第43話 英雄としての運命は、万人に対して開かれている
エウレカ・ザニャーチャ上等兵はこの時19歳。兵役を義務とする人民連邦であっても、基礎教育年限を下回って入隊した彼女の存在は珍しいものではあったが、その経緯自体には人民連邦の社会における独自の事情が背景にあった。
『ザニャーチャ』という姓は、彼女の父と母のどちらのモノでもない。
共に人民党員の高級幹部であったエウレカの両親は、出産を機に母親が党員資格を一時返上した。これは両親の内の片方が家政労働を担う上で行使される休業形態の一種であり、労働者の権利と人口の拡大を重視する人民連邦にあって、そういった福利厚生は当然認められうるものであった。また単純な労働力の配分から言っても、両親の内のどちらか一方が家政労働を担い、もう一方が非家政労働を担うのが効率的とされている。そして一般的に、この分担は男女間の話し合いと合意のもとで実施されるのが普通である。場合によっては専門の家政労働者を雇い入れるケースもあり得るが、実際の血縁者が子の養育を担当するのをよしとする気風が党内には存在していた。個々人の全人格的な情意考課に基づいて人事査定を行う人民党内にあって、これは無視できない暗黙の了解でもあった。
順調に出世の階段を上る両親にとって瑕疵があったとすれば、新生児でしかなかったエウレカに対して過剰な期待を抱いていたことだろう。この場合、遺伝子というのは確かに人生における重要なファクターではあるが、決定的な要素とは為りえない。むしろ、重要なのは周囲が提供する自由でのびのびとした生育環境であり、そう言った類のものを人民連邦という国家に対して期待するのはいささか強欲に過ぎていた。
エウレカの両親は、自身の持つ才能の類が努力の結果得たものであると信じていたし、また周囲の人間たちもそのことを積極的に認めていた。星間資本家とそれに連なる腐敗政治家らが富と権力を手中に入れていた旧連邦とは異なり、人民連邦は労働者の国である。そこは個人が能力に応じて活躍し、必要に応じて得ることの社会である。ゆえに、個人の努力は必ず報われる。逆説的に、報われないのであればそれは個人の努力に問題があるのである。
そういう発想を無批判に享有していた父親と母親は、勉学に対して一向に興味を示さないエウレカに対して、あまりに怠惰なその性格を激しく糾弾した。
これが中位程度労働者の家庭であればまだ話は違ったであろう。しかし、2歳の時期から初等教育を施すのが一般的である党員の家庭にあって、子どもの不出来を親の不出来とみなす風潮は色濃く残っていた。果てしない権力闘争と足の引っ張り合いが長年にわたって蔓延り、かえって極端なまでに潔癖さと清廉さを要求する人民党内であるからこその問題であった。エウレカの不幸は、あくまで生まれた環境が原因なのであって、決して本人の責任に帰するべきものではなかったのである。
もっとも、党員資格の一時返上まで行ったエウレカの母親が近視眼的な妄執にとらわれ、エウレカに対し必要以上の『教育的処置』を行ったのはある意味で仕方がないことでもある。母親もまた人民党の作り上げた『風潮』の犠牲者であったのだ。しかし、彼女は自身の覚える圧迫感の原因を社会ではなくエウレカに対して求めた。
「アナタはどうしようもないクズね」
そういう言葉が投げかけられて、奮起しろというのがそもそも無体な話であったのだ。まだ言葉すら碌に理解しない当時のエウレカであっても、母親がその内面から発する負の感情を理解していた。
一方、エウレカの発育について母親のそれと等しい責任を有していた父親については、エウレカに対して積極的な負の感情をぶつけなかった分、積極的にかかわろうともしなかった。「男が育児に口をはさむべきではない」という頑迷固陋な考えにとりつかれていたわけではない。ただ単純に、ヒステリックな教育方針を掲げる自身の妻とのコミュニケーションを負担を感じていたためであった。もっとも、だからといって彼が担うべきであった養育の責任が免じられるわけではないのだが。
