第39話 悪いことは重なって発生しがちである。そういう時は下手な対応を打たず、頭を下げて嵐が過ぎるのを待とう。いつ嵐が過ぎるかは別の話だが
「各隊、そのまま前進」
ヴェンツェル星系の外延部にワープを敢行した中央戦区星系解放軍集団に属する第1宙域野戦軍。その先鋒を担い、前面に敵を据えた宙域旅団司令官を務めるジェン・ウルハ中督が短く告げたその言葉には、人民連邦が500年に渡って積み上げていた悲願の思いが込められていた。
オーウェンズ大将の指揮下にある第一作戦集団は敵宇宙戦力の撃破を戦略目的としている。護衛戦と航路防衛に特化した公国軍とは異なり、その編成は宇宙艦船同士の正面攻勢を想定した陣容となっている。
ヴェンツェル星系への侵攻を担うのは、第一作戦集団麾下にあって、星系解放軍集団を直属の上級司令部とする宙域野戦軍である。前衛を担うそれらの後方には、タオ大将指揮による第二作戦集団に属した星系攻略部隊が待機している。
『轢きつぶせばそれで結構。貴官らにはそれに足る十分な兵力を与えたはずだ』
ジェン中督は、はるか前方にてこちらと相対する敵をスクリーン越しに捉えながら、オーウェンズ大将が並み居る将兵を前に語った言葉を心の中で反芻していた。
現在彼女が指揮する兵力は3つの宙域連隊と2つの宙域航空隊を戦力の中軸とする宙域旅団であり、その戦闘力は事前の試算において帝国軍が保有する方面駐留艦隊の1/3から1/2に相当するとされている。宙域野戦軍は6個旅団から構成されているから、単純な計算に基づけば実際に眼前の星系に展開する敵の宇宙戦力を容易に轢きつぶせることが予想される。
「本艦の前方、250光秒に敵影を確認」
事前に展開中であった偵察梃からの情報をもとに、オペレーターのよく通る声が環境に響く。
「諸君。我々は今、待ち望んだ敵を目の前に前進をしているが、しかし気負うことは無い。訓練通りの活躍を見せてくれることを楽しみにしている」
我ながら芸のないセリフだ。そう思わないでも無かったが、少なくとも彼女自身の経験において、緊張を前にした部下が上官の長台詞に鼓舞されることがないことを大方察していた。己は今、警戒すべきだか敬愛すべきではない敵を前に、もっとなすべきことがある。
「…と、今の台詞は割とよかったかな」
ふとした呟きを耳にした旅団参謀長が横に視線を飛ばすが、その先には相変わらず情趣を屁とも思わない堅物の上官が憮然とした表情で目の前のスクリーンをにらんでいた。
『コントロールよりアーヘン・リーダーへ。各機、宙空待機の指令が出た。ただ今より発艦態勢に入る』
「アーヘン・リーダーよりコントロール了解。俺の機体は特に柔らかいからな。出来るだけ丁寧にやってくれよ。オーバー」
『…コントロールよりアーヘン・リーダーへ。了解した。射出直後にまた連絡する。オーバー』
管制官は、そっけない返事で通信を切った。
「クソッ」
別に自分の冗談が上等なものだとは思っていないし、そこまで冗談のセンスが落ちぶれたつもりもない。しかし、なじみの管制官であればテルミナート中佐の発言にももう少し気の利いたセリフを返していたことだろう。彼はそんな些細な部分からすらも居心地の悪さを感じていた。
宇宙海賊の襲撃によって正規の定数を欠いた古巣は、公子を守った功績半分、兵力不足を補うかき集め半分の意図から、大多数の人員及び艦船が配置転換の対象になっていた。伝統ある第2護衛艦隊自体は、既に書類上にしか存在しない幽霊部隊への転換となる憂き目に合う一方、そこに所属していた兵力の多くは『ヴェンツェル防衛艦隊』へと新たに組み込まれた。いかにも間に合わせで命名したことが丸わかりな部隊編成であったが、この際名称はどうでもよい。問題は、公爵家、ないしは帝国の貴族というもの権威一般に対して、もらっている給料以上の価値を認めていない中佐自身が、あろうことか貴族軍の先鋒を担おうとしている事実にある。
いや。どちらかというと、不満自体はもっと俗な部分にあった。
「こちら、飛行隊長のテルミナートだ。各中隊長、いいか?たった今管制が発艦の準備にとりかかった。もうすぐ出発するからそのことを伝えとけ」
