第17話 万全を期したはずの行動にもどこか抜けたところがあるのが人間の悲しいところ
敵をなめ腐った高貴なる貴族の嫡男による命令はシューゲン司令官を通じ、また場合によっては高級参謀を搭乗させた連絡艇を伴いつつ、艦隊の各部隊に向けて下達された。
「戦力を二分だと、…司令部は何を考えている!?」
「名誉ある公爵家が輸送部隊を危険にさらすはずがない。何かお考えがあってのことであると信じたいが…」
「確認の連絡を取りたいとこだが、そうも言ってられん。機動の準備に入るぞ!!」
命令を受け取った者たちは、様々な思いを押し殺しながらもそれに従い、行動していく。そしてそれは、紛うことなき最前線にて未だ警戒・観測任務に当たっている航宙機部隊も同様だった。
「そんなに上手くいくもんなのか?」
『上手くいくようにするための行動だ。それに伴う標的と攻撃ルートの選定も完了している。あとは実施するだけだ』
「ったく…。ままならないもんだね」
テルミナート准佐はそうぼやきつつも、頭の中ではこれから実施する任務の手順についての検討を始めていた。
「で、標的はそこそこな強度の電波輻射が確認されてる艦船を1、2隻ってことだが。なにも総旗艦を狙うってわけじゃないんだな?」
『その通りだ。さすがにお偉いがたもそこまでの無茶を要求するつもりはないらしい。最後に確認だが、兵装の残存はまだ十分だな?』
「あぁ。一応通信でも確認させたが、まだGp.b42Dも余裕がある。まぁ、丁度1、2隻潰せるぐらいってとこだな」
『結構だ。こちらからの通信は以上だが、緊急の連絡に備え、アプローチに入る直前までは回線を開いておくように』
「はいよ」
捨て台詞とともに通信チャンネルをミュート設定にしたテルミナート准佐は、偵察部隊が収集した敵装備に関するデータを戦術コンピューターから呼び出すと、『マラード』から送信されてきた作戦概略図と併せて、コックピットディスプレイの画面上に一時的にオーバーレイさせる。
「言うほど簡単でもないし、無茶だよなこれって…」
艦隊旗艦は指揮の中枢であり、撃破出来さえすればそのリターンは非常に大きい。ゆえに撃破できる可能性自体は非常に小さい。だからこそ、公国宇宙軍における任務部隊ないしは戦列戦隊相当の旗艦を代わりに撃破するというのが新しく与えられた任務の目的であった。
『こちらファルコン。準備完了オッケーです』
『ラプターだ。準備完了、いつでも行ける』
『ストライカー隊。各機の準備完了しました』
『こちらスカウト隊。ハウンド、アーチャーの準備完了しました』
もっとも、全体の中で見れば中~下位クラスの旗艦とはいえ、前衛で出張っている艦を撃破するのとはわけが違う。だからこそ、テルミナート准佐が任務を前にしてらしくない逡巡を僅かながらでも覚えたのも仕方がないことではあった。
「…お前らよく聞いておけ。突入の1分前から電波管制を実施する。あの画質がガビガビのパッシブレーダー以外を起動したら部隊ごと吹っ飛ばされて作戦も失敗。勲章もナシになる。だから攻撃は出来るだけ事前管制照準モードで実施しろ」
結局のところ、己が果たすべき仕事というが、青臭い正義感を発揮させて不条理な命令に抵抗することではなく、対宙警戒が張り詰められているであろう敵の宙域に向けて37名の部下とともに突入することであり、また結局のところそれが最も生存確率が高い選択肢であることを、他でもないテルミナート准佐自身が誰よりも理解していた。
「攻撃ルートのアプローチに入るまで残り70秒。全機、電波管制用意」
遠くから見れば密集陣形に見えてたとしても、艦船同士の距離は数キロ以上に渡ることもある。だからこそ、レーダー等による電波の輻射さえ抑制すれば敵陣のど真ん中に向けて侵出することも可能になる。テルミナート准佐はコントロールパネルの電波管制ボタンに手を伸ばし、指先に力を込めた。
