第18話 紅茶はいかがですか?
暴虐なる宇宙海賊の猛攻に果敢にも立ち向かいながらこれを退け、広く銀河に皇帝陛下の御稜威を示した公爵家の偉業は、結果から言って公にされることは無かった。
「グリーゼ王国ね…」
長年住み慣れたジン・ヴィータの別邸から2万光年以上離れたアウステルリッツ公爵家本邸。その広大な庭園の一角に設けられた茶席にて、私は新聞を片手に優雅なティータイムを楽しんでいた。
「ふむ。リーゼもお菓子作りの腕を上げたな」
自身の活躍が新聞の一面を飾らなかったことに対して不満はない。というかむしろ好都合な部分も存在した。打算的な思考を頭の中で巡らせる一方で、私はつまんだ茶菓子に素直な称賛の声をあげた。
「え、えぇ…。ありがとうございます若様。お褒めにあずかり光栄ですわ」
「ソレリア。お茶のおかわりをもらえるかな」
「…かしこまりました若様」
どこかぎこちない二人を尻目に、私はふたたび琥珀色に満たされたティーカップを口元に運ぶ。
「よければ私もいただけるかな」
「「いただけるかなではありません!!!!!」」
リーゼロッテ嬢とソレリアの淑女らしからぬ大合唱に、思わず私は紅茶を吹き出しかけた。
…危ない危ない。これ一杯で前世のアルバイト1日分の値段はするんだから。
リーゼの侍従であるローゼル嬢だけが、ただ一人平静を保っていた。
「なにか、ご不満ですか?」
二人の淑女の感情を激発させた張本人は、全く動じないまま持っていた新聞紙を4つ折りにしてテーブルの上に置き、余裕そうな素振りで手を口元にあてて、優雅にほほ笑む。
「お兄さま。一つ、お伺いしたいことが」
いよいよ我慢の限界を迎えた雰囲気のリーゼが、それでも強烈な理性で怒りの感情を押し込めつつ私に尋ねた。
「…ドウゾ」
「宇宙海賊…、いえ、『擾乱勢力』の方が、なぜこちらにいらっしゃるんですか」
貴族の子女にふさわしい完璧な礼儀作法にのっとりながら、リーゼは私と当人に向けて、正当な方法で怒りを爆発させた。
アウステルリッツ公爵家によるアウステルリッツ公国と宇宙海賊の因縁を語り始めるには、まず500年ほどさかのぼって説明する必要があるが、少なくとも今ここにいる女性の説明をするのにそれほどの大仰さは不要である。敵の宇宙海賊が、臨界によって勝手に自滅した直後のことだ。
「降伏勧告…でございますか」
あまり積極さを感じない相手の声色を耳にした私は、内心で冷や汗を流していた。しかし言ってしまったものを引っ込めることはできない。私は周囲の者たちに向けて言葉を続けた。
「すでに敵は戦闘力を持たない残骸だ…。もはや敵ですらないともいえる。それに対してなお攻撃を加える道理はないはずだ」
カッコつけながらしゃべる私は、実のところ頭痛と胃痛とめまいと貧血で意識もあやふやの状態であった。そんな奴がエラそうに指示を出すな、という読者諸君らの指摘は素晴らしく正しい。
「恐れながら若様。宇宙海賊とは我々公爵家、並びに帝国に弓引く外法の輩。その者たちに無用な寛容さを示せば、周りの者たちに示しがつきませぬ」
ソレリアはこっそりと、しかしはっきりと私の耳にそう言い聞かせる。言ってる本人がソレリアでなければ「ここまで言わないと分からないのかこの貴族のドラ息子は」位は内心で思っていたはずだろう。
そもそも、宇宙空間の戦闘で、敗北した側に生存者が残る事例は極めて稀だった。敗北した側が貴族と宇宙海賊と、どちらであってもこの現象は当てはまる。新しく証明された宇宙の法則とも言ってもよいだろう。
そして厄介なことに、負けた側の死者というものは――極めて多くの場合――モノを話すということをしない。遺族に対して感謝の気持ちを伝えることも、殺した相手を許すこともせず、残された人々に対し、ただ自分が死んでしまったのだという事実のみを一方的に押し付ける。そうして残された人々は、死んだものの思いを永遠に理解出来ないまま、せめてもの「弔い」と称して復讐と暴力のループを繰り返す。これは人類が有史以来証明してきた宇宙の法則とも言ってよいだろう。
「しかし、今は状況が違う。そうじゃないか」
貴族の記憶を受け継いではいるものの、私はこの世界における「転生者」。つまりよそ者でしかない。そうである以上、貴族の中でも最も発言力をもつ私が、例えそれが500年だろうが、1000年だろうが、連綿と続いてきた復讐と憎しみの連鎖の歴史を気にかける必要は。おそらく、ない。