『こちらコントロール。テルミナート中佐。事前に定められた各機ごとのコールサインを用いるように』
管制からのいかにも杓子定規的な物言いに対して、テルミナート中佐は思わず表情をゆがめた。
「ってもよう管制さん。急に名前じゃなくてコールサインを使えっていうのも無理があるって話よ。俺の部隊には俺のやり方が…」
『テルミナート中佐。繰り返し忠告するが、現在貴官が率いているのは正確には依然と同様の『アーヘン機動騎士団』ではない。貴官は現在防衛艦隊第11戦隊所属の航宙母艦所属航宙隊を率いている身だ。コールサインは複数の機体が航行する空間で通信上の混乱が起きないよう定められたものであるから、これを用いないのは規則上、ならびに部隊運用上大きな問題がある。貴官ら航宙機部隊を管制する立場にあるものとして…』
どうしてこうなったのか。テルミナート中佐は長い小言を右から左に受け流しながら自分の運命の行く先に対してとても深い不安を覚えた。
「…チッ。分かったよ。使えばいいんだろ使えば」
さすがにここまで来て命令不履行の誹りを受けるのもつまらない話だ。彼は一度、自分のプライドを捨てて、嫌々ながら、自身にあてがわれた『コールサイン』を口にする。
「こちら、『ナイト・1』!!いいか!?今から行くのは掛け値なしの戦場だ!!命が惜しければさっさと返事しろ!!」
やけくそ気味なテルミナート中佐の言い方がむしろ、周囲のおかしさを誘った。公子閣下を守った『ナイト』であると、顔も知らない命名権者本人は言いたかったのであろう。良い迷惑だ。テルミナート領邦騎士家の現当主は、抑えきれない居心地の悪さを敵に対してぶつけるよう決意した。
両軍がお互いに対峙し、今まさに砲火を交えようとする一方、個人レベルで見た切迫感でいえば、ヴェンツェル子爵その人がより一層深刻であっただろう。
「一体どういうことだ」
星系内航行艦船の航路管制に関するやり取りを罵声交じりで行っていたヴェンツェル子爵は、自身の副官が行った報告に呆けたような声を上げるしかなかった。
「こ、公子閣下が座上しておりました『ヒュルトゲン』と通信が、途絶いたしまして…」
一回目の報告と比較して明らかにテンション感を落としながら、貧乏くじを引かされた彼はおずおずとそう報告する。
「こんんんのクソ忙しいときにいいいいいいい!!」
普段であれば見せることは無いであろう凄んだ態度で、子爵は絶叫する。確かに彼は公子の身の安全について責任がある。しかし、それが戦時下において、しかも最前線という場所において行わなければならなかったことを、請け負った時の自分は理解していたのだろうか。
全くもって否である。
「『ヒュルトゲン』との通信は!?」
「ダメです。妨害がひどい状況でして…。本家の保安部隊に連絡いたしますか?」
「ぐ…、致し方ない。若様の身の安全はこの状況において航路帯防衛の次に優先される。私ごときのプライドで後回しにして良いものではないからな…」
ヴェンツェル子爵は歯を食いしばりながらかろうじてそのセリフを絞り出した。
公子の身の安全を保障できなかった事実は、ヴェンツェル子爵家の名誉に対して無能としての烙印を与えることだろう。しかし、それを厭いこの場で適切な対応を取らなかった場合、ヴェンツェル子爵家は公子の安全より家の安全に走った無能にして卑怯者との誹りを受けかねない。どちらか一方であればまだ言い分は立つが、同時に二つの汚名を被ってしまえば子爵家そのものの存立が危ぶまれる。そういった打算がないでもないのが中級領邦貴族の立場の難しさをあらわしている訳だが。
「とりあえず状況自体はこちらでも把握させていただいておりますので、わざわざご連絡いただく必要はございません」
気怠そうな声。形式上は敬語であるが一ミリも敬意を感じられない言いぐさ。背筋に何か冷たいものを感じたヴェンツェル子爵は、恐れるように声の向く方を振り向く。
「子爵閣下。若様の身の安全につきまして、以降こちらで処理いたします。閣下は引き続き星系防衛についてご尽力ください」