『マラードより各機。データリンクの情報をパッシブのデータに切り替える』
通信とともに、コントロールパネルに設置された表示装置の映像が、旧時代のパソコンのコマンド入力インターフェースを思わせる味もそっけもない緑色の幾何学模様に切り替わり、マラードが座上するRe4001警戒管制機が搭載するパッシブレーダーの走査角と連動しながら、周囲に展開する敵の位置をおおそよざっくりと特定する。
『スカウト各機。先行し、脅威となる敵兵装の位置情報偵察を実施します。ハウンド、アーチャー、我に続け』
遠・中距離からの観測任務ならともかく、位置がバレれば即座に十字砲火を喰らいかねないこの手の作戦行動では、敵艦が発する赤外線やらなんやらを何とかかき集め、その位置情報を元に行動せねばならない。しかし敵艦の対宙装備を無力化するにあたっては、もう少し正確な情報が欲しいところだ。『ペガサス軽騎兵』の場合、サンデルス大尉が指揮するスカウト隊がその任務に当たることになる。ストライクパッケージを構成する本隊から先行し、迎撃レーザー砲台やそれを支援する対宙レーダーの正確な位置を補足して、艦の破壊と戦闘宙域からの離脱をよりやりやすくさせる。
『こちらマラード。スカウト隊の収集した情報を元に、迎撃レーザー砲台、および対宙レーダーの種別並びに位置情報を特定した。各機、送信されたデータを確認せよ』
「まず第一関門突破…」
テルミナート准佐はマラードから送信されてきたデータの細目を表示装置に映し出し、ストライカー隊がこれから取るべき行動をシミュレートすることで、コックピット内に張り詰める緊張感を取り払おうとする。ヴィオラス大尉を始めとするストライカー隊が座上するMc233G搭載の対レーダー兵器のSSM62は本来、敵の対宙レーダーが放射するレーダー波を補足・追尾してこれを無力化することを目的とする兵装である。しかし、今回のような長距離からのミサイル発射を行う場合、あるいは、ミサイルの接近を察知した敵がレーダーの放射を切断した場合などに備えて、事前に確認された標的の位置情報を設定・登録しておく必要があった。
『こちらウィーゼル1。ストライカー隊各機による諸元入力完了しました。予定投下ポイントまで、残り5分。イーグル1、よろしいですね?』
そうした前準備を手早く済ませたヴィオラス大尉が、クールな雰囲気を漂わせながら通信を入れてきた。
「イーグル1よりウィーゼル1。攻撃を許可する」
『感謝しますイーグル1。聞こえたな?ウィーゼル、フェレット、バッジャー。我に続け』
快活なその返答はしかし、脳内麻薬が分泌されているからこそなのかもしれない。普段から自身の境遇を含めて斜に構えた態度を取りがちな己と比べ、そうしたテンション感を戦闘時に保てる方が、よほど軍人らしいのではないか。そんなテルミナート准佐の胸中を知る由もないまま、ストライカー隊も隊列から離れ、ミサイルの発射ポイントに向かっていく。
『よくやりますね。彼女も』
『まぁ、見てて疲れるのが欠点だが』
ユクレナ中尉とラプター小隊を率いるラザロ中尉の会話を聞き流していたテルミナート准佐の聴覚に、ヴィオラス大尉とはまた別種の軍人らしさを醸し出す声色が飛び込んだ。
『こちらマラード。エスコート各機、標的の解析および、最適と思われる投射ポイントの選定を完了した。言うまでもないが、タイミングは一度限りだからな』
「マラード、了解した。イーグル1よりウィーゼル1。タイミングは予定通りだ。先制を喰らわせてやれ」
『ウィーゼル1。了解!!』
ヴィオラス大尉からの通信が終わらないうちに、データリンクで共有された投下場所の位置情報に基づいて、目の前のコックピットディスプレイに誘導用の指示線が浮かびあがる。もっとも、指示線の向こう側にいる標的が、超解像度のディプレイ越しとはいえ肉眼で捉えられるハズもない。テルミナート准佐は最終確認のため、ディスプレイの横画面に表示された標的となるレギオン級戦列艦の解析図に視線を飛ばす。生産性と整備性を追求した機能美に溢れていたそのデザイン性は、ごてごてと取り付けられた追加兵装に埋もれ、もはや元の面影をわずかに残すばかりであった。
