため、状況把握が遅れそうになったものの、しかしテオドラの本能に近い部分が危険の警報を脳内に発することでかろうじてそれを逃れることができた。
「避けましたか」
丁度手の平に納まるくらいのサイズの刃物。人を殺すよりはむしろ、手ごろに傷つけて相手の抵抗力を奪うよう特化したものであるそれが、テオドラのほほをかすめた。
「っく!!」
壁に押し付けた態勢を生かすため、そのまま右靴の底を相手の腹に蹴り当てようとするが、身体が一瞬後ろに下がった隙をつき、管制官の女性が下に重心を下げてその体勢から脱する。
『早っ』
後ろに回って首を掻き切るつもりだろうか。即座に身体を左に動かして相手の照準から逃れる。
しかし相手はそのことも予想済みだったのだろう。身体の姿勢を力の入り方から自身の刃が届かないことを悟った管制官はすぐさま左足を軸にして静かなターンを決めると同時に強烈な踵落としを水平に保ったままテオドラのわき腹を直撃させる。
「うぐッ!!」
喰らった反射で思わず力を込めてしまい、その場にとどまってしまったのが間違いだった。隙を見せたテオドラに対して管制官は左手に力を込めながら背中に押し当てつつ、右手を一瞬閃かせて首からほほを浅く切りつける。
「分かりました。降参します」
不利を悟ったテオドラの申し出があともう一歩遅ければ、異様な騒ぎに気付いた周囲の人物が騒ぎ立てるであろう。そうなれば自身の行動にも支障が出かねない。素早く状況を判断した上の苦渋の判断だった。
「私をどうするつもりでしょうか?興奮に駆られて管制官に難癖をつけた厄介な乗客ってことにでもするのですか」
「それが一番穏便ですからね。もうすぐ警備の者が来ます」
耳元でささやくその声はさっきまでとは異なる怜悧な響きを保っていた。
「本題に入らせていただきますと、取引をお願いしたいのです」
「取引ですか…」
政治的な立場を堅持するのであれば、悪魔のささやきよろしく話しかけてくる相手の言葉など、突っぱねてしまうのがあるべき姿なのであろう。
帝国軍中央統帥会議事務局第6部の存在は、帝国議会と並び、領邦貴族に取って恐怖の対象として長年君臨してきた。当然である。外敵の存在を認識していなかった帝国軍が情報組織を持っているならば、その矛先が向かう先は宇宙海賊か、領邦貴族である。原則として公開された行動を実施する帝国議会とは異なり活動の範囲は限定的であるが、その分陰湿かつ巧妙なたくらみに長けているともっぱらの噂である。
そのような相手に対し、貴族の意地を見せたところで虚勢にしかならないことを私はあくまで理解していた。
「お話だけでも伺っていただければありがたいのですが」
「分かりました聞きます聞きます!!だけどひとまず聞くだけですからね!!」
銃口を突きつけながらのお願いがあってたまるだろうか。いくら貴族としての記憶を完全に回復した私であっても、さすがに怖気づにはいられなかった。
「あなた方と同じく、我が帝国軍は人民連邦軍の情報を欲しています。それにご協力いただきたいのです」
「…コーネリア王女殿下による情報提供のことですか。それでしたら供与のお約束自体はさせていただいているはずですよ」
「外交ルートを通じたものも結構ですが、それはあくまで政府筋にとって効果を発揮する類のものです。我々が得たいのはより一層実戦的で、生きた情報でございます」
「…あなた方は、今この状況を静観し、手出しをなさらないということですか」
「話が早くて助かりますわ」
ハツラツとした返答に対して、しかし私は心がささくれだすのを感じていた。わざわざ貴族領有の惑星に潜水艦を持ち込んで、いざというときに助ける訳でもなくただ情報収集のための静観をきめこむだと?
