第44話 経験は時に洞察の妨げとなるが、寄る辺ない際にはただ一つ頼ることのできる貴重な財産にもなる
「不気味なものだ」
渋面を浮かべながら、6,784隻を数える艦船を束ねるデーネル提督はつぶやいた。
「なにか不手際でも…」
艦隊運営の経験よりもむしろ生家の格式を理由にしてその地位にあるシェーンレーベ参謀長が不安そうな表情で尋ねた。
「逆だ。うまくいきすぎている」
作戦(といっても、敵の集団にめがけて主砲の斉射を打ち込もうとするだけの単純な艦隊機動であるが)じたいは、順調に進んでいた。現在、防衛艦隊は陽動兼強襲役を務める艦載航宙機部隊を後方に据えつつ、光速の12%に及ぶ速度で敵艦隊の下方に食らいつこうとしていた。あくまで予想に過ぎないが、1時間もすればお互いに砲火を交えることになるだろう。
「こういう感覚はどうも苦手だ。おおよそこういう時、我々が敵の術中にはまろうとしているのだが…」
「しかし、部隊を後退させるわけには」
「その通りだ参謀長。せめて一撃でも食らわせん限りは退けんわい。…して、敵の陣容は分かったか?」
「はい司令官。丁度観測が完了いたしましたので、端末に転送いたします。パッシブ観測のため正確性にはやや欠けますので、ご承知おきください」
80歳を超えるロートルと言えど、基本をおろそかにすることはしない。いや、基本を重視するからこそ、彼は軍人として長年に渡って生きてこられたのだ。もっとも、現在正面にいる敵が己の経験が通用する相手ではないことを彼は承知していた。であるからこそ、今自分の持てる力を尽くし、敵の出方を探らねばならない。思えば最後の最後で貧乏くじを引かされたものだ。
そんなことを考えながら、かろうじて観測情報から得られた敵艦隊の構成について彼は目を通していたが、さすがにある部分について引っかかる部分が存在した。
「…参謀長。どう思う?」
「小型艦が多数、いや、大多数でございますね」
デーネル提督がもつタブレット端末を覗き込んだシェーンレーベ参謀長は、少し考えこんだ表情でそう答える。
「敵艦隊が擁する数自体は当然こちらを上回っている。がしかし、小型艦艇がこれほどまでに多いのは不可解であるな」
「考えようによっては、我々が敵を必要以上に恐れている可能性もあり得ます。我々の戦力を敵が過小評価したという可能性も…」
「魅力的であり、また考え方の一つとして尊重されるべきあっそうではあるが、卿の考え方はともすれば目の前の現実を否定せんとするものであるな」
「申し訳ございません…」
シェーンレーベ参謀長は少し肩を落としてそう返す。自身がどういう事情で今の立場にあるのか、少なくとも認識はしている参謀長自身にとって、はるかに年上であるデーネル提督は単なる上官というよりもむしろ教師などといった存在に近しかった。
「いや、客観的な情報に基づきつつ敵の戦力を主観的にイメージするのは大事だ。あくまで現実が想像よりも偉いのだということ忘れさえしなければよい」
下手をすれば孫くらいの年齢である部下に対し、出来る限りデーネル提督は丁重な姿勢を心掛ける。
「それにしても極端な編成であるな。大型艦が中核になってはいるが、やたら小型艦が多いうえに中型艦がほぼ皆無だ。これが敵の洗練された軍事科学の成果とやらなのか」
光の速度を以てしてもお互いの距離が遠すぎる空間にあって、艦から発するアクティブ型のレーダー索敵は、宇宙空間の自然電磁波から反射されたものを解析するパッシブ型のレーダー索敵よりも即応性に欠ける欠点があった。一方でパッシブ型のレーダー自体は肝心の索敵精度にやや問題があるのであるが、デーネル提督はそのパッシブ型レーダーの信用性を本気で疑いかねないほどに敵艦隊の陣形について違和感を覚えていた。
「いかがいたしますか、提督」
本来であればヴェンツェル=2の軍大学にてじっくりと研究したいところであるが、戦況は学者の精密さではなく武人の果断さを求めていた。また、戦場の修羅場自体には慣れてないであろう参謀長に不安感を伝染させるわけにもいかない。デーネル提督は自身のうちに湧いた様々な疑問にひとまず蓋をしながら、目の前の事態について改めて正視する。
「凹陣形にて三連斉射を実行する。射撃地点は事前の通達通りだ」