「エスコート各機。投射コースをそのまま前進。ターゲットは敵艦後方の機関部。投射モードは手動。投射後に電波管制を解除し、レーダー誘導を実施。アプローチは一回限りだからな。あと、投射後に余裕があれば、SSM62を自動割り込みモードに設定しておけ。投射後の誘導と退避までの加速に時間食うだろうからな」
対宙網制圧や偵察・観測、あるいは救難といった特殊用途以外の多目的任務を担うよう設計されたFok104シリーズは、その拡張性を生かすことで様々な兵装を搭載できる。当然、対艦攻撃に用いられるGp.b42Dに加え対レーダーミサイルであるSSM62も搭載している。しかし、対宙網制圧を専門として担うMc233シリーズとは異なり、こちらはあくまで自衛用としての意味合いが強かった。
『結局落とすのは1隻だけなんだな』
『まぁ余裕ないですからね。そんでもって、コイツが不幸にも選ばれし1隻になっちゃった訳ですけど』
「その通り。不幸になるんじゃなく、不幸にさせるんだ。俺たちがな」
自身の行動がもたらす意味を極めて正確に表現したテルミナート准佐は、改めて目の前のディスプレイに意識を集中させ、最後の合図を待つ。自動モードであれば最適なタイミングで自動的に投射出来るのだが、今回の場合はタイミングが重要であるため、あえてこのようなやり方をする必要があった。
『ウィーゼル1よりイーグル1。敵対宙兵装無力化!繰り返す、敵対宙兵装無力化!』
「全機投射、全機投射。電波管制解除、誘導開始」
ヴィオラス大尉からの報告を受けたテルミナート准佐は、即座に僚機へ指示を飛ばすとともに、操縦桿に装着された引き金を引いた。その動作は標的の位置情報と共に電気信号に変換され、機体中央下部のハードポイントに向かい光の速度で伝達する。そして機体とGp.b42Dとを接合していたアーム型の接合部分が、優しくも力強く、そして確実に標的へ向かって投射されるよう、長細い金属塊を機体から放り投げる。そして投射の際の反作用に伴って機体がわずかに持ち上がる感覚を合図にしたテルミナート准佐は、コントロールパネルに向けて腕を伸ばし電波管制を素早く解除する一方で、レーザーによる誘導を改めて実施する。推進剤やレーザー追跡装置を搭載する余裕のあるミサイルとは異なり、炸薬や装甲を貫徹するための弾芯などでパンパンなGp.b42Dの場合、こうして母機からのレーザー誘導を一定時間実施する必要があった。
「イーグル1よりマラード。エスコート隊による全機投射完了。誘導限界まで残り37秒」
『マラードよりイーグル1。こちらでも投射を確認した。誘導完了後は速やかに宙域から退避せよ』
「わぁってる!」
レーザー誘導といっても、一定時間機体を前進させておけばそれで事足りる話ではあった。しかしそれゆえに、すさまじく無防備な瞬間であるのは確かであったし、だからこそテルミナート准佐はマラードへ返答するための集中力すら削ぐ一方で、レーダー警報受信機の作動を済ませるとともに、SSM62の自動割込み(セルフ・プロテクション)モードを起動する作業へ意識と視神経の大半を注ぎ込む。こうした一連の行動は、スカウト隊に発見されなかったか、あるいはストライカー隊による無力化が不十分だった場合に残存する敵の対宙装備に備える為の措置であり、自身の命を守るために必要な手順でもあった。
『こちらファルコン4、レーダー照射を受けている。ミサイル発射、繰り返す。ミサイル発射』
『ラプター2。こちらもロックされた。ミサイル発射』