『融和の時が必要だ。それもまた痛みや苦しみを伴うことになるだろうが、人が死ぬよりはいいだろう』
朦朧の意識の中で生まれた単なる理想論なのかもしれないが、私は宇宙海賊という存在に対して、いや、「歴史」そのものに対して、そう決断をしたのであった。
…それで唯一生き残った宇宙海賊が、宇宙海賊の副司令官を務めていた妙齢の女性だとは思わなかったのだが。
「命を救っていただいたのみならず、このような席にご招待していただいて、申しあげる言葉もありません」
ベルナデーテと名乗った宇宙海賊の元船長は、言葉そのものは丁重なものの、呆れかえるほど余裕ぶった態度でそう言い放つ。相手の挑発に易々と乗ってしまわないだけの分別を、貴族であるリーゼやソレリアも持ち合わせているはずだった。しかし、あくまでここが私的なティータイムのために設けられた席であり、私たちを取り囲む人の数も少ないと、どうやら淑女達も枷が外れてしまうらしい。
「昔はそれはもう、乙女も恥じらうほどに慎み深いお方であったお兄さまが。こうもたやすく口説き落としますとは。もうすでにお兄さまが遠い所へ行ってしまわれましたように感じますわ。人の成長は喜ぶべきものでございますが、こうも心を乱すものなのでしょうか」
「リーゼロッテ様。若様はこの者を口説き落としたわけではございません。連綿と続く復讐の連鎖を断ち切り、己の命を狙った仇敵を前にしてこのような応接を尽くしますのは、公爵家に連なる者の立場にふさわしい寛大なお心の表れであります」
「まったく口を開けば若様若様と。貴女がついてらっしゃったのなら、もう少しやり方があったはずですのに…」
「私めはあくまで侍従として若様のご意向を承ったまでです。恐れながら申し上げますが、リーゼロッテ様も若様に対して少々慎みをもった振舞いを心掛けていただくべきかと。私的な場ではともかく、周囲の目もある公的な場で、あ、あのような振る舞いをなさっては周りの者に示しがつきませぬ」
「フン。侍従風情が言うようになったものですわね。貴女も正直になったらどうなんですか」
「私は節度の話を!!」
「今はそれどころじゃありませんわ!!」
「あ、ローゼル。お客様に紅茶のおかわりを」
「かしこまりました若様」
やいのやいの言い合う二人を前に、当事者である本人は涼しげに茶菓子をつまむ。修羅場を踏んできただけあるのだろう。相当根性が据わっている。
「まぁ想定できたことではあるが…」
一昔前であれば、それこそ家祖を宇宙海賊にやられたあらゆる分家筋が黙っていなかったことだろう。そうでなくても、宇宙海賊に親族や財産を狙われた者は貴族階級のみならず国民階級にも多く存在する。本来であれば、公爵家を含むあらゆる貴族家や、公国政府および国民議会議員、あるいは公国から選出された国民議会議員団などなどの要人たちに対し綿密な根回しと情報共有を行うことで、国民や帝国政府、あるいは議会貴族などから出るであろう批判を事前に沈静化させる仕事が待って
いた。待っていたはずだった。
しかし幸か不幸か。私が想定し、行うことを覚悟していた政治工作の必要性は現在、主に2つの理由から消滅してしまっている。
「しかし、どれほど面白おかしく書かれているかと期待していましたが、さっぱりですな」
本人たっての希望で用意された新聞を再び手に取ったベルナデーテ女史は、つまらなそうにそう呟く。
政治工作をする必要がなくなった理由一つ目。…まぁ、そうだよね。そもそも公爵家の公世子が宇宙海賊に襲われたなんていう事件、揉み消せるなら揉み消したいよね。
「にしても、まず要求されるのが新聞とはいささか驚きました」
「何しろ航行生活が長かったもので、地上の情報には飢えているのですよ」
「さいですか」
しかし、言葉とは裏腹に、元船長は手元の記事に対して興味深く視線を落としその内容を追っていた。
…政治工作をする必要がなくなった二つ目の理由。それは「公爵家の嫡男が遭難しかける」という事実以上に大衆の注目を集める出来事が発生したからであった。
人類史上初の汎銀河恒星間国家であるペルセウス連邦を産み出した『大開拓時代』は、かつての太陽系情報政府時代に実施された超光速恒星間探査事業によって、事実上偶然に発見された「ペルセウス航路」に端を発している。
しかし「ペルセウス航路」の発見以前にも、比較的つつましい規模での恒星間探査は実施されていた。その最後発であり、また当時における最新鋭。そしてその結果として、もっとも古いものの一つである歴史を誇るに至ったのが「グリーゼ王国」であった。