「汚いやり方。そういうように感じますが」
「あいにく、帝国軍に属する我々と領邦貴族に連なるアナタでは着眼点が異なります。星系防衛を第一義とする領邦貴族の価値観であれば、あるものを使って迫りくる敵を遮二無二撃滅するのがあるべき姿なのでしょう。しかし、より長期的な視点を重視する我々は異なります」
「長期的で有用かもしれませんが、政治的には問題がありそうですね」
「フフ。口の利き方には少々問題がありますが、おっしゃることはごもっともです。将来が楽しみですね」
「口説くならマスクを外してからお願いします」
せめてもの小粋なジョークに対して、相手は無反応であった。そのままでは私が滑ったようになるのでせめて言葉をつなぐ。
「わざわざ私の許可を取らずも、黙ってやればよい話ではないですか。わざわざ遭難しかけている私を捕まえてそこまでお願いするということは、内心ではその問題点を理解されているということでしょう。…残念ながら私は帝国軍の代理人として動くつもりはありませんよ」
「もちろん、こちらとしても全く無反応ということは致しません。それゆえの『取引』ですので」
ただの貴族の子せがれという認識を多少改めたのか、椅子に縛られたままの私に彼女は近づき、優しく言葉をかける。
…あ、ちょっといいにおいする。
「我々とて帝国の尖兵たる身。ゆえに無辜の国民がむざむざと戦禍に突き落とされるのを看過できません。そこで、現在我々が搭乗している帝国軍のカンナミ級反物質駆動潜水艦の出番になります。本艦が装備している対空兵装を用いれば敵の空中航空機母艦に対して痛撃を加えることが可能となるでしょう」
「帝国軍が、領邦貴族家の領内において武力行使ですか…。まさか」
嫌な予感が、する。
「えぇ。帝国軍が行うのであくまで『静観』であって『傍観』ではありません。ゆえに、緊急時における武力行動を公子である閣下に『黙認』していただきたいのです」
ようやく話が見えてきた。考えてみれば、いや、考えなくともひどい話だ。勝手に兵器を持ち込んでおいて、やることと言えばこちらに断りのない情報収集。いざとなれば支援するというが、そのことを『黙認』せよ、ときたものだ。
「無理、と申し上げたらどうですか?」
リスキーな行為ではあるが、私はあえてゆさぶりをかけてみる。
「そうですね」
手をマスク越しに顔に当てて、女性は考え込む仕草をするが、2秒もたたないうちにマスク越しでもわかるにっこりとした表情を再びこちらに向けていった。
「それでは致し方ありません。『お願い』を改めて『命令』を行うまででございます」
事前の打ち合わせでもしているのだろうか。それまでおとなしかった兵士たちが一斉に私に向けて銃口を向ける。…ダメだ。やっぱり失敗。
「お気づきですか?現在閣下の安否を知る者は公的には存在しません。緒戦にて、敵による強襲を受け公子閣下は哀れ悲劇の戦死…。我々がそういったシナリオを描くこともまた可能なのです。考えようによっては、そちらの方がむしろ手っ取り早いとも言えますね」
「…分かりましたよ。あなた方の行動を認めます。…その代わり、いいですか?『情報収集』とやらが終了次第、敵への迎撃を直ちに行っていただきます。万が一国民への被害が拡大するようであれば、私の方でも相応の対応は取らせていただきます」
「結構です」
くるりと背なかを見せ、女性は満足そうにそういった。完敗だ。まったく相手の手のひらの上であった。
「確認のため申し上げておきましょう。もし仮に、ここでの行いを公表された場合、公爵家の威信にも傷がつきかねないことをご承知ください。…海の中に潜水艦を仕込まれていておいてその事実に気づかなかった件について、不手際という自覚があればなおのことでございます」
「えぇ…。分かっておりますよ。…共通の秘密があった方が、お互いの関係が長持ちするといいますし」
「私めを口説く際は、どうぞ勤務時間外でお願いいたします」
余裕を醸し出しながら、女性はそう言った。
出会ってからこの短時間でこれほどまでに好感度に落差が出る人物は初めてだった。
防衛艦隊による最初の砲撃から5時間後。既に、その戦場においては敵と味方という区別すら生易しいものとなっていた。追うものと追われるもの。厳然な生存競争のごとき命運が防衛艦隊を今にも切り裂こうとしていた。
「右舷展開中の敵、依然接近中!!」
「そろそろ機関が焼き切れます!!出力を押さえてください!!」
「防御出力をケチるな!!死にたいのか!!」
「エンジンの推力を止めるんじゃない!!狙い撃ちされるぞ!!」
「馬鹿野郎砲撃の出力を抑えるんじゃない!!殺されたいのか!!」