早速、取りこぼされた対宙レーダーに照準された不運な僚機達がミサイルの『発射』を報告する。ハードポイントが直接標的に向けて『投射』するGp.b42Dのような慣性運動兵器とは異なり、ハードポイントから照準された後、自力で推進能力を発揮して標的にすっ飛んでいくミサイルは『発射』として区別されていた。
『マラードより各機!ストライカー、スカウト各隊はエスコートの援護に回れ!』
『こちらハウンド1!ハウンド2は敵対宙システムの位置特定を実施!アーチャー小隊は可能な限り宙域にとどまって爆撃の効果測定に回れ!』
『ストライカー各機に通達!フェレットとバッジャーは防宙網制圧!ウィーゼルは接近してチャフ、フレアを投射する!我に続け!』
即座に槍衾、という自体にはならなかったが、それでも残存する敵の防宙システムに狙われながら飛行し続けるのは非常に気が滅入る仕事であった。そしてテルミナート准佐が直率するエスコート隊にとって更に最悪なことに、レーダー誘導をし続けねばならない理由から、少なくともあと15秒は回避運動すらとらずに直進し続けなければならなかった。
「な~にを考えてやがる…?」
戦闘部隊の旗艦の一つが撃沈されたという、これ以上ないほどシンプルに要約された報告を聞いた司令は、敵の意図を図りかねず思わず言葉を漏らした。
「航宙隊がヤケになって自爆攻撃、…いや違うな。ここまで侵出してきてるんだからそれなりに準備された行動のはず…」
アルコールが入った飲料用真空パックを片手に艦隊の指揮管制なんぞ本来するものでも無いのだが、それでも司令は難しい表情を卓上のモニターに向けながら考えを巡らせる。しかし、攻勢を何よりも重視するざっくばらんな態度からはあまり想像つかないその態度は、味方艦からの通信によって中断された。
『敵が二手に分かれていくぞ!?』
「何?」
高尚な軍事理論や戦略論に縁のない宇宙海賊であっても、直線方向に向かって退避している艦隊が、艦が圧壊する可能性を承知の上でわざと横方向に、しかも二手に分かれて展開し、追撃側にわざと追いつかれるような機動をとることがいかに常識はずれで命知らず…、それ以前にバカげた行為であること理解していた。
『とち狂いやがってるな!!いよいよ奴らも仲間割れか!!』
『今のタイミングなら中和磁場の展開もまだのはずだ!!回頭してる奴ならどれでもいいから早く撃て!!』
自身が優勢にあることを信じて疑わなかった海賊たちによって、瞬く間に興奮と熱狂が通信回線を侵食し始める。
「司令」
どうする、という言葉を船長は飲み込んだ。片手にマイクを握りながらモニターを凝視する司令のその様は、何の言葉も発する必要なく鬼気迫る雰囲気を醸し出していた。
「こんなの…、お高くとまった貴族どもの戦い方じゃねぇ…」
そうつぶやいた直後、彼は今までにない気迫、そして悲壮感を伴いながら、隷下の部隊に向けて指示を飛ばす。
航宙隊による捨て身同然の爆撃、そして恥も外聞も捨ててしまったかのような馬鹿げた艦隊運動という2つの事実から、敵が意図している行動を瞬時に予想して導き出した彼の卓見は、素直に称賛されてしかるべきであっただろう。
しかし、ただそれまでの話であった。護衛艦隊は防御そのものを振り捨てて、一世一代の大反撃を行うことを決断したのだ。しかし逆説的にその行動は、『国民と臣民の代表者の賢明なる決議のもと下賜される、皇帝陛下の最も尊き恩寵』の護送という絶対の任務を完遂するために必要な、唯一ともいえる最適解でもあった。
『回頭…、じゃない!?射撃体勢だ!!マズい!!』
『中和磁場だ!!急げ!!』
追う側と追われる側の立場を一瞬でひっくり返された宇宙海賊は、涙が出るほどに無秩序な状態へ叩き落された。
『ぶつかる!!うわあああああ!!』
『回避行動は周囲と合わせながらだ!!急に方向転換すると死ぬぞ!!』
冷静に考えれば、50光秒以上の距離から、しかも直線から横方向へ回頭した直後に実施する射撃が致命傷になる訳がないことに気づいたはずだ。