「移民18商船団」の指導者の子孫として、グリーゼの最も苦しい時代をささえた「ツィアマト家」を至尊の存在とし、王冠のもとに統一されるこの異端の星系国家の歴史が、銀河帝国の記録の中で500年以上前から微動にしていないのには事情がある。
聞くものが聞けば意外に思うかもしれないが、単純な最大版図でいうとペルセウス連邦のそれは銀河帝国を上回っていた。というか、銀河の半円も支配できていないにも関わらず「銀河帝国」という名称を使うのはハッキリ言って名前負けの感すらあった。しかしそれはこの際しょうがない。持続性を顧みない乱開発によってペルセウス腕の端から端までを征服せんとしたペルセウス連邦よりも、派手さはないが手の届く範囲で堅実な開拓を進める銀河帝国の方が好感が持てるというものだ。
…話が少々脱線したが、つまるところ、『手の届く範囲で堅実な開拓』を実施するにあたって、銀河帝国はペルセウス連邦の版図の一部と、そこに住まう人々を文字通り手放した。放棄したといってもいい。そして見捨てられた場所の一つが「オリオン暗礁宙域」であり、グリーゼ王国が所在するグリーゼ星系もその中に含まれていた。
しかし、もう少し話を聞いてほしい。ペルセウス連邦の事実上の後継者たる帝国が、あるいは辺境総督としてまつろわぬ民に手を差し伸べる責任を有していた公爵家が、グリーゼ星系とそこに住まう人々を見捨てたのはより一層複雑な事情があった。
「系外軌道を周遊する3つのマイクロブラックホールに守られた『宝石箱の星系』。…名前だけ聞けば優雅な感じがするけど、とんでもない。誰が名付けたかはしたか知らないけど、『重力波の檻』っていう呼び方のほうが、船乗りとしてはよっぽどしっくりくるね」
ざっくばらんな口調を取り戻したベルナデーテ女史は、記事の中の一文に対して肩をすくめながら品評した。
「専門家の中には、グリーゼ王国と帝国の貴族制度を比較する人も多いが、実際ナンセンスだ。前提条件が全く違ってくる」
直径が1mにも満たない一方で、惑星程度の質量を有するとされるマイクロブラックホールの存在は、西暦時代の地球にてその理論がすでに提唱されてはいた。しかしその3つが同時に、しかも同一の星系にて発見されるのは皮肉抜きに奇跡以外の何者でもなかった。そしてこの3つの特異点が織りなす常軌を逸した重力波異常は、宇宙船乗りにとっては悪夢以外の何物でもなかったし、また、旧ペルセウス連邦期において未だ発展途中であった超光速航路の建造に際しても、大きな困難を伴った。
「『ペルセウス動乱』に関連した制御システムの混乱、…紛争に伴って発生した難民の流入を『物理的に』防ぐための強硬手段だったという学説もあるが、とにかく星系全体にとんでもない重力波異常に見舞われた結果、超光速航行でのアプローチが全く不可能になってしまった。というのが帝国に記録されている歴史だ。そちらの認識は?」
「曲がりなりにも先進的な星系開発に成功していたグリーゼ王国は、『ペルセウス航路』によって開拓された宙域と、オリオン旧開拓宙域を繋ぐ唯一と言っていい結節点となっていたが、ペルセウス動乱に伴う重力波異常で、オリオン腕全体との接続が喪失。結果として人類の故郷はオリオン暗礁宙域に呑み込まれた。…まぁ、こんなとこだよ」
「ハイ、充分です」
確かに、全人類の故郷であり全ての文明の祖先である地球とのアクセスが失われたことは、悲しむべきことではあり、喪失感を覚えるべき事柄ではあった。しかしその一方、万難を排してまで解決すべき問題かというとそうでもなかった。そもそも、ツィアマト家率いる「移民18商船団」が文字通りに命を懸けてグリーゼ星系を開拓したのは、唯一絶対ともいえる可住星系開発のチャンスを何としても手中に収めるためであって、500年以上にわたって解決すべき諸問題をいまだに抱えているだけの公爵家が、わざわざ帝国の最外延部であるトランスオリオン宙域を抜け出してまで、相手が本当に欲しがっているかどうかも分からない救いの手を差し伸べる義理は、正直なところなかった。
「そうやって500年も放置されていた、文字通り『銀河の墓場』から、亡霊のごとく巨大艦船が現れたということだ。銀河の歴史が変わるかもしれないな」
今回の事態について、私は呑気にそう評論する。もっとも、安全な航行手段を、安定して、大量に、正確に提供する責任が、我々領邦貴族には存在した。そういった事情と物理法則を無視してバカでかい図体が公国の領内に突如として現れるのは、公爵家の面子が真正面から潰れかねない出来事であり、それ以前にまずめちゃめちゃ危険であった。