「凹陣形…。よろしいのですか?」
参謀長は慣れていないがゆえに態度そのものを慎重に保っていた。それゆえに提督の判断に対して軽い驚きを以て迎えた。
「構わん。いかに敵に対して攻撃を与えうるのか。そのデータを取ることが今は重要だ。それに尻に火がついて撃破される直前になって『あぁせめて最初に強烈な一撃を加えておけばよかった』と後悔するのは嫌であろう」
「では、航宙隊による同時攻撃も実施するということで」
「結構だ。ただし、損耗がひどいようであれば適宜柔軟に撤退するよう伝えておくべきであるな」
この時点において、デーネル提督の決断はあくまで攻勢を期したものであった。
「敵砲撃来ました」
冷静な声色で、宙域旅団司令部内のオペレーターは告げる。敵のデータを欲しているのは人民連邦軍とて同様であった。公国軍と異なるのは、敵に対して先制攻撃を許す程度には軍事的優位についての確信を持っていた点にある。
「損害報告を」
宙域野戦軍の前衛を担うジェン中督指揮下の旅団は、敵の砲撃を真正面から受け止める立場にあったが、オペレーターに対して発せられた声色も、同程度には落ち着いていた。一般的な声色よりも低く響くその声は、一層の冷静さを他に対して与えていたのだが。
「各大隊とも、損害はごく僅少とのこと。装甲部隊との連携も上手くいっているようです」
「結構」
短い返答は彼女自身の性格故でもあるが、現状において防戦を強いられていることによるストレスも関係している。砲火の中に自身の存在意義を見出すタイプではないと彼女自身自負しているはずなのだが、ひょっとして緊張しているのであろうか。
「戦いたいな」
自身の感情が鬱屈の傾向にあると判断した彼女は、ひとまず自身の感情をポロリとつぶやいた。
「閣下。今はまだご辛抱ください」
どうやら傍らのグオ参謀長に聞かれてしまったらしい。やはり余計なことは口に出さないに限る。
こういうことの積み重ねによってジェン中督が『捉えどころのない人物』として周囲から取り扱われるようになるのであるが、彼女はそのことについて自覚を持っていなかった。
「敵はいまだに陣形を保っています。噂に聞く高練度ですな」
参謀長はあくまで善意に基づいた評価を公国軍に対して行った。確かに、高速で我がほうの下から上へ駆け抜けながら砲撃を行い、それでいて依然各艦同士の距離を保ち続けるのは並大抵の努力ではない。そのことについて、ジェン中督自身も素直に称賛するところであった。
「第二陣来ます…!!早い、敵の航宙機!!」
敵からの砲撃を受け止めたことで一瞬集中の糸が切れたらしいオペレーターが、予期しなかった第二波については動揺を隠し切れなかったらしい。
現在ではもっぱら宇宙海賊を警戒するために用いられる航宙機であるが、艦隊に付随する高機動戦力として重用する指揮官も帝国には多い。この場合、公国軍防衛艦隊が投入したのは装甲竜騎兵団編制をとる対艦攻撃に特化した部隊である。機体の真下に巡航艦級の威力を持つ単発使い切りのレーザー砲を装備し、射撃直後に砲ごと投棄するという潔い運用をすることで有名である。運用次第でその攻撃力は艦隊の斉射に匹敵するが、敵への混乱を企図した時間差攻撃に対してしかし、公国軍は期待以上の戦果を上げられなかった。
『クソッ。チビりそうだ』
「ナイト11。漏らすなら外でやってくれ」
『こちらルードオーニュ。各機帰投命令が出た。各編隊長は秩序を保ちつつ撤退を急げ』
「あら、もう撤退か。淡白なもんだね。敵の航宙機部隊は出てこないのか」
『こちらルードオーニュ。ナイト1、君が良ければ敵部隊の偵察を任せてもいいぞ』
「ッチ。こちらナイト1。つまらないジョークは有害だ。失せろ」
言うだけ言うものの、やはり無事で帰るに越したことは無いテルミナート中佐はそのまま自身の編隊機に指示を飛ばしながら機首を巡らせる。
普段にはない大所帯のため、衝突の危険については肝を冷やしたが、さすがに訓練された集団である。イワシの大群のごとく金属の光を反射させながら整然とした動きで各機が旋回軌道を取る。