「騙されやがって…!1回目の適当な斉射は単なる威嚇に過ぎんが、艦隊全体の動揺は誘える…、そうして中和磁場も展開できないほど混乱したところで、研ぎ澄ました一斉射撃をのんびり叩き込む算段かっ…!」
普段はけたたましいだけの司令が、その時ばかりは絞り出すような声で現状を吐き捨て、もはやなんの手も打てないまま、次の一斉射撃が襲い掛かるその瞬間まで自身の優勢がいとも簡単に失われた事実を噛みしめるしかなかった。
「こ、これほど勇気のいる敵前回頭は初めてです」
航行参謀が裏返りそうな声で思わずつぶやいた。碌に中和磁場も展開しないまま、敵にわき腹を見せて動くのは、確かに気分の良いものではないだろう。
「司令官。あとは手筈通りに」
「…承知しました若様」
戦場の推移は私の想定通りのものと言ってよかった。我々の動きに対応できなかった宇宙海賊は、もはや自分たちで勝手に損害を拡大している状況にあった。
「お見事です若様。一回の一斉射撃で敵を瓦解させるとは」
称賛するソレリアの声が、心地よく私の耳と自尊心をくすぐった。しかし、主君たるもの、いたずらに自身の功績に浸っているわけにはいかない。
「この成功は航宙隊の活躍によるところが大きい。敵の行動をつぶさに観測し、報告し、そしてダメ押しの一撃すら与えた彼の者たちの働きのおかげで、我々は反撃の糸口を得ることが出来た」
私の戦術行動は要するにただの『ハッタリ』でしかなかったのだが、旗艦級艦船の無力化によって現場の指揮を部分的にも混乱させたことにより、結果としては考えうる限り最高のリターンを得ることが出来た。
「また、圧倒的な敵の攻勢を前にしながらも果敢に立ち向かった戦列艦部隊と、それに迷うことなく付き従った支援部隊と輸送艦部隊がいたからこそ、この戦果を得ることが出来た。司令官、卿の艦隊は私の期待に対して十二分に応じてくれたな」
「ありがとうございます。閣下のご高配に報いることが出来てなによりです」
短かくも実直な返答が、シューゲン司令官のまじめさを感じさせた。…とそこに、浮かない表情のクルームバッハ参謀長がタブレット端末を操作しつつ近寄り、トーンを落としながらも口を開て告げた。
「…恐れながら閣下。敵の残存する一部が、依然として突撃力を保持したまま接近中です」
その報告に対し、緩みかけていた私の表情は固定化され、胸中には再び緊張感が纏わり始める。クルームバッハ参謀長から受け取った端末上の画面では、こちら側の一斉射撃をかいくぐった残党が未だ存在感を発揮させている。結局勝負の行く先は、未だに不透明のままであった。
「くだらねぇことで減っちまってたな」
司令の発言は明らかに寂しげな雰囲気を漂わせていた。船長はいぶかしげな視線を司令に向ける。
「何か言いたげだな」
「お前さんは少なくとも、『寂寥』とか『自責』とか、そういう高級な感情を持ってないと思ってたからな」
「…減らず口は相変わらずかよ」
「当然だ。私はまだ死にたくはない。…お前の指示も間違ったもんじゃなかったと思ってる」
「あたりめぇだ。俺はいつだって間違えねぇ。勝手にしくじったやつが死んでいくのさ」
『安寧の平穏の敵』である宇宙海賊はの存在はいわば、帝国が築き上げてきた500年の繁栄が落とした陰であった。自身の行為を正当化し、美辞麗句を唱えながら略奪や虐殺を行う手合いも多い中で、少なくとも司令は自身の行いがいかなる弁明も通用しない『悪』であることを、少なくとも言葉の上では理解していた。
「金さえ手に入るなら売りも捌きも盗みも殺しもやってやるのが宇宙海賊だ。間違いなく人間の屑でしかねぇ」
一拍おいて、司令は続ける。
「でも屑は屑でも結局は人間だ。死んでるより生きてるほうが好きに決まって…、おげッ!」
感傷に浸りかけていた司令の頭を、船長は容赦なくぶん殴った。