「すでに国土航路省の帝国運輸安全委員会が動き出し、ユーライヒ城伯が対応に当たっています。また、内国安全保障の観点から特別調査委員会の立ち上げを議会貴族たちが検討しているとの噂もございますね。…場合によっては、公爵閣下にも近くお呼び出しがかかるかも、と」
落ち着きを取り戻したリーゼロッテがティーカップを片手にそう言うが、優雅な仕草とは裏腹に、その表情は曇りがちであった。
当然だ。両院制によって成立している帝国議会の片割れである『臣民院』。我々と同じ貴族でありながら、その貴族の専横に一切の容赦をせず、それどころか隙あらば貴族の権勢をそぐことに命を懸ける自由と民主主義の擁護者…。領邦貴族にとって、『議会貴族』はまさに天敵と言ってもよい存在であり、また決して逆らうことのできない存在であった。
「ま。いきなりどうこうという訳もないさ。久しぶりに領地で静かに過ごさせてもらうとしよう」
議会貴族が動き始めたとなれば、公国をささえる領邦貴族や官僚たちの緊張感も否応がなしに高まる。奴らに首を突っ込まれることだけはなんとしても避けたいこの状況下で、『宇宙海賊の捕虜』という政治的な爆弾を抱えている私が進んででしゃばる理由は無かった。
艦内での被害拡大を防ぐため、防火性を徹底した設計が施されたその空間はしかし、海賊たちが持ち込んだ雑多な生活資材であふれかえり、たった今は設計者の労をあざ笑うがごとく炎が燃え盛っていた。
呼吸のために何よりも貴重な酸素は業火の燃料となり、一酸化炭素や二酸化炭素を容赦なくまき散らし続ける。限界まで機能するように設計された生命維持システムがそれでもなお機能しているが、消火設備がすでに機能を失った現在では、ただ船内に蓄えられたエネルギーを消耗するだけの存在であった。
無尽蔵とも思われた融合路による発電が尽きるころ、一切の動くものがいよいよ船内から姿を消すようになる。技術の粋を集めて建造された艦船はスクラップとなり、一瞬の燃焼でくすんだ金属性の光沢を鈍く放ちながら、ただそれ以上朽ちることもなく、当てもない漂流を永遠に続けていく。
公国軍にあと一歩まで迫った宇宙海賊たちの艦船は、そういった運命をたどろうとしていた。脱出用の連絡艇によって公国軍との接触に成功した船長を除き、多くの海賊らは己の運命を呪いつつ、自決用の銃を咥えて引き金を引くか、或いは根性のある者は適当な刃物で自身の血管を断ち切ることで、これ以上の苦痛から逃れることに成功していた。
そんな中にあって、執着心から己の生命をつないでいる者がもしいたらならば、その集団をみて戦慄を覚えたことであろう。
「た、たすけ…」
酸欠で朦朧な意識の中、動く物体に対し渾身の呼びかけを行ったその海賊は、4人組の一人が放つ乾いた銃声とともに、自身の脳漿を壁にばらまいた。銃を持つような覚悟も持たず、またそこら辺に落ちた金属片で首を掻き切るだけの根性も持ち合わせておらずに自死の機会を逃していたため、海賊自身がその対応に不満を持つことは、おそらくなかったであろう。
ほとんど真空に近い無重力空間を難なく漂いながら、物と死体にあふれた船内を突き進むその集団の表情を、酸素マスク越しにうかがい知ることはできない。しかし装備の重厚さから、その集団がただものでは無いということは誰でも分ったはずだ。
「死亡確認」
瀕死の海賊とはいえ人一人の頭を撃ち抜いたのだが、その件についてなんの感動も覚えずに、見知った空間であるかの如くその集団は船の奥へ奥へと突き進んでいく。暗闇に支配される一方、ときおり低酸素状態の中で燻ぶる光に照らし出されるその姿は、まさしく異様そのものであった。その集団は6人目の生存者を始末したのち、やがて目的地にたどり着いた。
「目標地点到達。開錠ずみ」
「突入」
蹴破られた扉がわずかに残った大気を震わせるとともに、銃口付近のライトが暗い室内を照らし出す。しかし、煙に充満しつつある室内ではほとんど無用の長物であった。
「遅かったな」
まったく平穏な声が、集団に投げかけられる。声の主は、先ほどまで「司令」と呼びならわされていた人物であったが、酸素マスク越しに、普段と変わらぬ不敵な態度で異様な訪問者を出迎えた。
「死神は鎌を持ってるもんなんだがな」
「お迎えに上がりました。中佐」
司令の冗談を全く無視し、集団のうちの一人が声をかけた。