エウレカ自身が、己の境遇に対してほんのりとした疑問を抱き始めたのは4歳になったタイミングである。それは母親が党員資格を回復するとともに、実質的な意味でエウレカに対する関与を放棄した瞬間でもあった。エウレカは全寮制の学校に入れられたのだ。
エウレカは決して不出来な子供ではなかった。ただ単純に、自分よりもできない人物の数が、自分よりもできる人物の数と同じくらいであっただけの話である。そんな彼女が新しく通うこととなった教育のための生活施設は、エウレカ自身よりもはるかに出来の良い児童を想定したものであったため、彼女の教育成績はまさに低調そのものであった。一部の教師が彼女のそれまでの育成環境に対して疑念を抱いたが、単なるいち労働者が人民党員の生活に対して口を挟めるはずもない。エウレカの周囲は彼女自身に与えられた環境に対して積極的に口をはさむことをしなかった。エウレカもまた、自身の境遇に対し何か意見を言うことは無かった。
決定的な転機が訪れたのは、彼女が7歳のころである。両親が『事故死』を迎えたとの知らせが入った。施設の教師達はおののいた。人的資源の確保を重視する人民連邦において『事故死』とは、単なる不幸以上のことを意味していたからである。教育施設の事務員は多大な慎重さを払いつつ、エウレカにそのことを伝えるとともに、経済的支援のない彼女をもはやこの施設においてはおけないことを伝えた。
エウレカはその日初めてある感情を抱いた。怒りである。
両親に対する憤りの感情を彼女は隠さなかった。ある意味で両親こそが彼女にとって社会のすべてであったことを考えれば、それが彼女における初めての『体制への不審』だったのかもしれない。
一般的に、両親が『事故死』した後に遺された子どもの運命は晴れやかではない。残りの親族からは養育を拒否されるのがほとんどであり、エウレカもまたその例にもれなかった。孤児として施設に入れられたエウレカが、積極的に軍への入隊を志願したのは、ただ自身のもつ怒りの感情と暴力性を発揮したかったのが主な理由であった。グリーゼや帝国に対する軍事行動について本格的に動き始めた軍は人手不足を解消するためにも、万全な経歴とは言えなかったエウレカの志願を認めた。
軍隊での生活はあくまで規律に支配されていた。それ自体は、かつてエウレカの母親が施したような環境に類してはいたものの、一方で軍はエウレカに対して、エウレカの母親が与えなかったものを与えた。能力に応じた正当な評価と、『科学的に正しい』思想である。
エウレカの人生は初めて充実を得た。怒りと暴力性は鳴りを潜め、意欲と好奇心が芽生えはじめた。
もっとも、幼少期の経験から引っ込み思案な性格自体は残ってしまったものの、それがむしろ慎重という美徳へと昇華することに繋がった。それが、彼女の同期生にして優秀な兵でもあったナーレリア・トブルクと親交を結ぶきっかけにもなった。
幼少のころから早期教育を受け、その気になれば大学に進学して軍隊から徴兵も免除され得たのに、わざわざ一兵卒から軍隊に入ったモノ好きという点で、両者は一致していた。しかし、実際の性格はまさに正反対であった。そもそも育った環境からして異なっていたのだ。トブルクが軍隊に志願したのは純粋な国防の意識からであり、それは両親の教育の賜物、というより『帰結』であった。この国において、軍隊に志願することは名誉なことであるという認識が確かに存在はした。そしてそれを馬鹿正直に受け止めるだけ純真さを彼女は持っていたのだ。一方でザニャーチャ自身はいわゆる『孤児崩れ』。ある意味で軍隊に対して逃げ場を求めていたクチである。周囲の人間もうっすらとそのことをわかっていたため、軍隊教育におけるストレスの発散先を彼女に対して求めようとした。殴られれば手を出すが、そういう精神的な圧迫に対しては無反応なザニャーチャに対し、トブルクはあくまで青臭い正義感を発露させた。そういったことをきっかけに、自然と二人はともに行動するようになった。積極的な行動を志向するトブルクと、慎重な姿勢を心掛けるザニャーチャというそのコンビは、部隊内の班行動においても好成績を上げた。