「お前はお前の仕事をしろ。死んでいった奴のことを気にするな。屑は屑らしく這いつくばってでも生きろ」
「…当然だな」
士官教育が行き届いている公国軍とはことなり、宇宙海賊の戦闘は指揮を行う者のポテンシャルによって大きく左右される傾向にある。少なくとも二人はそのことをわかっていたし、司令とて船長のこぶしに特段何か文句を言うものではなかった。
「逆方向に展開した部隊と再度陣形を組みなおし、中和磁場の展開を図らねば…」
「ダメだ。組みなおすための回頭をする時間はない。無理にやっても慣性方向に引っ張られた艦が潰れてしまう」
敵の突撃を真正面から受け止めて相応の損害を与えたのは、若輩の貴族による指揮としては大きな戦果であったものの、決定的な勝利へとつなげるには残念ながら不十分であった。
「各艦の機動状況から勘案して、上方向への機動を取るのがもっとも最適かと思われます。…残念ながら、中和磁場の展開を実施するには不十分ですが」
「閣下。よろしいですね」
「…承知した。装甲駆逐隊は可能な限り支援、輸送の両部隊に回してほしい。ここまで連れまわしてしまったせめてもの詫びだ」
楽に勝たせてもらえないようだし、簡単に負けさせてももらえないようだった。そんな状況を前にして油断のならない雰囲気を再びまとわせ始めた司令部要員たちを、私はしかし疲れ切った視線で見守るしかなかった。
『消化試合に持ち込めれば上々だが…。果たして敵がおとなしく引き下がれるか…』
一時的なチート状態にまで引き上げられた私の脳内は、司令部幕僚が私に向ける尊敬と反比例するようにその活動を低調化させつつあった。胃が不快な感覚を思い出す一方で眠たくてしょうがない。
「艦隊進路、上70!!」
ほぼ後ろ向きに進みながらの状態から方向転換するにあたって、それは非常にぎりぎりな針度であった。しかしもはや四の五の言っていられない。敵の油断を誘うただそれだけの目的のために実施した散会機動のツケがここへきて回ってきているのだ。艦同士が密集していなければ中和磁場の効果は極端に減衰するし、一斉射撃による命中度も下がる。だからこそ、あれだけのハッタリを食らいながら動揺も混乱も起こさなかった宇宙海賊の残存兵力に、付け込む隙を与えてしまっていた。
「敵の機動は?」
「こちらの上方向への転進を察知した模様です。仰角をとり、上方向への機動を実施しつつあります」
「並行での撃ち合いか。このような機動…、宇宙海賊の戦い方ではないぞ」
航行参謀の分析に対して、クルームバッハ参謀長は苦虫を噛みしめたような表情を浮かべて応じる。先ほどのすれ違いざまで行った砲撃戦以上の大規模な殴りあいが発生するのだ。確かに、敵は数を減らしている一方で、こちらは散開しているため中和磁場の展開が覚束ない。輸送部隊、あるいは旗艦といった高価値目標に直撃を浴びれば、その瞬間に護衛艦隊の戦略的な敗北が確定する。
「仰角へ向けた回頭が終了後、可能な限り陣形を再構築する必要があります」
「しかし、再構築中に臨界が発生した場合の影響を考えますと…」
「航宙隊の残り行動可能時間は?」
「そろそろ限界です。これ以上の作戦行動は甚大な被害を招きかねません」
つかみかけた優勢は一時の夢に過ぎなかったのだろうか。緊張感がやがて、脳髄を蝕む焦燥に変化していく感覚が私の中にあった。
「致し方ない。重装槍騎兵隊の長距離ミサイル打撃もこれに合わせて実施する。各隊に通信」
『失敗した、失敗した』
指示を飛ばす人の群れから離れたところに身を置き、周囲の喧騒にまぎれるように自身の思考の中に逃げ込むのは、我ながらに卑怯な行為であったと思う。しかし、である。
『隙をつかれた』
『敵の行動を見誤った』
『味方への指示が遅れた』
『準備が不十分だった』
頭の中を駆け巡るのは、後悔の念ばかり。
「前縁部と敵との距離は?」
「現在40光秒付近です。まだ撃ってくる気配はありませんが…」