当然ながら機体の中から敵艦が見えるわけでもない。管制機の指示に従いつつ空中に向かってレーザー砲を打ち込み、決められた手順で装備ごと投棄するだけの作業であった。テルミナート中佐が若干の拍子抜けな感情を覚えるの当然といえば当然であった。
『こちらルードオーニュ。各編隊に通達。艦隊司令部より敵の概略的な位置情報に関するデータが送られてきたため共有する。敵艦隊の位置把握について務めよ』
一方的なその言葉とともに、パイロットの視界から邪魔にならない範囲において、友軍と敵軍がお互いに簡略化された状態で表現された模式図が浮かぶ。模式図のなかで、緑の塊が友軍、赤い塊が敵軍だ。そして我らが航宙機部隊は白い点の集合体として表れている。戦況はリアルタイムで動きつつあるようで、横長の赤い四角形を保っている敵の右上を緑色の四角形が駆け抜けようとしているのが手に取るようにわかる。もっとも、あくまで模式図であるから実際の状況は異なるが、こうして目に見える部分だけどもだいぶ勝手が異なってくる。
「こちらナイト1。各編隊機、送られてきた模式図を確認しろ」
『こちらナイト4。隊長、第二次攻撃は実施するんですか?みたところあまり効果はないようですが』
「良い質問だナイト4。敵がダメージを喰らった部分は砕けるように見えるはずだからな。美しい四角形を保ったままの敵にもう一度攻撃を加えるかは上の考え方次第だ。よって俺に聞かれても答えられない」
ハハハ…。という複数の声が通信端末から響く。正直なところ、今身体が無事でいられているのは。たまたま敵の気分がそうだからとしかテルミナート中佐には考えられなかった。出来ればさっさと帰りたい。それがこの場の航宙機乗りの大半の意見であっただろう。
『ん?こちらナイト8。隊長、模式図を見てみてください。どうやら敵にダメージが入っているようですよ』
「なんだと?」
声につられて模式図を見ると、確かにそうだ。赤い四角形がそれぞれ小さなブロックへと細切れになっていくではないか。なんだ、これでダメージが入るなら早い話だ。それだったら第二次攻撃に参加しても…。
『こちら、第一次攻撃部隊指揮管制司令機の『ブラウェヒューゴルス』!!緊急につき各編隊長機に直接連絡する!!よく聞けよ』
だしぬけに耳元のスピーカーががなり立てる。周囲のパイロットにとってもだしぬけであったのだろう。航行慣性をオフにしているいくつかの機体がふらついたのが機載レーダーに移った。
「なんなんだ一体…」
テルミナート中佐のつぶやき越えは、耳元のマイクががなり立てる声量によってかき消された。
『艦隊への帰投は一時中断する!!各編隊はそれぞれの指揮管制機に従い散会せよ!!散会する方向については各指揮管制機に通達する!!いいか、各隊同士の密集状態は今非常に危険だ!!かといって編隊からはぐれた機体の回収は困難だからそこだけはくれぐれも注意しろ!!』
「一体敵は何を…」
受け身の状態にある敵艦隊の右上を通り抜け、その後方に食らいつこうとはしたものの、さすがにその試みが防がれたのは予想の通りであった。しかし、いきなりこちらの予想の数段階上の行動を実施するとはさすがに思わないだろう。
「バカな!?戦闘陣形を放棄するなど、敵は戦術をしらないのか?」
損害が急拡大する現状を前にして、下手をすれば自身がもつ不明さをさらけ出しかねない発言であったが、シェーンレーベ参謀長の感想は確かに多くの公国軍人の同意を得ていたことだろう。
「陣形をわざと崩したか。いや、そんな生易しい話ではない…」
デーネル提督は一方でスクリーン上に映された敵艦隊の動きを見ながら思わず歯ぎしりした。ヒントはあったし、想像も不可能ではなかった。しかし、自分は自らの経験に溺れて革新的な発想を自分の中に押さえ込んでいてしまっていた。後に残ったのは後悔と、自身の無能さに対する呪詛の感情であった。
「なるほど。高火力高機動の少数部隊編成による散兵戦術か。どうやら敵の軍事科学は実際に我が軍の数歩先を言っているらしい」
さて、自失してはいられない。デーネル提督は唖然とする周囲に対して鋭く指示をとばしながらその正気を取り戻しにかかる。こういった予想外の自体に対し、あくまで冷静さを取り繕いつつ戦線を整理するのが、歳ばかり重ねた自身の役目であるということを心得ながらの行動であった。