「勇ましい司令官と、それを諫める参謀長だ」
そんな軽口さえたたかれるようになった。
「緊張してるかい」
ささやかな平穏に包まれた兵員輸送艦の中、本を読みふけるトブルクに対し、ザニャーチャが声をかける。
「まさか」
顔も上げずに、トブルクが返した。
「トブルク。分かってないのかい。君が静かな時は、何か緊張しているときさ」
既に、自身らが向かう先では部隊同士の戦闘が起きているらしい。堅苦しい雰囲気の政治将校がさきほど演説を打ち、第2作戦集団にて彼女らが所属する第2地上中隊の士気を高めたばかりだった。その際には周囲と同様に声を上げ、戦闘前の特殊な高揚感に身をゆだねたはずのトブルクであったが、ザニャーチャは今現在、彼女に対してまた異なる感想を抱いていた。
「ザニャーチャ。お返しに言わせてもらうが、いちいち私に突っかかってくるときの君も、実は緊張してるんだぞ」
顔を上げたトブルクと、ザニャーチャの視線が重なった。しばしの沈黙ののち、小さい苦笑とともに二人は顔をそむける。
「私が緊張か。確かに、君といるとき私はいつも緊張しっぱなしさ。だから、私がいつも君に突っかかってないとおかしいよ」
「そんなことは無い。最後の演習の時なんかひどかったぞ。塹壕の中で、ひたすら私のことを気にして話しかけてくるんだから、やりにくいったら無かったさ」
「ちがっ…。あれは、事前の行動通りに君が動くか心配で…」
不意を突かれたザニャーチャが、しどろもどろになりながらそう返す。他人から見られた自分というのを普段からあまり意識していない彼女は、こういう指摘に弱かった。
「ま、結局勝てたからいいんだけど。あれ、もらえたからね」
ぱたん。と手元の本を閉じ、トブルクが思い出したように満足げな表情を作る。
「期待してるよ隊長さん」
トブルクの隣に座りながら、ザニャーチャはそういった。速成ではあるが下士官養成課程を終了間際に迎え、また事前の演習でも高い成績を上げたトブルクには、特例として『あれ』。つまり爆撃槍の携帯が認められていた。戦場において、軌道上に展開する友軍艦艇に支援射撃を要請するための通信マーカーであるそれは、部隊の指揮官か、特に戦況判断が優れた兵に対して携行が許される特殊装備である。
「ま、使える機会があるかは分かんないけどな。一応お守り代わりに持って区みたいな意味合いが強いらしいよ。アレ」
「の割には、結構かさばってない?普通に対装甲車用の擲弾筒くらいあるよねあれ」
「まぁ、軍閥を叩きのめすのには丁度いい装備だからみんな持ちたがるけど、っていうのが主な理由かな。その点、私は戦況を見渡せる兵士だからね。当然、敵が我々の支援攻撃を妨害する可能性なんて言うのも考慮してるわけさ。一つの武器に頼るなんてことはしないつもりだよ」
「そりゃあ、安心だ」
長年ともに行動してきたこともあり、二人の性格がお互いに良い影響を与え合ったいたのは確かである。勇猛果敢なタイプであったトブルクは、慎重さを身に着けるとともに、全体を見回す視野の広さを手に入れた。慎重かつ臆病であったザニャーチャは、むしろ突破することで打開できる状況が存在することも理解し、いざというときも対応できる冷静な判断力を手に入れた。二人の存在は、まさに兵士として模範的なあるべき姿であった。
「ま、いつも通りやればいいんだよ。いつも通りにね」
軽々しくそういいながらも、心の奥底ある決意を示した表情を浮かべるトブルクの視線は、外部の映像を示すモニターを見つめていた。
彼女らが目指す先はヴェンツェル=5であった。初戦において無類の快進撃を進めた人民連邦軍にとっての数少ない汚点。その粘り強さから、古強者が最後の意地を見せた英雄的な拠点。どのように呼称されようとも、そこの土地で多くの血が流されたことは紛れもない事実であった。