腕を組み、冷めた視線を向けるフロイツハイム一等領邦騎士ははるかに格上であるはずの貴族に対して、しかしいささかも興味がないと言わんばかりにそういい捨てる。厳重警戒を敷いているはずの司令部に、その主が気づくことなく侵入するその手腕。ヴェンツェル子爵は、改めて自身の無能ぶりを呪った。
「ほ、本家の方が既にいらっしゃったのですか…」
「若様の安全はこちらの方で確保いたします。子爵閣下、あなたはあくまでここの防衛に全力を尽くしていただければそれで大丈夫です。貴重な戦力をこちらにお貸しするなどといったことは考慮していただかなくとも結構でございますので」
テオドラの視線と言いぐさはあくまで冷ややかであった。
「し、しかし…」
「本家にはこちらから連絡しておきますので。あとはよろしく」
無表情のまま、血の気を引かせた子爵のそばをのっそりと通り抜ける彼女の脳内は、既に仕事モードに入っていた。
ドーン…。という、遠雷のような音が響いた。通信障害が発生したのは、それからしばらくしたのちのことである。
「あれは…、なんでございますか」
コーネリア王女が言葉を漏らす。反重力機構を再稼働させながら、必死に事態の把握に努めようする艦橋スタッフたちの必死さとは対照的な態度であったが、実際のところ眼前の出来事に対する感想を述べようとしたらそうなるのは致し方ないだろう。私は王女が視線を向けるスクリーンに映し出された艦外の映像に対して、ぼんやりとそんなことを考えていた。
転生前にアメリカの空軍があんな形の爆撃機を持っていたような…、いやしかし、その大きさは目を見張るものであった。縦よりもむしろ横に向かって数百mはあろうかという巨体をめぐらせながら、その飛行機はのんびりとヴェンツェル=2の上空を飛行していた。さらにその向こうの地上からは、なにやら黒い煙が立ち上っている。
「ソレリア、あそこの煙が上がっているところ、見えるか?」
「は、はい若様。おそらくは、対宙施設群かと思われます…」
冷静を旨とするソレリアも、呆気に取られてはいたが、少なくとも彼女の返答は私の懸念を確信へと変えた。
「対宙施設群が為すすべなく壊滅だと…」
ついさっき響いた遠雷の正体は、おそらく対宙施設群が壊滅した際の断末魔であったのだろう。あの巨大な爆撃機がやったのか?いいや、対宙砲は光の速度に匹敵する砲弾を発射する。悠々と敵の侵入を許しながら、そうやすやすと敵の手中に落ちるわけがないだろう。
「まるで手品じゃないか…」
決して狭くはない『ヒュルトゲン』の艦橋内で、その言葉を誰が言ったのかはわからない。しかし、驚きのあまり漏れ出たその台詞を、実行立案者本人が聞けば思わず苦笑を漏らしたことだろう。やれやれ、どうやら500年ぶりの人類も突飛な事態を前にして出す感想は一緒らしい…。そう返すこともあるかもしれない。
魔導士タオの戦略構想は、被害を最小化しつつ戦果を最大化するのを何よりも重視する。一見して当然極まる発想であるように思えるが、発想の方向性をその方面に向かって制御できる軍人というのは意外に少ないし、もっと言えば軍人に限らず多くの人間がその発想自体を不得手とする。一般的に、とあるプロジェクトを任された人というのは、えてして与えられた時間と予算と人員を最大限まで消費するようにプロジェクトの遂行計画を立てる。そして大抵の場合、時間と予算と人員のどれか、ないしは全てがショートしてプロジェクトが失敗する。しかしタオの場合は異なるのだ。彼の視線の広さのおかげだろうか、戦略的発想の柔軟さであろうか。少なくとも、グリーゼ王国で演出されたパーフェクトゲームは決してまぐれなものではなかった。そして、公国の最前線において今一度、魔術の杖が振られようとしていたのである。
さて、後世の歴史おいて、常勝の魔導士と称されるようになる大戦略家と、同じく後世の歴史において不敗の大公と称されるようになる大貴族が、戦場にてお互いに相まみえることになるのはもう少し後の話である。
銀河の未来はいまだ誰の手にも掴みえない不定形を保っていたのだった。