「この期に及んで必中を期するつもりか。小癪な」
各人が抱える不安な感情は、司令部内に不和の雰囲気をまき散らす。結束の誉れ高い公国軍であっても、勝利を目前にしたところでそれが手元をすり抜けてしまっては、我が身の不運を呪いたくもあるだろう。
「若様…」
一言も発さずに、ただ私のそばで見守ってくれていたソレリアが声をかける。
「すまないソレリア。…私はいい主人でいられただろうか」
しかし私は彼女の顔を向くことが出来なかった。虚空に視線をとばしながら、愚にもつかない質問が私の口からこぼれ出る。確実にあり得る死を目の前にして、もっと気の利いた言葉が出ないものなのだろうか。
「後方部隊の退避はどうだ?」
「まだ一部が残されています。正確な掌握に努めていますが、1戦隊の救援に展開した部隊の退避はおそらく…」
しかしソレリアは、ほっそりとした、しかし温かみのある左手を私に差し伸べて、無重力でただよう私の身体をに触れる。そして普段私に向けて見せるような柔和な視線とはまた異なる、まっすぐなまなざしとともに優しくささやく。
「若様。ソレリアは最後まで若様を信じております。必ずや、必ずや成功なさいます。どうか不安に思わないでください」
「…すまないな」
ソレリアの言葉は、貴族社会の中で生き、身分と立場が固定された社会だからこその発言であったように思えた。彼女の目に、私は立派な主人として映っているのだろう。しかし、彼女の瞳に映る現実が、世界の現実と合致しているとは限らない。私はただ、掴みかけていた勝利を指の隙間からこぼれ落とす、哀れで情けない小市民であった。
「怖い目に合わせてしまってすまない。私に出来ることがもっとあれば…」
恐怖、焦り、混乱、絶望。様々な感情が私の中を去来するが、もっとも堪えるのは「無力感」であった。私が渾身の思いでひねり出した一手は、結局のところ小手先にすぎず、こうして多くの者を道ずれにしようとしている。
貴族とはなにか。貴族とはいかに行動するべきなのか。私はどうしても教えてほしかった。それを知ることさえできれば、ソレリアを、周囲の人間たちを救うことができるはずだった。たとえ私自身の身体が切り刻まれても、私自身の精神が粉々になっても構わない。心からそう思えてしょうがなかった。
しかし、私にできることは何もなかった。
「ダメです…。接近出来てはいますが、機動の最中では当たりません。中和磁場の管制も困難な状況で…」
人ひとりの、いや、あるいはどれだけの人数の願いが集まっても、、今この瞬間に、数十万トン、数百万トンの質量が及ぼす慣性を操ることが出来ない。憎悪と執念に燃える敵からの猛攻を防ぐことが出来ない。重粒子が艦の装甲を溶かし、業火の中で地獄に落ちていく物理法則を変えることが出来ない。
そのはずだ。そのはずであった。
さて。今さら言うまでもないが、貴族の戦死は実際珍しいことではない。割合から見ればさすがに少ないが、貴族全体の母数から導き出される、単純な数の多さで見た場合、戦死というは実にポピュラーな死因のひとつだ。結果から言って、そのような悲劇を最終的に回避できたのは、幸運とか強運とかいう類によるものではなく、人生の行き先を苦難と労苦で彩ろうとさせる「悪運」が及ぼすものであったのだと思う。
「一体どういうことだ?」
「原因は分かりません。しかし、確かに、収集された情報ではそのように…」
「いや、意味が分からない…」
余韻、といった類ではなかった。むしろそれは混乱であり、拍子抜けといってもよかった。
「どうして敵が勝手に大破炎上しているんだ…」
生きるすべを探しつつ、内心では生命への執着をあきらめかけていた公国軍人たちの目に映るのは、絶対的に優位な立場にありつつ、なお勝利の機会を永遠に失った宇宙海賊たちの残骸であった。
「失敗だ」