怒号と悲鳴と困惑と動揺の四か国連合軍に支配された防衛艦隊司令部は、しかし「諦念」という最後の一線を踏み越えないことについて驚異的な粘りを見せていた。現在防水陣形を展開しつつ、戦場からの離脱をなお成し遂げようとしている防衛艦隊は、上と下と右と左の全てを敵の少数集団に囲まれながらも、旗艦である『ザクソニア』を中心に据えながら壮絶な撤退戦を演じていたのである。この艦隊陣形を保つには、攻撃出力と航行出力を極限まで抑えつつ、電磁バリアの展開に全力を注ぐ駆逐艦部隊。電磁バリアの形成に細心の注意を払いつつ陣形が乱れないよう各所に指示を飛ばす中級指揮官。艦隊中央にあって数少ない砲打撃力を生かしつつ周囲の敵を牽制し、場合によっては撃破をも担う大型艦部隊。そして、各艦に残されたエネルギー総量と電磁バリアの展開具合を勘案しつつ、艦隊の進路と攻撃目標を決定する艦隊司令部という有機的に結合されたチームワークによって成立していたのである。
「進路そのまま!!次の目標はここだ、大丈夫か艦長?」
「ここへきて無理を許さない閣下では無いでしょう。やってやりますとも」
間違いなくデーネル提督はこのとき生涯において最大の働きをみせていたことだろう。全てが万全とはいかなかったものの、敵兵力の性質を的確に見抜きつつ、各部隊に的確な指示を飛ばすことを確かに彼は成功していた。
そして何より防衛艦隊は今なお士気を保つことに成功していた。この事実は大きい。
「砲術長。確認を」
「分かりましたから、早く送ってください」
艦長の言い分もそこそこに、『ザクソニア』が装備するレーザー主砲を始めとした大型艦の火力を管轄する砲術長は、目を血走らせながら送られてきたデータを走査する。
「こちら中央射撃管制、各艦へ通達。次の射撃目標を共有する。電磁バリアの解除用意急げ!!」
『こちら戦艦ノルトリンゲン射撃管制!!リチャージに不具合発生だ!!管制に合わすまであと40秒待ってくれ』
「こちら中央射撃管制、ノルトリンゲンへ。状況はこちらでも把握している。落ち着いて行動に当たるように」
『ザクソニア』を中心とする砲撃火力の管制はひとまずうまくいっていた。砲撃のタイミングで特定部分の電磁バリアを一時解除するリスクはあるものの、それに見合うだけのリターンは既に得てきている。そして防衛艦隊は今のうちに出来るだけ良いリターンを得続けなければならなかったのだ。
「各艦リチャージ完了を確認。電磁バリア、限定解除を確認。砲撃よう…」
しかし、運命の女神はあくまで気まぐれだ。砲術長の言葉を遮り、敵部隊から放たれた一条の熱線が正確に『ザクソニア』を狙ってきた。
金属装甲を持っていたとしても、本来さえぎられるはずであった電磁バリアを素通りして艦に着弾するレーザー主砲はすさまじい破壊力を発揮する。実体弾ではないため着弾の衝撃そのものはないものの、レーザーの熱で融解を通り越し蒸発した金属装甲が暴発し、それまで保っていた艦の方向進路を揺るがす。艦全体から見ればほんのわずかな動揺ではあるものの、内部の人間からすれば大地震もいいところである。人工重力に対応するため各々が装備していた磁力靴が、この場合仇をなす。
「…くっ。損害報告!!」
「き、機関部は異常なし!」
「アビオニクス系統に損害が…、ですが、対応可能です!」
「砲撃中止!!電磁バリア再展開ののち、砲撃手順をもう一度確認しろ!!」
「ふぅ。どうやら、まだまだ行けるようだな。なぁ参謀長」
予想のほか深刻でなかった被害に対し、ひきつる口角を無理に上げたデーネル提督がそう呼びかけた先。今度こそ提督の表情は固まった。
「提督…。申し訳ございません」
何故謝るのだ、シェーンレーベ参謀長。誇り高き公国軍が、全身を強打して大量の血を流す負傷者を邪険に扱うとでも思ったのか。
強気交じりの慰めの言葉は、しかし提督の口から紡がれることは無かった。
「参謀長負傷!!軍医を呼べ!!」
周囲の人物がかろうじてその言葉を張り上げる。
現代の医療技術を以てすれば、大抵の負傷者は命を落とさずに済む。しかし、それは安全な環境と砲撃のない空間があってこそだ。それに、無重力下における負傷は身体へのダメージがより一層大きい。
「参謀長、お気を確かに!」
医療技術者を示す腕章をつけた軍医と衛生兵がすぐさま駆けつける。医療スタッフが無事なのは不幸中の幸いであるが、正直言ってその先はシェーンレーベ参謀長の持つ運命しだいである。処置の結果がどうであったとしても、軍医の責任に帰せられることは無いだろう。
「まったく。年寄りばかりが生き残ってどうしろというのだ。最近の若い者は」
怒りを何かにぶつける気力も体力も遥か以前に失っていた老人が、しかしそれ以上悲嘆にくれる余裕を戦場は許さなかった。