各部に致命的な損傷を受け、既に戦闘のためのあらゆる能力を失った艦内の司令室にて、司令は短くそう言い捨てた。
「俺の負け。これがあるからギャンブルはやめられねぇな」
この男は死ぬ直前までこうなのか。船長が抱えていた疑問の一つが、自身の中で氷解した。
「負けたのか…。あんたが」
「おいおい。別に俺が負けるのが初めてってわけじゃねぇだろ。いままでどんだけ巻き上げられてきたか知らないお前さんじゃないだろうに」
ふたを開けてみればつまらないこと。密集陣形の中心にあった複数の艦のエンジンが、急加速や急制動に耐えきれずに暴発したのだ。そして、無重力空間で、かつ密集状態にある艦船が同時多発的に爆発すれば、周囲に致命的な被害をもたらしかねない。金属の破片は特大の散弾となって周囲の艦船に降りかかり、最終的には部隊そのものが連鎖崩壊する臨界現象が発生したのだ。整備や補修に手間を惜しまない公国軍艦船であれば多少の無茶は効くものの、後方支援機能に劣る宇宙海賊にとってはそれが限界であった。
「それでも、お前はここぞというときに判断をしくじらない男だった。…、それは確かだ」
「見てきたかのように言うな」
「見てきたから言うのさ」
悲劇的な状況の中であるにも関わらず、思わず船長が笑いだす。
「いつも見てたさ。思えば不思議だった。限られた情報で、限られた選択肢で、お前さんはいつも勝利を引き寄せてた。私にはそれが不思議でならない」
「ふん。死ぬ直前になってからやっと人を褒めやがって。どうせ褒めるなら普段からやっておくもんだ」
「こういう状況だからさ。普段からいちいち褒めてたら、お前をつけあがらせる」
「…まぁ、違いないわな」
会話がひと段落するタイミングをまるで見計らったかのように、破壊と無秩序の中でかろうじて生き残っていた通信回線が、最終的な勝利を得た公国軍の電波を拾い上げ、注目すべきその内容を伝えた。
『私掠船団を構成する擾乱勢力に告ぐ。これ以上の戦闘は、無用な犠牲者を生むばかりである。直ちに降伏せよ。法の手続きに従い、卿らの身辺を保障する』
「…、こりゃあ驚いた。公爵家の威厳とやらは、海賊風情を生かすのにも使えるみてぇだ。奴らも落ちぶれたもんだな」
つくづく自分の意見をねじ込まないと済まない男だ。船長は心の中で嘆息する。
「…船長よ」
「なんだ。酒なら自分で取りに行け」
「もう一生分飲んでる…。それより、ほら。行ってみたらどうだ」
「…何にだ」
「聞いてただろ。公国軍に降伏するのさ。お前さん、ちっとばかし生まれが良ければ、貴族の家に雇われて、役人でもやってればよかったんだ。そうすりゃ焼け死なずにすんでただろうよ」
「冗談きついな。…それに、どうやって降伏するんだ。ここで白旗上げてもどうしようもないだろう。お貴族様の気まぐれにはついていけないね」
「ほら」
よれた上着のポケットから、司令は金属片らしきものを取り出し、船長のもとに放り投げる。
「避難用の連絡艇のキーだ。場所はキーの部分に書いてある。船長なんだから場所くらいわかるだろ」
「…いいのか」
「いい。というより、『どうでもいい』。しかしまぁ、目の前で酸欠になられるのもちょっと嫌だからな。たまには俺みたいに賭けてみるのもいいと思うぜ」
「フン。公爵家に賭けるのか。海賊が。天下の無法者たる海賊様が」
「こういう放送流してくるくらいだ。もの好きな貴族もいるもんだな」
「…もらってくぞ。本当にいいんだな」
「さっさとしろ。お前さんがどう思うかは知らねぇが、少なくとも俺は、最後の時くらい一人で静かにしてたいのさ」
強がりのように船長には見えたが、しかしそれでもその心遣いを否定するほど、船長は無欲でも無粋でもなかった。
「さっさといけ。死ぬのは一人でできる。だけど生きるには他を頼らねぇとダメだ」
「…じゃあな」
船長は短くそう言い残し、暗闇と無重力が支配する廊下の中を駆け抜けていった。
次回、新章開幕です